LⅩⅠ………消えた夕日を探して(文化祭・二日目)
走って駆けて、真っ直ぐに漫研へ。ナツと柏木さんに続いて松本さんもやってきた。漫研の端に設営された美術部のブース。その隣にあったはずの「サンセットオレンジ」が確かにその場からなくなっている。
何が起きたか理解できず、僕と松本さんがその場で立ち尽くしていると、ナツが説明し始めた。
「柏木と私が店番してたんだけど、誰も来なくってさ。それで私から柏木にトイレに一緒に行こうぜって誘ったんだ。そうして席を放しているうちにこの通り……」
そう言い終わって僕から目を逸らし拳を握るナツ。反対に柏木さんは僕の方を真っ直ぐにじっと見ている。
「大丈夫。とりあえず僕は生徒会にこのことを伝えてくるよ。松本さんは僕がミスコンに戻れないことを伝えてきてくれる?」
わかった、と頷いて教室から走って出て行った。僕もそれに続いて生徒会室に向かおうとすると柏木さんに呼び止められた。
「ねぇ」
「ん?」
どうかした? 彼女を落ち着かせるようににっこり笑って振り向くと、彼女はその場でもじもじと何か言いたそうに俯いたが、すぐに向き直って首を横に振った。
「ん…… 何でもない」
そう、と特に聞き返すこともなく、すぐにその場を去った。何でもない、なんてことはないとわかっていたはずだけれど、聞かない方がいいとそう直感したんだ。
漫研の部室を出て図書室の前を通り過ぎるとき、ドアが開いていたので誰かいないか試しに覗いてみると、誰もいない。ああそうか、小村さんがミスコンに出てるから、皆そっちに行っているのかな。
階段を降りて二階へ。生徒会室は二階の一番奥の部屋。
生徒会室の扉にメモが張ってあった。
『文化祭中、生徒会本部を放送室に移しています』
ためしにドアを引いてみたが鍵がかかっている。
仕方なく今来た道を引き返し、階段を上る。放送室は四階の一番奥。生徒会室のちょうど二個上だ。特別棟でもそうだけど、やっぱり四階まで登るのは体に堪えるな。
四階はミスコンで人が減った他の階とはまた違った静けさがあった。ここだけ普段通りの学校というか、いやそれよりも静かでまるで時間に置いてきぼりにされたよう。この階には催し物がないためか飾り付けさえされていない。以前玲志がひとりで楽器を練習していた空き教室を通り過ぎ、真っ直ぐに放送室へ向かった。
放送室の扉にはまた丁寧な文字で書かれたメモと、それから見覚えのある絵葉書がたくさん張られていた。メモには『絵葉書買いました。買いましたので、どうか、どうか柏木先輩来ないで下さい』と特定の誰かへの懇願がつづられている。除霊札のように張られた僕とナツが描いた絵葉書を、ため息をつきながら見てドアをノックした。どうぞ、と澄んだ声が中から響く。田中生徒会長だ。遠慮なく中に入ると会長は目を丸くして僕を見た。
「あら、あなたはたしか漫研の……」
「いえ、美術部の三坂翔太郎です。実は……」
単刀直入にあった出来事を話す。てっきりおろおろと慌てふためくと思っていたけれど、意外なことに会長は静かに右手を顎に当て、いたって冷静に状況を整理した。
「なるほど、では先生と生徒会でこのことについて共有します。それぞれで絵の捜索しましょう。ちなみに、顧問の先生にはもう知らせましたか?」
「いえ、阿立先生にはまだ」
「わかりました。阿立先生には生徒会の方から他の先生同様に伝えておきます。――それから、犯人について誰か心当たりとかはありますか?」
犯人、か。そうか、絵がひとりでに消えるわけじゃないんだから、そういう存在がいてもおかしくないのか。
しばらく考えてみたけれど、首を横に振って答えた。
「いいえ、わかりません」
会長は「そうですか」とまた右手を顎に当て何かを思案するよう俯くと、ふと顔を上げ、僕に言った。
「単なるいたずらの可能性もありますが、もしかしたら美術部になんらかの恨みがある人物の犯行の可能性も十分あります。美術部員、それから漫研の方々に、どうか気を付けて行動するようお伝えください。……大丈夫。この件は私たち生徒会が全力をかけて解決しますから、安心してくださいね」
優しい顔をしてそういう会長に、僕は顔を背けてお礼を言い、その場を後にした。
放送室を出て、とぼとぼと四階の廊下を一人歩き、その教室の前で立ち止まる。そこは玲志がサックスの練習をしていた空き教室。
『助けたい人がいるんだ。力になってあげたい人がいるんだ』
玲志との会話を思い出しながらふらりとその扉に手をかける。
この前とは違い、教室に楽器の音は響かない。代わりに聞こえてくるのは他の階からの祭りの喧騒。今日も昨日みたいに柏木さんといろいろ回りたかったんだけどなぁ。どうやらもうそれどころじゃないみたい。……正直なところ、なくなったサンセットオレンジはどうでもいいんだ。いや、柏木さんは悲しむかもしれないけれど。でも、本当に彼女に見せたいのは、別の絵。けれど描いた本人が探さないのは変な話だし、探してくれているナツや柏木さん、生徒会の人に申し訳ないよな。
ぼぉーとそんなことを考えながらドアをずらして中に入る。当然ながら、そこには玲志はもちろん、誰もいない。今日もここで立ち止まっていたら、また柏木さんが僕を見つけてくれるだろうか。この前と同じく窓際へ。窓を開けようと手を伸ばしてやっと、『それ』に気が付いた。
あの時は確かに空っぽだった水槽に、あふれんばかりに水が入って―― そして一緒に、くしゃくしゃになったサンセットオレンジが浸かっていた。




