ⅩⅥ………罪と罰①
その日も僕は学校にいた。
とっくに完成した絵の前に座って、絵の中の彼女をぼんやりと眺める。
あの日から、空は憎らしいほどに青く晴れ、蝉の音は一段と煩くなった。
全身が重たく気だるい。けれど何故か胸は軽かった。いや、軽いなんてものじゃない。空っぽだった。そこには確かに空白があった。
「やあ、ショウタ。まだやってるのか?」
後ろからやって来たその声に、僕はゆっくりと振り返る。
「ナツ……」
「なんだ、もう出来てるんじゃないか。さっさと提出しちゃおうぜ」
澄んだ声に元気な笑顔。今日も太陽は昇った。たとえ月が亡くなっても、太陽は昇った。
「もしかしてタイトルがまだ決まってないのか?ショウタはいつも悩むもんな」
…… どうして。
「絵が良いんだから、タイトルなんて何でもいいんだよ、ショウタの場合。パパっと直感で決めちゃえ」
どうして、なんで、そんな──
「仕方ないな、私も一緒に考えてやるよ」
なんで、そんないつも通りに──
「…… だからさ、お願いだよ。早く、早くその絵を片付けてくれ……」
震えた弱々しい声が消え入るように響く。肩も震わして、涙を浮かべて、ナツはうつむく。
なんで、そんないつも通りに振る舞おうとするの?誰よりも辛いはずの君が。昨日の涙で真っ赤に腫らした目の君が。
ナツから溢れた涙の雫。床にまっすぐに落ちて、八方に弾けた。ひとつ溢れるともう止まらない。ナツはとうとう声をあげて泣き出した。偽りの日溜まりが瓦解したんだ。
少し経って落ち着いたナツは、ポツリポツリと話し始めた。
「……アキはさ、最近なんだか楽しそうだった。ショウタの手伝いをしてるのは知ってたけど、まさかモデルをしてるなんてな。絵を見てびっくりしたよ」
机に座ったナツは足をゆらゆらと遊ばせて、ハハハと笑った。
「あの日── アキが死んだ日、本当は私、わかってた。きっとアキはわざと死んだんだ。自分から終わりを決めたんだ。── そうしようとしていたこと、本当は私、わかってた」
窓から入ってきた風は、真夏だというのに木枯らしのように鋭く冷たかった。僕はそれ以上聞くのが怖くて、けれど知りたくて、ただなにも言わずに耳だけをナツに傾けた。
「アキ、時々私のふりをして外に出掛けていた。最初はただの悪戯のつもりだったんだろうね。けれどだんだん様子が変わった。そうやって外から帰ってきたときは決まって一人部屋に籠って泣いていた。本当に辛くて辛くて仕方がないというように、心が破れるくらい泣いていた」
何故かそれを聞いて思い出した、アキの最後の作品。部屋で泣き崩れる少女の絵。タイトルは確か──『罰』。
「これは私の推測だけど、アキは確かめていたんだと思う。自分の存在を、居場所を、私のふりをして出歩くことで。誰かに気づいてもらうことを待っていたんだと思う」
けれど結果は──。誰にでも明るく親しげに話すナツに比べて、アキの交友関係は非常に狭く、浅かった。人々が気づかないのも無理はないかもしれない。アキは普段、人を避けていたのだ。
「あの日の前日、学校から帰ってきたアキはすぐに私のふりをして出掛けていった。そして同じように苦しそうな顔をして、帰ってきた。……部屋から聞こえてきたよ。『ワタシには意味が無い、いなくても誰も困らない』って。そんでもってあの日だ。家を出るとき、何かを決心した顔だった」
「ナツ──」
「── 私、何もできなかった!全部知っていたのに、全部わかっていたのに!アキの苦しみも、辛さも!私のことが嫌いだってことも!わかってた、わかっていたはずなのに……何も、何もできなかった!手をのばすことが怖くて、何も!私、私っ── !」
ギュッ、と強く抱きしめる。ナツの震えが収まるように。ナツの怒りが鎮まるように。ナツの悲しみが少しでも、和らぐように。
そして、僕は告白した。── 罪の、告白を。
「── アキを殺したのは、きっと僕だ」




