I have an apple Ⅺ
壮観であった。十階を優に超える総合病院は、非常に規模が大きい。ゆえに病院を取り囲むようにして作られている駐車場も、異様なほど広かった。つまり、その周辺には他の建物が一切見られない。それだからその風景の中にある病院が、遠目だと、墜落した際に周りの建物を吹き飛ばし、そして未だに地面に突き刺さっている巨大隕石のように見えないこともない。少なくとも、初めて見たときは本当にそう見えてしまったのだから、びっくりした。
何年経っても変わらない、病院の外観を前にして、懐かしさも然ることながら僕はすこしの羨望を抱いていた。僕なんてすっかり変わってしまった。あの頃はまだ夢も、友達も、腐るほどあったし腐るほどいたのだから。どうでもいいが、腐るほど、という表現が我ながら滑稽に思えた。
あそこは僕が小さい頃、なんどもお世話になった病院だった。軀が弱かった僕はたびたびあそこに入院していた。
小学校の卒業間際だった頃にも、僕はたしか何かの病気で入院していた。しかしもう十年以上も前のことだ、何科に掛かっていたのかすらも覚えていない。
無数にある病院の窓に注目してみるも、あまりにも年月が経ってしまっている、そのときどの辺りの病室だったのかも、僕は覚えていなかった。十階以上あるうち、五、六階辺りを基準にして考えて、それよりも上のほうだったのか下のほうだったのか、それさえも覚えていない。ただ、そのとき入院していた部屋はたしか、自分のベッドは一番奥にあって、それから、僕の他にもおばあさんがいた。どうしてかそれは覚えていた。白い髪がよく似合うおばさんだった気がする。ちなみにそのおばあさんは、僕とベッドが隣同士だった。
ある時、僕の病室に若い女の人が入ってきた。その女性は入口付近にあった鏡を一瞥し、前髪をいじったあと、僕に近づいてきた。かなり綺麗な人だったので、どきりとしたが、足を止めたのは隣のおばあさんのベッドだった。
「おばあちゃん、どうしてこんなことを」と言い寄る女性のことを、初めはおばあさんの子どもか孫のどちらかだと思っていた。でも「おばあちゃん」と言っていたので、だったら孫かなと、僕はほぼ確信していたのだが、そうではなかった。
そのお姉さんはおばあさんの子どもでも孫でもなく、そのときはラフな服装をしていて分からなかったが、とある施設の、おばあさんの介護担当の人間だったのだと、後になって分かった。そして、おばあさんには孫どころか子どももおらず、一切の身寄りが無いということも知った。さらに、部屋に入ってきたときにお姉さんが「どうしてこんなことを」と言っていた理由も、後になってから分かった。どうやらおばあさんは果物ナイフで手首を切ったのだそうだ。かなり出血していたものの、おろおろと床を這っていたところをたまたま近くにいた他の職員に見つけてもらい、救急車を呼んでもらった。そういう過程を経て、おばあさんは僕と同じ病室まで搬送されてきたらしい。そういう話をよく、おばあさんは消灯時間になると僕に話してくれた。
そういえばあの綺麗なお姉さんは、あれ以来、おばあさんが退院するその時まで姿を現さなかった。
「神様、どうして私が、こんな目に」ただしその一度だけ面会に来ていた日の帰り際、寝息を立てていたおばあさんに向かって、一言だけ、お姉さんはそう怖い顔で呟いていた。神様なんていないのに、何を言っているのだろう、しかも怖い顔で、と不思議に思った。印象的だったのでよく覚えている。
そのときは不気味だなあ怖いなあ、としか思わなかったが、今となっては、ああ、おばあさんの自殺未遂に関してはあの女性が全部、責任を負わされることになってしまったんだろうな、とか、施設に戻ったら、現段階でもすでにつらかったところ、その倍以上精神を磨り減らされるくらいに、施設の入居者たちを見張らせられる羽目になったんだろうな、とか、ましてや、次はあの女性が自殺したのではないか、とか、想像することができた。介護職に関する実態は、時たま何らかのメディアで報道されている。どれもこれも酷いものだった。
話を戻すが、僕の隣のベッドで一日中寝転がっていたおばあさんはよく、夜になると僕に話しかけてきていた。夜行性、だったのだろうか。そしてその時の話の中で、一つだけ、今でも忘れられない話がある。
いや、今のこの状況だからこそ僕は思い出したのだろう。
消灯時間になっても一向に眠れずに、僕が、引き出しの多い棚の横にあった小型の冷蔵庫の扉を、スポーツドリンクしか入ってないのを分かっていて何となく開けたり閉めたりしていたときのことだった。
「死にたくなるときって、ない?」いきなりそう、おばあさんが訊いてくるのだから、僕は驚くしかできなかった。間違ってもここで「はいあります」などと答えたりしたら、もしかしたらまだ隠し持っているのかもしれない果物ナイフで数か所ほど刺されて、殺されてしまうのではないか、と、そのときは子どもながらに変な想像を巡らせてしまい、僕は恐怖を覚えていた。といいつつそんなことを深夜、老婆に問われたとすれば、大人になった今の僕であろうと一時的に自分の身を案じてしまうに違いない。
「いいえないです」と、そのときはかろうじて言い返すことができた。
「へえ、ないのね」そう言うおばあさんは、それからとうとうと喋りだしたのだった。
「前の晩に死にたいって思っていても、次の日の、昼間になれば、話す相手がいるから大丈夫。でも日が傾いて、外が暗くなっていくにつれて、うちの施設では周りから人の姿が消えていく。だって家族がいる人たちは、家族に連れて帰ってもらえるからね。だからその時間帯なんだ、死にたくなるのは。建物のなかが暗くなり始めて、話し相手がいなくなって、職員さんたちが居眠りを始める時間帯。そうやって、周りが寂しくなり始めた時に、ふと死にたくなるわけ。毎日毎日」
厚手のカーテンを二枚はさんでいる向こうがわの僕に、たしかそのようなことを、なぜかあの時のおばあさんは話してくれた。でも、あのおばあさんにももし、当時の僕くらいの、小学校の卒業間際くらいの孫がいたのだとしたら、自分の孫にも、おばあさんはその時のような話をあんな風に聞かせていたのだろうか。流石にそれはなさそうだが、一応、あのような話を聞かされる孫の顔を、興味本位で僕は想像してみる。僕の、ただでさえ暗かった気分が、増長したように感じた。それだけだった。
そうなんですか、と、頭の上に疑問符を浮かべるようにして、たしかその時の僕は、おばあさんの話に首を傾げていたと思う。
そうですよね、と、しかし今の僕は、その話に頷くことができる。
周りに話し相手がいなくなり、孤独を感じ寂しくなりだすと、死にたくなる。
たぶんだけど、今の僕の状況と一致している。そんな気がする。でも、どこか、まだそれは他人事のようにも思えた。この僕がそんなことを考えるはずがない。そうやって、心のどこかで強く訴えてくる自分がいるのだ。
僕はまだそうやって、強気でいられるらしい。しかしながら、なるべくそういうことは考えたくはないのだが、そんな強がりがいつまで続くのだろうか、なんてことを僕はつい想像してしまうのだった。そればかりか、そんな強がりが、不意に杜絶えてしまった時のことも、僕は同じように想像してしまっている。そしてだ、もし、強がれなくなってしまったとき、そのとき僕は、受け容れてしまうのだろうか。神に与えられた、生きとし生ける者に与えられた、死、という不条理な運命を、易々と。
それは簡単で、楽なことだろう。とても。だけど、そんなことをしたら、林檎ちゃんは何て言うだろう。もしや、声高らかに笑い飛ばしてくるのだろうか。はたまた、怒りに任せて暴言を吐き散らしてくるのだろうか。悔しがるようにして、すすり泣く音を漏らすだけ、もしかしたらそんな事もあるのかもしれない。
もう分からない。林檎ちゃんがいなくなってしまった今、それはもはや神のみぞ知る、といったところなのであろう。けれど、ただ、死に抵抗しようとする頑張りを、果物からすれば『理解不能』で馬鹿々々しくなってしまうようなことを、合理的に、無駄を省くようにして、素直に僕が断念したとき、そのとき林檎ちゃんは、どのような反応を示すのだろうか。
それだけが気懸かりで、自分は今もこうして生きている。そんな気がする。
「神様、どうして僕が、こんな目に」そう呟いて、僕は苦笑している。口にした台詞から、反射的に、僕はあのときの介護のお姉さんを思い出していた。そして、やっぱり美人だったよなあ、あの人、胸も大きかったし、と口元をにやりとさせつつ、総合病院から目を離した僕は、また歩き出している。
読んでもらえて、嬉しいです。




