第八話:救出作戦その肆
「お喋りはここまでだ」
迷宮を彷徨う牛悪魔はそう言うと、一つの扉の前で歩を止めた。
ということはここが梓たちが囚われている場所なのだろう。大吾はその一言でそれを理解した。
それでも腑に落ちないのが囚われている場所。綺麗な装飾が施されている扉はまるで客室。人が囚われている場所とはまるで思えない。しかも見張りの一人も立っていないのだから怪しすぎる。
大吾がその不安を顔に出すと、その理由を迷宮を彷徨う牛悪魔は小さな声で口にした。
「小娘共の匂いは確かにこの部屋から出ているものだ。ただーーそれと一緒に別の人間どもの匂いが零れている」
「……ってことはこの部屋に残りの全兵力が待ち伏せしてるってことか?」
「そういうことだ」
「で、どうするんだミノの旦那? ならもう気づかれずにーーなんてことは不可能だぜ?」
「ふん。決まっている。ここから先は大暴れするだけだ」
迷宮を彷徨う牛悪魔はようやく暴れられる、と目を楽しそうにぎらつかせる。
その表情を見て大吾も覚悟を決めた。
「ーーしかないか。よっし! いっちょ大暴れするか!」
大吾がそう言って背負っていた大剣を抜き、突撃を構える。
そして迷宮を彷徨う牛悪魔は扉に手をかけると、勢いよく開け放った。
「駄目ッ!」
その声はどちらの少女が放ったものだったのだろうか。
無数に鳴り響く発砲音によってその声は一瞬にして掻き消されてしまった。
迷宮を彷徨う牛悪魔はその声によっていち早く危険を察知すると、すぐさま大吾を庇うようにして扉横の壁に飛び退いた。その一瞬の判断が大吾の命を救った。
廊下にまで蔓延る白い煙に火薬の臭い。
大吾は何が起きたのか全く理解出来なかった。
ただ自分の手についた迷宮を彷徨う牛悪魔から出る血液によって、ようやく攻撃されたということに気づいたのだ。
「ミ、ミノの旦那ッ!?」
倒れ俯く迷宮を彷徨う牛悪魔に、大吾は慌てて声を上げた。
しかしその状態を確認する暇もない。さっきの扉からはすぐに筒のようなものをもった兵士が数名飛び出してくる。奴らがもっている筒状の物がおそらく武器なのだろう。
大吾は一瞬でそれを悟る。そしてそれは正しいようだ。倒れた大吾たちに、兵士たちが持つ筒状のものが向けられる。
そしてさっきの音が響くよりも一瞬早く、起き上がった迷宮を彷徨う牛悪魔は再び大吾を抱えて廊下角の壁際へと飛び込んで隠れた。
チラッとさっきまで自分たちが倒れていた場所を見てみると、石の床に小さな穴がいくつも空いていた。
「やれやれ。人間の武器も進化したものだな」
「ミノの旦那! 大丈夫なのか!?」
身体に空いた穴から止めどなく流れ出る紅い血に、大吾は体温が一気に下がったのを感じた。
もし人間であれば間違いなく即死。それだけの血液が床の隙間を流れ、溢れるほどに出てしまっている。しかし迷宮を彷徨う牛悪魔は悪態こそつくものの、問題ないといわんばかりに立ち上がった。
「この程度ならば致命傷にはならん」
「良かった……。あとーー助けてくれてありがとな」
「ふん。貴様を生かして帰すことも私の仕事の内だ。感謝する必要などない」
「それでも、だ。ありがとな。ミノの旦那」
悪い気はしない。
慣れない感謝の言葉に迷宮を彷徨う牛悪魔はそんなことを思ってしまった。
いや、それはきっと良い事なのだろう。破壊と殺戮しか知らない悪魔が人間と関わり合うことで少しずつ変化を遂げている。悪を崇拝し崇高し遂行する悪魔にとっては、そんなこと思うこと自体恥じるべきもなのだろうが。
だが迷宮を彷徨う牛悪魔は、少しずつ変わってしまっている自分自身を不思議と嫌だと感じることもなかった。
今体中を走る殺戮衝動の高揚感からか、それともーー。
「ではその分はしかと働けよ人間」
しかし今は戦場。迷宮を彷徨う牛悪魔はそんな人間臭い感情などどうでも良いと、いつものように放り投げる。
「当然! ただーーあの遠くから攻撃してくる武器はちょっと厄介だな。相性が悪すぎる」
「確かに私を穿ったあの攻撃は、この私の目をもってしても微かにしか映らなかったからな。人間の貴様では矢面に立ったところで一たまりもないだろうな」
「オイオイ。じゃあどうするよ?」
「ふん。確かに厄介ではあるがそれを扱うのは所詮矮小な人間の身だというのに変わりはない」
そう笑みを見せると、迷宮を彷徨う牛悪魔は元の姿へと戻った。
先の人間の姿とは比べものにはならないほど逞しい肉体へと。そして赤く染まった眼球が大吾を見下ろして一言。
「少シソコデ待ッテイロ、人間」
頭に直接落ちてくるような声を残して、迷宮を彷徨う牛悪魔は拳をゆっくりと引く。
そして待ったなしに勢いよくその拳を壁に叩きつけた。
厚い石の壁は簡単に崩れ落ち、大きな穴をあける。その穴に続くのは先ほど突入しようとした部屋。
迷宮を彷徨う牛悪魔の眼下に映るのは三十名ほどの、同じような武器を持った人間と、追ってきた今回の目的の匂いの主である梓と愛の姿。
どうやらこの部屋は客室に間違いはないようだ。少し人口密度がある分、部屋を狭く感じさせるがどれもこれも綺麗な机や椅子が並べられている。ただ無粋にもその隅には小さな箱型の牢が設置されており、その中に二人は囚われていた。
迷宮を彷徨う牛悪魔の姿を見るのは初めてではない。だからこそ二人の顔には面白いほどに「何でコイツが!?」という言葉がかかれているように見えた。
逆に迷宮を彷徨う牛悪魔の姿を一度も目にしたことがないセスバイア法王国の兵士らは、恐怖で引きつったような顔をしながら唖然とその図体を見上げている。
痛くなるような発砲音から一転、部屋は静けさに満ちた。
「ドウシタ? カカッテコナイノカ人間ドモ?」
その殻を破るようにして迷宮を彷徨う牛悪魔は挑発する。
それが合図だ。
この化け物は一体何処から湧いて出た? と、恐怖の叫びを喉の奥から出しながら兵士らは引き金を引き、攻撃を再開した。
だがさっきとはまるで状況が違う。
迷宮を彷徨う牛悪魔がさっきまでとっていた軟な人間の姿などではない。刃さえ通さぬ分厚い硬質な皮膚を持った本来の姿だ。弾丸は先の様に貫くこともなく、分厚い皮膚の鎧によって弾かれる。
もはや迷宮を彷徨う牛悪魔にその武器は通用しない。
それでも兵士らは一心不乱に打ち続けるがーー迷宮を彷徨う牛悪魔の歩が止まることはない。
そして兵士たちの眼前の位置でようやく静止したかと思うと、一番近くにいた人間に見下ろしながらこう言った。
「次ハコチラカライク。簡単ニ死ンデクレルナヨ?」
そこからは一方的な暴力だった。
まるで蚊を撃ち落とすように払う手で鎧を着た人間が壁に叩きつけられる。掴んで放る、それだけで人間が玩具のように飛び跳ねて壊れる。
全力を出すまでもない。草むらをかき分けるように、ただゆっくりと邪魔な物を取っ払うような作業。ただそれだけ。
それほどまでに人間と迷宮を彷徨う牛悪魔という悪魔の間には肉体的差があった。
数分とかからず、部屋に静けさが戻る。それを遠目に眺めていた大吾は改めて思ったことを口にした。
「ほんと、ミノの旦那が味方で良かったぜ」




