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下級悪魔の労働条件  作者: 桜兎
第一章:初めての父親
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第十六話:下級悪魔の災難

 水分を吸収した雪が踏まれたような、そんな拉げた音がその場にいた全員の耳に届く。体液や皮膚だったモノが床に散らばり赤々と流れる。

 梓たちを苦しめていた巨体の悪魔は一瞬にして躯へと変わった瞬間だった。

 思わずその残酷な描写に梓や愛は顔をらしてしまう。大吾も思わず苦い顔をして直視しないようにしていた。


 ただ権太だけは呆然とその光景を眺め続けていた。

 自分の絶対的な自信の根源であった迷宮を彷徨う牛悪魔ミノタウロスが、一方的に屠られたことが信じられずに。何度も頭の中で「嘘だ」と反芻していた。

 しかしどれだけ頭でそう考えようが、自分が浴びた血液の温もり、頭蓋骨が踏み潰された音、血生臭さ、口に広がる鉄の味、そして横たわる死体。触覚、聴覚、嗅覚、味覚、視覚から伝わる情報全てがそれを現実だと証明される。



「こんな、こんな……っ、こんなことがあってたまるかっ!」



 それでも何もかもが信じられずに権太は答えを求めて叫んだ。少しでもこの恐れを払拭させるかのように。



「おおお、お前は一体何者なんだ!?」



 恐怖の集大成。全ての元凶。権太にとってのソレは、嘲笑うかのように現実を述べた。



「ボクは白城家の当主。ーーそして可愛い梓ちゃんの保護者だよ」



 そう言ってクラウンはまだ言い足りないのか更に続けた。



「そしてキミにとっての不運。キミにとっての最悪。キミにとっての悪夢」



 権太は、確実に死が近づいてくるのをイメージする。

 クラウンはそう紡ぎながら、恍惚とした表情で一歩ずつその距離を埋めていく。そして完全に距離が詰まった時には、その畏れに権太は腰が抜けて大きく尻もちをついてしまった。

 そして迷宮を彷徨う牛悪魔ミノタウロスの最期と同様、クラウンは別れを告げた。



「さよなら。権太くん」



 意図も容易く全てを潰すその細い足が振るわれーー



「待って!!」



 そして今まさに権太の頭を潰そうとした足がーーその声によって制止された。

 クラウンは一度足を地に戻すと、その声が投げられた方を見て尋ねる。



「どうして止めるんだい? ーー梓ちゃん?」


「……………………」



 梓は押し黙る。

 自分でも何故止めたのか分からない。仲間を傷つけられ、自分も殺されそうになった。その加害者の命を刈り取るのを止めてしまったのだ。クラウンが疑問を投げるのも至極当然のことだろう。

 自分自身でさえ咄嗟に出てしまった言葉の訳を知らないのだから。

 だから梓は自分の考えを整理する。

 沈黙で返す娘に困ったクラウンは、首を傾げながら順番に問いていく。



「彼を許すつもりかい?」



 首を横に振る。否定。権太は梓だけでなく、大切な友人にまで手をかけようとしたのだ。許せるはずがない。



「じゃあ彼を殺しても構わないよね?」



 首を横に振る。否定。殺したくない。それはハッキリと梓の心で決まっている。でなければクラウンを止めることはなかった。そのまま冷酷に見殺していたはずだ。



「……なんで彼を殺したくないんだい?」


「……………………」



 最初と変わらぬ設問に梓は改めて自分の気持ちを解き明かす。

 梓は権太を許すことが出来ない。しかし殺したくもない。何故そう思ってしまうのか。

 そして梓は、自分自身とと権太の関係。白城と櫻井の繋がりを思い出す。

 櫻井権太は祖母を陰で支え続けた功労者。祖母の亡くなった後も、時折梓の手助けをしてくれたり、自分の出来ない内政を代わりに行ってくれた人物。その裏にどんな企みがあったかは知らないが、梓にとっての恩人だった。

 その時折見せてくれた笑顔を思い出し、梓は答えを導き出した。



「確かに櫻井卿がしたことは許せないし、許すつもりはない。ーーけど父上のいない間、白城家をーー私を裏で支えてくれたのもまた事実!」



 その言葉はクラウンにとって強烈な一言。返す言葉も出やしない。

 耳を痛くしながらクラウンは梓の言葉を黙って拝聴した。



「受けた恩を仇で返す……騎士としてそんな真似出来ません!」



 梓はそう大きく主張した。

 愛や大吾もその言葉に賛同し、笑顔を見せる。自分たちにも被害が被ったというのに、二人が梓にとっての良き理解者であると垣間見えた瞬間だった。

 そんな梓の寛大な言葉に、権太も自分のしでかした過ちを恥じ、悔いた。堪えても堪えても無遠慮に流れる涙がその証拠だろう。

 なんでこんな馬鹿なことをしてしまったのだと、唇を噛み締め、鼻水を垂らし、悔いに悔いていた。

 こんな自分よりも三倍は歳が違う少女の言葉に感銘を受けて、恥も外聞もなく子どもの様に、顔面をくしゃくしゃにしながら悔いた。



「……はあ。これじゃまるでボクが悪者みたいじゃん。オッケー梓ちゃん。キミの要望通り権太くんは殺さない」



 そんな父親の言葉に、梓はまるで自分のことかのように表情を明るくした。



「ただーーきっちりと罰は受けてもらう」



 そう冷徹な声で言い切って、権太へと向き直った。

 そしてさっきの残酷なシーンが再来する。クラウンは再び足を振りかぶっていた。



「ま、待って父上! 殺さないって!?」


「うん。殺しはしない。でもそれと同等に痛みは味わってもらう」



 そう言ったまま狙いを定める。

 迷宮を彷徨う牛悪魔ミノタウロスの頭蓋骨や肉体を、まるで粘土のように潰したその足で一体今度はどこを潰そうというのか。

 人間ならば例え甲冑を装備していても、その一撃によって手足の一本や二本が簡単に引き千切れることだろう。それだけで済めばよいが、どう見積もっても肉体が弾け飛ぶ未来しか浮かばない。

 だから梓は必死で制止しようと心掛けた。



「駄目! 父上! ……ッ≪ペインLV.2≫!」



 下級悪魔クラウンを縛る奴隷魔術が行使される。

 瞬間的に襲い掛かる激痛がクラウンに走り、その動きを制止させるーーはずだった。

 だがクラウンは痛みを表情に出すこともなく、何も変わらぬ光景が梓の前に広がるだけだった。



「な、なんで!? ≪ペインLv.3≫!」



 それでも悪魔は平然としている。

 聞きなれない呪文に、愛や大吾は梓が何らかの精霊術を唱えてクラウンを止めようとしているのだとそう勝手に判断する。それが通じずに動揺しているのだろうと。

 そんな二人を余所に、梓はもしかしたら『下級悪魔クラウンと自分の関係がばれてしまうのではないのだろうか?』そんな懸念を抱く余裕もなく、構わず奴隷魔術を放った。



「やめて父上! そこまでしなくても良いでしょ! ≪ペインLv.4≫!」



 絶対的な奴隷魔術も効果を成さず、止まることのないクラウンを必死で呼び止める。

 それでも聞く耳を持とうとしない。

 次第に自分の非力さに涙が浮かぶ。

 そんな梓を見て、権太はあやすように言葉をかけた。



「……ありがとう。梓殿。ですがもうよろしい。これは因果応報というもの。自分が犯した罪は自分で拭わねばならんのだよ」



 権太はそれでも必死にクラウンに寄り縋って止めようとする梓の行動に、思わず表情が綻んでしまった。権太の本質は間違いなく悪。故にその野望のままにここまで傍若無人に振る舞ってきた。隙あらばすぐにでも梓ら子どもたちを人質にとって足掻いていただろう。しかしそうはしなかった。

 こうまで自分を必死に擁護しようとする自分よりも弱い存在を前に、今まで培ってきた悪の感情に変化が生じたのだ。

 彼女と触れ合った時間は短く、強く心に残るものではなかったが、それでも少女と過ごした時間を知らず知らずのうちに辿っていく。



(ーーこの感情は一体何なのだろうか)



 今はまだ考えても答えは見つからない。

 しかし今まで自分に注がれたことのないような、目の前の少女の温かな想いだけは、間違いなく権太の心を大きく突き動かしてた。



(ーーもし、生きていたら……今度は彼女の為にーー)



 梓の優しさに、権太は最期そう思い、目を閉じる。やってくる罰を受け入れるかのように。



「お願いだからやめて! ≪ペイーー≫」


「ストップじゃ! お嬢様!」



 最大レベルの魔術を放とうとした梓の口を小さな影が押さえつけた。ーービヒーだ。

 梓が自分を止めた小さな影の正体を掴んだときには、もうクラウンの足は振るわれていた。

 鈍い音だけが耳に届く。

 視線を戻すとそこには、無機質な表情のクラウンが権太の首を叩き折ったーーそんな場面だった。

 首は後方へと九十度以上に折れ曲がって、力なく垂れている。明らかな死亡が確認された。



「ど、どうして!? 殺さないって言ったのに!」



 梓の声がその場に響いた。裏切られた気持ちでいっぱいになって。

 愛も大吾も同じ思いだった。クラウンを睨みつけ、「何故?」とその目が物語っている。

 たしかに悪魔は殺さないと約束したはずだ。にもかかわらず振るわれた暴力。迷宮を彷徨う牛悪魔ミノタウロスの時と比べて加減したとでも言うのだろうか。身体は吹き飛んではいないが、同じ死に変わりはない。

 梓はビヒーを振り払って、クラウンの服を掴んで糾弾きゅうだんした。



「ねえどうして父上!? 何で櫻井卿を殺したの!?」



 しかしクラウンは無機質な表情のまま、梓を見向きもせず何も答えることはなかった。

 梓は苛立ちだけが募り、矛先をビヒーへと向ける。同じぐらい小さな背の少女の胸倉を掴んで、ひたすらに訴えた。



「ビヒーも! どうして父上を止めてくれなかったの!?」


「ぐえっ。お、落ち着いてくだされ嬢様!」


「落ち着けるわけないじゃない! 早く答えて!」


「そ、それはじゃなーー」



 とビヒーが喋りだそうとしたところで、滅紫の世界が綻びを見せ始めた。ピシッ、と亀裂が入ったかと思えば、空間に張り巡らされた毒々しい色は徐々に剥がれていく。その破片は浮かび上がると静かに霧散し、その奥から見知った世界が姿を現した。


 梓たちが知っている世界の色が。


 色彩が戻ると静かな夜の音を感じた。風の音。虫の鳴き声。自分たちの知る世界に戻ってきたんだと、少し大吾らは安心した。そして同時に言葉を失った。

 破壊された壁や窓が元通りになることはなかったが、さっきと大きく異なる光景に梓、愛、大吾の三名は目を疑う。

 その眼下に横たわる三つの影に。


 死んだはずの迷宮を彷徨う牛悪魔ミノタウロス。破裂したはずのその肉体は綺麗な状態でしっかりと繋がっており、嘘のように元通りの恐ろしい巨躯が仰向けに倒れていた。ピクリとも動かないその肉体は、生きた剥製はくせいのようだった。


 そしてそれに並んで倒れている甲冑の男性。全身を赤に染めていたはずのその身体には一滴の血もしたたることなく、ライトブルーの光沢が月光の下で光って見せた。折れ曲がった首も人間の構造通りに復元しており、仰向けに見せたその自己主張の高い口髭は間違いなく権太のものだった。肺が浮き沈み、呼吸が確認できる。気を失ってはいるが間違いなく生きていた。


 そして最後の一人。

 無機質な表情を浮かべながらその二者へ冷徹に罰を下して直立していたはずの男が、身を悶えながら転がり回っていた。



「あんぎゃゃゃぁぁぁッー!」



 ゴロゴロゴロゴロゴロゴロ。

 時折瓦礫がジャンプ台となり、くるくると回転しながら空を舞いーー落ちていく。

 ズシンと打ち付けるその身体の持ち主の無機質な表情は見る影もなく、なんとも不憫に鼻水や涙を悲鳴と一緒に撒き散らしていた。



「「「へ?」」」



 三人が同時に呆然と漏らした。

 白城家の当主がこんなにも無様な姿を見せるのもそうだが、さっきまでの現実が嘘のように晴れた光景に頭がついていかない。訳が分からない。理解不能。

 思考が渦巻くそんな中、事の中心にいた梓が三人の代表としてビヒーに尋ねた。



「こ、これって一体……?」


「いや、ほら。あるじ様が仰ってたじゃろ?」



 「何をーー」と言いかけたところで、クラウンが権太に言っていた言葉を思い出す。


 ーー『幻覚でも見てたんじゃないの?』


 梓だけでなく、大吾も愛も同時にその一言が頭の中で再生された。



「おいおいまさかーー?」


「今の今まで梓のお父様が繰り広げた一方的な暴力シーンって全部ーー?」


「父上が作った……幻覚?」


「その通り!」



 ビヒーはペカッと笑いながら三人の言葉を肯定した。



(……ということは?)



「じゃ、じゃあ何で梓のお父様はこんなにも悶え苦しんでるの?」



 ちょっと引き気味に、愛がそう当然の疑問を口にした。

 それはビヒーと、その犯人である梓だけが知りうる事実。

 幻覚の裏では奴隷魔術がその効果を存分に発揮していただけのこと。過去最大の継続激痛、Lv.4。クラウンが泣き叫び続ける原因はそこにあった。

 勿論そんな事を言えるはずもなく、梓は困り果てたように動揺してビヒーを見つめる。



「それはーー」



 そんなお嬢様の手助けだと、ビヒーは答える。



「秘密ですじゃ!」



 八重歯を光らせ、外見相応に無邪気な笑みで。

 ーー勿論そんな言葉で面々が納得できるはずもなく、二人には幻覚に囚われていた時に梓が放った精霊術が効いていたのだと説明しておいた。ある意味事実でもあったので、愛も大吾もそれ以上追及することはなかった。


 一人事実を知り語る梓は、地べたを転がり回っている下級悪魔クラウンに心の中で謝罪する。

 こうして梓たちにとっての長い一日は一旦幕を閉じたのであった。

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