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サンセットオレンジ  作者: ななる
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LⅩⅣ………真夏の蝶の罰①(文化祭・二日目)

 特別棟の階段を上る足が酷く重たい。一歩一歩進むごとに、今日のこと、昨日のこと、もっと前のことが色鮮やかに蘇る。今目の前に見えている情景が、現実なのか、それとも過去のことなのか、それすら曖昧になって、インクを垂らした水のようにぼやける。ただ一つはっきりと見えるのは、まるで誘っているかのように目の前を飛ぶ、淡い色の羽を持った危うい蝶だけ。その蝶に導かれるまま、四階まで上がって、息切れしながらさらに上へ。埃のかかったドアノブに手をかける。鍵はかかっていなかった。ゆっくりと開くと、彼女がこちらに振り向いた。

「やっと来た。柏木先輩とはゆっくり話せた?」

 彼女はそう言ってクスリと笑うと、両手を天に挙げて伸びをした。彼女の長くおろした茶髪が風によって遊ばれる。

「ナツ……どうやって入ったの。屋上は立ち入り禁止のはずだよね」

「それ、ショウタが言うのか? ほら、美術部の鍵を使ったんだ。柏木に借りてさ」

 ナツが近くの床に転がっている二つ並んだ鞄を指さす。片方は僕の、もう片方はナツの。そしてナツの鞄の上に、美術部が秘密裏に所持している特別棟屋上への鍵が乗っていた。

「それで、柏木さんは? ナツに鍵を渡した後、どこに行ったの?」

 僕がそう聞くと、ナツは肩をすくめて見せた。やれやれ、と言いたげに。

「私がいるのに。本当にショウタに私は映らないんだな。……まぁいいや。見てわかる通り、柏木はここにはいないよ。その代わり、私にショウタの鞄を預けてきた。ほら、先に渡しとくよ」

 ナツは転がっている僕の鞄を持ち上げると、ひょいっとそのまま僕の方へ放り投げた。何が何だかわからないまま胸元でキャッチ。

「けど、先に私のところに来たんだから、そのままスルーってのは無しだよ。もうショウタの絵を私と柏木がああしたの、わかってるんだろ」

「……うん」

 別に今更違うと思っているわけじゃないけれど、直接言われると、言葉に迷う。そんな僕の反応を楽しむように、ナツは声のトーンを上げて笑う。

「そんなしおらしくするなよ。ショウタは絵を汚された被害者、だろ?」

 被害者。その言葉が嫌に耳に残る。第三者が見れば確かに僕は被害者で、ナツは犯人。加害者だ。でも、僕からしたら、いやむしろナツからすれば、そう簡単な話じゃない。

 隣の校舎からは文化祭の狂騒が楽し気に響くのに、この場所はまるで凍り付いてしまったかのように、静かで、重たくて、苦しい。

「絵を水に浸けられたことは別に怒ってないよ。それより、本当にこんなことをしないといけなかったの? こんなことをしなくても、何か言いたいことがあったなら、言ってくれればよかったのに……」

 それだよ、とナツは鋭く声を立てる。

「私と柏木はただ知りたかった。確かめたかった。ショウタがあの絵のことを、どれだけ思っているのか。絵が無くなった、そう告げた時、ショウタがどううろたえるのか。どれくらい必死に探すのか。それを確認したかった」

 絵が無くなった経緯を聞いた後、生徒会に伝えに行く僕を柏木さんが引き留めたことを思い出した。そうか、そんなことを……。

 ナツは声を荒げて続けて言う。

「それなのに君はうろたえるどころか、慌てるわけでも、ましてや怒ることもなく、ただ淡々と、いたって冷静に目の前の問題の解決に乗り出した。目を離していたという私たちへの優しさでも、君自身の強がりでもない。そうじゃないことは長年の付き合いなんだからお見通しさ。ねぇショウタ、君はあの時何を考えていたの? 何を思って歩いていたの?」

 怒りとも嘲笑ともとれる笑みを僕に向ける。僕は彼女の知りたいと言う心のまま、淡々と答えた。

「何も。何も考えていなかったよ。水に浸かった()()を見つけるまで」

 田中生徒会長に言われるまで、犯人捜しすら念頭になかったくらい。まぁ、あの空き教室で見つかった時点で、ほとんど誰がやったかわかってしまったわけだけど。

 ナツはもう笑っていなかった。唖然として、いやあきれているのかな。さっきより一段と冷たい声で吐き捨てるように言う。

「あれ、って。本気で言ってんの? あの絵が私と柏木にとってどういう絵なのか、わかっているの?」

「アキの絵だよ。僕にとっても。モデルは柏木さん。だけど僕が完成させたのはアキだった」

 だからナツは怒っているのだろう。僕が柏木さんを代わりにして、アキを描いたから。

 僕の言葉にナツは俯いて何も言わない。

「わかってる。最低なのは僕だ。謝るよ。ううん、こうなる前に、謝ろうと思ってた。アキを描いていたことに気がついてからずっと。文化祭が終わったら、二人に、それすら僕の自己満足だとしても、それでも謝りたかった」

 もう何を言っても手遅れだとしても、それが本心だった。二週間前、美術室に真由先輩が来たあの日から、そうしようと決めていた。もう絵葉書を印刷することは間に合わなくても、せめて心だけは、間に合うように。

「……つき」

 ナツが俯いたまま、ポツリと言う。そしてはちきれたように声を張って僕に怒鳴った。

「嘘つき嘘つき嘘つきっ!! 謝らないでよ! 全然わかってないくせに! 何にもわかってないくせにっ! 勝手に引き受けて謝らないで!!」

 もうナツはナツじゃなくなった。子供のように泣きじゃくりながら、普段は出さない甲高い声で、叫ぶ。

「あの日だってそうだった。アキが死んだのは私の所為なのに、自分が殺したって、勝手に引き受けて。本当はわかってたんでしょ? あの日トラックの前に飛び出したのは()の方だったって」

 普段のボーイッシュな話し方が崩れて、小さいころのような女の子らしい口調に変わる。

 僕は肯定も否定もしなかった。できなかった。その通りだ、と言うわけにはいかなかったから。そして違うと言えば、また僕は噓を重ねてしまうことになるから。それはもう呪いに近かった。きっとそう、小さいころ僕と彼女が出会った時点でもう僕らはこの呪いに掴まっていたんだと思う。




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