第一話 可憐な少女 ②
昼の喫茶なかじま。
そこは木彫りの椅子と机が等間隔に置かれており、マスター……中島慎二の几帳面さが垣間見える。 この店はマスターが代々継いできた店であり、いまのマスターで4代目である。
カウンター横のガラス棚には、マスター夫妻が旅行で買ってきたお土産が整然と並んでおり、壁にはその時の家族写真が飾られていた。
「へい、日替わりのカツカレーおまちー」
いつものエアコンがよく当たるカウンター席に座り、店内に置かれている漫画を読んでいると、注文した日替わりランチが運ばれてきた。
おおぶりに切られた野菜と肉がルーに溶けるまで煮込まれ、やわらかな白米の上にかけられている。その上にはキツネ色に染まった柔らかなとんかつがのせられ、仕事合間の昼休みという時間に俺の食欲をそそった。
いただきまーす。 と、さっそく具沢山のカレーを旨味たっぷりな肉とジャガイモの食感に舌鼓をうち、ご飯とからませるとさらに旨味が増した。
大振りに切られたとんかつは、衣はサクサク中はふんわりとしていて、噛むたびにあふれる肉汁が口の中で暴力的なうまさを出していた。
「くー、うまい! さすがマスターが作ったカレーだぜ」
カレーを一気に平らげた後、水をがぶ飲みして、ごちそうさま! と合掌した後、心のままにつぶやく。
何人かの客がそれを聞いて、興味を示したのかどんどんカツカレーを注文して忙しいにも関わらず、マスターはにこりと微笑み、お粗末様です。 と、一言呟いた。
「じゃあ仕事もどってきまーす。 お代はカウンターに置いときますね。 おつりはまた今度で」
「はいよ! 頑張ってらっしゃい」
忙しそうに給仕をしていた花子さんに一声かけ、激励をもらいながらテーブルの上に千円札を一枚置いて立ち上がる。
日替わり定食は一食600円前後、いつもどおり次に仕事で会う際にでもおつりを渡してくれるだろう。木製のドアを開け冷房の効いた店内から、日差しが容赦なく降り注ぐ炎天下へと足を踏み出す。
「まだ4月だってのに、あちーなー」
喫茶店専用の駐車場に停めた社用車のドアを開けると、車内という密閉空間で暖められた熱が顔や体に不快感をあたえてくる。
エンジンをかけ、換気のために窓ガラスをオープンにし冷房を効かせる。 車内を冷たい空気が循環してきた頃に、胸ポケットに入れたスマホが震えた。
コミュニケーションアプリである[レイン]にメッセージが来ており、送信相手は我が社の偉大なる女社長……垣根由香からだった。
[いま帰った]
いつもは勤務開始時間ぎりぎり五分前にふらふらと二日酔い気味に姿を現す女社長が、今日に限ってきっちりスーツを着こなして総司よりも早く出勤していた姿を見たときは、会社を間違えたのかと思うほどだった。
それじゃ、出掛けてくる。 と、片手をあげて出ていくのを、何も言えずにただ呆然と見送ることしかできなかった。
たまにふらりと連絡無しでいなくなる時はあるが、そのときはいつも通りの時間に出勤し、二日酔い気味のまま出かけていく……と、いうのが垣根が出張する際の基本だった。あそこまでスーツを着こなしてるのを総司が最後に見たのは、数か月も前のことだった……。
それも、とびきり厄介な件に周囲の化物連中や総司を巻き込みながら。
はぁー……。 と、大きくため息をつきながら、座席に一度もたれる。 この仕事をやる前は、ただの清掃会社と何でも屋の兼用だと思っていた。 蓋を開けてみると、マフィア系のちょっとした依頼なども含まれており、働き始めの数か月は肝が冷えたことも何度かある。
垣根からは、こちらから手出ししなければ気にしなくていい。 と何度も言われているので、これまで3年間は特に目を付けられることなく、日々を謳歌していた。
「今日のあの対応、ぜったい碌な事じゃねえよな……」
ここで考えてても仕方がないので、帰社するためにハンドルを握りしめた。
☐
喫茶店から会社まで約10分の道のりを運転しながら、長期休暇でいつもとにぎやかさの違う街並みを通り過ぎていく。 最近できたホームセンターを通り過ぎると、道沿いにコンクリート製4階建ての雑居ビルが見えてくる。 そこが総司が勤める清掃会社[垣根クリーンサービス]だ。
1階がガレージで社用車の駐車場兼作業場となっており、2階が[垣根クリーンサービス]の事務所で3階が社長の居住スペース、4階が物置となっている。
この後、作業場で仕事をするために社用車を邪魔にならない端の方に停車し、車を降りる。 荷物用エレベーターの隣、塗装の剥げかけた鉄製の階段を一段とばしでゆっくりと登っていくと、事務所へのドアがある踊り場にたどりついた。
ただいまもどりましたー。 と、いつも通りだらけた声で内開きのドアを開けると、エアコンで冷やされた空気と、タバコ特有の紙臭いにおいが総司の鼻を突いた。
「おぅ、おかえり」
この会社の社長であり、[屋根上の魔女]という2つ名をもつ[垣根由香]は、会社の経費で購入した自分専用のリクライニングチェアに深く腰掛けながら、気だるげに社長用デスクの灰皿にタバコの灰を落として返事を返してきた。
由香はサイドに流した明るい茶髪、そして整った顔立ちをしているが、死んだような目とだらけた姿勢で全てを台無しにしていた。
「このくそ暑い中、稼働してないビル階の清掃とか死んじまいますよ。 あと後ろの窓開けといてください。 タバコのにおいがこもってますよ」
ドアを閉めながら自分の事務机に社用車のキーを放り投げ、事務所備え付けの冷蔵庫に向かう。 すまんすまん。 と、言いながら垣根が指を鳴らすと社長デスク近くの窓が誰も触れていないのにスライドし開いていく。
人類史が始まって以来、魔法という不思議な現象をおこす存在を人々は魔女、あるいは魔法使いと呼んだ。
「誰も使ってないから、早く終わって楽だろう?」
「暑すぎてこっちの人生が終わっちまいますよ。給料上げて休みくださいよ」
「そうだな、新しいバイトが入ってきたことだし、おまえには棺桶送りという名の永久休暇をやろう」
「冗談ですって。イヤダナーハハハハハッ」
従業員への今後の対応について勝ち目のない心理戦をしながら、冷蔵庫を開けるとビールが所狭しと並んでおり、その一角に総司が朝市買っておいた新品のコーラがしょぼんと置いてあった。 コーラを手にし、後ろ手に冷蔵庫を閉めながら自分の席を目指す。
「バイト?新しく雇ったんですか?」
「あぁ喜べ、れっきとしたJKだぞ」
「マジですか!それはテンションあがりま——うわぁぁぁぁ!!」
別にテンションが上がりすぎて叫んだわけではない。
ペットボトルのキャップを開けるとキンキンに冷えたコーラが勢いよく吹き出し、総司の指先から作業着の袖口まで、そして周囲の床を濡らしていった。
「アハハハハッ!これで少しは涼しくなっただろう?」
気だるそうにしていた垣根はそれを見て、いたずらが成功した子供のように高らかに笑いだす。
「お前の仕業か!!」
叫びながら元凶を睨み付けても、愉快そうに笑うだけで特に何かしてくれそうにない。 びちょびちょになった腕を振りながら、中身が一気に無くなったペットボトルをゴミ箱に捨てた。
「ちくしょう、子供みたいないたずらしやがって……。」
ぶつくさ文句を言いながら、トイレ内にある掃除ロッカーからよれよれの雑巾とバケツを取り出し、洗面台で軽く水に浸して絞る。
口と手さえ出さなきゃ美人なのになぁ……。 と、どうでも良いことを考えながら事件現場に戻ると、犯人は既に興味を失ったらしく、タバコを咥えながら青空を眺めていた。
「それで、そのアルバイトはいつから来るんですか?」
フローリングの床に拡がったべたつく液体を雑巾で拭きながら、先程の話題の続きを聞いてみる。 ペットボトル一本分の液体は広範囲に広がり、出入り口のドアにまで達していた。
どうしてこうなった……。 と、ぼやきながらドアのほうまで雑巾がけしていくと、突然ドアが開いた。
「あぁ、それは今――」
ドアを開けた人物は、少し幼さを残しているが、綺麗な顔立ちの少女だった。
肩口付近で切られた髪は黒く鮮やかな艶があり。 驚いたようにパチリと開いた目は、夜空を宿したようなつぶらな瞳をこちらに向けていた。
細身で華奢な体は、ここら辺では見かけないセーラー服を着ていた。
少女は右手でドアノブをつかみ、左手にホームセンターの購入シールが貼られた新品のホウキを持っていた。
その時、運命のいたずらかドアから室内に向けて突然風が吹き抜けた。
両手が塞がっていた少女は反応できず、スカートがふわりと浮き上がる。 少女は慌てて手を添えるが、しゃがんでいた総司はそれをはっきり見てしまう。
「みずいろ……」
無意識に呟いてしまったその言葉は、少女にはしっかり聞こえたようで、恐る恐る顔を
上げると目線が合ってしまう。 羞恥によって頬を赤く染め、その目は潤んでいた。 しかし、突如睨みつけるようにこちらを見て、大きく右手を振りかぶる。
「何か言いたいことはありますか?」
そう言うと、少女はにこりと微笑む。 初めて聞いたその声は、相手に安心感をあたえる優しい声をしていたが、何故か総司には身体の芯から底冷えするような恐怖を感じた。
「あ、ありがとうござい――」
言い切る前にスパーン!! と、思い切りの良い音と共に頬に衝撃を感じ、あまりの痛さに意識を手放した。