序:惰眠からの目覚め
丑の刻も半ばを過ぎた。午前二時五分。
辺りはすでに夜気に包まれ、誰一人としてその道を歩む者はいない。
通行人がひとりもいないのは何も、時間帯のせいではない。この世界が、今まさに歩いている二人と、その他一体以外の存在を許さなかったからだ。
場所は東京から東に位置する県境を越えたところ。閑静な住宅街。
比較的高い塀に囲まれた路地は、ニュースのリポーターがマイク片手に歩けば殺人現場を中継していそうな、そんな印象を与える。
そしてまさにその路地を、殺人を犯そうとしているかの如き輩、一体が闊歩していた。
手にはチェーンソーを持ち、ゴルフボールのようにぼこぼこした面を着用した巨漢が、一歩また一歩と、裸足で地面を踏みしめるように歩く。
そこへ現れたもう一人。
彼もまた、夜中に街を歩いては、職質ものの赤い全身タイツを身に纏った人物であった。
『現れたな悪の組織『ダーク・ガン』の幹部よ。今宵も平和な街を跋扈し、市民を脅かすとは笑止千万! このレッドリーダーが、お前の悪行をここで討ち果たしてくれよう!』
そう口上を述べた人物は、耐熱と耐衝撃、おまけに着用者の運動能力を著しく向上させる、全身にぴったりと密着した赤い高機能スーツを着用していた。あたかもスーパー戦隊シリーズに登場するヒーローのような装いを、誇っている。
男はノリノリで胸に温めていた言葉を並べていた。だが、チェーンソー男との距離があり過ぎるためか、先方の反応は案外鈍い。
『蓮くん蓮くん。格好つけたいのはわかるけど、相手はレグナイトだから。そんなテレビ番組みたいなセリフ言ったって反応してくれないし、たぶんポーズも待ってもくれないよ。あと、笑止千万の使い方、間違ってるから!』
無駄な台辞を述べた全身赤スーツの男に対し、同じ素材ながらピンクに包まれた、明らかにレッドよりも年下の少女が隣で忠告する。年齢が逆転しているかのごとき、いたって冷静なツッコミを赤色に加えた。
少女は露出部が一切無いレッドとは異なり、頭部は前面が開いたようなヘルメット状の被り物、首には赤いスカーフ、一見平らな胴体を経た先の腰から下は、膝丈よりも短いスカートと白いブーツを纏っていた。
『あ、ほら、蓮くん! 敵がこっちに気づいたよ!』
その言葉に合わせるかのように、レグナイトと呼ばれた殺人鬼の存在が、手にするチェーンソーのスターターのハンドルを勢い良く引き、臨戦態勢に入った。
『今時発電機みたいに紐を引くなんて……あのチェーンソー、旧型だな』
『蓮くん蓮くん、そんな冷静に分析しないで。あれは襲う合図だから。ちなみに、あの有名なジェイソンって、実は映画の中で一度もチェーンソー使ったことないらしいよ。人のイメージが生み出すレグナイトらしい間違いだってことだね』
『え、そうなの? オレだってマジでジェイソンはチェーンソーと切っても切れない存在だと思っていたよ、』
『蓮くん、それもしかしてギャグのつもり? ……でも大丈夫よ、それでもわたしは蓮くんのこと、大好きだから!』
非現実的な現状に動じることなく、二人はラブコメのようなやりとりを続ける。
だがもちろん敵はそんなことにお構いはしない。彼方の凶悪な存在は、自身の狂気を武器に体現させているかのごとく、手に持つチェーンソーを振りかぶるのようして、向かってきた。
『蓮くん』と呼ばれた、本名『西郷蓮司』は、敵の本当の恐ろしさにまるで気づいていなかった。
チェーンソー男が近づいてくるに連れ、その巨体が自身の身長、つまりは一般男子高校生の体躯の二倍は軽く超えそうなことを、あらためて思い知らされる。
そして夢叶と呼ばれる少女と比べたら四倍はありそうだ。敵の頭は二階建ての住宅をも超える勢いで、比してチェーンソーだけでも大人一人分はありそうなほど。
『うっへー、やっぱり人間の悪夢で生み出されると常軌を逸しているな。オレの夢に出てきたときもあんな大きさだったよ』
『そのときはどうしたの?』
『無い尻尾巻いて逃げた!』
『ま、まあ、あんなのが夢に出てきたらそりゃあ逃げるよねー。それで、今回はどうするの?』
『夢叶』と呼ばれた少女は、目を細めながら白い歯をむきっと出し、いたずらっぽく笑った。
『それ、わかってて聞いてるだろ? オレはヒーローだから、当然あいつを倒すに決まってる』
そう蓮司は格好をつけると、右手をまっすぐ前に突き出す。手のひらを下に向け、叫んだ。
『出でよ! 五星の大剣「ケーニヒス・ティーゲル」!』
瞬間、蓮司の手が眩い光に包まれた。そうかと思うと、彼の身長ほどもありそうな赤黒い大剣がどこからともなく現れ、その手に握られた。高々と掲げればちょうど、その先端が巨体ジェイソンの頭部に届きそうなほど。
だがその大剣は、相手を頭頂から真っ二つする役割を負っているのではない。
武器は、蓮司の大好きな『剣舞戦隊・ソードレンジャー』のレッド、琴吹卓也が愛用していた大剣がベースとなっている。本来の名前は『五星剣』とシンプルな名前で呼ばれていたのを、訳あって過剰パワーアップさせてしまったために「大剣」と名をあらため、おまけに意味不明にも戦車の愛称まで付けてしまった業物だった。
オリンピックのバーベル上げの選手でもない限り、見た目が鉄製のそれを高々と掲げることは、蓮司程度の中肉中背の体躯には不可能な代物だった。
だがそれを可能としている理由は想像するに二つ。
一つは、蓮司の纏う全身スーツが筋力の補助をしているため。もう一つが、蓮司のイメージから創造されたそれは、イメージから作成されたために異様に軽かったということだ。
つまりは、彼が幼少の頃、クリスマスにサンタさんからもらった——もとい、親が家電量販店で買ってきた——おもちゃの重量、それをそのままに反映していたからだ。そして、おそらく後者になる。
蓮司は掛け声とともに、その大剣を軽々と振り払った。
『覇王爆炎斬!』
安直な技名と共に、切っ先からは巨大な火球が飛び出した。雄々しく燃え猛る炎は、熱風を伴いがなら一直線ジェイソンへと走り、そして衝突すると猛々しく爆発した。
『クリーンヒット! さすが蓮くん!』
そう言って夢叶が嬉々としてその場で飛び跳ねる。
火球が衝突した大型ジェイソンは声にならない唸り声を上げながらその身を焼かれた。そしてその場へ蹲るように丸まると、間も無く跡形もなく消え去る。
正しくは、小さく眩いガラス片のように分解され、上空に登っていくように散っていった。
技名の最後に『斬』と付いているにも関わらず、その刃は敵を切ることなく戦闘は終了した。
『蓮くん、おっつかれ! 今回は一体だけでよかったね』
『まぁなー。この間みたいに大量にうじゃうじゃ出てくるのは勘弁だよ。さすがにオレも大量のジェイソンは見たくないわ。それこそ本当に夢に出そう』
『まぁレグナイトだから、大量に出るときは仕方ないよ。それに野放しにしておくといつ、私たちの世界に影響が出るかはわからないしね』
それになにより——と少女は続ける。
『わたしは結構楽しいんだよ? 蓮くんとのレグナイト退治。でも、他でもない蓮くんだからっていうのは、忘れないでね』
そう言って夢叶は蓮司に向かって腕をピンと張った。いわゆるハイタッチを求める形。
『はいはい。何はともあれ、おつかれさん!』
二人は「ぱんっ!」と音を立てて互いの掌を叩き合った。
うっすらと、蓮司は目を覚ました。意図せずして、自身の手の甲を額に当ている。
目の前にあるのは暗がりの天井だ。蓮司の好みで豆電球だけが点灯しているシーリングライトを、右目の端で捉えている。
「……夢、なんだよな……」
覚束ない思考ながら、今見ていたものが全て現実ではないことを理解する。
部屋が冷たい。部屋の暖房を点けずに寝たためだ。天井から発せられるオレンジの電灯も温かみを演出するにはほとんど無力である。
「結局……」
蓮司はそう呟くと、気だるそうに上半身をベッドに起こした。俯き、頭を三回ほど掻く様子は、起きたての思考を整理しているようでもあり、何かを後悔しているようでもあった。
(オレは、ヒーローを気取ってばかりで、お前がどんな気持ちでオレと一緒にいたかなんて、全然考えもしなかったな……)
蓮司が寝ていた枕元には、男子高校生には一見不釣り合いなぬいぐるみが一体置かれている。
女子供向けに丸っこい体躯をしたそれは、初見ならば何の動物をモチーフにしているか不明であり、頭部に角と、胴体には翼があることから、おそらくユニコーンをデフォルメされたものにだろうと推測される。現に蓮司も、それと初めて出会ったときは同じような思考を辿った。
首元には、全身淡い水色と不似合いな、血のような真っ赤なスカーフが巻かれている。
「…………」
膝を抱えるようにし、さらに自身の額をその膝へと当てる蓮司。
エアコンをつけずに寝てしまったことに今更ながら気づき、蓮司は背中に悪寒を感じた。
(おまえがいたときは)
心がぐずりと音を立てる。
(正義の味方になれたことがただ嬉しくて、正義のヒーローでいたくて、この世界のために戦っていると、勝手に信じ込んでたんだ)
蓮司は一度嘆息する。口の中に広がる空気が、ツンと喉の奥を冷やした。
(でも今は……おまえがいなくなってからは、夢叶……おまえを守るために戦っているつもりに、また勝手になってるよ)
蓮司は自身の膝を力強くぎゅっと抱いた。
(……夢叶、また、会いたいよ……)