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サンセットオレンジ  作者: ななる
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ⅩⅦ………罪と罰②


 夕立の激しい日だった。

 けれど夕方まではいつもと同じ。どこにでもある夏空が青を広げていた。

 そう、いつもと同じ。絵の具の準備をしているうちにアキが来て、またゆったりと時が流れて行く。── そのはずだった。

 アキが来ない。

 とっくに絵の具の準備は終わって、モデルのいないその場所を眺めて足をプラプラ。空低くから構える大きな入道は蝉の音と強い日差しに浮かされゆらりと歪む。

 仕方ないと諦めて筆に絵の具をつける。色が形に変わるその瞬間に、その足音が聞こえてきた。長く美しい茶髪を翻しながら足音の主が教室に入ってくる。

「ごめんごめん」

 彼女は明るい声でそう言うと、息を切らしながら言葉を続けた。

「急にアキのヤツが来ないって言うからさ、代わりに私が来たんだ」

 迷いない足取りでいつもの場所へ。そこで振り向いてこう聞いてくる。

「で、どんなポーズをとればいい?」

 それがあまりにいつものいたずら顔だったから、つい噴き出してしまいそうになったが、あえてそのまま気がつかないふりをすることにした。そう、そのときはまたアキの思い付きによるいたずらだろう、そう思っていたんだ。

 ナツ擬きのアキに向かって、俳優顔負けの演技で僕は微笑んだ。

「ああ助かるよ、ナツ。ありがとう。じゃあ、そこに寄っ掛かってくれる?」

 瞬間、アキが辛そうな顔をした。理由知らない僕はそんなことは気にしない。

 またすぐにアキはナツ擬きになって、わざとらしく明るい声で言う。

「寄っ掛かるだけ?こうかな?」

「そうそう。いやぁ、アキだといつもふざけて進まないから本当に助かるよ」

 アキをからかうつもりでそう言った。アキが怒って自分からネタばらしをするのを待っていたんだ。

 けれど彼女は明るい声で続けた。── いや、もう明るさはなかったかな。

「そうか……へぇ。じゃあショウタはアキより私の方がいい?」

 きっと僕もむきになっていたんだろう。じゃないと、あんなこと言わない……言うもんか。

「そりゃあもちろん。ナツの方が優しいし、アキは僕をからかってばっかだし。ナツの方がいいな」

 僕が額に汗を浮かべながらそういい終えたとき、彼女はドサッと鈍い音と共にその場に崩れ座り込む。目に浮かんだ涙はすぐに溢れて声を纏ってこぼれ落ちる。

 アキがこんな風に泣くなんて初めてのことだった。その姿はまるでなぜ叱られたのかわからずに泣く子供のよう。

 僕はどうしていいかわからず、取り敢えず「泣かないで、アキ」と声をかけた。するとどうだ、アキは「え?」と小さく声をあげると驚いた顔で僕を見上げる。仕方がないから、僕はしぶしぶネタばらしをした。

「ナツのふりをして僕をからかおうとしてたんでしょ?本当は最初から気づいてた。けど、逆にからかってやろうと思って騙されているふりをしてたんだ。ごめん」

 そのとき僕はどんな顔をしていただろうか。きっと頬を掻きながらアキから顔を背けていたに違いない。だから、まだ素直になれなかった。

「でもさ、泣くことないじゃないか。いつもの仕返しをしただけだよ?これでおあいこ」

 そう言ったあと、彼女の顔を見たときのことを僕はまだはっきりと覚えている。もうアキは泣いてなかった。渇きかけた涙がツー、と彼女の頬をつたっていく。

 そして、それが床に落ちて弾けたのと同時に「フフッ」と笑ったんだ。それから安心したような顔をして「……そっか」と呟いた。そのままアキは立ち上がると、もういつも通りのアキだった。

「じゃあ、あれはどっちなの?」

 ほら、いつも通りのいたずら顔。

「あれ?」

「そう。『ナツの方がいい』ってやつ」

 カァ……と顔が熱くなる。同時に「しまった」そう思った。

「そういえば前にも聞いたわね。『ナツがあなたに好きっていったらどうする?』って」

 狼狽える僕を見てクスクスとさも愉快そう笑うアキを真っ赤な顔で睨めつけながら都合のいい答えを探す。

 ── いっそのこと伝えてしまおうか。

 そんな心を振り払うようブンブンと顔をふって深呼吸。絵の裏にこっそり書いた『君に贈る』の文字を気にしながら僕はさらに黙りこむ。

 アキも今回は本気のようだ。じっと僕を見つめて答えを待っている。その沈黙はまるで永遠のよう。

 沈黙合戦の果て、先に折れたのはアキの方だった。

「はぁ…… もういいわ」

 小さな溜め息。もれた吐息は浅く、儚い。

「絵はほとんど出来ているんでしょう?なら今日はもうお開きにしましょう」

 そう言ってアキは僕の絵や道具をかたづけ始めた。

 アキは来たばかりだったけれど、事実、絵はほとんど完成していたし、今日はもう描く気にならない。

 アキが絵の具を箱に収めていたから、僕はパレットを洗いに行くことにした。

 赤と青が水に流されて紫に変わる。そこに黒がやってきて全てを濁して消えてしまった。残ったのは蛇口から捻る水の音だけ── 否。

 僕はガラリと勢いよく窓を開けると外に向かっておもいっきり手を伸ばす。手に水滴がついているのを確認すると、急いで教室に帰りアキに伝える。

「大変!雨降ってる!」

 突然の大きな声にびっくりしたのか、アキはビクッと肩を痙攣させ顔をあげた。手にしているのは僕の絵だ。

「……?僕の絵がどうかした?」

「えっ!?…… いえ、何でもないわ。それより、雨ね。翔太郎は傘を持ってるの?」

 やけに上ずった声でアキは窓の外を向いてそう尋ねてくる。

 僕は首を横に振って、いいや、と答えた。

「そう…… なら仕方ないわね」

ワタシの、って──。

「えっ」

 相合傘、という三文字が僕の脳を埋め尽くす。

「じゃあワタシは絵を美術室に片付けてくるから、翔太郎はさきに靴箱に行ってて──」

 そう言ってアキは絵を持って駆けていった。

 少しいつもよりあわただしかった気がしたのは僕の気のせいだろうか。

 そうしている間にも、雨は徐々に強くなっていった。

 僕が靴を履いているときには既にザァザァ降り。

 これは相合傘何て馬鹿なこと言ってられないかな。


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