第六話:囚われた二人その壱
「ーーさ!」
微睡むぼんやりとした視界の中、梓の耳に声が響いてくる。何度も何度も、誰かを呼びかけるかのように。
「梓ってばッ!」
「ーー!?」
それが自分を呼んでいた声だと気づいた時、ようやく梓の脳が再起動する。
「……ここは?」
まず目に入ってきたのは正面に立ち並んだ鉄製の格子。
太くも所々に錆びを見せるその棒は、厳重というよりも古きを感じさせる。それでも腐っても太さを持った鉄。並外れた怪力の持ち主であっても易々と破壊することは困難であろう。
そして四肢を動かそうとした瞬間に気づく。両手首両足首にはご丁寧にその本数の分だけ鎖が架せられており、のびた鎖は釘で壁に打ち込まれ、完全に行動を束縛していた。
ーーそう。その鉄格子の中にいるのが自分だった。
「良かった! 気が付いた?」
「……愛?」
そしてその横を見ると、自分と同じように鎖で固定された親友の姿。心配そうに梓の方を眺めていた。
「たしか……」
そこでようやく目を覚ます前のことを思い出し始める。
帰路に着き、甘味処へ行き、お菓子を食べ、帰ろうとしたところで悲鳴を聞いて、すぐその現場に向かって、それからーー
「ーー思い出した?」
次第に記憶が戻る中、愛がそう小さく確認した。
「ーーええ。でも何で私は気絶してしまったの?」
「それはーー愛さんたちは騙されちゃったってわけ」
梓よりも少し早く目を覚ました愛はそう結論付けていた。
「どういうこと?」
「つまり、あの男と助けを呼んでいた女の子はグルだった、ってこと。梓を気絶させたのは多分あの女の子。私もその後すぐ気絶しちゃったんだけど、その時あの子が笑ってるのを見たから多分そうだと思う」
梓は黙る。親友の推測は疑ってはいない。おそらくそうなのだろう。確かに、首筋に衝撃が奔ったのは覚えている。であればその後方にいたあの少女が手を下したと考えるのが自然だろう。
しかしそこで疑問が残る。これは明らかな計画的犯罪。だとするとーー
「ーーじゃあ何で私たちを狙ったのかしら?」
梓は残った疑問を口にする。
「それが愛さんにもさっぱりーー」
「ーーそれについてはこの俺様が答えよう」
不意に、愛の言葉を何者かが遮断する。
コツ、コツ、と敷石が歩みの音を奏でる。それは単調で、ただ真っすぐに二人へと向かってくる。
鉄格子の前で灯火に映し出された姿は、警戒心を抱かずにはいられない奇怪な仮面をした男だった。
白が基調となるその仮面の中心には大きな一つ目が描かれ、その周辺で何の決まりもない赤い線がいくつも交差している。身長は高く、体格も良い。魁傑という言葉に相応しい人物とはこういった人間を指すのだろう。体躯だけならば松蔭玄武をも上回っているかもしれない。
獅子のような鬣はその男の輪郭をなぞる様にして生えそろい、雄々しさと猛々しさを兼ね備えている。この鉄格子が無ければ一呼吸の間に心臓の一つや二つ、食い破られそうな気さえ起きてしまう。いや、この男相手にこんな古びた鉄格子では紙屑かもしれない。その気になれば一瞬で命を奪われてしまうだろう。そんな重圧を二人に感じさせる。
「ーーあ、貴方は誰?」
梓は唾を飲みながら、眼前に立つ猛獣のような男にそう言葉を投げかける。
「ほう……」
男は、まるで値踏みでもするかのように身を乗り出し梓を観察する。
仮面越しでどこを見ているのかは分からないが、全身くまなく視線が這った実感だけが残った。
「ふむ。これはまた、中々如何して……」
「ちょっと! 愛さんたちの質問に答えなさいよ!」
愛は圧し掛かる重圧に抗って、声を荒げた。
しかし猛獣のような男が動じる筈もなく、今度はその声に応じて今度は愛に視線を這わした。
「へえ。なるほどな……」
「何が『なるほど』よ!? とっとと質問に答えなさいってば!」
「いや、すまんなお嬢様方。想像していた以上に威勢が良くってついつい感心しちまった。訳も分からずこんな暗い場所に四肢を固定され放置されたら、普通の少女なら泣き叫ぶのが妥当だろう? にも関わらずお前さん方は冷静に現状を分析しつつも、相手から情報を得ようと得体の知れぬ相手に会話まで試みようとしてやがる。挙句の果てにはこの俺様相手に臆病風に吹かれることもなく、勇ましく怒りまで見せたときたもんだ。面白おかしくて笑っちまうよ」
仮面の中、曇った声が大きく響く。
一体何がそんなに可笑しいのか。男が語った説明一切に理解が及ばず、怪訝にその様子を黙って眺めた。
「まあそれも白城の血を受け継ぐだけのことがあるってことだろう。女にしておくには勿体ないほど肝が据わってやがる。おっと、隣のお嬢ちゃんは白城の人間じゃなかったな」
「……私たちのことを知っているの?」
「お嬢様方の出自だけだがな。片や白城の一人娘、片や新庄の娘。とまあ俺様が知ってる情報なんてのはこれっぽっちよ。しかしそんなことを聞きたいんじゃないだろう? ここがどこで、自分たちが何故こんな薄汚い場所で拉致監禁されてるか、自分たちの現状を正しく把握し、自分たちの心の平穏を保とうとしてるーー違うか?」
「だから、さっきからそう言ってるじゃない!」
「フハハハハハ! 悪いなお嬢ちゃん。こういう性分なんだ。大目に見てくれや。しかしホント威勢がいいな、お嬢ちゃん。だがーー」
「いいからさっさと話しを進めなさーーッ!?」
愛がそう叫び終えようとしたところで、男の纏っていた雰囲気が変貌する。
(な、何!? この感じーー!?)
愛が感じたのは恐怖、畏怖ーーそんな言葉では生易しい。明確な身の危険、自らの死を予感させた。
愛は初めて体感する本当の惧れに一瞬呼吸が出来なくなってしまい、口にしていた言葉を途切れさせてしまった。震える、震える、歯が鳴る、逸らしたいはずの視線が外せない。手足が自由であれば自分で自分を抱きしめたい気持ちでいっぱいになる。
叶うならばすぐにでも縮こまって気を失ってしまいたい。しかし体中から発せられる危険信号と、手足を拘束する鎖がそれを許さない。
それは梓も同じだった。身動き一つ取れずに、ただ呼吸するだけで必死になる。
それでも男はその重圧を掻き消すことはない。ただただ殺気をもって、怒りをもって、悟らせるように喋り続けた。
「ーー威勢も買おう。度胸も買おう。女にしておくには勿体ないその血気盛んな姿勢も評価しよう。しかしどうだお二人さん。左を見ろ。その手は自由に動かせることができるのか? 右を見ろ。その手で抵抗はできるのか? 下を見ろ。その繋がれた足で脱兎の如く逃げ出すことはできるのか? 勇気は時に自分の限界を引き上げて奇跡を見せることもあるだろう。敵に弱みを見せるのは相手をつけ上がらせる要因にも成りかねないだろうしな。しかし手足一つ動かせないこの状況下ではそれはただの蛮勇無謀。相手を怒らせ、無抵抗のまま嬲られることを吉とするならばそれも止めはしないが、そういうわけでもないだろう? 五体満足でここを出たいなら、あまりつけあがらないようにするこった」
男は言いたい吐き出すと、暴風の如く放っていた気配を嘘のように霧散させた。
張りつめた空気から解放された二人の呼吸がようやく深呼吸できるまでに整っていく。それを見計らって、再び男が紡ぎだした。
「ーーとは言ったものの、お嬢様方は大事な人質。残念ながら今手を出すことは禁じられていてな。その点は安心するといい」
今の今まで殺気を叩き込んでおきながら、一転して『安心しろ』などとしれっと言ってのけるその男の神経は、全くもって信用することも理解することも出来なかった。
二人は警戒を解くことはなくーーといっても身動き一つ取れないのだが、唯一使えるその眼光で精一杯に威嚇した。
「やれやれ。まあその抵抗も不満ではあるが当然でもあるか」
「……貴方が言ってる『人質』って、何?」
「ほう。俺様の殺気を受けてもう喋れるか。流石は白城家。恐れ入る」
言葉とは裏腹に、表情ではーー仮面をつけているのでどうかは分からないがーーそれを一切感じさせずそんなことを呟いている。正直馬鹿にされているようにしか感じなかった。
梓は無言の睨みで、話を進めるよう訴える。
「ああ、いやすまんな。俺様はどうもお喋りでな。ついつい思ったことをそのまま口にしてしまう。ーーさて、話を戻すが、遺憾ではあるが俺様にその説明をする権利はなくてね。あくまでもお嬢様方が目を覚ましたら、ご主人様の下まで案内するのが役目なんだわ」
「……ご主人様?」
「おっと、それも含めて本人の前で質問してくれや。ーーそれじゃ今からお嬢様方の拘束を解くが、くれぐれも抵抗はしないでくれ。いや、するならするで構わんが無駄に怪我をするだけだ。ま、覚悟を決めて俺様の後ろを黙ってついてきてくれや」
そう言って、笑う。
梓と愛は、男の提案に黙って従うしかなかった。