ⅩⅠ………女王の来訪①
絵が完成しもう屋上にいる必要もないため、僕と柏木さんはまた元の美術室に戻っていた。
今日も柏木さんは僕より先に来ていて、何かの本を──読んでいなかった。
提出した絵が帰ってきたようだ。それを柏木さんはじっと見ていた。
「こんにちは、柏木さん。何してるの?」
「ん、探しもの」
──まさか、絵の世界に落とし物をした訳ではあるまい。
「何を探しているの?」
柏木さんは絵を見たまま、ぽつりと答える。
「──メッセージ」
「!」
ドクンっ──!!
脈にスイッチが入る。鼓動と共に大量の血液が群れとなって胸の辺りを忙しく駆け巡る。
柏木さんは僕の様子など全く目に入らないようで、そのまま探し物をしながら言葉を続けた。
「『罪』には絵の裏に“君に贈る”と書いてあった。けど、この絵にはない」
その後もしばらく、柏木さんは絵の世界で見つからない探し物を続けていたが、やがて何も無いことを確信したのか、いつもの彼女の特等席に座った。
「ん?翔太郎、顔色悪い」
「え!?──いや、大丈夫。階段のぼって疲れただけだよ」
それより!───と、自分でもわざとらしいとうんざりするほどおおげさに明るい声を出して、話題を転換する。
「今日、阿立先生に絵のタイトルをつけろと言われたんだ。何か良い案無い?」
荷物をおいて柏木さんの前の席に腰を下ろす。
「タイトル?どうして翔太郎が決めない?」
キョトン、と首をかしげる柏木さん。
「いろいろ考えたけど、良いのが思い付かなくてさ。柏木さんなら、何かいいの思い付くかなって」
僕がそう言い終わるより前に、柏木さんは後ろを向いて僕の絵を見ていた。
夕日を背に椅子に座って本を読む女性──言葉にすると淡白だけど、もちろんそんな単純にかいたつもりはない。
さっきとは違い、遠くからぼおっと眺めるように絵を見ていた柏木さんは、何か思い付いたのか、クルッと僕の方に向き直った。
「タイトル『ボスド引換券』。どう?」
えええ……
「冗談。そんな顔するな」
すると再びクルッと半回転。あまり表情の変わらない柏木さんは、いったいどこまで本気なのかわからないからヒヤッとさせられる。
けれど今度は正真正銘、本気のようだ。背を向けたまま、柏木さんは話を続けた。
「この絵においてオレンジというのはただの背景の色じゃない。鮮やかなオレンジから藍がかかったくすんだオレンジまで続く見事なグラデーション。繊細なタッチが作品に奥行きを与えている。そしてオレンジは空だけじゃない。普段は冷たい灰色のコンクリート、古い本の少し黄ばんだページ、中央の少女の白シャツ──世界すべてに侵食し、一時の輝きを、一瞬の煌めきを焼き付けようとしている……いわばオレンジは作品のキーパーソンであり、テーマ。だから……」
そこで柏木さんは口ごもってしまった。にしても、ここまで饒舌に話す柏木さんは珍しい。
少しむずがゆく、そして嬉しかった。
柏木さんはまだ言葉を探しているようでもじもじしている。
「だから──」
「『サンセットオレンジ』!!タイトルはそれで決まりね!」
突如美術室に響き渡る凛とした美しい声。ドアの方から聞こえたその声の主は意外な人物だった。
「真由先輩!?」
柏木さんの姉で前生徒会長であり、前美術部部長。驚く僕らを見てフフンと不適に笑う真由先輩は高校の制服姿ではなく、大学生らしい私服姿だった。見馴れていないその姿に少しドキッとしたのはここだけの話である。
「パケメンから漫研と勝負するって聞いてね、面白そうだから遊びに──じゃなくて手伝いに来たの!」
邪魔しに来たんですね……
「──というか瑞希。なんで教えてくれなかったのよ?私、すっごく暇だったのに」
「うるさい。不法侵入者はただちに立ち去れよ」
「何よその言い方!?ちゃんと堂々と窓から入ってきたのにぃ」
それを世間では不法侵入というんです。
真由先輩は一度懐かしむように美術室をぐるりと見渡すと、また僕の絵を見て、「うんうん」とうなずいた。
「それにしても良い絵じゃない!ふーん?水彩画においては私より上手いんじゃない?」
真由先輩はしげしげとその絵を見てから、僕らの方に向き直った。
「で、どう?『サンセットオレンジ』。良いタイトルでしょ?」
陽、沈みゆく橙……
僕のなかで何かが、ストン、とはまった気がした。
柏木さんはどう思っているだろう?視線をおくると、彼女はコクンとうなずいた。異論はないらしい。
「決まりね!じゃ、私、パケメンに言ってくるから──翔太郎、ついてきなさい」
え?と声をあげる間もなく、真由先輩は僕の腕を掴んで美術室の外まで引っ張った。




