ⅩⅩ………オレンジが遅れて①
文化祭まであと一週間。
絵葉書の準備はすっかり終わり、僕らはまたのんびりとした時間を美術室で過ごしていた。
『瑞樹を悲しませるようなことだけは私、許さないから』
真由先輩のその言葉があの日から何度もこだましていながら、こうして僕は何食わぬ顔で美術室にやってくる。自分で自分がわからない。けれど一つだけわかるのは、彼女の隣にいると安らげるということだ。同時に申し訳ない気持ちでいっぱいになりながら、それでも柏木さんにすがってしまう。
今日も柏木さんは先に来ていて何やら本を読んでいる。
「何読んでいるの?」
「ん。カルボナーラのカルパッチョ」
レシピ本だろうか。タイトルの料理名もおいしそう……ん?まあいいや、僕もいつもの席に腰を下ろしてカバンから一冊漫画を取り出した。
ちっぽけヒーローの最新刊が出たというので、それを機に松本さんに全巻借りることにした。絵葉書に描かれていたのよりずいぶんとホップで思っていたよりもコミカルだった。それでいてストーリーの本筋はぶれず、深い。
ページをめくって次の展開についくすくすと笑ってしまった。
「翔太郎?」
「ああ、ごめん。静かにするよ」
再び視線も思考も本の中。なるほど、ナツや松本さんがはまってる理由がわかる気がする。
「何読んでいるの?」
「えっとね、漫研が絵葉書の題材にした──うわっ」
ぬくい。いや熱い。ううん、そうじゃない。いきなりの事に思考が急ストップ。柏木さんが僕の右肩に頭を乗せ、漫画を見てる。しかもそれだけじゃなく、僕を覆うようにして手を伸ばし漫画を掴んでいるから、必然的にこう、いろいろと接触するわけで──
「ちっぽけヒーロー。私も少しだけ読んだことがある。松本が昔、三巻まで貸してくれた」
松本さん……もはや宗教勧誘者みたいだな。
今開いているのは四巻。まだ松本さんが読んでいないところだ。
「じゃ、じゃあ後で貸すよ。僕も松本さんに七巻まで借りたんだ。たぶん松本さんならいいって──ひゃうっ」
我ながら情けない声が出てしまったが仕方ない。
柏木さんがさっきよりもさらに密着してきたんだから。
「ううん、今。今、翔太郎と一緒に見る。……ダメ?」
ダメ、じゃないけどさあ。
少し赤い顔で柏木さんに訴えるも当然のように彼女には伝わらない。
僕が拒否しないのだけを確認すると、柏木さんは椅子を引っ張ってきて、隣に置いた。
僕も少しだけずれて柏木さんスペースを作る。
本の端と端をそれぞれをもって柏木さんのために最初のページに戻った。
今日は比較的涼しいはずだったが、やっぱり六月も夏だな。暑い。
僕が言い訳のようにそんなことを考えていると、柏木さんがページをめくったので、それを受け取る。柏木さんは漫画を読むのに慣れていないのか、読むペースは少しゆっくりだった。
そういえば柏木さんの方から「何読んでいるの?」と聞かれたのは初めてかもしれない。
いつもの何気ないやり取りが立場が逆転するだけでこうもその、し、刺激的になるとは。柏木さんおそるべし。
僕らが四巻を読み終えるころにはすっかり下校時間が近づいていた。
もう六月。この時期になると、この時間はオレンジには染まらない。
あせた青空を見て少し寂しくなった。




