神様、私は、どんなふうに、生きてゆけば、よいのでしょうか?
神様、私は、どんなふうに、生きてゆけば、よいのでしょうか?
神様、私は、ずるいので、すべての心の痛みを、無かったことにしようとしています。
なにも無かったことに、したいのですが、なにも無かったことには、ならないみたいで、ズーンと重たい苦しみが締め付けるように、この心臓ふきんを脅かすのです。
それを、感じないことに、しています。
そんな、感じないことに、なる訳ないのに、なんとか、感じないことに、したがっています。
思い込みの力って、たいせつですよね。
でも、間違った使い方をすると、怖いですよね。
私は、可能な限り、自分を信じて、こんなふうに、生きてゆきたいという願望を持っていますが、それが簡単に叶うことがないことも、ちゃんと知っています。
なぜこんなことを今日書いているのかといいますと、実は身体から、痛みが消えないのです。
なぜか、の、理由がわからず、痛みが治まる気配もないので、あきらかな体調不良を理由に、病院に行かなくてはいけないのかもしれないからです。
その結果が、なにか非常に重篤な病気で、入院に至る事態にならないとも限らないからです。
前に入院したときに、絶食だけでなく、飲料(むろん水)も禁じられたことがあって、ずーっと点滴をしていて、栄養補給は、そこから、水分もそこから体内に取り込んでいたみたいですけど、ですから、問題ないといえば、なんの問題もないのですが、ちょっと、(絶食はともかく)水さえ飲めないというのは、きつかったですね。
それで、ですね。
最悪の想像なんて、人って、簡単にできるでしょう?
そのまま、入院、痛みと闘いながら、病いと闘いながら、そのまま、人間の尊厳のようなものまで失って、そのまま、治療の苦しみの甲斐もなく、死んでしまう、とか。
そこまでいかなくても、また、あのときのように、絶飲食の貴重な体験をさせて頂けるのではないのか、とか。
考えようと思えばいくらでも、考えることができるでしょう?
嫌な未来の想像なんて。
それを、想像することによって、精神に大きな負荷を感じてしまい、それによってより一層病いを助長させることになる、とかいう事態にも、なりかねないでしょう?
だから、本当はなにも無かったことにして、不安を忘れて、生きてゆきたいのですけれど、そんなに簡単なものでもないでしょう?
で、冒頭の問いかけに、戻るのです。
神様、私は、どんなふうに、生きてゆけば、よいのでしょうか?
神様、私は、ずるいので、すべての心の痛みを、無かったことにしようとしています。
(身体の痛みは、意志の力で消し去ることは、できないからね)
でも、私。
実は、祈るべき、信じている神様なんて、ね。
一柱も持ってないんですけど、ね?




