LⅧ………Vividを知ってしまって(文化祭・二日目)
──騒がしい。
『お化け屋敷はこちらです。2-1』と書かれた看板を持って、その場に一人。今日は制服じゃない客もいる分、一段と騒がしい。
白い布を被っているからか、小さな子供に「白お化けさん」などと呼ばれるが、わかってない。
今の私は白お化けマークⅡボルカニックカスタム。
柏木真鹿の娘でも、柏木真由の妹でもない。
でも、それって結局誰だろう。
私は私であればいい。気になるものだけ手に取って、どうでもいいものは忘れればいい。勝手に張られたラベルなんて無視すればいい。
そんな風に一人で生きていると思い込んで、地図も見ずに気ままに進む。ずっとそれでいいと思ってた。そうするしかないとすら思ってた。けどどうだろう。
周りはこんなに騒がしいのに、どうして私は寂しいのか。どうして私は周りをキョロキョロと見まわしているのか。
あの静かな美術室にいようと、この騒がしい廊下にいようと、この石のように冷たい気持ちはどこにいても一人じゃ熱を覚えない。
かつてはいっそすべて捨ててしまいたいと思ってた。家も、名前も、記憶も人格も心も。全て無くして、そのままの「私」になりたかった。
真鹿の娘だといわれる日々。真由の妹と眺められる日々。義母に美しくないと虐げられる日々。ペンも筆もすべて投げ捨てて、本だけ手に取って部屋で一人。他のすべてを忘れたくて、消したくて、文字の羅列に潜り込む。
そんな日々を送るある日だった。真由に絵画展に行こうと誘われたのは。
真由曰く、中学生の、それも私と同学年の作品にとんでもないのがあるのだと。とはいえそんなことを言われても私が行く気になるわけもなく、当たり前のように断ると、無理やり持ち上げられて連れていかれた。そうなることは最初から分かっていたけれど。
その絵を見た瞬間、他のすべてが目に入らなくなった。……翔太郎には想像もつかないだろう。あの日私がどれほど希望を抱いたか。どれほど世界の色を感じたか。
初めてだった。絵を美しいと思ったこと。絵を知りたいと思ったこと。
そう思ったことで、私だって絵に関わりを持てる、そんな気がした。たとえ絵が描けなくても、彫刻ができなくても、何もできなくても、この人の絵があれば、私だって美術を愛せるんじゃないか。今の私なら、いや、いつかの私なら真鹿の娘として、真由の妹として、すべてのラベルに溺れなくなれるのではないかって、確かに思ったんだ。
家に帰ってもあの絵を忘れられなかった私は、初めて父におねだりをした。
あの絵を一度、じっくり見たいとそう頼んだ。数日後、一体どうやったのか知らないが、父は私の望み通り『罪』を私の部屋に持ってきてくれた。部屋を閉め切って、手袋をし、丁寧に額縁を外す。どうしてそんなことをしたのか、今では思い出すことはできないけど、その結果見つけることができたのが例の文字。
『君に贈る』
作者から、誰かへのメッセージ。結局それが誰へ向けられたものなのか、いまだにわからないけれど、その意味は何となく分かる。
窓からの日差しに目を逸らす。今日は午後から天気が崩れると予報されていたが、全くそんな予兆はない。六月上旬は充分夏だ。薄いとはいえ、こんな白い布を被っているのは体に良くない。
そろそろ時間だろう。白い布を取って、白お化けマークⅡボルカニックカスタムから柏木瑞希に戻った。看板を受け付けの桃山に渡して、漫研へ向かう。
騒がしい、暑い。けれど寂しい、冷たい。『罪』を見つけて、翔太郎と出会って、私はこんなにも変わってしまった。
名前も、記憶も人格も心も、もう捨てることなんてきっとできない。何が欠けても、もう私ではなくなってしまうだろうから。翔太郎に私だと思ってもらえなくなるだろうから。
だから私は待ってるよ、翔太郎。信じているよ、ずっと。白い雲を数えながら、廊下を歩く。
向こうから千夏と翔太郎がやってきた。




