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サンセットオレンジ  作者: ななる
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Ⅰ………絵を描かない二人の美術部

 絵を描く感覚というのは不思議だ。特に、水彩画なんてものは本当に。パレットとキャンパスの狭間の水彩の中で、全ては有か無かに還元される。その中で好きなだけを抽出し、筆を踊らせ酔いしれる。外界を遮断して新しい地図を作り誰も知らない歌を歌う。

 だから、君はあながち間違っていないのかもしれない。

 僕が君の手をとれなかったのもそのせいかもしれない。

 あの日、確かに、僕は君を──。


────────────────


 人の意思というのは案外脆いものだ。

 なんだって絶対に高校では絵を描かないと決めたにも関わらず、僕は結局美術部に入ってしまったのだから。

 一応の弁解をさせてくれるのなら、僕は他の人よりは頑固な方だ。けれども、あんな強引な姉妹に捕まってしまったら、誰だって逃げることなんて出来ないに違いない。

それでも、入部理由を聞かれたら、僕は必ず苦笑いでこう答えるんだ。


夕日が綺麗だったから、と。


────────────


 美術室は四階建ての特別棟の四階にある。ここ数年は美術を専攻する生徒がいないらしく、美術室はいつも僕らの貸し切り状態。今年も美術を専攻する二年生はいなかったらしい。

 やっと四階についた。エレベーターなんてハイテクな物はこの古くさい校舎にはついていない。去年一年通い続けたとはいえ、荷物をもって四階まで上がることには僕の体は慣れなかった。

 少し上がった息を整えるように、ゆっくりと廊下を歩く。ここからだと見下ろして見ないといけない桜は、もう薄桃色の4月を捨てて、萌木色の5月を迎えようとしている。

 最後に大きく傾いた太陽を確認して、僕は美術室に入った。

 カーテンが常に閉めてあって薄暗い部屋。6×5の席を囲むように置かれてる誰が描いたか分からない絵。一歩入ると匂ってくる独特の香り。後ろに並んだ石膏像が毎日参観日っぽく演出している。

 今日もいつも通り、女子生徒が一人、ポツンと席に座って、静かに本を読んでいるのだった。

「柏木さん、今日は何を読んでるの?」

 柏木瑞希。同じ二年生で隣のクラス。僕を除く唯一の美術部員。

「ん。これ──『心理学者の失敗集』」

 彼女はいつも美術室の一番後ろの席で本を読んでいる。訊けば「一日二冊は必ず」という。全く読まない僕にとっては怪物級のスピードだ。ちなみに、そのジャンルは様々。──但し、美術関連を除いて。

 僕は彼女の前の席に座って鞄を開く。数学プリントを取り出して後ろを振り向き拝むように手を合わせた。

「柏木さん、その──」

「ん。わかった」

 柏木さんはすぐに本を置いて、机からペンとルーズリーフを一枚取り出し「今日はどこがわからない?」と訊いた。いつものことなのだ。数学が絶望的に苦手な僕は課題が出る度に彼女に教えてもらう。

 彼女は数学のみならず学業全般出来るようで、一年生の間は常に成績トップだった。おそらく次の中間試験もそうだろう。

 僕は「ここと、ここと……」といった具合で問題を指差していく。「ここは……」と柏木さんが説明を始めた。ツインテールの長い黒髪が揺れる。

 淡白だけど分かりやすい説明は、彼女自身をよく表していた。

 表情は余り変わらない、どちらかと言えば無愛想。だけど意思表示ははっきりとするから、結構分かりやすい。誰にたいしても変わらぬその態度、彼女のそんなところに僕は憧れているのかもしれない。

「──翔太郎、聞いてる?」

「あっいや、ごめん……」

「わかった、ここからで大丈夫?」

ただ、どうしても分からないことがある。

 それは、美術に全く興味の無い彼女が何故美術部に入ったのか、ということだ。

 柏木さんには二つ上の姉がいる。その人も元美術部で、僕らの先輩にあたる。でも、それだけじゃ足りない。『姉が』という理由だけでは柏木さんは動かない。『私が』と自分から何か思わない限り、絶対にだ。

 それ故に、分からない。何故あの時、彼女は僕にああ言ったのか、本当に。


──美術部に入って。私と、一緒に。


──────────


 放課後の特別棟は静かだ。特別棟にある部活は美術部、書道部、理科研の三つ。そのどれもが廃部寸前で、来年の5月の時点で部員が4人を下回ったら廃部になることが決定している。僕ら二人が来年の夏まで続けるとして、少なくともあと二人誰か入れないと、卒業した先輩にどやされてしまう。

 柏木さんが4問目の説明を始めると、ドタバタと階段を駆け上る音が聞こえた。静かだからよく響く。

「阿立先生かな?」

「間違いない」

 その足音は迷いなく美術室へ近づいてくる。

 そして、開きっぱなしの入り口に息を切らしたその男が現れた。

 明るい茶髪のくるくるパーマ。スラッとしたモデルのようなスタイル。一部の女子生徒たちに『パッと見イケメン』を略して『パケメン』と呼ばれている。そんな20代後半のこの男は美術教師、かつ我らが顧問の阿立奏斗である。ちなみに僕のクラスの担任だ。

「大変だ、美術部の危機だ!」

「そうですか、頑張って下さい」

阿立先生は基本的にはいつも図書室にいる。理由は簡単。図書室の美人司書、小村さんにベタボレだから。この男がわざわざ遠い美術室に来る時は大抵僕らに厄介事を押し付けようとしている時だ。柏木さんもそれをよくわかっているから、阿立先生を無視して数学の説明を続けている。

「おい、聞けって。今回ばかりは本当にヤバイ。美術室が奪われるぞ?」

この発言には流石の柏木さんも反応を示した。

 ペンをおいて阿立先生の方に向き直った。

「続き、聞かせて」


─────────


阿立先生の話をまとめると、6月の文化祭での出し物で『漫研』と競うことになった、らしい。

 『漫研』というのは『漫画研究会』の略で、その名の通り漫画を描いたり元ある作品のイラストを描いたりする、漫画やアニメ好きが集まる活気ある部活だ。

 それぞれが一つ何かをつくって売り上げの多い方が勝ちという。漫研が勝つと僕らが追い出され、美術室は漫研の部室に変わることになっているらしい。

「僕らが勝つとどうなるんですか?」

「漫研が現在根城にしている第七職員会議室の所有権をもらえる!」

へ?

「いやあ、倉田のやつ、まんまと策にはまりやがった。今まで部室が図書室の隣という理由だけで小村さんのとこに毎日通いやがって……今に見てろよ!この、ドスケベ下心丸出し男がッ!」

「お前だああぁぁぁあっ!」

なるほど、だんだん分かってきたぞ。

 倉田というのは国語教師のことで、端正な顔立ちで女子生徒に人気だ。そして漫研の顧問であり、阿立先生と同じく小村さんの大ファン。阿立先生と倉田先生はことあるごとによく張り合っている。今回もそれの一種だろう。

 僕はスッと立ち上がって呆れ顔の柏木さんに声をかけた。

「柏木さん、今日はもう帰ろっか」

「ん。聞いて損した」

二人して自分の荷物をまとめだす。

「お、おい。いいのか?負けたら美術室がとられるんだぞ?」

「知りませんよ。自分でしたことは自分で責任とってください。それにどうやって勝つというんですか?あっちが毎年売っているのは漫画、こっちは絵はがきですよ?勝てるわけないじゃないですか。しかも今年は誰も絵を描く人なんていないんです」

「まだ描いてないのか。よくそれで美術部がつとまるな」

毎日図書室通いの美術教師に言われたくない。

「漫画と絵はがきの件は大丈夫だ。今年の漫研はオリジナル漫画に加えて、キャラクター絵はがきをだすそうだ。どちらの絵はがきがよく売れるか、その売り上げ金額を競う」

なるほど、枚数ではなく金額なら、単価の設定から戦うことが出来るわけだ。しかし──

「でもダメです。漫研は認知度の高い人気キャラクターを使いますが、こっちは生徒や教師のどうでもいい絵です。勝てません」

「な!お前たちの絵は知らないが、俺の絵まで一緒にするな!」

「そんなに言うなら先生が描いたらいいじゃないですか」

「え……?嫌だよ。小村さんのとこに通いたいし……」

はあああああッ!?

「なら、小村さんをモデルにすればいいじゃないですか!」

これでどうだ!

阿立先生は少し考えてうーんと唸ったあと、「やっぱりダメだ」ときりだした。

「小村さんを見ず知らずの他人に売り渡すなんて、俺には出来ない!──なあ、頼むよ。なんでも奢ってあげるからさあ」

……。もうこの教師はダメだ!

 僕が無視して進もうとすると、今まで黙っていた柏木さんが反応した。

「ん。なら、ボクサードーナツ全種二個ずつで手をうとう。どう?」

「柏木さん!?」

いきなりどうしたんだろう。目の前の教師崩れが憐れに思えたのだろうか。

「うーん……ボスド全種二個ずつ……よし。いいだろう。しかし『勝ったら』だ!適当にやったら許さないからな」

自分の立場をわきまえてから物を言って欲しい。

「ん。交渉成立。私と翔太郎で作戦会議するから、阿立は小村のところ戻ってもいい」

阿立先生は柏木さんの言葉が終わるよりも早く「サンキュー」と言って出ていった。くっ、いつか絶対懲らしめてやらねば。

 柏木さんはスッといつもの席に座った。僕の方を向いて前の席を指さしている。座れ、ということだろうか。

僕が座ると柏木さんは黙ったまま何かを書き始めた。ときどき僕をチラチラと見てくる。なんだろうと思って覗こうとすると「まだダメ」と怒られてしまった。本当に何なんだろう?

「出来た」

と言って柏木さんが見せたのは絵だった。鉛筆で描かれた、おそらく──人?えらくドロドロとしている。

「これ、翔太郎」

「ええ!?」

こ、これが僕……?そうか、ずっと人として生きてきたけれど、それは間違っていたようだ──んな訳あるか。

「私にしては良くできた方。この通り、私は絵が下手。底辺。だから今回は翔太郎に頑張ってもらうしかない」

柏木さんは一度も目をそらさず、まっすぐに僕を見ていた。何だか狐につままれている気分。

「ちょっと待ってよ。僕だって上手くなんか──」

「いいや、上手。しかも、最高に。私は知ってる」

……。

「中学の時、真由に連れられて学生絵の展示会に行った。そこで見た。光差す教室に窓際に立つ一人の女子生徒。繊細なタッチに大胆な色使い。絵にする世界の切り取り方も、何をとっても他と違った。──決して忘れることはない。作品名は『罪』。作者の名は三坂翔太郎」

 驚いた。いや、違う。恐い。恐かった。彼女がどこまで知っているのか、それを聞くのが恐かった。体の震えが止まらない。震える右腕を押さえようと伸ばした左腕も既に正常ではなかった。体温は急激に上がっているはずなのに、寒い。呼吸が乱れていく。苦しさを感じる前に視界が歪んだ。激しくなる鼓動に混じって、ソレが聞こえる。


──君に私は映らないのね。


 痛い。耳が、その奥が。目に映るは最早彼方向こう。無意識に「あ」という音が大量に漏れてゆく。

 忘れようとしていた、忘れたかった。忘れちゃダメだとわかっていたのに、忘れられるはずがないのに──!


「──大丈夫。」


 スッ、と温かなものに包まれた。

「大丈夫。あれは過去。もうとっくに終わった作品。私も真由も何も知らない。知りたいとも思わない」

 その温かなものは、ゆっくり僕の中に入ってきた。ゆっくりと入って、優しく溶けた。

「ただ、私は見たいだけ。三坂翔太郎の次の作品を。翔太郎の見る世界を。そしてその、ラストワークも──」

 もう震えは止まっていた。柏木さんが、僕を強く抱きしめていたから。

 耳元で静かに響く。

「描いて欲しい。何も言わなくていい。伝えようとしなくていい。翔太郎の為でいい。ただ描いて、見せて欲しいの」

 サンセットオレンジ。カーテンの隙間から西日が漏れる。


──ああ、不注意にも程がある。ついうっかり、君を描きたい、と思ってしまったじゃないか。

こんにちは。ななるです。

自由気ままに書き始めた作品なのですが、柏木さんのキャラにはまってしまい、投稿してみました(笑)

自由気ままに感想など頂けると嬉しいです。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 凄い青春してますね こういうヒロインいいですよね...無口なようで肝心なとこで押しの強いような...
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