第十一話:自動人形その弐
「『おーとまとん』……? 何だそりゃ?」
耳にしたこともない単語に、大吾は首を少しだけ傾げる。
大吾だけではない。それはおそらくほとんどの人間が知るはずもない存在だった。
「そうですね。分かりやすく言えば一定の意思を持った人形ーーとでもいえば分かりやすいでしょうか?」
グラムはそう言って端的に自分という存在を説明する。
「『意思を持った人形』ーーって、すげえなオイ」
「お褒めに預かり光栄です」
「つまりはその人間離れした力も、そもそも人間とはつくりが違うから当然ってわけだ」
「そういうことです」
「だが……人間じゃないってことは、もしかして精霊術は使えないんじゃないか?」
大吾は徐に推測を口にする。いや、推測というよりも願望に近い。
ただでさえ人間離れした力がある上に、精霊術なんか使われるといよいよ勝ち目が薄くなってくる。
出来れば予想が当たってほしい。当たらずとも、少しでも生還率を高めるために情報を聞き出しておきたい。そんなところだろう。
「ええ。正解です」
グラムはそんな大吾の思惑を知らないままに、あっさりと自分の情報を吐き出した。いや、もしかしたら知っていたとしても易々と喋っていたかもしれないが。
そして付け加えるようにこう続けた。
「ただし私を動かしているのは姫様と創造主より供給された魔力によるもの。自身に流れる魔力を操作することは可能です。例えばこのようにーー」
そう言ってグラムは大吾に掌を向ける。
一体何だと何だと大吾はその向けられた手を凝視するが、何が起こるかは次の瞬間に予想がついた。
グラムの手がぼんやりと発光し始め、そしてーー
「もしかしてーーッ!?」
大吾はすぐさまその場を飛び退いた。
一気に光色が弾けたかと思えば、グラムの掌から光体が射出された。
パッと光っただけで、それがどんな形をしていたのかは分からない。球体だったのか、楕円形だったのか、鏃のような形だったのかーーともかく何かが飛んできたのだけは分かった。
何せさっきまで大吾が立っていた場所の背後にあったはずの壁が焼け焦がれたように弾け飛んでいたのだから。
悪い方の予想はよく当たる。大吾は間近で起きた爆発音に耳をキンと痛めながらつくづくそう感じた。
だが自身の第六感には感謝しなければならないだろう。野生の勘といってもいい。言い方は何でも構わないが、それが無ければ今頃弾け飛んでいたのは自分だったかもしれないのだから。
そんな五体満足に生きているグラムは、一人また別の感情を抱きながら言葉を漏らした。
「……すごいですね。今の攻撃を避けるとは正直思ってもいませんでした。貴方こそ本当に人間なのですか?」
「生粋の人類だっつーの馬鹿野郎め」
「申し訳ございません。ただの人間にあの魔力弾を避けられたのは初めての経験だったので。……ですが、もう一度撃っても避けられますか?」
「ちっ!」
正直勘を頼りに避けきる自信など大吾には無い。
目にも止まらぬ魔力弾。ただの兵士が武装していたあの武器の攻撃だって見えなかったのに、グラムが撃つ魔力弾を捉えられるわけがない。
それに、そろそろ時間もない。
それを瞬時に判断した大吾の行動は早かった。すぐさま大剣を握り、グラムとの距離を詰め寄る。
「正しい判断です」
グラムがそんなお世辞ともとれる言葉を放つが、いちいち応えてやる余裕もない。
「どおラアッ!」
雄々しい声と共に剣を振りぬく。
【戦技・一刀両断】
迷宮を彷徨う牛悪魔の肉体を切り裂いたこの一太刀ならば、おそらくグラムの肉体ーーというには語弊があるかもしれないがーーをも傷つけることができるだろう。
ただし勿論当たりさえすればだが。
「その戦技は脅威ですね。残念ですが先ほどのように受け止めるわけにはいきません」
そんな余裕の口調で、大吾の一太刀を優雅に回避する。
正直、最下級精霊としか契約していない大吾にとって、使える精霊術や戦技はどれも効率の悪いものばかり。
風を切る音と共に、一太刀、二太刀と剣を振るう度に魔力がどんどん減っていく。
「やはりそう簡単にはいかねえかッ!」
大吾はそう言いながら、魔力を使うのを止める。
「懸命な判断です」
「うるせえよ!」
だが剣を振るうのはやめない。
接近戦であれば先ほどグラムが放った魔力弾は自身も爆発に巻き込まれる可能性があると踏んだからだ。相手に遠距離からの攻撃があると分かった以上、それだけは避けなければならない。
だからといって無闇に剣を振るっても攻撃が通るわけでもないのだが、それでも相手の手数を減らすことが生存時間を延ばすための唯一の方法だと考えて。
しかし時間を延ばしても魔力が枯渇して終わり。絶対絶命であった。
そしてグラムもそれには気づいているようで、避けながらも諭すようにして喋りかける。
「ですが剣を振るう速度も先ほどと比べても遅くなってきていますね。そろそろ魔力が底をついてしまうのではないのですか?」
「だからうるせえっての!」
それでも大吾は剣を振るうのを止めない。
これこそが大吾の僅かな可能性に賭けた、唯一の選択だったのだから。
「……見るに堪えませんね」
グラムは薙ぎる様に振るわれた大吾の大剣を躱すと同時に、大吾の眼前へと迫る。
そして胸元に手を置くと、そっと壁まで弾き飛ばした。
グン! と大吾の身体は地を離れて勢いよく壁に背中を叩きつけられてしまう。
「ーーガッ!」
今度はその衝撃に耐えられず、口から内容物を吐き出してしまう。
口内も切ってしまったようで、血も混ざっていた。
「申し訳ございません。苦しめてしまったようで」
グラムはそんなボロボロの大吾を憐れむような言葉を口にする。
「ーーゲホッ。思ってもいねえことを。ちっともそんな顔してねえくせによ……」
「……申し訳ございません。表情を操作する練習はしていませんでしたので。ーーですが、これで本当に終わりにして差し上げます。人間の急所たる心臓に放ち、止めとしましょう」
グラムの手に再び光が灯る。少しずつ光度が集束されていくように。
一方の大吾は本当に足が動かない様子。今度こそ本当に避けることは出来ないのだろう。
ーーなのに大吾は笑っていた。
「さようなら」
「ーーアンタがな」
まるで待っていたといわんばかりに微笑む大吾。
グラムにもっと人を疑うということが出来ていたのならば、もしかしたら結果は違ったのかもしれない。
しかし現実にグラムはそんな大吾の表情の裏に潜む企みを読み取ることは出来なかった。ただの苦し紛れ、あるいは諦めの微笑だと取って捨てるように考えたのかもしれない。
パッと光が放たれる。
当然、大吾はその魔力弾を目で追うことも、ましてや脚で避けることなど出来ない。
ただ、来る場所さえ分かっていれば対処できる手段が一つだけ残されていた。
大吾は自分の心臓を護るように剣を横に浮かした。
そして、残された魔力を全て注ぎ込み、自身が誇る最高の防御技を発動する。
【戦技・跳撃】
大吾の持つ大剣が青く輝き、刀身全体に纏わせる。
それはグラムの放つ魔力弾に呑み込まれそうなぐらい弱々しいものではあったが、効果の程は全く別である。
グラムの宣言通り、大吾の心臓目掛けて放たれた魔力弾は見事に大剣へと直撃。大吾の手には想像を超える衝撃が身体を奔るが、それでも手を放すわけにはいかない。
【戦技・跳撃】の効果は、刀身に触れた攻撃を弾き飛ばすーーたったそれだけの戦技。
しかしーー遠距離からの攻撃であれば反射をも可能とする。
刀身へと直撃した魔力弾は大吾の思惑通り、真っすぐそのままグラムへと反射した。
その速度は放たれた時と同様、目にも映らぬ速さだった。
大吾の目に映ったのは魔力弾衝突による爆発の瞬間と、その後に蔓延した煙。
「やった……のか?」
次第に晴れていく視界。
そしてその結果が現れる。
「……『油断』…………という言葉はこういう時に使うものなのですね」
「ッ!?」
その声の主は当然グラムであった。
しかしその姿は先ほどまでの五体満足という言葉ではとても言い表せない様子となっている。
左足は捥げ、膝の断面からは金属部分が露出し、両の手もあったはずの皮膚がずる剥けになっていて、同様に銀の光が露出してしまっていた。
その姿を見て、大吾はようやく本当に人形だったのだと理解した。
「形勢逆転だな」
「……いいえ。確かに機動力としては大幅に減少してしまいましたが動けないわけではありませんので。それにーー」
グラムは片手を支えとしながら、三度大吾に掌を向ける。
人間であれば間違いなく動くことさえできない状態だ。しかしグラムは人間ではない。あいも変わらない無表情のまま大吾に照準を定めた。
「幸い魔力炉も健在ですので、魔力弾もまだ放てます。一方、貴方は今度こそ身動きできないように見えますが?」
グラムの言っていることは正しい。
大吾自身、もはや自分の剣を持ち上げることさえ叶わない。魔力も底をついた。
だがそれでも大吾は笑みを浮かべながら勝利を宣言する。
「……ったく、さっきも言っただろうが。もう忘れちまったのかよ、別れの言葉をよ」
「何を……?」
「『さようなら』ーーってな」
ギャンッ!
大吾が繰り返し放った言葉と同時に、グラムは自身の身に違和感を覚える。
照準を合わせていたはずの掌が、ゆっくりと大吾から離れていく。
「……?」
グラムには痛覚が無い。だから自分の身に攻撃が加えられたという事実を知る速度は人間よりも遅かった。
そして上半身が胴体よりズレ落ち、床へと倒れた時点で自身が切断されてしまったという事実に気づいた。加えて、床に映る巨大な影の形から誰が自分を切断したのかも。
「ーー成程。今度こそこれが『油断』というものなのですね。さっきの音は私が切られてしまった音……。そして『形成逆転』ですか…………。成程成程ーーお見事、です…………」
その言葉を最後に、グラムはようやく沈黙した。
シンと静まり返った空間に佇む巨大な影ーー迷宮を彷徨う牛悪魔を見て、ようやく大吾は安堵の息を吐いた。
「ーー遅すぎるって、ミノの旦那」
「フン」
馴れ馴れしい口調にはまだ慣れないが、それでも一応人間に救われてしまったという事実がそんな大吾の言葉遣いを許してしまう。
沈みゆく意識の中、大吾が放った『仲間』という言葉。むず痒いが、悪くはない。そんな悪魔らしからぬ感情が芽生え始めているというのに、迷宮を彷徨う牛悪魔は文句を言うことなく動けぬ大吾を担ぎあげた。
これが大吾が見出した、たった一つの勝利への道筋。
【一刀両断】を用いた短期決戦でもなく、相手の魔力量を減らし、油断をつく持久戦でもない。迷宮を彷徨う牛悪魔が目を覚ますまでのただの時間稼ぎ。
全ては終着点をそこに持っていくために大吾が描いた道筋であった。ただいくつか予想外なことは起こったのだが、それでも賭けには勝った。
迷宮を彷徨う牛悪魔の広い肩に担がれながら、命拾いしたことを改めて強く実感した。
「でもおかげで助かった。感謝するぜ」
「ソーーソレガ私ノ仕事ダ」
『それはこちらも同じだ』
そんな台詞はまだまだ迷宮を彷徨う牛悪魔には早すぎる。言いなれない言葉は喉元でせき止められ、すぐにいつものような言葉を返した。
言い淀んだような迷宮を彷徨う牛悪魔の喋りに特に気にすることもなく、大吾は揺られながら静かに目を閉じた。
枯渇した魔力。限界を超えても酷使したボロボロの身体。流石の大吾も限界だったようだ。
意識を手放した大吾を確認すると、迷宮を彷徨う牛悪魔は図体に似合わない掻き消えるような声で囁いた。
「ーー感謝スル」
口にした言葉は外の風によって運ばれて、誰の耳にも入ることはなかった。