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スリーピングビースト  作者: あきむ
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四.悪夢と約束(9/20)

 夢叶が転校してきて後。『はざまの世界』は蓮司のたちの世界と同様に季節を跨ぐ。暑さの残る南風から、黄と赤が舞う涼風の季節へと、その間の姿を楽しませるよう移ろいゆく。

 蓮司は、すでに連日連夜の悪夢に魘されることはなくなっていた。悪夢の代わりに蓮司に用意された舞台、それは智美が『はざまの世界』と称するもうひとつの現実世界であった。

 しかし、目の前の光景は——たとえ蓮司たちが生活を送る世界とは異なる、もうひとつ現実だったとしても——とても現実とは信じ難い、信じられないような様相を呈していた。

「これは、あのときのリベンジをしろってことだよな?」

 蓮司が言うリベンジとは、まだ彼が自身の夢の中で「明晰夢」としての力を発揮できていなかったときのことを表す。悪夢を見始めた頃、彼は敵に対してあまりに無力であった。

 大きく分けて二つ。人は眼前に、心の底から畏怖する存在が現れたとき、二つの選択肢に迫られることとなる。逃げるか、戦うか。

 人間同士の争いであれば、互いの様子を見て戦線が膠着する、という状況も生まれ得るだろう。しかしそれは、互いに多かれ少なかれの知能を有していることと、かつ意思疎通の図れる相手がいるからこそ成り立つのである。

 だが凶暴で、かつすばしっこい人外の生き物であればそれは不可能となる。人間の身体能力以上に素早い強敵だと判断されれば、それはもはや戦うか一方的な虐殺を受けるしかない。

「……ていうか、エイリアンって地球の環境でも生きてられるのかな?」

「そこはタピルスによって生み出されたレグナイトだから関係ないんだよ! 蓮くん」

 蓮司の呟きに、夢叶が溌剌とした口調で返す。

「いや、それはわかってるんだけどさ」

 蓮司がそんな感想を口にしたのは、何も真面目にそう考えたからでは無い。単純に目の前の光景から現実逃避したいからである。それは冗談交じりの一言でもあるのだが、冗談が含まれる分だけ、蓮司はまだ余裕を胸に抱いていた。

 千葉ポートタワー。ポートパーク内に位置する人気スポットであるにも関わらず、人っ子ひとりいない現在。それは時刻が為した状況ではなく、あくまでこの世界がそうであるためであり、それは今二人が立つこの場所に限らない。

 他人の目など憚らず、タワーの眼前、ど真ん中に二人は立ち、見上げていた。

 しかし逃避したいのはその非現実的な状況からではない。

 明らかに人間から程遠い体格をした、むしろ獣に近い、蓮司たちに『エイリアン』と表されるドス黒い肌の悪意たちが目の前にいる。「百体以上いるかな」と蓮司は呟いた。

 百体というのは、もちろん数えたわけではない。単純に多数を表す言葉として選んだのと、あとは「せめてそれくらいであってほしい」という希望との両方が含まれていた。

 一階平屋のポートショップから離れて見えるそれらは、そのショップとタワーの中段ぐらいまで、びっしりと張り付いている。

「遠目に見れば、蟻の群れに見えなくもないな。遠ければ、だけど。さて……それではそろそろ始めますかな。夢叶さんや」

 餅つきでも始める老夫婦かのようなセリフ。嘆息した蓮司は夢叶に、視線でも合図した。

「そうですわね、蓮さんや。今日も頑張ろう!」

 夢叶も、およそ眼前の光景を目の当たりにしているとは思えないような、笑顔と元気を蓮司に向けている。

 そして蓮司はスマートフォンを。夢叶は折りたたみ式の携帯電話を取り出した。

 もう一度、互いに目を合わせると、同時に短く声をあげる。

「「変身!」」

 唱えるに合わせて、蓮司はスマホを持った両手を腰のあたりでクロスさせた。夢叶もそれに倣い、二人の声と動作がぴったりと重なる。

 すると瞬く間に二人の体が光に包まれる。そうかと思うと、私服の二人が別の姿へと変化し始めた。蓮司は剣舞戦隊・ソードレンジャーのリーダー、レッドの姿へ。

 夢叶も同じくピンクレンジャーへとその姿を変えた。

 夢叶の姿も、蓮司に倣い戦隊もののスーツにとなっている。が、厳密には蓮司の敬愛するソードレンジャーのそれとは異なっていた。主に頭部と、腰部から下である。

 彼女のマスクは顔を覆うタイプのものではなく、バイクのヘルメットのように前面が空き、形の良い鼻の下あたりまでを覆うように、透明なシールドが下ろされている。

 腰には白い膝上のスカートに、ふくらはぎから下は同じく白いブーツを履いていた。蓮司の真似をして同じ戦隊ものの格好をしたい願望と、女の子らしく見た目にも配慮したい心境が、如実に表れていた。

「「変身完了!」」

 特段決めポーズを定めていない二人は、わずかな手持ち無沙汰を感じながら、その場で仁王立ちのままでいる。少し居た堪れなくなった夢叶が、誰に向けるでもなく控えめなピースサインを作った。

 ちなみに、彼らが持つデバイスは市販のものとなんら変わりはない。つまりはポーズも携帯も不要なのである。「ただ変身するだけではつまらない」という蓮司の願望が一連の流れ形成するに至った。それを夢叶が、特段の異論反論も無く共にしているだけ。

「さぁ、いく……」

 蓮司がいくぞと掛け声を発しようとしたとき、変身の光によってこちらに気づいた敵が、間髪入れずに攻勢に出てきた。無数とも思えるほどうじゃうじゃと群がる各個体が、口から球体状の黒いエネルギーを蓄え、そして地面に立つ二人に向けて斉射した。

「マジかよっ!?」

 マスクの上からでもわかるほど動揺する蓮司。

 逃げ場のないほど全方位からビーム状のエネルギー派を照射される。

 驚くほど精密に同時発射された無数のビームは、それぞれの先端を前後させることなくほぼ同時に二人へと着弾する。

 逃れ得ぬ攻撃。轟音を伴って周囲は爆炎と黒煙に包まれた。

 そこら中にるエイリアンは、一定の知能があるのか、蓮司たちの消滅を確信したように散会し始めた。

 だが爆音の後、数秒の静寂を経て黒煙を払うような瞬間風速が吹き荒ぶと、観測する側の敵の動きがピタリと止まる。目の存在は定かではないが、視線の先には健常な二人の姿があった。

 蓮司と夢叶は、透明で小ぶりなドーム型のバリアのような中におり、真上を見上げながら高々と右手を掲げる夢叶の姿がある。ふん、と得意げに嘆息しながら夢叶は声高に叫んだ。

「いーじす!」

 その様子を、二つの意味で呆れるように眺める蓮司。

「ほんと、なんでもありだな夢叶は。……あーぁ、こんなに道路がめくれ上がっちゃって……これはまた智美さん、怒るだろうなぁ」

「大丈夫よ蓮くん。私がまた直すから」

「ホントに……なんでも、ありか、よっ!」

 蓮司は片手に五星の大剣——前回夢叶がパワーアップさせた剣を——右手に握り、言いながら地面に尾骨がつくほど体を屈め、次いで大きくジャンプした。

 全身スーツはその性能を遺憾なく発揮すると、常人の何倍もの高さと距離を誇る跳躍を披露した。サーカスの空中ブランコのように宙で身を翻す蓮司。

 その様子を、悪夢の群れたちは目で追うように揃って見上げている。視覚器官が退化しているのであれば、蓮司の姿を捉えたのは鋭敏な聴覚であったかもしれない。

 いずれにしても、蓮司はエイリアンの群れのど真ん中に着地する。

 一体が蓮司の下敷きとなり、敵ながら痛々しい破砕音と金切り声を上げ撃沈する。

 思わず蓮司の周囲から一歩退く悍ましい集団。その中の一体に目をつけ、追うように大剣を薙ぎ払う。

 真っ二つに切られたエイリアンが、またも金切り声を上げて、今度は跡形もなく消滅する。

 それを皮切りに次々と敵を切り倒す蓮司。

 剣を振り下ろし、次いで右手にいる敵を斬り上げ、再度奥の敵を斬り伏せ、再び横一線に払う。加えて剣を振るたびに炎が迸り、間合いの向こうの敵まで焼き尽くす。

 一振りでまとめて三、四体が霧散していった。

 その炎を避けるように、空中から一体の敵が蓮司に襲いかかる。

「蓮司! うしろ!」

 『いーじす』の中で守られた夢叶が叫ぶ。

「でぇえい!」

 振り返り様に剣を薙ぐ。間合いに入らないうちから、エイリアンは剣から放たれた炎で身を焼きつくされ、殺虫剤の直撃を浴びた蝿のようにぽとりと落ちる。

「サンキュっ!」

 蓮司の謝辞に応えるように、遠くで夢叶が親指を立ているのが見えた。

 『いーじす』の周りを、侵入できないエイリアンが隙間なく囲んでいる。それを一体一体、夢叶が手に持つドライヤーのように丸みを帯びたピンクの銃で射撃してゆく。

 その様子に、蓮司は昔、ゲームセンターで同じ光景を目の当たりにした記憶が蘇る。

 幼かった蓮司は次々と画面いっぱいに襲い来る敵に恐怖した。とても自身で百円玉を投じる気にはなれず、誰かがプレイしているのをたまに眺めていた程度。だが、今は打って変わって近接戦闘で撃破カウンターを更新し続けている。

 これが大人になることか、などと感慨を抱いては、メッシュ越しの眼前を注視する。

 『タピルス』が生み出した悪夢。また一体、また一体と蓮司に斬られ焼かれては消滅していく。蓮司に向かって飛び込んでははじき出され、霧散する。その嵐の中心にいるのが、正義の味方であり全身レッドのスーツを身に纏ったヒーロー、蓮司であった。

 彼にとって目の前の敵たちは明確に『悪』であった。見た目が。行動が。そして何より存在そのものが。

 敵意がむき出しの歯肉と牙から涎が流れ出る。見ているだけで悍ましいそれは、多少の知能は有していたとしてもやはり友好的と呼ぶには程遠い。

 ましてやそれが、タピルスによって破壊目的で生み出されているならなおさら。ヒーローの無限とも思えるパワーを敵へ振りかざすのみ。

 むしろ現実世界よりも遥かに単純な勧善懲悪に、蓮司は酔いしれそうだった。

 一歩間違えればそれは危険な感覚を孕んでいる。だが蓮司のそれはただただ幼少の頃からの憧れ、ヒーローに対する羨望から来るそれ以外のものではなかった。と少なくとも本人はそう自覚している。

「ラスト一体!」

 遠くで蓮司の様子を伺う、臨戦態勢のエイリアンが一体。

 先ほど同様、剥かれた牙が覗く口元でエネルギーを蓄え、膨張させてゆく。今度はそれを、球体のまま蓮司に向けて放った。

 黒い悪意の塊が、その暴虐を振るう相手に目掛けて一直線に飛空する。

「蓮司!」

 夢叶の叫びを耳にしながら、蓮司は先日の野球のバットのように大剣を構えると、次いで上段に構え直して、技名と共に振り下ろした。

「覇王爆炎斬!」

 垂直に振り下ろされた刃はその切れ味を誇示するが如く黒い球体を真っ二つにする。同時にに、自身の攻撃を炎に代えて、まるでピッチャー返しのように佇むエイリアンへと放った。

 自身の攻撃よりも遥かに大きな火球に襲われ、最後の一体はその身を焼いて消滅した。

 正義は必ず勝つ。蓮司の心情にはその短い標語が浮かび上がる。

 幼稚園から小学生まで。それを教えてくれたのは毎週日曜朝七時からの戦隊番組であった。

 毎年新たなクールが始まり、例えその度にレンジャーの戦隊名が変わろうとも、「ヒーローは必ず勝つ」こと、その一点だけは不変であった。

 どんなにピンチになっても、仮にそれが週を跨いでも、テレビの画面越しのヒーローたちは何度も立ち上がり、最後は強敵に打ち勝つのだった。

 いーじすを解除しながら、夢叶が蓮司へと駆け寄る。

「お疲れ様、蓮くん!」

「おぅ、お疲れ。今日もなかなかハードだったな」

 伸縮するスーツの感触を味わいながら、蓮司は疲れをほぐすように手を上げ、伸びをする。

「この間の貞美は、数は多かったけど動きは鈍かったもんね。今日のは素早いうえに口からビームまで出せるなんて、さすがの私も予想外だったよ」

「でもそれも、夢叶のおかげで助かった」

 前回の戦いでは、乱れ髪に白装束を身に纏った『貞美』が大量に出現した。実際に夢で一体でも出くわそうものなら恐怖に身も凍っただろう。

 だがまるでコピーされたような貞美が狭い道にうじゃうじゃといる様子は、恐怖を通り越して笑うしかなかった。さすがに、一斉に向けられた顔の三白眼は、そのまま呪い殺されそうなほどの圧迫感を覚えた蓮司であったが。

「これからどうする? 智美も待ってるだろうし、早くこの世界から出て帰る?」

「そうだなぁ、もう眠くなってきたし、さっさと……」

 蓮司はマスクを外して、大きな欠伸をした。それにつられて夢叶も大きく一つする。

 考えてみれば、夢叶の見た目年齢でこの時間まで起きていることは好ましくないと、蓮司には思えた。ふとそんなことを思案する一方で、蓮司の目には高々と聳える高層のタワーが再び目に入る。ポートタワーが。

 日中であれば、外壁一面に設えられた熱戦反射板が、まさに空と海とを映したような紺碧を映えさせる建物。だが、今は夜半を反映するように、漆黒の空にその身を溶かしている。

 人がいるはずも無いのに、その黒い塗り壁に明かりを点在させている。蓮司はそのタワーを見上げながらふと既視感に襲われた。

 それは初めての体験を、過去に経験をしたことのあるように体感したときのことを意味する。が、今の蓮司はそれに似ていて、でも異なる意味で、実際に昔ここに来たことがあるような感覚があった。

 記憶に靄がかかったように、はっきりと経験した覚えがない。そもそも、繁華街から離れたこの場所に来ること自体、蓮司にとっては初めてのことであるはずなのに。

「蓮司、どうしたの?」

 未だ戦隊スーツのままぼーっと立ち尽くす蓮司を、夢叶が訝しげに上目遣いで見上げた。

 夢叶も変身を解いてはいなかった。先に、戦闘でめくりあがった地面を修復していた様子。

「いや、ちょっと考え事しててな」

 よくあることだと考えて、蓮司は夢叶へ視線を投げる。それを変身解除の催促と捉えた夢叶が、蓮司のフォームのみを解いた。光のベールで地面を修復し終えた夢叶は、未だ見上げている蓮司と、その視線の先のタワーを交互に眺めて、何かを思いついたように体をピクリと跳ねさせる。

「蓮くん、このあとちょっとだけ時間ある?」

 時間もなにも天辺はとうに過ぎている。予定とすれば、あとは「寝ること」ぐらい。

「もう帰るだけだろ?」

「ちょっとだけ、ちょぉっとだけだから」

 親指と人差し指でわずかの隙間を作り強調する。その僅かさを極めようと目まで眇めて蓮司を見遣った。たまに大人びた瞬間があるかと思えば、こういうときは子供のような表情。

 苦笑しながら蓮司は考えるように腕を組む。先ほどの戦闘の興奮が冷めやらぬためか、欠伸のほどの眠気は感じていない。

 街灯はついているものの、人っ子一人いない公園は新鮮だった。許されるならばもう少し、この非日常的な空間を楽しみたくもなる。

 だが気がかりなこともあった。

「でも、智美さんが待ってるからなぁ」

 レグナイト退治終了の報告を、智美は向こうの世界で待っている。

「少しぐらい大丈夫だって! 思い出作りに!」

 先ほどは蓮司の意向を気にした夢叶。だが智美を理由とする今の蓮司の発言は、夢叶をより強引なものにさせた。逡巡した後、夢叶の必死さに気押されるように蓮司は腕を解く。

「……まぁ、少しぐらいなら、いっか。で、何をするつもりなんだ?」

 ぱっと表情を明るくする少女。胸の前で小さくガッツポーズを取ると小さく飛び跳ねた。

「よおぉぉし、じゃあデートだっ!」

 「へっ?」という言葉と共に呆気に取られている蓮司。彼をよそに、鼻息荒く両手拳を握りしめたままの夢叶が、ピンクのスーツを解かないままに、再度「へーん、しんっ!」と唱えた。

 タワーや街頭が灯っているとはいえ今は真夜中。夢叶が強烈な光に包まれると、思わず蓮司は眩さに手で影を作り、目を眇める。

 光輝を纏った夢叶が、変身前とは異なる格好へとその姿を変えてゆく。

 数瞬の後、先ほどまでのピッタリとしたスーツとは異なる、比較的ゆとりにある服装へと身を包んでいた。

 鮮やかな、黒い光沢のドレス。ドレスと言っても、スカートの裾は地面に届くような豪奢なものではなく、ちょうど膝と足首の真ん中あたりにその裾を留めている。上半身はノースリーブの、ワンピースドレスであった。

 幼い少女をちょっと大人に見せるよそ行きの格好、そんな程度のものではない。追うように羽織られたワインレドッドのカーディガンが、さらに夢叶を大人びて見せる。

「変身完了!」

 言葉だけは相応の溌剌としたものだった。

 夢叶の力を借りなければ自在に姿も、強力な力も得られない蓮司とは異なり、夢叶は比較的自由に自身の服装や、はたまたレグナイトに対するパワーを行使している。

 それだけ強大なパワーならレグナイトを一思いに屠っても良さそうなものだが、あまりに破壊が過ぎると後の修繕に骨を折るのと、何より蓮司と共に戦うシチュエーションを、夢叶は楽しんでいるようだった。そして蓮司自身も然り。

 いったい、その力は何に依存するのものなのかと、蓮司は考える。だが狭量な頭で考えても答えは出ないし、智美や夢叶に聞いていまいち明確な回答はしてくれず、要領を得ない。

 だが今はそんな疑問が払底されてしまった。変身に伴い、髪をアップにし、唇にもグロスを施した夢叶が眼前にいる。顔貌までもが急激に大人びて見せた。

 思わず息を飲む蓮司。夢叶に気取られたくないと思うほどに、意に反して動揺してしまう。

「どう? かわいい?」

 少し恥ずかしげにスカートの裾をつまんで上げる夢叶。なんというか、自分よりも年下なのに、真面目にかわいいと思ってしまう。口先だけならともかく、今「かわいい」と言うとかえって本心を告げるようで、その言葉に気恥ずかしさを覚えてしまう。

「……それのどこがデート服なんだよ。完全にぱーてぃぴーぽーじゃないか」

 蓮司は夢叶の英語力を揶揄うようにわざと発音良さげに英単語を発した。

 だが口もとには手が当てられ、逸らすように顔を横に向ける。

「いいじゃないっ! 女の子はみんなこういう格好に憧れるのよ!」

 両頬を膨らませ、夢叶も顔をぷいと背ける。

 期待していた「かわいい」を聞けなかったことへの不満と、次いで不安が、夢叶の表情を過ぎる。その不安が何に対してかわからないまま、蓮司はばつの悪さを禁じ得ず、話題を変える。

「それで、デートって何をするんだ?」

 夢叶はまだ少しむすっとした表情をしていたが、気持ちを切り替えるように指差した。

「あそこ……展望台に行きたい」

 そうポツリと言うと、呼応して蓮司は再度タワーを見上げた。

 夢叶も見上げて、次いで蓮司の顔へ視線を下ろす。未だ見上げていることを確認すると、夢叶は蓮司の右手に手を伸ばした。だが、躊躇うように数センチのところで手を止めると、そこにあった袖をつまんで引っ張るように歩き出した。


 ポートタワーの展望台。

 「ビュープロムナード」と称され、階層としては4階とされているが、地上113メートルの歴とした展望台である。

 東西南北を臨める眺望は、ビルが屹立する千葉駅周辺の行政、商業エリアや、臨海のビル群、工業施設。はたまた太平洋の水平線とそこに沈むサンセットなど、方角や時間帯によって多様な姿を楽しむことができる。加えて天気が良ければ富士山や、米粒ようなスカイツリーまで。

 『はざまの世界』であるにも関わらず、現実と何も変わらない景色。

 おまけに時間外にも関わらずエレベーターまで稼働している至れり尽くせりぶり。それと同種の疑問を蓮司は口にする。

「なんでこの世界、人がいないはずなのにこんな電気だけついてるんだ?」

 蓮司が目にする夜景には、同じく現実と変わらない煌々とした明かりが幻想的なほどに灯っていた。無いのは交通の——例えば車のテールランプの明かりぐらい。だがそんな疑問を払底する言葉を夢叶が口にする。

「きれい……」

 夜景に照らされるように、夢叶の双眸が燦爛と輝いている。その様子に笑みを浮かべた蓮司がふっと苦笑交じりの嘆息を吐いた。

「ほんと、きれいだな」

 夢叶が意外そうに蓮司に視線を向けた。斜めに見せる彼女の横顔の瞳には、より一層の光が集約されているように、見える。

 しばらくの間、黙って景色を見つめるように、はたまた何かに思いを馳せているように、二人の間に沈黙が落とされる。

 すると何かを思い立ったように、夢叶が静かで滑らかな声を紡いだ。

「ねぇねぇ、蓮くん。2階に、『恋人の聖地』っていう場所があるんだって」

 蓮司は夢叶に顔を向けると、言葉にせず目で先を促した。

「そこにモニュメントとかあるんだけど、ハート型の鍵、じゃなくて、南京錠をつけられるフェンスがあるんだって」

 なんとなく先が読めてきた。

「ねぇ、一緒にそれ、つけに行かない?」

「行かない」

 予想通りの誘い。食い気味に即答され、夢叶はまたしてもぷーっと頬を膨らませた。せっかく大人びた格好をしているのに、表情だけは子供に引き戻されてしまう。

 それを見た蓮司がまたしても意地の悪そうに苦笑する。

「なんでよー! 別に減るものじゃ無いのにー!」

 減るものではないし、行かない理由もないと言えば無い。だが行く理由もない。それ以上に、

「二人で南京錠を選んでロックするなんて、想像しただけでも恥ずい」

 歯が浮きそうな思いに、頰に熱いものを感じる。蓮司本人は気づいていない。行為自体は固辞するも、その前提となるものを完全には否定していないことを。

 それに気づいたのは夢叶だけ。満足したように、今度は夢叶がくすりとした笑みを漏らした。

「じゃあ、また今度来て結ぼうね。約束」

 その言いっぷりに小指を突き出されでもするかと思った蓮司だが、夢叶は夜景に顔を戻すと惹き込まれるように眺めていた。

「この世界、きれいよね……」

 「きれい」という言葉の繰り返しのはずなのに、蓮司はそれが、何かを確認する作業のように聞こえた。夢叶の意図するところを測りかねる。同時に、見つめ続けるその顔貌は、本人も意識しない程度に漏れ出た言葉にも感じられ、口まで開くも何も聞けなくなってしまう。

 またしても沈黙が流れる。「デート」の経験が無い蓮司にとって、これがデートと呼ぶに相応しいものなのか、疑問がふと浮かぶ。だがそもそも蓮司から言い出したものではないことなので、あまり深く考えないことにした。

 そんなことに耽っていたためか、夢叶がいつの間にか窓ガラスから顔を離してこちらを見上げていたことに気づかなかった。

「蓮くんは、この世界のこと、好き?」

 そんなことを聞かれたのは、初めてだった。しかもそんなあらたまっての質問も。

「なんだよ、突然。……仮に嫌いだからって、選べるものじゃあるまいし」

 なんて答えていいものか。というよりも、夢叶の求めているものが何かわからず、適当にはぐらかしてしまう。だが夢叶は視線を外さず、口も引き結んでいる。怒気を孕んでいるというよりも、この質問からは逃さないと言ったような、意志が感じられる。

 「なんでそこまで」とか、「どっちの世界のことだよ」とか、そんな疑問が頭の中に浮かぶが、少なくとも「どっちの?」という疑問に対しては「どっちも」ということなんだろうと勝手に決めつけていた。そんなことを考えながら、蓮司は後頭部を掻いて短く嘆息する。

「好き、だと思う。少なくとも嫌いじゃない。そんなこと考えたこともないけど、好きか嫌いかならどちらかと言えば好きなんだろうな。ま、でも……」

 夢叶の雰囲気に引っ張られて柄にもなく真面目に答えたことを誤魔化すように、

「ま、でも、レグナイトとか、ああいうのは勘弁だな! あと教室の女子の視線とか。もう痛いのなんのって……」

 そこまで言って蓮司は言葉尻が小さくなる。夢叶が嬉しそうに口の両端を持ち上げて、穏やかな笑みを湛えている。そして小さく、深く一度、確認したように頷いた。

 夢叶はすでに窓へと視線を戻していた。細い小さな指の曲げるように、作られた握り拳を窓へと当てる。

「わたしもね、この世界、好きなの。……蓮くんのいてくれるこの世界が、大好きなの」

 まるで自分のことを言われているように、蓮司は顔を染める。

「だからね、蓮くん。この世界を守ってね。……できれば、ずぅっと。代わりにわたしが蓮くんを守るから。約束」

 すると夢叶は小指をすっと差し出した。夢叶の笑顔に、何か陰鬱なものが足されていた。

 それに答えていいものか、蓮司は一瞬思い迷う。「ずっと守って」とか、恋人みたいな「わたしが蓮くんを守るから」とか、そんなことに尻込みをしたわけではない。

 ただの口約束。そんな軽々しい一線を簡単に超えてしまいそうな、そんな何かが夢叶の顔に翳っていた。それが容易に夢叶の指を握り返すのを躊躇わせるのだった。

 だが、それを察した夢叶は、

「大丈夫だよ、蓮くん。破ったって、針千本も飲ませたりしないから」

「数本ならあるのかよ」

 努めて意地悪そうな笑顔を見せる夢叶に、蓮司も肩の荷が軽くなったような面持ちになる。

「わかったよ、オレが、このレッド様が、この世界を守ってやるよ」

 今度は蓮司が小指を立てる。そこに、おもむろに指を絡ませる夢叶。

「蓮くんが調子にのってるー。……ゆーびきーりげーんまーん——」

 肩の力が抜けたのは夢叶も同じようで、物理的にも軽くなったかのように上下に大きく指を振り回す。蓮司が「痛い痛い」と苦笑を浮かべながら目を眇めた。

「うーそつーいたーらはーりせーんぼーん——」

 夢叶は変わらず大きな声でそこまで言った。人気のない展望台に夢叶の高い声が響き渡る。

 だが一瞬、蓮司が残響に耳を傾けていると、先ほどのまでの声に遠く及ばない声量で、

「……飲ませないけど、わたしのこと忘れないでね。……ゆーびきった!」

 最後をまた快活と言い放って、勢いよく床へ振り下ろすように指を、蓮司の指から引き離した。ほとんどの独白のように、ぽそりと言われ、蓮司も「なんて?」と聞き返す。

 すると夢叶は答える気がないようにくるりと振り返ると、

「なんでもなーい。帰ろ」

 と言ってエレベーターへと向かった。

 蓮司はなんと声をかけてもいいかわからず、彼女の名前を呼んだ。

「夢叶っ……! その、えっと……」

 蓮司が口ごもっていると、「どうしたの?」という開いた瞳の笑顔を向けながら、夢叶は軽やかにまた振り向いた。黒いサテンの光沢が、ドレスのふわりとした動きに合わせて瞬く。

「その、なんだ、その格好……、本当は、似合ってると、思うぞ」

 最初、意外なタイミングの告白にぽけっとした夢叶であったが、すぐに表情は照れ笑いへと変わっていった。


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