第二話:白城家にてその弐
「結局一発も当たらなかったし」
愛は残念そうな表情を浮かべながら、頬杖にして目の前に置かれたサラダをフォークでつつく。
「行儀が悪いわよ、愛」
気持ちは分かるけどーーと付け加えて、梓は注意する。
彼女の反応を見る通り、クラウンとの模擬戦は惨敗となってしまった。
地獄のような特訓や命をかけた実戦を経て、自分たちもそれなりに強くなったつもりではあるが、まるでそんな実感が湧かない結果となり、一同は例外なく落ち込みを見せる。
「あはは。でもビックリしたよ。みんなボクの予想を遥かに超えていたからね」
そう慰めるようにクラウンが微笑むが、逆効果となったらしい。
大吾が代表して反論した。
「よく言いますよね。俺なんか結局減点十四だったのに」
「愛さんなんて減点二十一よ」
「たしか私は減点十七ね」
「……みんなわざわざ数えてくれてたのね」
よくもまああの戦闘中に余計なことを考えていたものだと、逆に感心する。クラウンが口にしていたことではあったが、別に数えていたわけではない。
もしかしてわざわざ点数を数えていたせいで減点が多かったのではーーとはいうまい。
まずは全員の機嫌を戻すことが優先だ。
「ま、まあ減点方式だから、大吾くんは八十六点。愛くんは七十九点。梓ちゃんは八十三点ーーって思えば中々の高得点じゃない?」
クラウンはみんなの点数を頭の中で計算しながら、好印象を与えるように表現する。
「……座学で愛さん、九十点以下なんてとったことないのに…………」
彼女の誇りを傷つけただけで、失敗に終わった。
あわわと、娘の友達を傷つけてしまった父親の心境とは緊張だ。これをきっかけに『友達を傷つけたからもう顔も見たくない』などと言われるのではないだろうかと、滝のように汗が背中を流れていく。
笑顔は絶えず、内心は不安に駆り立てられている。
先ほどまで三人を翻弄していた人物とは思えない変わりようだ。
流石に悪戯が過ぎたと思ったのか、愛の表情がパッといつも通りに戻る。
「なんてね! 正直途中から良い勝負が出来るなんて思わなかったし、まあギリギリ妥協点かな? 愛さん、もっと強くならないと」
「それには同意するぜ。まるでレヴィさんとやり合ってるようだったぜ。クラウンさんの方が身長が高い分、攻撃は当てやすそうだな~とは思ってたんだけど」
「そこなのよね。敏捷さはレヴィさんメチャ半端なかったけど、剣の腕前は梓のお父様は別格って感じ。何度打っても当たる気しなかったんだよね~」
「そうそう。しかも受け流し際に、味方に剣を向けさせたりとか、結構えげつなかったな。すげえ勉強にはなったけど」
「そうね」
うんうん、と思い出しながらクラウンという人物を改めてすごいと認識し直した。
普段はそんな素振りみせないし、可愛らしいエプロン姿でさっさと家事に勤しむ主夫のようなイメージがあったが、紛れもなく三大騎士家の一員と謳われる人物なのだ。
三人の中で、クラウンの印象が何段階も上に跳ね上がる。
どうやらすっかり機嫌が良くなった三人を見て、更には褒め言葉までいただけたクラウンは、良かった良かったと安堵した。
「……ねえ父上。ならもしレヴィと父上が本気でやり合ったらどっちの方が強いの?」
「あ、それ気になる!」
「確かに。二人とも強いのに違いないが、どちらの方が強いかは気になるな」
「ヌハハハハ! そんなの主様に決まっておろう!」
別の話題で盛り上がる子どもたちの間に追加して、別の声が交じって答える。
いつの間にこの部屋に入ったのだろうか、話題の中心にいた片眼鏡の少年、レヴィが机の下から現れた。
「キャー! ……って、レヴィさん!?」
「おいおい。どっから登場してくれてんですか。心臓が弾けるかと思ったぜ」
「そうじゃぞレヴィ。白城家の執事として、もっと行儀を弁えんか」
そう言って執事服を着用した少女ーービヒーも、丁寧に扉を開けて姿を現した。
「すまぬすまぬ。しかし興味深い話題が展開されておったのでな。思わず、の?」
そう言って、机の中から軽快に飛び出したレヴィは、執事らしくビヒーと並んで控える。
「おかえり二人とも。予想以上に早かったね。で、どうだった?」
「うむ。万事抜かりないぞ」
「首尾は上々じゃ。期待してくれてよいぞ」
「うん。ありがとね」
「なに、主様と我らの仲じゃ。そう気遣わずともよいではないか」
「そうそう。また今度我らの為に尽くしてくれば構わぬよ。ムハハハハ!」
「たしかに。ヌハハハハ!」
執事にあるまじき言動と共に笑い声を上げるビヒーとレヴィ。
それを聞いていた大吾が、いの一番に質問する。
ここにいる全員は、何故ビヒーとレヴィが屋敷を離れていたかを知っている。
最初に聞いた時には信じられなかったが、今度開催される【精霊の舞闘会】に、精霊を招待する為に【放牧の大地】へ向かったとか。
つまり彼らが帰ってきて、その結果が上々ということはーー。
玄武は期待を込めた瞳を向ける。
「ーーレヴィさん! 本当に精霊がやってくるんですかい?」
「うむ。当日はお主らがこれまでに拝んだことのない数の精霊を目の当たりにすることじゃろうよ」
「はは、そりゃすげえ!」
その答えを聞いて大吾の気分は更に高まる。
何せ、精霊と契約を交わす機会が目前に控えるのだ。精霊の舞闘会に参加する身としては、やはりわくわくするというもの。
それは愛も同じようで、精霊と契約を交わす自分を妄想して、表情が緩んでいた。
「ときに、我らにもお主らがさっきしていた話も聞かせてくれるのかいの?」
「レヴィと父上、どっちが強いって話?」
「そうそれじゃ。何でそんな面白そうな話になりおったのじゃ?」
「レヴィさんがいないからって、クラウンさんが直接稽古をつけてくれてよ。それでふとした疑問っつーか……」
「ほう。珍しい事もあるもんじゃな。まさか主様自らお嬢様たちに稽古をつけてやるとは」
「まあ……たまにはね」
「そうそう。話を戻すと、我らと主様との実力差じゃが、さっきも言った通り間違いなく主
(あるじ)様の方がお強いよ」
「うむ。実際本気で戦ったことがあるでの」
「え? ビヒーさんもですか?」
「まあの。あの時は山が消失し、大地が割れ、海では大きな津波がいくつも発生したもんじゃ」
ビヒーが記憶を辿りながら当時の様子を語りだす。
しかしあまりに話が大きすぎて、当然のことながら誰も信じない。
「またまたぁ。冗談ばっかり」
「ムハハハハ! そうかいの? 歳をとるとどうも忘れっぽくていかんわい」
軽く流したものの、ビヒーが語った武勇伝は真実である。
それを知る悪魔三人は、子どもたちに合わせるようにして陽気に笑うと、話を戻す。
「ともかく、主様はお主らが思っとる以上に強い御方じゃ。仮に我ら二人がかりであれば、勝てる可能性があるかもしれぬがの」
「……そんなに強いんだ。父上って」
嘘偽る様子のないビヒーとレヴィの言葉に、梓はクラウンをじっと見つめる。
その瞳にどんな感情が込められているかは分からないが、それでもクラウンにとって嬉しいものであることには違いないだろう。
自分のことを褒めてくれた二人に感謝したい気分だ。
とはいえ、時には謙虚さというものも必要だ。
持ち上げてくれたのも嬉しいが、持ち上げられっぱなしというのもいかん。大人の対応としてクラウンは率直な意見も述べる。
「ありがと、梓ちゃん。でもね、強さっていうのは一括りで判断できるものじゃないんだよ?」
そう言うとクラウンは、三人を見て続けた。
「例えば確かにビヒーやレヴィと戦えばボクは勝つ自信がある。でも、それはあくまで相性というものが存在するからにすぎないんだ」
「ーー相性?」
「そ。例えばボクは避けるのが得意! そしてビヒーやレヴィはその外見からは想像できないほど力持ち! いくら力が強くても当たらなければ意味がない。そうでしょ?」
「…………父上って、例えがあまり上手ではないのね」
予想の斜めをいく返答に、クラウンの眼鏡が思わずズレ落ちる。
折角上げた評価が下降した瞬間だった。
それでもめげずにクラウンは続ける。
「あはは、手厳しい……。そうだなぁ。他にも接近できない場所で剣と弓で戦うとなったらどっちが有利だと思う?」
「そりゃあ弓でしょ」
「だよね。まあボクの言いたいことは、レヴィやビヒーがボクに勝てなくても、ボクが勝てない相手には勝てるかもしれないってこと」
「なるほど。だから一括りには言えないってことか」
「そういうこと」
「ね、ね。じゃあさ、愛さんもふと疑問に思ったんだけど、仮にビヒーさんとレヴィさんの二人が戦ったらどっちが勝つの?」
「あ、それはーー」
と何故かクラウンが止めようとした時にはもうおそい。
二人はいつものように笑うと同時にこう答えた。
「「そんなの決まっておろう」」
声を合わせて一拍置くと、ほぼ同時に声を揃えてこう言った。
「「我じゃ!」」
ビシッと親指を自らに指しつける。
賑やかだった食卓は静寂に包まれる。
(おい。ココ笑うとこなのか?)
(へ? 愛さんに聞かれても分かるわけないじゃない!)
(お前が言い出したんだからお前が収拾つけろよ!)
(いやよ! 何で愛さんが? ーー助けて梓!)
(私!? 無理無理。どうすればいいの?)
机上ではコソコソとそんな会話が見られていた。
物音ひとつしなくなったこの場では、そんな小さな囁き程度のやり取りも丸聞こえにも関わらず。
だがそんな三人の緊張を待たずして、小さな少女と少年は動き出す。
「おやおや。歳をとりすぎてどうやら呆けてしまったようじゃな、この爺は……」
「やれやれ。過去の敗北をよもや無かったことにしようとは、耄碌しているようじゃな、この婆は……」
ガチンと額をぶつけ合って、微笑みながら互いを牽制しあう。
クラウンが恐れていたことはコレだ。
パッと見はただの子どもの喧嘩にしか映らないが、彼らの正体は悪魔。
その名も【陸を支配する巨大象】と【海を支配する大海蛇】と呼ばれる超巨大な悪魔であった。
もし仮に彼らが元の姿で暴れだしたとすれば、この屋敷どころか国そのものが崩壊しかねない。
それだけは何とか阻止しなければならない。
「あれはお主が有利な海上での戦いだったじゃろうが! 陸であれば一度叩きのめしたことがあったじゃろ!」
「そんな大昔の事はとうに忘れてしまったのう。お主の妄想ではないのか?」
「ハン! 無かったことにしようというのか。随分と都合のよい頭よな。じゃが我の頭の中では鮮明に思い出すことが出来るぞ? 何なら今ここで赤裸々に語って思い出させてやろうか?」
「上等じゃ! 表に出るがよい糞婆!」
「望むところじゃ! 糞爺!」
「はいはい。そこまで!」
これ以上は不味いと、いつの間にか席を立っていたクラウンが二人の頭に拳骨を落とす。
ゴンと鈍い音が響いて、二人は頭を抱えながら蹲る。
かなり痛そうだ。
「「ぉぉぉぉぉぉ………………」」
少し涙目でうめき声を上げていた。
「全く、いい歳して子どもたちの前で喧嘩しないで二人とも。ほら、みんな困ってるでしょ」
「す、すまぬ……」
「お恥ずかしいところを見せてしもうた」
「あとみんなも。この話題は今後二人の前では禁句ね。すぐ熱くなっちゃうから」
「ご、ごめんなさい」
「う、ういっす!」
「……分かったわ」
家の外にまで渡りそうだった炎は何とか消火することに成功し、元の食卓が戻ってきた。
ただし、今までで一番物静かな夕食となったのは言うまでもないだろう。
部屋には机に並んだ料理が消えるまで、咀嚼音と喉を鳴らす音しか聞こえることはなかった。




