第二話 金城家
それは、簡潔に言えば「環境」である。
誠は、自分の置かれている環境を嫌悪していた。未経験者で、ろくに指導を行わない顧問、部員の大半がふざけ半分での練習、狭くて地面が凸凹なグラウンド。例を挙げるとキリがないこの悪環境に、誠は日々嫌悪感を募らせていた。
だが、ただ誠は不平不満を溜めて終わりではない。誠は、グラウンドには行きたくないから、近所の広い場所を探して自主練をした。田舎から離れて都会へ引っ越したいと、両親に迫ったりもした。それらは全て、誠の強いサッカー愛と、中途半端なことが嫌いな誠の性格がもたらした行動である。
両親は、今まで誠のやや乱暴な行動らを見ても、好きなようにやりなさい、と応援してきていた。今の、誠の環境についての悩みも真摯に聴き入れ、長期に渡って相談に乗った。そしてその結果、両親は誠のその意思をなだめることになったのだが、その理由の大半は金銭的理由が占めていた。
「誠はきっと、もっとサッカーが上手くなる。それを信じて、今、お父さんとお母さんはお金を貯めているんだ」
誠が聞いた、警察官である父の言葉だ。首都のシャラナに、幾多の有名スポーツ選手が卒業してきた養成学校がある。両親は誠をそこに行かせたいのだ。
技術面においてそこら辺の高校生の群を抜く誠に、入学試験はさほど障壁にはならないと両親は思っていた。だがその先の、学校生活をするにあたっての学費は、田舎の低所得の家庭には厳しいものだった。
その話を聞いて、誠は両親に申し訳ない気持ちになった。
両親は誠の将来の活躍を信じて、これからの人生設計を家族ぐるみで考えてくれている。そこまでしてくれる人達を、今の自分の「環境を嫌う」だけの我儘で振り回したくない。誠はそう思った。
幼馴染の亮も、誠の相談に乗ってくれた。
亮と誠は小学生の頃から一緒にサッカーをしている。小学生の時は、シャラナのような大都会までとは行かないが、ある程度大きい街のサッカークラブの練習に週一の頻度で行っていた。
誠の、半ば強引で熱い性格に対し、亮の柔軟で包容力のある人間性はピッタリとマッチしていて、二人はお互いに切磋琢磨する親友の仲になっていった。
そして中学生活も共にして、高校生になって暫くしてから、亮は誠の悩みを聴いた。引越しの件も聴いた亮は、「誠が別のチームに行くのは堪えられない。行くなら俺も行く」と誠に訴えた。
これも、誠を素晴らしいプレイヤーであると思うからこそ、亮の口から出た本心だった。身近な人にまた、誠は信頼されていたのだ。
多くの人々から信頼され、支えられていることに気づいた時、誠は少し気持ちが軽くなった。
だが、それでもまだ誠は完全にチームメイトに心を許したわけではない。抵抗を持ちながらも、誠は段々とサボっていた練習に以前よりは顔を出すようにはなっていた。情緒が不安定で、行く日と行かない日の感情の差などは激しいが。
誠は、ゆっくりで良いからこの環境を、自分で少しずつ変えていけるのではないか、と考えるようになったのだ。
今、誠は、部活動を拒絶していた状態から、日に日に練習に参加するようになっている。誠の中で、新しい道を切り拓く覚悟が確立しようとしているのだ。
そんな大事な時期にーーーー
ーーーーーーーー「賞命首」は始まる。
「ただいま」
夕方、部活で流した汗をタオルで拭きながら、誠は帰宅した。
「おかえり。ご飯出来てるわよ」
ダイニングのテーブルに料理を並べる誠の母。父はもう警察の仕事は終わったようで、先に席に着いてテレビを見ていた。
「練習してきたのか」
父が誠に訊く。
「うん、部活の方で」
「あら、めずらしい」と母が言う。
「最近行ってなかったからね」
と、誠はそう付け加えて、父の向かいの席に座った。
今日の金城家の夕食は、ご飯、デミグラスソースのかかったハンバーグ、噛めばシャキッと音が鳴りそうな胡麻和えキャベツサラダ、油揚げが浮かぶ味噌汁だ。
ハンバーグの湯気が、座った誠の鼻の先をかすめて、食欲を掻き立てる。
「食べていい?」
誠は手元の箸に手を掛けて、父と母に聞く。
「よし、食べるか」
「いいわよ」
父はテレビから体の向きを逸らし、母は着ていたエプロンを畳み席に座った。
「いただきます」
金城家の家族が全員揃う、最後の晩餐である。だがそんなことはこの時、この場にいる誰にも知る由など無かった。
「これから、帰りが遅くなるかもしれないな」
食べ始めて暫く経ってから、父は言い始めた。
「あの、例の事件で?」
母は神妙な面持ちで父に訊く。
「ああ。各都市の暴動が少しずつ始まってきている。犯人の捜査と、市民の鎮圧作業が合わさって手に負えなくなってくるだろう」
「大変ねぇ……ほんと、物騒な世の中になったわ」
誠は、父と母が何の事件について話しているのか見当も付かなかった。詳しく訊かずにはいられない、誠はその衝動に駆られた。
「なに、事件って?」
「あー……」と、言葉を選びながら、父は持っていたご飯茶碗を置いた。
「誠、“賞命首”って聞いたことあるか?」
誠は一瞬、デジャヴュを感じた。一体どこで聞いた覚えがあったのか、誠はそれを処理するのにわずかに時間が掛かった。
亮も同じ事を言っていた。「賞命首」と、確かに口にしていた。ただ非現実的すぎる話で、誠は記憶の片隅にもそのことを留めていなかった。
それが今、父の言葉で誠の記憶の中から抉られた。虚をつかれた誠は、「聞いたことあるよ」と、実の入ってない返事をする。
「誠も知ってるんだな……」
口を固く噤んで、悲壮な顔に変化した父の様子を誠は見逃さなかった。
「そんなに難しい事件なの? 普通に犯人見つかりそうだけど」
誠はわざと、キツい言い方で父に当たった。亮から聞いた話が正しければ、犯人はテレビ局をジャックして大いに目立ったはずだ。今の時代の警察が本気を出せば、すぐに身元を割り出せそうな、そんな気がしてならない。
父は返答する。
「前代未聞。未知の事件だ。現代の警察じゃあ、厳しいだろうね」
父は苦笑いを浮かべ、左手首にある腕時計を一瞥した。
その後、食卓に「賞命首」という単語が出ることは無かった……。