LⅥ………嵐の後始末と手錠(文化祭・二日目)
「ナツ、おはよう」
僕に続いて柏木さんもナツに「おはよ」って挨拶する。ナツは満足そうに微笑んだ。
周りでは漫研の人たちが忙しそうに荷物を運んだり、部屋を飾り付けたり。さっきまで美術室ですやすや眠っていたのが申し訳なくなってきた。
「ええっと……何手伝えばいい?」
ナツは、「え?」と驚いて周りを見渡した後、やれやれと首を横に振った。
「あれは飾り付けずにはいられない漫研の性だから気にしなくていいよ。自分たちの絵葉書とかは昨日のうちに並べているだろ?」
どうだっけ。柏木さんに確認したら、うんと頷いた。思えば僕、本当にほとんど何もできていないな……
人知れずがっかりしていると、柏木さんが部室左端に設けられた美術部の販売ブースの席についた。机の上に並べられた絵葉書を眺める。
「既に販売した枚数は48枚。金額にして5760円。そして売れ残った枚数はあと452枚。金額にして54240円。よって現段階での売り上げ金額は5760円から54240円引いてマイナス48480円」
柏木さんはまるでAIのように無機質な声で金額計算結果を告げた。いきなりおかしくなったのかと……いや、何でもない。
柏木さんの言葉にナツが反応する。
「びっくりした。いきなりおかしくなったのかと思ったよ。それにしてもほぼ50000円の赤字か。さっき漫研でも計算してたけど、漫研の現在の売り上げがマイナス10000円だから、本当に倉田もパケメンもとんでもないことをしでかしてくれたよな」
柏木さんはいきなりおかしくなったのかどうかは特に言及せず、代わりに短くため息をついて言った。
「このままだと漫研に敗北。ボスド全種コンプリートが……うぐ」
いや、そこか。
まさか漫研に敗北すると美術室が取られるという一大事を忘れてるんじゃないだろうか。
ナツと柏木さんがあれやこれやと戦略を練ったり、倉田先生や阿立先生の文句を言ったり。話がヒートアップしてきたので、そろそろ止めなければ、このままではとんでもないことをしでかしそうだ。どうどうと、手でなだめながら声かける。
「二人とも、もうそんな勝負云々なんて言ってる場合じゃないよ。力合わせて少しでも売らないと」
「協力はするけど、勝負は勝負だよ、三坂くん」
そう言ったのはいつの間にかやってきていた松本さん。
「あ、遅いじゃないか、優子」
「いやぁ、目覚し時計が不機嫌でさぁ」
松本さんが気まずそうに赤縁眼鏡を曇らせる。
目覚し時計が不機嫌だろうが遅刻の理由にはならないと思うけど。
ナツの追及から逃れようと、松本さんが無理やり話を変える。
「あっ、あっ!静かに!ほら、もう生徒会長の放送が始まる時間だよ」
時計を見ると8時30分。ピンポンパンポーンと放送開始の音がタイミング良く鳴った。
どうせ今日も途中で真由先輩が乱入するのだろう。頭が痛い。
『只今より、第五十二回明日町高校文化祭二日目の開催を宣言します。学生の皆さんはルールを守って──』
良かった、田中生徒会長の声だ。その後も生徒会長は淡々と注意事項を挙げ、そろそろ放送を締めくくろうとしている。
「あれ、柏木先輩がいないみたいだね」
松本さんがどこかがっかりした様子で呟く。他の漫研部員も異変を察してかざわつき始めた。いや、真由先輩が放送に乱入してくる方が本来は異変なんだけど。
『──それでは、ルールを守って文化祭を楽しみましょう……なぁんてね!どう!?似てた?放送をしていたのは柏木真由でした!それじゃ、そろそろ先生来るから行くわ。そうそう、まだ絵葉書買ってない人はぜーったい漫研によってよね!じゃあね、バイバーイ!!』
プツン、と音が鳴って放送終了。まさかすべて真由先輩の声真似だったとは。あきれた、というより一周回ってもう感服だ。そこまでしてテロ活動をするなんて。漫研の人たちも手を叩いて称賛している。反対に柏木さんはうんざりした顔でため息をついた。
しかし、本物の生徒会長は一体どこに行ったのだろう。真由先輩に黙っているよう強要されているのだろうか。
「あの、すみません」
声をかけてきたのはまさかの田中生徒会長。牛乳瓶の蓋のようなレンズをした丸眼鏡が特徴的。
現れたタイミングとその物憂げな表情から察するに、おそらく放送室から閉め出されていたのだろう。とはいえ、変に気を使うと真由先輩の暴走の責任をとらせられるかもしれない。
あえて、毅然とした態度で尋ねる。
「何でしょう」
僕たちは真由先輩とは無関係ですよ。全てあの人が勝手にしてるんですよ。
内心ひやひやしながら、言葉を待つと、返ってきたのは意外な要求だった。
「私にも絵はがきを売ってもらえませんか?あの人……柏木先輩が怖くて……」
なんということか、田中先輩は心底恐ろしいというように両手で自身の肩を抱いて身を震わせている。一体放送室で何があったというのか。
こんな状態の人からお金をもらうなんてなんだか躊躇ってしまう。僕が口詰まっていると柏木さんが話し出した。
「ん、それなら絵葉書を10枚買うと真由はもう二度と邪魔することはなくなる。この絵葉書には徐霊効果あり」
「じ、10枚!?10枚って1から順番に数えて10枚?」
他にどんな10枚があるのか。
「そう10枚。10枚で真由は来なくなる」
「……あの人が来なくなる……うぅ」
まさかの押し売り。それでもこのまま押せばなんか買ってくれそうである。ここが好機ととらえたのか柏木さんは目を輝かせてさらに追撃。
「さらに生徒会からも正式に宣伝すれば効果確実。真由は必ず成仏する」
さすが真由先輩の妹だ。僕は初めて柏木さんをおぞましいと思った。いや、ええと……いい意味で。
田中先輩もそろそろ冷静にならないだろうか。それとも僕が止めた方がいいのか。いやでも買っては欲しいし……
「わかりました!頂きましょう、10枚!10枚あればきっと一撃くらいいれられますよね」
真由先輩のことを何だと思っているんだろう。いや、僕もあの人が何なのかはわからないけれども。
田中先輩は嬉しそうに10枚の絵葉書を抱え、その足で漫研の絵葉書も何枚か購入し、その場を去っていった。あとでなにかに訴えたりしないことを願おう。
柏木さんは僕に向かって、グッと誇らしげに親指を立てる。複雑な気分だったので苦笑いしてごまかした。
「いやぁ、お手柄だね、柏木」
ナツが拍手しながら寄ってきた。
「ところでさ、ショウタ」
「え、なに──」
その瞬間、手首に何か冷たいものが当たったと思ったらカチャリと不穏な音がなった。
手錠だ。
「よし、確保!ありがとう千夏。これでみさりんを無事、連行することが出来る」
そう笑顔で言ったのはいつの間にか背後にいた松本さん。僕はハッとして時計を見ると、時刻は午前9時の10分前。つまり、みさりん変身10分前である。
油断した。いや、もとより逃げる気はなかったけど。
「さぁ、行くよ三坂くん。外部のお客様がきっとあなたを待ってるから!」
「待って!まだ心の準備が」
僕の話など全く聞こえないと言うように松本さんは驚くべきパワーで僕を引きずる。遠ざかっていくナツと柏木さんが僕に笑顔で手を振っている。
仕方ない。僕は降参して、自分の足でクラスへと向かった。




