LⅦ………みさりんの脱走(文化祭・二日目)
「どう?変な感じはない?」
変な感じも何もイレギュラーな格好をしているんだから、変な感じしかしない。
松本さんの手によって再び『みさりん』へと変えられた僕は、とぼとぼと一人、フロアへ出ていく。
ああそうか、今日は一般開放日だ。すでに学外から来たお客さんがちらほら見える。
隠れるように玲志の後ろに移動した。
「おはようみさりん。今日もかわいいね」
「うるさい削るぞ」
何を?と怯える玲志を無視して深くため息をつく。
相変わらずこいつは執事服なのか。ずるい。玲志はもう一度ため息をついた僕をなだめるように笑った。
「まあ、そんなに気を落とすなよ。今日は一般開放だぜ。しっかり楽しまないと……お、隣町の制服の子だ。俺ちょっと行ってくる」
やってきたのは他校の女子高生二人組。こんな早くからよく来るなあ。二人は手の凝った部屋の装飾に感動している。
「おかえりなさいませ、お嬢様方」
玲志は恭しく首を垂れる。その姿はまるで本物の——ホストのよう。
「え!すっごいかっこいいんだけど!?ヤバ、シャンパンタワーとかあるの?」
ほら勘違いしちゃったよ。というかあの人たちも未成年だよね。ホストクラブに通ってたりしないよね。
玲志はそのまま二人を席に案内すると注文を取って裏へと消えた。手慣れているなあ。少し待っていると、なぜか片方のほっぺを紅葉型に腫らした玲志がよろよろと出てきた。ドリンクをお客さんに渡して、僕の方へ赤くはれたほうの頬をさすりながらやってくる。
「どうしたのそれ?」
「裏に部活の先輩がいてさ。『ナンパすんな』ってひっぱたかれた」
痛そうにしているわりにあまり気にしていなさそう。むしろなんだか嬉しそうに見えたのは気のせいだろうか。
玲志は教室の入口の方を指して言った。
「ほら、今度はお前の番だぞ」
やってきたのは少し小太りなおじさん二人。ここにたどり着くまでに疲れたのか、額の汗をハンカチで拭っている。
「なんで僕はおじさん相手なんだよ」
「馬鹿、聞こえたらどうするんだよ。——大丈夫、いざとなったら助けに行くから」
いやもう既に助けてほしい。というかこのメイド服完成したのって玲志のせいじゃなかったっけ。
とはいえもう仕方ない。意を決して営業スマイル。努めて高い声を出した。
「お、おかえりなさいませ、ご主人様!」
やっぱり無理がないか?涙目になりながらお辞儀する。不快にさせていないだろうか。不安になりながら上目遣いで様子をうかがった。
するとあれ不思議。案外好評だったようで、おじさん二人は声を上げて喜んだ。
「なんと!柏木真由氏に会いに来ただけの文化祭だったが、こんなところにも奇跡の逸材がいるとは。素晴らしいでござるなあ!」
何時代の人なんだ一体。独特な話し方に驚きながらも必死に接客を続ける。
「ご主人様、こちらの席へどうぞ。メニューはこちらになります。お決まりになられましたらお呼びくださいませ。ごゆっくりどうぞ」
そこまで言い終わってダッシュで玲志のもとへ。
「完璧じゃんみさりん」
「みさりん言うな」
玲志が僕に拍手するのを見て他のクラスメートも一緒に拍手。それが純粋な敬意なのか、あるいは同情なのかはわからないけれど、どちらにせよそんなのいらないから辞めさせてほしい。
先ほどのおじさん二人がメニューを決めたようで、僕の代わりに玲志が応答しに行った。
入れ違いにやってきたのは横山さん。
「三坂くん、お疲れ」
彼女も同じくメイド服を着ているフロア係だ。
「三坂くんって出席シートにまだ印付けてないよね?」
「出席シート?」
「阿立先生から聞いてない?普通はみんな朝は自分の教室に集まってるから出席確認いらないんだけど、一部の文化部、三坂くんみたいな美術部とかは文化祭期間は動きがイレギュラーだから、出席シートの提出で出席が認められるっていう……その様子だと聞いていないようだね」
はい、初耳です。
「まあ、いいや。書いたら私に提出してもらう予定だったんだけど、先に勝手に私が書いといたから。だから三坂くんは気にしなくていいよ、ってことを伝えたかっただけ。それじゃあね」
それだけ言うとすぐにその場を行ってしまった。横山さんって、なんでもかんでもまじめなイメージだったけど、わりと融通もきかせてくれるんだな。
「横山、なんだって?」
後ろから話しかけられて少しびっくりした。注文対応を終えて玲志が帰ってきたのだ。振り向いて答える。
「出席シートについて、もう書かなくていいよだってさ」
「出席シート?なんだそれ」
玲志も聞いていないのか。どうやらうちの担任は本当に仕事をしないらしい。
僕は横山さんから聞いたことをそのまま伝えた。
「なるほどな。まあ俺も午後のコンサートの準備とかでこの後自由利かなくなるし。横山もたまにはいいことするな」
そうか、今日もコンサートあるのか。
「15時からだっけ。絶対行くよ」
心からの言葉だったのだが、玲志の反応は意外なものだった。
「いいって、無理しなくて。柏木さんから聞いているぜ。『忙しくなるから来れなくなる』って」
柏木さんが?彼女は500枚きっちり売る気でいるんだろうか。
キョトンとした僕に玲志が笑った。
「まあ、お互い頑張ろうぜ。今日はきっととんでもなくバタバタした日になる」
それもそうだ。僕も玲志の笑顔に笑い返したところで、悪魔の声が。
「三坂翔太郎ー!!伝説のOG、柏木真由が迎えに来たわよー!!」
本日のバタバタの具の一つが顔を出した。
「お、柏木先輩だ。翔太郎、行った方がいいんじゃないのか」
何も知らない玲志がのんきにそんなことを言う。
行った方がいい?むしろ逆だ。見つかってはならない。つかまってはならない。
捕らえられたが最後、ミスコンに出場させられる。
「いいか、玲志。僕はこれからここを離脱する。その間、できるだけ真由先輩をここに引き留めてくれ」
まだ見つかってはいないはず。玲志の両肩をつかんで熱心に頼み、急いでその場を離れた。その場にはポカーンと口を開いた玲志が一人残される。
フロアから離れ、裏で素早く着替える。真由先輩と玲志が話しているのを遠くからこっそり確認して、全速力で逃げ出した。あとから横山さんに叱られるだろうけど、今は保身だけを考えろ。とにかく今日は真由先輩に接触するわけにはいかない。
とはいえどこに逃げるべきだろう。漫研、は安直すぎるだろうか。
図書室の目の前まで来たところで、ふと立ち止まる。漫研はすぐ隣。
いや、廊下で立ち止まるのが一番危ないだろう。とりあえず図書室に入って頭を冷やそう。そう思ったのだが。
「嫌だ嫌だ嫌だ!俺は行かないかないからな」
「阿立先生がいかないのなら私も行きません」
図書室カウンター前で駄々をこねる成人男性二人。言うまでもなく、阿立先生と倉田先生だ。そして隣にいるのが、小村さんと、なぜか困った顔をしているナツ。
「どうしたの?」
「ショウタ!部長に顧問二人を絵葉書販売に手伝わせるよう言われて、説得してるんだけど全然ダメでさ。ショウタも手伝ってくれよ」
なるほど。一体誰のせいで絵葉書販売が大変なことになったか覚えていないのか、この大馬鹿教師二人は。
「ちなみに先生たちには何を手伝ってもらうの?」
「お絵描き対決をして場を盛り上げる、でしたっけ、佐野さん?」
小村さんがナツに確認する。
ナツは頷いて小村さんの方を向く。
「そうです。部長曰く『漫研VS美術部!顧問お絵描き対決!』を開催するとのことです。誰のせいでこんなに絵葉書が余っているかわかっている先生方ならすぐに手伝ってくれると思ったのですが」
言いながらナツが倉田先生の方を睨む。
倉田先生は少し居心地悪そうに目線をずらした。
普段の倉田先生ならすぐに協力してくれそうなものだけど、今は阿立先生の手前意地になっているのかも。
そうだ。
「それなら、小村さんに来てもらうのはどう?小村さんに来てもらって、モデルになってもらうのは。いいですか、小村さん?」
「ちょっと待て。いいわけ無いだろう。こ、小村さんのセミヌードデッサンだなんて……」
誰もセミヌードデッサンなんて言っていないが。
「そ、そうですよ。ぬ、ぬぬ、ヌードデッサンだなんて……み、認めるわけありません」
ヌードデッサンだなんて言っていないが。
変に幻聴が聞こえている二人を無視して、小村さんの返事を待つ。
「私は構いませんよ。あ、でも、もちろん服はこのままですけど……」
もじもじしながら答える小村さんを見て、がっくりと肩を落とす阿立先生と倉田先生。まあ、気持ちはわからないでもないけど。
い、いや、別に変なことを考えているわけじゃないけどね。ナツの方をちらっと見ると、なぜか僕を睨んでいた。
「小村さんがモデルになってくれるということですが、どうです?先生方も描き手として参加してくださりませんか?」
ナツが腕を組んで挑発するように肩を落としている男教師二人に尋ねる。すると阿立先生が観念するように両手を挙げた。
「わかったわかった、降参だ。小村さんが行くならお絵描き対決?とやらに参加するしかねぇ。まあ、倉田が相手ってのが気に食わねえけどな」
「ふん、私だってあなたが小村さんを描くことが気に入りませんよ」
いがみ合う二人を見て小村さんがくすくすと笑った。前は「図書室では静かに」と口を酸っぱくして言っていたのに、今は騒がしいのも楽しんでいる様。小村さんは手をたたいて嬉しそうに言った。
「ちょうどよかった。午後からのミスコンのいい練習になりそうです」
「え、小村さんもミスコンに出るんですか?」
驚いてつい聞いてしまった。去年も教師が出ていたので、小村さんの出場自体は問題ないと思うけど、あまりこういうのは興味ないと思っていたのに。倉田先生と阿立先生も知らなかったのか、目を見開いてギョッとしている。
「はい。昨日佐野さんと柏木さんに誘われまして」
そうなの?とナツに確認する。
「ああ、柏木と漫研に移動する途中にな」
一体どういう話の流れで二人が小村さんをスカウトすることになったのか。不思議だ。
倉田先生も阿立先生もいまだに状況がつかめていないようで、口を開いてポカーンとしている。そんな二人を笑って、小村さんは言った。
「それでは漫研に行きましょうか。大丈夫、図書室は文化祭中は特に催しはないので」
小村さんに続いて、僕らは漫研に移動した。




