第五話 旅出
誠は後ずさりする。こんな筈じゃなかったのに、と、行き場のない後悔の念がぐるぐると頭を駆け巡る。どうしようもない。これも運命だって言うのか?
「自分で死ぬなんてことないだろう! 父さんは死んだけど、俺らは生きないと!!」
「冷たいのね……誠は」
母の言葉が誠の胸に刺さる。確かに今こうして、父の死を告げられても、涙一つも流さない自分がいる。なおかつ、母に励ましの言葉を贈っている自分は、まるでこの家族の一員ではない他人のようだと後から気付いた。胸が締めつけられる。
「こんな世界に生きてて何になるって言うの? もうこの世は末なの。殺人が見て見ぬふりされつつある世界で、誠は生きようとしているのよ?」
「そんな……! 警察だって今頑張ってるんだろ!? だから諦めずに……!」
「お父さんは警察の人に殺されたのよ!!!」
母のその一喝がその場を制した。誠の顔がみるみる歪んでいく。世も末、と言った母の気持ちを痛感した。誠はまたもや言葉を失う。もう何も、言い返せる気がしないでいた。
「誠も殺されて、私だけが残されたら……一体どうしろっていうの?……だったらもう、今ここで……」
母は床を蹴った。直後に、誠の腹部目がけて母の持つ包丁が向かっていく。誠は身をよじり、間一髪でそれを避けた。壁に深く突き刺さる包丁。それを抜こうとする母の手には血管が浮き出て、全身がさっきまでとは比にならないくらい震えている。
母は乱心していた。誠もどうにか説得したいが、次から次へと襲いかかってくる母を止める隙など無い。
「あぁあっ!!」
獣のように吼える母を見て、誠は自分の無力さを心の中で嘆いた。
俺が、もっと強い人間だったら……! 母さんをこんな辛い思いにはさせないのに……!
今の誠はあまりに弱かった。だが、まだ諦める訳にはいかない。誠は、母の包丁を奪い取ろうと試みた。真正面から向かってくる母を受け止める。母の手首を掴み、進行を妨げた。
(よし……!)
あとは包丁を奪うのみ……であったが、誠は母の突進の重みに耐えきれず、上体のバランスを崩してしまう。
「!?……クソッ!」
ガラスが割れる音が響く。母に押し倒された誠は、そのままリビングの外へと、窓を突き破り出てしまった。幸い、包丁は刺さらなかったが、誠は地面に投げ出される。
「痛っ!……」
誠の腕に、ガラスの切り傷ができる。そんな様態であるにも関わらず、母は容赦なく誠に追撃を仕掛けた。包丁を振り下ろす母の右手を、誠はまた掴む。
「母さん、もうやめろって!!」
「フーッ! フーッ!」
呼びかけても、母の荒々しい息遣いしか返ってこない。誠はすぐさま母の右手から包丁を力づくで抜き、庭の遠くへ放り投げた。
「母さん!! しっかりして!! 死んだらもう……!」
「ふんっ!!」
母は誠を引っ張り、向きを変えると、誠のみぞおちを蹴り込んだ。再度誠は家の中へと飛ばされる。
「がっぁあ!? ハァ……ハァ……!」
苦しい。息が。出来ない。
誠の視界が眩む。黒いモヤのようなものが辺りを渦巻いている。誠の意識は遠のいていた。
母が家の外を歩く音が聞こえる。おそらく、遠くに行った包丁を取りに行っているのだろう。頭に反響する鼓動音が段々と強まり、呼吸が激しくなっていく。誠はもう立ち上がることすら困難になっていた。
一種の、聞いたことのない電子音が微かに耳に入ったが、誠は気に留めない。
とうとう、母が家に帰ってきた。包丁を手にし、ゆっくりと。動けない誠へと、歩いていく。
「ごめんね。辛かったよね。でももう……大丈夫」
高く振り上がった包丁を、誠はただ茫然と見上げていた。歪んだ視界に、一筋の光を帯びた物体が、ゆっくりと、ゆっくりと降りていく。
死の瞬間は、こんなにも時が流れるのが遅いのか……。誠はそう思いながら、目を閉じた……。
『アップデート、完了致しました』
「…………?」
痛みが無い。……誠は刺されていなかった。目を開けてみると、そこには、青いシールドのような物に包丁を突き立てる母の姿があった。
「……!? な、何なのよ……これ!!?」
誠が意識を取り戻したその直後、そのシールドは母を部屋の隅まで弾き飛ばした。
「がっ!! うぅっ!……」
飛ばされた母は背中を壁に強く打ちつけ、その場に倒れ込んだ。
誠はやっとの思いで立ち上がり、母とライフウォッチを交互に見やる。どうやらさっきのシールドはこのライフウォッチから出たものらしかった。
「お……おい、どうなってんだ。……これ!」
『ハ、ハッキングがガガ、成功し、マシ……!』
よく見ると、ライフウォッチからは白い煙が上がっていた。ガラスの破片がインデックスの部分に刺さっており、損傷している。
『強力な、サツイを、感知……!排ジョ、します……!』
「何……?」
誠が顔をしかめたその瞬間、ライフウォッチから鋭利な何かが伸び出た。その矛先は、壁にもたれる母の元。一直線。
「……!! 危ねぇっ!!」
誠は咄嗟に左手首を大きく振り、その飛び出た何かの進行方向をねじ変えた。その何かは母の顔面スレスレを通り、横の壁に穴を空けた。
「おい! てめぇ! 何すんだ!!」
誠はライフウォッチに怒鳴った。ライフウォッチの声の主が何か言ってきたが、ほぼノイズの音で聴き取れない。誠は刺さっていたガラスの破片を抜き取った。
『モ……、申し訳ごザいませン。誠様……』
「ハァ……ハァ。分かれば……、いいんだよ」
誠は、冷や汗と流れ出た涙を服の袖で拭う。そして、母の様子を窺った。
「母さん……?」
「う、……うう」
母は気絶していた。口だけが動き、何か言おうとしている。
「母さん…………ごめん。俺は、ここで死にたくない。死んじゃいけないんだ」
誠は母をソファに寝かせ、一通の置き手紙をダイニングテーブルに残し、その場を後にした。
誠は一旦自分の部屋に戻り、身支度をする。
「おい、生きてるか?」
誠は黒いパーカーシャツの袖に腕を通しながら訊いた。
『ハ、はい……? 私のことですか?』
ライフウォッチが応答する。
「そうだ。お前しかいないだろう。お前のことは、何て呼べば良い?」
『私には名前などありません……。「ナビ」、とでも呼んでください』
「ナビ、最初のスポットは何処だ?」
『アグタ区画、センドウ町です』
「結構遠いな……残り時間はあと何分だ?」
『あと、1時間16分です』
「……よし、じゃあ、行くか」
誠は、身支度を済ませると玄関へと向かった。
「行ってきます……母さん、また帰ってくるよ」
そして誠は、外の世界に通じる重々しい扉を開いたーーーー
【 母さんへ
急にいなくなってごめん。僕はまだ死にたくない。世界は残酷なものへと変わったんだろうけど、幸運にも僕には強い味方がついてくれている。だから母さん、安心して。必ずまた、帰ってくるから。だからそれまで死なないで、待っていて。生きている間にしか、希望には出会えないから。
誠より】
金城家の入り口が今ーーーーーーーー閉ざされた。
«賞命首» ~ゲーム開始~