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妄想論

娯楽の新たな価値

作者: とびうお君

 私は重大な見落としをして居た可能性がある。なろうに良くあるファンタジーは古典的な英雄伝説、安価なペーパーブックなどのヒロイックファンタジーと重要なポイントは大差が無い。内容ばかりに目が入ってて読者の反応が疎かになっていた。ひょっとしたらなろうファンタジーは新しい価値を創り上げてる可能性がある。


 一端わき道に逸れるけど、私がなろうファンタジーはテンプレなど言う単純なものじゃないと書いてきたのは、表面的な部分での変化が激しいから。例えば同じ笑うって感情を喚起する過程は人によっててんでばらばらなのを思い浮かべて欲しい。極論を言えばすべての物語は面白いと言う感情を引き出すためで根底はいつも同じ事をしてるといえなくも無い。


 だから大筋の部分でどれでも同じって批判するのは間違っている。それは全く変わらない。ただどの作品も共通するのは主人公が活躍してそれがスカッとする作品を楽しむのが主流になってる。その大筋は変わらない。その舞台が異世界と言うだけ。おそらく現代に置き換えてもこういった作品の構造はそのまま通用すると思う。


 それなら過去からずっとあるわけで、何を今更近代小説に慣れた人達は驚いているのか?さっぱり分からなかった。そこでそういう驚きから来るフランケンシュタイン症候群的な罵倒をずっと批判してきた。


 しかし、案外これ本当に新しいものかもしれない。内容じゃない受け手である読者の受け止め方が過去ほどシンプルじゃない可能性がある。基本的な部分は変わってないし、物語の面白さも同じで変化してない。ただその奥に新たな付加価値が付いてる事に今更気が付いた。


 もったいつけやがって早くその答えを言えよって、じらします。私はこれ本質的にはゼロ年代でアニメで流行した萌えキャラブームと変わらないと気がついた。要するに今ならけもフレに酷似してると分かった。なろうとけもフレは似ているとの指摘は度々ある。だが私はそれに批判的だった。当たり前すぎるから、けもフレだけが特別じゃなくて、深夜アニメすべてそうだ。だからなろうアニメは売れたんだと言える。何を今さらだ。


 けもフレとなろうテンプレって物語の構造が全く違うんだ。私書いた事がずれてくる。古典的楽しみ自体は消えたわけじゃない。それにプラスアルファ今はされている。いよいよ本題だ。


 思考停止による快楽を日本人は知ってしまった。この知るというのがポイントなんだ。意識的じゃない多分刷り込み。知るってのは感じるっての同意になる。エロ表現でこの女男を知ってるな?とかああいう表現。普通に接してても思考停止の快楽はある。だが、それを繰り返すほど思考停止は快楽として定着しやすい。特に子供の時ほど習慣化に大きく貢献する。


 答えはなんだ?漫画アニメによる幼い頃からの面白さの洗脳になる。


 再三私は非ラノベの面白さを書いてきたのは、今の若者に味覚障害のようなものを感じるから。お前も同類じゃないのか?違う私は自分が中毒じゃないか?を確認したり気をつけてる。特にアニメ、つい見てしまうそれが無自覚である、これは怪しい。私は深夜アニメが中毒的だと初期の頃に見切ってこれに無自覚に付き合ったら駄目だと考えてコントロールした。それが良かった。視聴者の反応を見てて、どうもこれ中毒っぽいなと思って自己防衛した。


 料理で言うならこれ多分マヨラーと同じになる。なんでもかんでもマヨネーズかけて美味しいと言ってしまう。ラノベを嫌ってる人が居るのが多分こういう人は分からない。これで説明すると良く分かるだろう。あらゆる味がぶち壊しになってしまう。こんな感じ方、作品との接し方が違っていた多分違っていたでしょ?彼らはよく吟味した選択じゃない。それでもうマヨネーズ無しの味覚の良さが分からないんだ。そしてそれを自由意志による選択だと思い込む。回り方見ていれば分かるのだが、もう手遅れ仕方ないだろう。


 思考停止が軸となった面白さなので、子供の頃から繰り返す事によって中毒的になるって私は知ってるんだ。面白さすべてがそうなるわけじゃない。そしてそれはとても強い刺激になる。酒タバコ、麻薬の類とかなり似てるから。良く似た事例でナチズムがある。あれは薬物ものがなくてもそうなる思想による思考停止の快楽の喚起になる。


 当然軽度に決まってる。ただその軽度の差がただの娯楽に過ぎないものに強い快楽を創っていたら他の創作はとてもじゃないが太刀打ちできない。


 私は中身が無いとか言ってるんじゃない。だから萌えブームは終ったと言えるから。ただ次なる思考停止の快楽を求めて動くだけで、本来の物語の面白さを求めて動いてくれる事は無い。些細な事では何をやっても無駄だとずっと書いてる根拠がまた新たに出来たと思う。余程強い刺激で興味を引かないとテコでも動かないって比喩がまさにこれに当てはまる。


 これ作品の魅力だけで創るの無理だから。


 過去の古典的英雄伝説やヒロイックファンタジーと変わらないと書いたけど、そう単純じゃないと今考えてる。浅はかだったか?ならそうかもしれない。どうしてこんな差が付くのか?悩む人の気持ちにほんの少し近づけたかもしれない。これは多分現代と言う娯楽飽和の新しい価値だと思う。あまり考えずに繰り返す事が重要だから。それは大切な作品と真摯に向き合うなんて態度じゃ生まれにくいんだ。何気なし二気軽に楽しむ姿勢こそ重要になる。そして一度それが無自覚なまま形成されると、その後は習慣化する。だが本人はその理由が良く分かってない。それを他の物より面白いと単純にしてしまうだろうと予想する。


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