LⅤ………文化祭・二日目
「……きて。起きて、翔太郎」
うぅん……なんだろう、聞きなれた清んだ声がする。
ぼんやりとした頭で、少しだけ目を開けてみたけど……眠い。
「……ん。仕方ない。許せ」
許す?何を?何やら不穏な言葉が聞こえて起きようとしたところ、頬に何か触れた。
「え……いだだだだだだっ!」
頬をつねられて引っ張られる。びっくりして飛び上がると、目の前にいるのは柏木さん。
何がなんだかわからなくて、左のほっぺをさすりながら柏木さんに求めると、僕の頬を引っ張った彼女はフフッと吹き出して笑った。
「おはよ、翔太郎。なぜここ?」
なぜここにいるのか、なぜここで寝ていたのか。おそらく両方の意味だろう。
5時代からせっせと絵を運んで疲れて寝ていました、なんて馬鹿正直に答えるわけにはまだいかない。あの絵の出番は今日の放課後と心に決めている。
「家にいると落ち着かなくって」
我ながら苦しい言い訳だったけれど、どうやら納得してくれたそう。時刻は8時よりちょっと前。8時10分に漫研に集合だからそろそろ向かい始めた方が良さそう。しかし、そんな時間に柏木さんこそなぜ?
僕が不思議そうな顔をしているのに気づいてか、柏木さんは説明をする代わりにいつも彼女が使っている机の中をガサゴソ。そして本を4冊取り出した。それぞれタイトルは『ウリとウラ』『想像上の田中』『付き合って2分で別れた』『幾何学と現代』。絵本だったり小説だったりエッセイだったり論文だったり。何か共通点があるようには思えない。
「店番中読む本を取りに来た。昨日は千夏が来るまで退屈だったし」
なるほど、4つの共通点は「読みたいもの」ってだけか。
いやしかしなぜ美術室の机から本が出てきたんだ。ガサゴソと漁っていたことから他にも何か入っているに違いない。一体何冊入ってるんだろう。そもそもいつからそこに──やめた。柏木さんのすることだ。考えても仕方ない。
柏木さんは四冊を両腕で抱き抱えると、何かバランスが悪かったのか小さくジャンプして体勢を整えた。
苦笑いで柏木さんに提案する。
「今日は漫研で店番だし、きっとそんなに退屈しないよ。松本さんとかナツとかもいると思うし」
僕の言葉途中で柏木さんは机に抱えていた本を置くと、今度は胸の前で腕を組んで4冊それぞれを見ながら顔をしかめる。僕は「本は持っていかなくてもいいんじゃないか」と伝えたかったのだが、彼女の中では「どの一冊を持っていくか」と解釈したようだ。結局、柏木さんは『想像上の田中』という単行本を一冊大切そうに抱えると僕の方を見た。準備完了、ってことだろう。
鞄を持って立ち上がり、柏木さんと美術室をあとにする。
並んで歩いていると、なぜか柏木さんがチラチラとこちらを見てくる。
「どうかした?」
「いや……鞄」
どうやら柏木さんは僕が左肩にかけていた鞄を見ていたようだ。しかし、なぜ?
柏木さんは珍しくしどろもどろに言葉を放つ。
「……今日はお弁当、持ってきた?」
「?……いや、持ってきてないよ。あ、もしかして作ってきてくれたとか!?」
半分冗談、否、九割本気でそう言ってみたのだが、柏木さんは首を横に振った。
「そういうわけじゃない」
残念。無念。明らかに気落ちしているのを悟られぬよう、ハハハと笑って話題を変えようと試みる。
「いやぁ、お弁当もいらないし、それ以外も特に持ち物とか無いからここんところこの鞄開けてなくってさ。ほら、財布はポケットにいれてるから、もう鞄持ってこなくてもいいかなって来るとき思ったくらいだよ」
するとなぜだか、今度は柏木さんががっかりと残念そうな顔をする。明らかに気落ちした彼女は、一瞬足取りが不安定になったが、すぐに取り繕うように「そう」と相槌した。もしかして鞄を学校に持ってこないというのは、彼女にとってよほど常識はずれだったというのだろうか。
悶々と考えているうちに漫研の部室に到着した。よくわからない会話で気落ちした僕らを見て、ナツがケラケラと笑った。
「二人とももう既にへとへとじゃないか。文化祭本番はこれからだっていうのにさ」




