第十五話:召喚されし悪魔その弐
「……ゴ主人様。コノ男ノ死体ハ貪ッテモ?」
色彩が次第に戻っていく部屋の中で、迷宮を彷徨う牛悪魔の一体が契約者に伺いを立てる。
太くて圧し掛かるような重低音は、頭に直接響くように聞こえた。
「駄目だ。貴様らが食べた後は骨も残らん。周囲にこやつが完全に死んだと判断させねばまた行方不明というだけで、白城家は残り続けるだろう。それでは櫻井家が白城家に代わる名家発展への足掛かりの邪魔となる」
権太はそう言って従僕の願いを却下する。
「……承知シマシタ」
人間とは違う牛の表情を読み取ることなどできないが、口調は渋々といった様子で軽く頷いた。
「そう不貞腐れるな。うまくいけば近いうちに大量の食事を与えてやる」
「承知シマシタ」
自分たちの好物を摂取できる機会を得られたことに満足したのか、返事するまでの時間が短縮されたように感じる。
そんな迷宮を彷徨う牛悪魔の一体が、権太に次の指示を乞う。
「ソレデゴ主人様。次ハドウサレルノデ?」
「まず計画の第一段階である白城クラウンの抹殺は終了した。次は第二段階として白城家血縁者の根絶。北部へ向かう。そこでもうひと働きしてもらうぞ」
「「承知シマシタ」」
二体が指示を確認すると、空間に再び歪みが生まれる。
そして迷宮を彷徨う牛悪魔二体はその異次元の中へと姿を眩ましていった。
室内を圧迫する巨体が掻き消えると、一気に広がる密度に解放感を感じさせた。そんな広々した室内に散乱した様々な破片と共に横たわる死骸。立ち尽くす人影。
権太はその残骸を一瞥すると、もう振り返ることもなく無言でその荒れた部屋をあとにした。
バタンと扉は閉められ室内はシンと静まり返る。ただコツ、コツ、と廊下を歩く音だけが次第に遠のいていった。
窓を叩く風の音も無く、部屋には静寂が再び舞い戻ってくる。
応接間に残されたのは元は一つだった首と胴体のみ。見るも悲惨、無念のある顔がなんとも無惨であった。
しかしそんな死体を悼むこともなく唐突に、そして無遠慮なまでに陽気な声がクラウンに掛けられる。
「主様ー。やつらもう行っちゃいましたぞ」
勢いよく開かれた扉から現れたのは、クラウンに付き従ってきた燕尾服の子どもーービヒーの姿だった。
ビヒーは自身が主様と仰ぐ者の死体を見ても動じることなく、ズカズカとその傍らまで足を進める。
そしてあろうことかその敬う男の身体をつつくように、蹴りを見舞いながら声を掛け続けた。
「主様ー。追わなくても良いのですかー?」
ゲシ。
「やつら屋敷に向かっておるのですぞー?」
ゲシ、ゲシ。
「おーい」
ゲシ。ゲシ。ゲシ。
執拗に小突かれ続ける死体。
当然その横たわった肉体が口を利くことなどない。しかしビヒーの問いかけに応えるように別の方向から言葉が返された。
「……ビヒーってボクの忠臣だよね?」
呆れたように抛られた言葉はビヒーの後方から。
そこには扉に背中を預けながら呆れ果てた男ーー死んだはずのクラウンの姿があった。
それと同時にビヒーの近くに横たわる死体は残滓を残すことなく、薄れ、消えていく。
「ちょっとしたお茶目な冗談ですじゃ」
「全く。忠に厚いボクの部下はブギーやブラックだけか……」
「ブギーはともかく、ブラックは固すぎじゃと思うのじゃが」
「それでも、幻影とはいえ主人の死体を蹴ったり人の苦労を見て笑って傍観しているような無礼者よりはマシでしょ」
「ヌハハハ! 確かにその通りじゃな! しかし主様の愉快滑稽な姿を見るとついつい……」
そう言って広間のことを振り返る。そして込み上がってくる笑いを抑えきれずに、高らかに笑い声を上げた。
「笑いが止められんのじゃ! ヌハハハ!」
「制裁!」
「ぬおッ!?」
クラウンは心に誓っていた鉄拳を容赦なく少女の頭へと振り下ろす。
そしてゴツンと鈍い音。調子に乗ったビヒーに罰が下った瞬間であった。
少女はほんのりと瞳を滲ませながら、頭を擦り擦り。ほんの少しだけ反省する。
ビヒーに対する幾分かの怒りを発散させたクラウンは、気を取り直して少女を見据える。
「しかし櫻井権太くんか……」
「あの男が何か?」
「いや。白城家の代わりに北部を統治してくれていたみたいだから、今更ボクがでしゃばるのも面倒だしそのまま彼に任せようとしたんだけど……。勿体ないなあ」
「仕方がありますまい。あの小僧は不敬にも主様の命ばかりか、お嬢様にまで危害を加えようとする愚か者じゃし」
ぬけぬけと主人の命を守ろうともしなかった腹心の部下の口から、そんな事が紡がれる。
クラウンは一瞬突っ込んでやろうかと迷ったが、ジト目で見るだけに終わった。
「しかし主様よ。何故、この場であの阿呆共を屠らなかったのじゃ? お嬢様の命を狙うとも公言しておったのに」
実を言うとビヒーが手を出さなかった理由はそこにあった。
いつもは言葉遣いも粗雑で執事としての慇懃な態度をとれる人物だとはとても言い難いが、主人に及ぶ危害を黙って傍観しているほど優しくはない。
ただし今回、クラウンにかかれば容易に防げたはずの攻撃をあえて幻影に受けさせた。そこに引っかかっていたのだ。
いくらビヒーも主人の計画の妨げになる行為はしない。意図を汲み取ることが出来ない以上、手出しをしないことに決めたのだ。
一応彼女なりに考えてくれていたんだと感心したクラウンは、それに対する答えを聞かせた。
「そうだね。ボクも梓ちゃんの保護者として色々考えたんだけど……過保護も程ほどにしないと騎士として成長できないんじゃないかなーって」
「ほう?」
「確かにボクと梓ちゃんの間には取引が交わされてるから保護者として彼女の命を守るべきなんだろうけど、契約内容には明記されていなかったんだよね」
「というと?」
「ビヒーとレヴィには伝えたと思うけど、ボクと梓ちゃんの契約内容の五つ目を覚えてる?」
一、下級悪魔:クラウンは白城 梓の保護者として、あるいはその成長を促進させる方法として、良しと思った行動により直接的・間接的に白城 梓に危害を加えてしまった場合に対しては、奴隷魔術で罰せられないものとする。
ビヒーはその一文を脳内で投影させて頷いた。
「あれは多分、梓ちゃん自身ボクに守られっぱなしになるのは嫌だったからだと思うんだ」
「確かにの。そうでなければ『危害を加えようとする者全てから私を守れ』のような契約にするはずじゃしの」
「そ。だから今回は良い機会だし、実践経験を積んでもらおうと思ってね」
「成程のう。まあ今ならばお嬢様一人だけではないし、万が一の時でもレヴィがおるので大丈夫か」
「そういうこと。ただーー」
クラウンはそう言って楽しそうに、そして憤怒の炎を瞳に宿しながら朗らかに笑みを浮かべていた。
「ボクの可愛い娘に手を出そうとした償いは、キッチリと清算してもらうけどね」