第十二話:決着その弐
広大な地に残っているのはただの数人。
吹き荒れる砂塵が余計に静寂を駆り立てる。
真っ二つに割れた大地の断面は黒く深い。一体どれほどまでの岩盤を抉り取ったのだろうか。そこはもう奈落でしかない。
プラムエルはその深い闇を視線だけ動かして覗き込む。
絶え間なく嬉々として自由奔放に振る舞う彼女だが、目の前で起こった光景に対して未だ口を開くことが出来ない。表面上から見えるのは確かな動揺。
それは自身と同じく規格外の精霊術の発動を見てか。もしくは信頼しきっていた悪魔が消失したことか。あるいはその両方か。
一体どれほどの時間が経ったのだろう。少女を支配する時間感覚の歯車は狂い始めていた。しかし現実世界で十秒と満たない内に己を取り戻す。
「……あ、…………アハ。アハハハ!」
そして笑う。
受け入れがたい現実を目の当たりにしながら、それでもどこかで否定したがる自身を覆い隠す為にも。
だが視界に映っている光景こそが現実。肌に感じる寒気、周囲を支配する静寂、認識する全ての情報がそれを証明する。
認めざるを得まい。残されたのは自分一人だけということに。
だがそれがどうした。その程度で少女は絶望しない。この程度で少女は止まらない。笑いながら己の感情を操作する。
「……あービックリした。まさかシグマまでやられちゃうなんて。お飾りじゃなかったんだね、クルメア法王さん」
そこにさっきまで見せていた動揺の色はない。
どうにか持ち直した自然体でアイリスの方へと顔を向ける。
「次は貴様だ。小娘」
そう返答すると、アイリスはぎらついた瞳でプラムエルへと近づく。
まだアイリスの怒りは収まってなどいない。それはそうだ。元凶は目の前の小娘と呼んだ者なのだから。
例え何十、何百という悪魔を葬ったところで、彼の溜飲が収まることなどありはしないし、あってはならないのだ。
殺気を全開に解き放ちながらどう粛清してやるべきかと一考する。
強烈な気の塊は向けられているプラムエルだけでなく、彼の傍にいる玄武やクラウンにもビリビリと肌に感じていた。
剥き出しの牙は目を離した隙に少女の喉元へと突き立てられるに違いない。刹那という極小の時間をもって。
だというのに斬りふせられてしまう己の未来予想図を見ながら、尚もプラムエルは笑い続ける。
「……気に入らんな。この状況下でどうしてそこまで余裕でいられる?」
「アハ! そんなの簡単。例えアタシ一人でも貴方を倒すことぐらいワケないもの」
「面白い。ならばその傲慢な口を圧し折ってやろう」
煌びやかな剣が彼の殺気を纏う。
しかしそんな剣気を一瞬で損ねるようにして、クラウンが彼の前にひょっこりと身を乗り出した。
それには行動を共にしたアイリスもかなり不機嫌そうな顔を見せる。
「……何のつもりだ?」
「ごめんね、アリスくん。でもボクと彼の連戦続きで魔力量が底を尽きそうな今のキミじゃ、残念ながら彼女には勝てないよ」
「ほう。この俺があの小娘に劣ると?」
「いやいや。全快全開のアリスくんなら多分大丈夫だろうけど、今の状態じゃ分が悪すぎるってだけ。ここは大人しくボクに譲ってくれないかな?」
「それでこの俺が納得するとでも? 奴は敵であり、俺の敵だ」
「確かに。でもそれ以前にキミは一国を統治する王だ。キミに万が一の事があったら国はどうするのさ? キミほどの立場の人間がこんな事態に国を空けている事自体が可笑しな話だっていうのに、もしも永遠に帰らぬ人になったら国民が可哀想だよ」
「余計な心配は無用だ。俺は必ず勝つ。負ける愚を犯すなどありはしない」
何を言っても退く気はないらしい。彼の瞳に一切の揺らぎはなかった。まあ仕方がないだろう。何せ彼は親族を殺され、その恨みを晴らすべく戦争を冒そうとし、ようやく敵を目の前にしているのだから。
だが気持ちは分かれどクラウンも引くわけにはいかない。
もしも彼に万が一の事があればクルメア法王国の行く末を担う人物がいなくなる。代役は立てられるだろうが、彼以上に国の安寧を先導する人間はいない。多少好戦的なところがあるのは事実だが、少なくともクラウンはそう思っている。
それに今回の事の経緯を正しく理解しているのは彼しかいない。彼が死ねばローランド法王国とクルメア法王国との間にある誤解が生んだ亀裂を修復するのは難しい。戦争が終わったところですぐに次の戦争の心配をしなければいけないなど御免なのだ。
しかし彼が生き残れば誤解が生じた溝などすぐに埋まるだろうし、余計な面倒を増やさなくて済む。
そうすれば必然としなくて済む仕事がなくなり、クラウンにとっても安寧の生活が戻ってくるのだ。クラウンは己の為にもここで説得を止めるわけにはいかない。
「でもアリス。キミはボクに負けた」
その言葉にアイリスはピクリと眉を細める。
「……負けを認めた覚えはないが?」
「それでも、だよ。ボクの言葉を聞く気になった時点でボクの目標は果たされたわけだし」
一切聞く耳を持とうとしなかったアイリスに話し合いのテーブルに着かせた。
その段階でクラウンは自身の勝利だと主張しているのだ。確かに理屈は通っている。
アイリスは暫く黙ったまま考える。そこに更に追い撃つようにクラウンが言葉を続けた。
「ならボクは勝者の権利としてアリスに我儘を言わせてほしい。ここはボクの為にもボクに譲ってくれないかな」
少し卑怯な言い回しはアイリスのプライドを傷つけまいと配慮した結果だろう。
だがそれにすぐ気づいたアイリスからすれば逆に苛立つものがある。といってもムキになって否定するほど子どもでもない。
アイリスは一瞬瞼を閉じ、一つ大きく息を吐いた。
「……いいだろう。だが奴を逃がすことだけは許さん。奴がまたさっきのよに逃げようとしたらすぐに阻止させてもらうぞ」
「うん。それはありがたい。その時は任せるよ」
「な~んかアタシってばすっかり放置されちゃってるね。ちょっとムカつくんだけど」
「ああ、待たせたね。じゃあここからはボクがまたキミを懲らしめることになったから。覚悟してね」
クラウンは尊大な青年から傲慢な少女へと視線を戻す。
「……」
少女に向けられた大人の余裕ともいえる瞳がプラムエルの感情を揺さぶる。嗚呼憎たらしい。彼女は彼に敗北して以降、この目が嫌いだった。上下の歯を強く擦りながらその苛立ちを前面にアピールする。
外見上、侮られるのは仕方がない。子ども相手だから。女相手だから。その程度の輩は厭きるほどいたし、その都度その顔を醜く歪ませ優越感に浸っていた。
しかし目の前の男は違う。
あれは本当にどうとでもなると確信している目だ。その気になればいつでも自分如き軽くあしらえると絶対的な自信の表れ。
無論以前戦う時なら、また命知らずの馬鹿が来たと笑っていたのだが、結果を見れば侮っていたのはコチラだったことに最後に気づいた。
彼女の絶対的な自信の表れである精霊術が何一つ通用せず、子どもに躾けるように罰を与えられ、何一つ善戦出来ないまま撤退を余儀なくされた。
振り返りたくもない彼女の黒歴史である。
しかしそんな苦い経験があったからこそ、彼の笑顔の前に一切の油断なく戦えるというもの。
そして今度こそ彼を倒し、早々に己の敗北の味を拭うのだ。そうすればまた心の底から笑うことができる。他者を見下し、レーベン様の神託に従う巫女として死を撒き散らすことが出来るのだ。
そう強く己の願望に呼びかける。
そしてプラムエルは見たくない記憶を隅へと追いやり、再び笑顔を取り戻す。
「アハ。この間のようにいくと思ってるの?」
「うん」
クラウンは即答する。
嗚呼、駄目だ。やはりこの男の笑顔は憎たらしい。取り繕った笑顔が一瞬で奪われる。
そしてもはや我慢は効かない。プラムエルは無機質な表情のまま指先から≪稲妻≫を放つ。
まさに一瞬。前の戦争ではこの雷の上級精霊の能力に玄武や静香ですら手も足も出なかった。しかしクラウンはーーやはり前回同様健在だ。
真横に放たれた雷は確かにクラウンの丹田を捉え穿った。
だというのにクラウンは苦痛に眉を細めるでもーー呻き声をあげるでもーー膝をつくこともない。
ただ悠然と何事も無かったかのように直立不動の姿勢を崩さない。
プラムエルの嫌な記憶が再生される。
「分かってる。通用しないんでしょ、この程度」
「それが分かってるなら降伏しなよ」
「降伏? まさか! 私はレーベン様に遣われし神託を遂行する巫女。与えられた任の成就までは糞尿垂れてでもその責務を全うしてみせる」
「はぁ……。女神女神って、”あんな奴”のどこがいいんだかーー」
そこで初めてクラウンが心底嫌そうな顔をする。濁した呟きはどこか意味深で、まるで知り合いを喋るかのようであった。
しかしその小さな呟きは誰の耳に入るわけでもなく、発した当人も独り言を終えたといった具合に再度プラムエルへと向き直る。
「まあ信仰心が高いのは結構なことだよ。でもそれに感けて自分の人生を蔑ろにしすぎじゃない? まだ若いーーていうか幼いんだし、こんな場所よりももっと人生を謳歌出来る場所なんて沢山あるでしょ。それに女の子なんだからそんな汚い言葉使ったら駄目だよ」
「そんなの余計なお世話。アタシは自ら望んでレーベン様を信仰し、その懸命で献身的な姿勢をレーベン様も神託をもって認めてくださったんだから。……それを侮蔑する貴方は絶対に殺してあげる」
指先から迸る電流は尚もクラウンを穿ち続ける。
しかし何度やっても結果は変わらない。魔力を込めようが、怒りを込めようが、殺意を込めようがーー少女が攻撃しているのはクラウンが見せている幻影でしかないのだから。
「だから無駄だって。それとも魔力が切れるまで精霊術を使い続けるつもりかい?」
「うるさい! 死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ねェッ!」
放出される稲妻、降り注ぐ数多の雷。
それでも眼鏡の男はまるで散歩でもするかのように攻撃の嵐の中を闊歩する。
(ホントどうなってるの、コイツ? 精霊術で防御? 無効化? あーもう! 訳が分からない!)
プラムエルの焦燥は苛立ちとなって攻撃にも影響が表れる。
次第に狙いはクラウンだけでなく周囲へも雷が撒き散らされていく。
「ほらほら。ボクはここだって。ちゃんと狙いを定めないと当たらないよ」
「……はぁ、はぁ。…………そうだね。ちゃんと狙いをつければ当たらないことなんてないもんね」
「……ゥん?」
息を整えたプラムエルは再度落ち着きを取り戻す。
グツグツと煮込まれた殺意だけは冷やさないようにして、別の手段で攻撃を再開する。
怒り狂う雷の止んだ少女の手元にまた別の光の粒子が集まり始める。するとヒュンという音を立てて光の粒は小さなナイフへと姿を変質させた。
プラムエルはそれを握るとそのままクラウンへと投擲する。
だが武器を使った直接戦闘訓練を積んでもいない少女のナイフが水平に飛んでいくわけもなく、大きく放物線を描きながらゆっくりとクラウンへと迫っていく。
正直今までの攻撃と比べるとあまりにも御座なりだ。
戦闘経験の無い子どもでも避けられそうな攻撃に、クラウンも思わず「そんなのが当たるわけないじゃない」とツッコミを入れてしまう。
勿論武器を投げたプラムエル本人も同意見だ。こんなものが当たるようならさっきまでの精霊術が馬鹿みたいに思えてしまうのだから。
だからこそ必ず当たることだけに拘りをもってこの手段をとったのだ。時空の精霊の能力を使った攻撃を。
放物線の頂に到達したナイフが再び光の粒となって宙に弾ける。
「……あれ?」
突然視界から消え失せたナイフに思わず呆けてしまう。
一体どこへーー。眼鏡の端々まで見渡すも、銀の煌めきは確認できない。
すると正面のプラムエルが呆ける眼鏡の青年を見て満面の笑みを見せているではないか。
その視線の先はーー彼の胸元だった。
ひゅひゅひゅひゅ、と光の粒が集束していく。
それに気づいた時にはもう遅い。ナイフが再び具現化を開始する。
これがプラムエルの編み出した新しい戦闘方法。
空間の精霊の能力を利用した空間座標移動による防御不可能の攻撃だ。
何も一瞬で別の場所へと転移できるのは彼女自身だけではない。彼女が選択した全ての物質にこれが可能となる。
物質が移動する先に物体が重なる場合は、その等しい体積分と入れ替わるようにして転移する。つまり仮に人体を目標座標とするならば、腕に物質を転移させれば容易く腕は切断され、内臓に物質を転移させれば容易く致命傷を与えることができるのだ。
本来ならばプラムエルもこんな戦い方を必要としなかったし、思いつきもしなかった。雷の上級精霊の能力だけで十分事足りたからだ。
そういう意味ではクラウンに感謝せねばならないとプラムエルも頷く。何せこれで新しい死の与え方を得たのだから。
どんなに優れた防御能力をもっていようが、内部に直接刃が届くこの非道な精霊術の前では無駄に等しい。
少女は勝利を確信して張り裂けんばかりの笑顔で叫ぶ。
「アハハ! これでおしまい!」
少女の視線の先にあるナイフは一瞬で具現化する。
光りの粒が消え、確かにそこに姿を現した。あの忌々しい眼鏡の男の胸元に。
胸がはちきれんばかりに膨らむ歓喜の想いがどんどん少女を満たしていく。一秒後にはあの憎たらしい顔も苦痛に醜く歪めるに違いない。想像するだけで胸が躍ってしまう。
早く早く早く早くーー。
コンマ一秒でも長く長く感じる時間が刻々と過ぎていく。
そして彼女の想いに応えるようにしてゆっくりとナイフが動き出す。
見事彼の内臓を貫きーーストンと身体を切り裂きながら地面へと力なく倒れ込む。
「アハハ……ハ、…………は?」
ポカン。だらしなく開いた小さな口が塞がらない。
何、今の現象は?
パチパチと瞼を数回運動させながら、目の前で起きた光景を確認する。
死に悶えるはずの男はーー唯の一つの傷もなく健在。
彼を死に至らせるはずのナイフはーー血の一滴も浴びないまま地面へと転がっている。
まるでナイフがすり抜けたようにも見えた。
「ど、どういうこと?」
訳が分からない、とプラムエルが動揺し始める。
クラウンを殺すために考えた技がまるで通用しなかったのだ。狼狽するのも仕方がない。
だがすぐに落ち着きを取り戻し、何かを確かめるようにクラウンを見据える。
「……≪稲妻≫」
放たれた雷は目視するのも難しい速度でクラウンを貫く。
だが結果は同じで変わらず効果がない。
(あの時もそうだったけど、まるでそこに何も無かったかのように通り過ぎた感覚……。当たる前に防がれているのか、もしかすると電撃を無効化できる能力とも思ったけどーーそれじゃさっきのナイフの説明がつかない。……あれ。もしかするとーー)
ようやくカラクリが見えてきた。
「アハ、ーーアハハ!」
少女の中で何かが結びつく。
そして同時に打開策をも閃き、講じた。
≪雷檻≫
プラムエルを中心に、バチバチと火花を鳴らした電気で形成された巨大な立方体が展開される。
等間隔に縦に墜ちた青白い柱の様子はまるで檻。
その巨大な箱の中で、プラムエルもまた小さな雷の檻に四方を閉じ込めている。
「あー。こう来ちゃったか」
巨大な檻の中へと囚われてしまったクラウンは少し困った、と頬を指で掻く。
初めて見せるクラウンの動揺を前にして、ようやくプラムエルは確信をもって微笑んだ。
そしてその喜びを実感するべく、攻撃を開始する。
「アハハ! これならどこに隠れていようと無駄でしょ? 逃げ場のない雷に撃たれて死んじゃえ! ≪雷の螺旋≫」
プラムエルを台風の目として、雷が螺旋を描いて急激に広がっていく。
彼女の双眸はもはや目の前の眼鏡の男を捉えてはいない。つまりそれはクラウンの仕掛けた術の一端を見抜いたに等しいということだ。
逃げ場のない雷を前にそこにいたはずのクラウンの姿は掻き消えて、代わりにプラムエルの背後でバチッと爽快な音が鳴り響く。
「な~んだ。後ろにいたんだ」
溜まっていた鬱憤が幾何か晴れたおかげか、恍惚と微笑む少女がゆっくりと振り向いた。
そこにいたのは片膝をつく眼鏡の男。さっきの幻影ではなく、間違いなく実体だ。焦げた服の臭いがプラムエルを甘美に震えさせる。
「アイタタタタ……。酷いなぁ。ボク雷に撃たれる趣味なんてないんだけど」
言葉とは裏腹に、顔はいたって無表情ーーというよりもいつもの笑顔を絶やさない。クラウンはまいったまいったとゆっくりと立ち上がる。
見た感じ深いダメージは負ってないようだ。だが実際は違う。
悪魔にとって精霊術は弱点。それも上級精霊術による攻撃をまともにくらったのだ。ダメージを負ってないわけがない。
まあこの場合悪魔だろうが人間だろうが相当な痛手であることに変わりはないが。
顔では強がって見せているが、言葉の中に潜む苦痛の声色にプラムエルは気づいていた。
「だよねー。幻影でコソコソと私の目から逃れようとしてるんだもん。痛いのはやっぱ嫌いだよね」
「苦痛こそが快楽なんて本当に言う人間がいたら是非ともあってみたいよ」
「アハ! でももしかしたら貴方がそっち方面の扉が開けるかもよ?」
「……それってどういう意味?」
「もちろん。アタシがそのお手伝いしてあげるっていう意味。痛みに泣き叫ぼうが攻撃の手は緩めてあげない。手足が千切れても焼いて止血してあげる。薄皮一枚一枚丁寧に刻んで、痛みという快楽に溺れるまで協力してあげるから」
「ぃや~。悪いけど御免被るよ。ボクの趣味じゃないし」
「なら前のように頑張ってアタシを倒してみればいいよ。出来れば、だけどね!」