第八話:救出作戦その弐
梓と愛の救出作戦はこうだ。
二日後には戦争が始まる。セスバイア法王国が兵を挙げてローランド法王国に攻め入ってくるだろう。そうすれば幾らかの戦力は外に出された分、中は手薄となる。
その隙をついて、迷宮を彷徨う牛悪魔が大吾を担いで一気に愛と梓のもとへ。場所はおそらく匂いで辿れるはずだ。
その際に警備する者がいれば即刻排除。その後は速やかに脱出し、ローランド法王国へ帰国するという算段である。
ただしこれにはタイムリミットが存在する。厳密にいえば懸念すべき点。
ーーそれは何か。
セスバイア法王国を迎え撃つは法王聖騎士軍の第一騎士団及び第二騎士団。
今の敵の戦力はどれほど巨大なものかは、クラウンも前の戦争に参加した権太にも知り得ないことだ。しかしながらローランド法王国が誇る最高戦力の二名が率いる騎士団がそう易々と敗北する姿は想像出来ない。
逆に押し返して、そのまま勝利の旗を掲げてくれるやもしれない。
それはそれで重畳ではあるが、唯一懸念なのはそうなった時のセスバイア法王国が取る行動である。
つまり梓と愛という存在を公に晒すことで、立て直しを図るのではないのだろうかということ。
だがそうなった場合、間違いなくローランド法王国は二名を切り捨てるだろう。もし梓や愛が聖騎士学校に通わないーーつまり騎士の道を歩まぬ民であれば効果があるのかもしれないが、二人は民を護るべき存在。その身を賭して勝利への貢献となることだろう。
そう考えるとセスバイア法王国がはじめから人質を前面に押し出してこないのは僥倖ともいえる。
ならば決着が着く前には必ず二人を救出する必要がある。
そして二人の救出が為されれば、セスバイア法王国が送りつけてきた条件を律儀に守る必要もなくなる。
万が一法王聖騎士軍が敗北してしまったとしても、クラウンは戦争に参加することもできるようになるのだ。つまり存分に護りに専念することができる。
大吾は作戦の概要を頭で何度も反芻しながら、馬車に揺られる。
あの後すぐに白城家に避難してきた民衆の受け入れが始まり、大吾と迷宮を彷徨う牛悪魔ーー御者はすぐに出立した。
今馬車が走っている道は、通常セスバイア法王国へ向かう道ではない。その道はおそらくセスバイア法王国の兵士が行軍することだろう。だから大吾たちはその道を外れ、やや遠回りではあるが外側よりセスバイア法王国を目指していた。
「ーーお前さんは休まなくてもいいのかい?」
大吾は朝から馬を操り続けている御者の男に声をかけた。
確執はあったが今は互いに一つの目的の為に行動を成す仲間。休みなく朝から馬車を走らせてくれている悪魔に対して、一応心配の声をかけた。
「不要だ」
素っ気無い一言で返ってきた。
「……そうかい。でもよ、今は同じ目的を果たそうとする仲間なんだし、もう少しその威圧的な態度はどうにかならねえのか? 確かに同じ種族の奴を殺しちまったから恨みもあるだろうけどよ」
「勘違いするな。悪魔は力こそ全て。人間に敗れたあの馬鹿が悪い。だからお前たちを恨んでいるなんてことはない」
「だったら何でそう高圧的な態度になるのかね?」
「何故自分よりも矮小な存在に媚び諂う必要がある? お前が強者であったり、契約者であるならば別だが」
「ああ成程。そういうことね」
強者を尊敬する気持ちは大吾にも理解できる。ならばそういことなのだろう。
大吾はそれ以上、意見を言うこともなく納得した。
何せ迷宮を彷徨う牛悪魔は強い。一度倒した個体であればようやく一人で戦える程度にはなってきてはいるが、目の前にいる個体はその倍程度の強さを持つという。
とてもじゃないが今の大吾ではとても敵わないだろう。
大吾自身そう捉えているので、それ以上迷宮を彷徨う牛悪魔の物言いに文句をつけることもしなかった。
「じゃあそれはもういいとして、かなり個人的な疑問なんだけどよ、その服どうなってんの?」
「……『服』?」
その服ーーとはつまり御者の男が来ている服を指しているのだろう。
人間形体となっている迷宮を彷徨う牛悪魔は、視線を落として自分の着ている服を見る。
「どういう意味だ?」
「いや、朝に怪物ーーってか本当の姿? まあ言い方は分からないんだが、あの姿になったとき、あんなに巨大化したってのに着ていた服が破れることもなく何か気づいたら消えていったじゃんよ? 逆にその姿に戻ったときは服も元通り普通に着ていたし、どういう仕組みなのかなーって疑問に思ってよ」
「ーーくだらん」
迷宮を彷徨う牛悪魔は心の底から思った言葉をそのまま吐き出した。
「そう言うなって。少し位会話に付き合ってくれよ」
「……まあ、脆弱ながらも同種を屠る程度の力はあるか……。いいだろう。最低限の力ある人間と認めて話してやろう」
特に断ることに固執する理由も無かったので、暇つぶしとして迷宮を彷徨う牛悪魔は大吾の希望に沿ってやることにした。
「今着ている服は魔力で創ったものだ」
「へえ。そんなこともできるのかよ」
「悪魔と人間の優劣を決定する一つだからな。悪魔は人間と違って、精霊を介さずとも魔力を自在に操ることができるのだ」
「てーことは、魔力さえあれば何でも思い通りのことが出来るってことか?」
「理論上は、だ。しかし魔力の操作力は悪魔によって差もあれば、魔力量によっては出力も全く異なる。だから現実には得意とするもの以外は器用貧乏といったところだ」
「そういうところは人間とあまり大差ないのな」
「…………」
拗ねてしまった。
「いや、悪かったって。もう少し話続けようぜ」
「……言葉遣いには気をつけるんだな、人間」
「はいはい。了解しやした。ーーで、アンタは何が得意なんだ?」
「一度貴様らが倒した同胞を覚えているだろう? 単純な身体強化だ」
「ああ、アレか。おっかないやつね」
大吾は倒したもう一体の迷宮を彷徨う牛悪魔を思い出す。茜色の気を纏った化け物の姿を。
ただでさえ桁外れの悪魔の身体能力が、限界を一つ飛び越えて強化されたのだ。梓と愛は一度その暴力の前に抵抗空しく無力化されてしまったのだがーー今思うと、勝てたのが本当に奇跡のように感じる。
「あんなものよりも出力も持続時間も違う」
「……マジかよ。そいつは頼もしい限りだわ」
大吾は恐れを抱くと同時に、安心を覚えて本音を漏らした。
そんな会話をしてる間にも車輪は回り続け、目的地へと徐々に近づいていく。
日も暮れていき口数が減った頃、御者である迷宮を彷徨う牛悪魔が珍しく自分の方から喋りだした。
「ーー見えてきたぞ」
何が見えてきたのか。そんなもの聞き返すまでもない。
大吾は走行中の馬車の扉を開けると、身を乗り出すようにして前方を眺めた。
他の国に行った経験は無かったが、大吾の双眸に映る風景はそこがどこだかすぐに理解した。
「ーーあれが……セスバイア法王国」
ローランド法王国と同じく、天へと昇り行こうとする石塔。
法王の大地にある法王国全てに自国と同じ様な塔が存在するとは聞いたことがあるが、実際目の当たりにするのは初めてである。
「そっくりだな」
大吾は率直な感想を漏らした。
といっても、大吾の言葉が指しているのは法王の塔のみ。他はまるで違う。
ローランド法王国はどちらかというと自然と調和した国といったイメージで、特に顕著に表れているのが白城家が統治している北部なのだがーーそれぞれの区間は自然を尊重した道で繋がっている。
しかし大吾の目に映る国には自然というものが欠片も見当たらない。
その広い国土全てが人工の建築物で埋めつくされており、良く言えば文明が進んだ国、悪く言えば自然の無い空気の悪そうな国といったところだろうか。
大吾はどちらかというと後者のイメージが強く、ローランド法王国で生まれ育ったことを静かに感謝した。
そんなことを思っていると、大吾の視界に揺れ動く無数の灯火が目に入ってきた。
「ん? 何だありゃ?」
暗くなっていることもあり遠くて肉眼では確認できない。ただその灯りの近くで土煙が生まれている程度は見ることができた。目を凝らすようにして見てもそれ以上は分からない。
代わりに迷宮を彷徨う牛悪魔が夜目を利かせて、目に見えたものをそのまま大吾に伝える。
「ーー騎馬だな。それも武装した人間の乗った」
「は? 何でまたこんな時間に……?」
「少数ならば何か事件でもあったのかとも考えられるが、明らかに数がおかしい。万を超えている」
「おいおい! ーーってこたぁ、もうローランド法王国に向かってるってことかよ!?」
「……どうやらそのようだな」
「戦争は二日後だろうが! こんな時間に騎馬で出れば明日の早朝までには着いちまうぞ!?」
「狡い人間がやりそうなことだな。同盟破棄、開戦日の偽り。実に脆弱な人間らしい」
迷宮を彷徨う牛悪魔は薄汚い手段を見事見事と笑い始める。
「笑ってる場合かよ!」
「好都合ではないか。おかげで既に警備は薄くなっているのだ」
はじめは機会を窺い待機する予定だったが、時間短縮にもなったと迷宮を彷徨う牛悪魔は嬉しそうにそう語った。
それに不意打ちを戦略としたセスバイア法王国からすれば、逆に奇襲されることは考えてもいないだろう。警備の意識が外に向いている以上、侵入を試みようとしている大吾たちとっては都合がいい。
事は既に起きた。ならばこの機会を逃すのは愚策というもの。
大吾はケラケラと笑う迷宮を彷徨う牛悪魔の言葉で無理やり自分を鼓舞すると、覚悟を決める。
「ーーったく。しゃあねえ。こうなりゃ……とっととやるっきゃねえか!」
そして迷宮を彷徨う牛悪魔と同じように歯を見せて笑った。