第十二話:決着その壱
「白城……。どうしてここにいる?」
ボロボロの肉体をどうにか鞭を叩いて立ち上がる。片腕はブランと血液と共に垂れ下がり、身に纏う甲冑も土と血でボロボロだ。
全身くまなく傷ついており、立ち上がっただけでも称賛に値するだろう。
だが三大騎士家の当主ともある男であればこの程度当然だと言わんばかりに、内に広がる痛みを一切表に出すことはない。
いつも通りの厳格そうな目つきで、いきなり現れたクラウンとその傍に同じく荘厳たる顔つきのクルメア法王を順に眺めた。
クルメア法王を見た時は僅かながら目を細めるも、おおよそ状況は掴んだようだ。
すぐについさっき発したばかりの台詞を自己解決させる。
「……いや。二人がそこにいるということは、そっちは上手くやったということか」
「あ。玄武くんも件の真相に気づいたのかい?」
「ああ。ついさっきまでビヒー殿の偽物が大量にいたからな」
「…………ボクたち以外に誰もいないけど?」
というか第一騎士団のみんなもいないし、岩壁に囲まれてるし、どういう状況? とクラウンが首を傾げる。
空からの眺めでは、おそらく第一騎士団と見られる人影がローランド法王国がある方向へと移動していたのは見えていた。
しかし何故玄武を置いて移動していたのかが分からない。
それを玄武が説明するよりも早くプラムエルが答える。相変わらずの楽し気な表情で。
「一足遅かったね。もうアールたちは私の精霊術で貴方たちの国へと送り込んじゃったよ。今頃きっと国中大騒ぎなんじゃない?」
さあ驚け。さあ悔しがれ。プラムエルはそんな視線を投げつけながら得意げに紡ぐ。
だがクラウンの反応はいたって淡泊であった。
「ふーん。なるほどね」
「……おいおい。白城家ご当主殿よ。国が危機に陥っているというのにその他人事のような反応は騎士としてどうなんだい? おかげでウチの姫様が大層不服そうになってしまったじゃないか」
「たしかーーシグマくん、だっけ?」
「ほう。俺様のご主人様を退けた男に名を覚えられるとは光栄だな」
シグマはズイッと身を乗り出しながらクラウンを観察する。
巨体に生まれた影はクラウンの全身を余すとこなくすっぽりと黒に収まる。
こうするだけでも圧倒的体格差に恐怖心を煽られる人間が多いのだがーーやはりといってもいい。クラウンの態度に変化はなかった。
それどころか全く動じないことで、クラウンの立ち姿がとても勇ましくさえ見えてくる。
「何もボクは心配してないわけじゃないよ。アッチにはクリスーー法王様もいるし、ボクの娘も、護るべき臣民たちがいるからね」
「そいつは殊勝な心掛け。しかしどうしたことか。お前さんの瞳にはそれを映す色が微塵もねえ。ちょいと言葉と態度が矛盾しちまってる」
「図体がデカいのに意外と見えてるね」
ふぅ、と肩で息をつくと、淡泊な反応の理由を口にする。
「まあ単純にーーそれほど心配じゃないってだけだよ」
「ほう……。その根拠を尋ねても?」
「あっちには静香くんや権太くんもいるし、彼の近衛兵もいる」
クラウンはチラリとクルメア法王の方を見る。それに合わせてシグマやプラムエルも彼へと視線を移す。
ただし近衛兵といっても所詮三大騎士家には及ばないはずだ。クルメア法王国が誇る武勇など聞いたことがない。二人はそう考えてアール百体の前では取るに足らない障害だと判断する。
「仮にその近衛兵とやらがお前たち三大騎士家の当主と同等の実力を兼ね備えていたとしても、だ。俺様の作品の数の前に太刀打ち出来るとは思えんのだが?」
目算を誤っちゃいないか、と再びクラウンを見据える。
するとクラウンはあどけない顔で、即答した。
「だろうね」
その言葉には皆唖然とした。
ならば何故、と更に問うまで時間を要すが、それよりも早くクラウンが根拠を述べる。
「でもあそこには保険としてボクの部下であるレヴィも置いて来た。それに今頃はブラックたちも合流しているだろうし、すぐに事態も収拾すると思うよ。多少の被害は流石に仕方がないけどね」
クラウンの口から出てくる名前に、シグマは自身の記憶とすり合わせる。
「レヴィ……。…………なるほど。奴か」
「……シグマ。知ってるの?」
「ああ。俺様を吹き飛ばした化け物の片割れだな。ビヒーってやつと同じく見た目は餓鬼だが中身は俺様同様悪魔だろう」
「……ま、まあでもーーこっちはそこらの人間じゃ手も足も出ない自動人形を百体も送り込んだんだから大丈夫じゃない?」
プラムエルが不安そうにシグマの顔を覗き込む。
するとシグマは黙って意識を他の場所へと集中させる。グラムとも離れた位置で連絡が取り合うことが可能なように、シグマは自分が創った自動人形とはいつでもどこでも状況確認を行うことが出来るのだ。
しかし経てども経てどもアール達とは一切連絡が取れない。つまりはそういうことである。
シグマは溜息まじりにプラムエルを見下ろすと、残念そうに呟いた。
「……残念だがご主人様よ。どうやら奴の言う通りらしい。アールたちと連絡がつかん」
「え…………?」
プラムエルがその一文字を最後に絶句する。
それだけ衝撃的だったということだろう。まさか時間をかけてまで練った作戦が数分足らずで次々と因縁の相手に打破されてしまったのだから。
玄武はその悔しそうな少女の面を見て、フッと小さく嘲笑した。さぞ清々しい気分に浸っていることだろう。
それに気づいたプラムエルはわなわなと手を震えさす。
屈辱を果たすために培った時間がまた屈辱に顔をうもらせる。我儘な姫様としてはこれほど我慢できないことはない。
すぐにクラウンたちを睨みつけ、癇癪を起したかのように叫び始めた。
「……もういい。もういい! こんな面倒くさいことしなくても、最初からアタシたちだけでやれば良かったんだ。そうすれば全部上手くいくんだから。……そうだ。今からアタシたちがローランド法王国に乗り込もう。そしてあのヒョロい法王を人質にして国民や騎士たちを殺して回ろう! ああ素敵! それならきっとレーベン様も満足されるはず!」
嬉々爛々といった感じで、自己解決案へと向かい始める。
プラムエルが行使する空間の精霊の能力をもってすればすぐにそれは実現してしまう。すぐにプラムエルとシグマの身体が光の衣が覆い始める。
だが当然少女の言葉を耳にしていたクラウンたちがそれを許すはずもない。クラウンが真っ先にアイリスに視線を送った。
「分かっている。ーー『貴様の精霊術発動を拒絶する』」
ポゥ、とプラムエル達を包み込み始めていた光が粒となって一気に弾ける。
「ーーへ?」
何をされた?
もう一秒と経たずして発動するはずだった精霊術が発動しないことにプラムエルは困惑する。
しかし隣の少女とは別に、従者である悪魔は冷静に事を分析していた。そして犯人を見据え仮面越しに睨みつける。
「……お前さんの仕業か。クルメア法王国の法王よ」
「その通りだ。仮面の悪魔。俺の身内をくだらん画策で殺してくれた貴様らを悠々と見逃す訳がないだろう」
肯定。
ここにいたのはやはりただの見物人というわけではなさそうだ。
ぎらついた瞳を前に主人の感情を無視してシグマは楽しそうに笑う。
「フフフ。そいつは大きくでたな。たかが人間程度が。ご主人様よ。どうやら転移の阻害したのはあの男だ。残念だがお楽しみを堪能するにはまず奴を殺さねばいかん」
「そう……。ほんとどこまでもアタシの邪魔をしてくれるね。いいよ。もう。ならここにいる全員を先に殺してあげる! シグマ。やっちゃって!」
「承知した」
ズガンッ! と巨大な三叉槍を地面に打ち付ける。
鬼に金棒などというが、目の前の存在はそれ以上だ。魁傑に相応しき身の丈を越える武器。
その存在感は檻から解き放たれた猛獣の如く重圧をもってクラウンたちに浴びせられる。
だが三人とも全く動じる様子はない。
玄武は既に三大騎士家の当主として覚悟を決めていたためだろう。≪石の守衛≫らも石の剣と盾を構えて迎撃態勢に入る。
クラウンは発せられた殺気をそよ風程度にも感じずに、変わらない笑みを浮かべ続ける。
アイリスは己に絶対の自信をもって正面から圧風を弾き返していた。
三者三様の表情を確かめながらシグマは嬉しそうに笑う。
「フッフッフ。この俺様を前にしてまるで怯んじゃいねえ。それどころかこの俺様を獲物として見てやがる。面白い。ようやく本気で楽しめそうだ」
「いやいや。ボクはキミに用はないよ。あるのはそっちの悪戯っ子にだから」
「いやいや。悪いがそうはさせん。一度俺様のご主人様の尻を引っ叩いて撤退させたお前さんが一番の障害だ。ご主人様に相手をしてほしいならまずは俺様をーー」
シグマがクラウンの歩む道を遮るように巨体を動かそうとする。
しかしすぐにそれは阻止された。大きな衝撃をもってシグマの巨体を押し返す。
「随分と見縊られたものだ。この俺を前にしてそんな口がきけるとは」
「まだ貴様との決着はついていない。ここで終わらせてやろう」
シグマの邪魔をしたのはアイリスと玄武ーーただしくは≪石の守衛≫四体だった。
五つの剣が膨大な質量となりシグマの武器に疵を残す。
「ヌゥ……。なるほど。たかが一国を統べるお飾り程度と思っていたんだが……無視できん強さだな。三大騎士家の当主らと同等ーーいや、それ以上の実力をもった人間がまだ隠れていたとは」
「さっきから聞いていれば随分と上から口を叩くものだな。まさかこの俺を前にしてまだそんな尊大な態度でいられるとは……」
「フハハハハハハ! 生意気な! お前さんこそこの俺様を嘗めちゃいないか? そこらの悪魔とは訳が違うぞ?」
「面白い。そこまで言うならこの俺を殺してみせろ」
クルメア法王はそう言うと玄武を一瞥して、「そこで黙ってみていろ」と瞳で訴えかける。
冗談ではない。国の命運を分かつ一戦なのだ。黙って見ていられるわけがないと反論しようとするが、玄武の視界に入り込んできたクラウンの視線に気づきおし留まる。
クラウンは黙って頷くだけで、要約すると「彼に任せろ」とでもいうところだろう。
無論それでも納得はいかないが、自分よりも強者たるクラウンが任せるのだ。信じるしかない。
それに玄武自身、今のボロボロの体力と魔力量では足手まといにしかならないのは明白である。精々さっきのように≪石の石像≫に魔力を供給し続ける程度が限界だ。
ならば今は精々体力を回復して気を窺うしかない。いざとなったら囮程度の役目は果たせるように。
冷静にそう考えなおし、玄武は一歩引き下がる。
しかしそれを見ていたシグマはつまらなさそうにぼやく。
「おいおい。そりゃいいがまさかたった一人でこの俺様と渡り合うつもりか?」
「当然だ。むしろ貴様こそこの俺を前にたった一体で挑むつもりか? それとも負けた時の言い訳が欲しいのか? 『二対一だから負けたんだ』、などと。だとするなら滑稽だな」
「フハハハハ! 本当にイキがいい! 面白い。気に入ったぞ! クルメア法王国の統治者よ! ならばいこう。嗚呼逝こう。せめて一瞬で終わることなかれ。俺様の全力を見事引き出してくれや!」
シグマが大きく振りかぶる。
当然両手にもっているのは大きな瞳のついた三叉槍。突くことに特化した武器を、ただ質量にモノをいわせた鈍器として放とうとしている。
しかしそれでも当たれば絶命するであろうことに変わりはない。
人の身であれば、あの馬鹿気た怪力を真正面から受け止めるなど到底不可能なのだから。
当然アイリスは頭を低くして避ける。それだけではない。姿勢を低いままにしてシグマの懐へと飛び込んでいく。
「ほう。そう来るか」
斬り込まれたところでシグマが誇る甲冑には疵一つ残せないだろう。しかしアイリスに見縊られるのも癪だ。シグマは接近するアイリスの顔面目掛けて膝蹴りを放とうとする。
人間が繰り出す膝蹴りと、あの化け物が撃ちだす膝蹴りとではまるで意味合いが違ってくる。
不味い。玄武だけが咄嗟にそう感じた。
速度だけでいえば間違いなく自分以上。しかしあれほどの速度を出したままあの蹴りを躱せるとは到底思えない。しかし玄武の心配は杞憂に終わる。
アイリスはそのままシグマの膝を階段を上るかのように足をかけ、突進の勢いを殺さないまま切り上げる。
しかしどれだけ鍛え上げられた剣をもってしても、シグマの鉄壁の護りを崩すことは容易じゃない。それだけ規格外の防御性能を誇る甲冑なのだ。
故にシグマも避けようと思えば避けられる攻撃をあえて無防備に受け止める。
アイリスの剣が圧し折れる瞬間を想像して。しかし腹部から肩にかけてはしる痛みが悪魔を現実に引き戻す。
アイリスの剣は健在のまま宙に弧を描く。
よく見れば彼の剣は白く発光していた。
「ぬうッ!?」
ズン、と音を立てて巨体の片膝が地面につく。
しかし休む猶予は与えられない。シグマの背後に着地したアイリスはすぐにその背を追撃する。
「ちぃ! 【邪眼の束縛】!」
迫り来るアイリスを不気味な眼が捉える。
その瞬間、クルメア法王の動きがピタリと止まってしまう。
「危ねえ、危ねえ。まさかここまでやーー」
「ーー『貴様の武器の効果を拒絶する』」
シグマの小休止も束の間。再び行動を再開した人間を前に大きく目を見開いた。
アイリスは再び最高速度でシグマへと肉薄し、絶え間なく剣閃を浴びせていく。
斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬るーー。
一切の待ったなし。一切の躊躇なし。
あれほど自慢げに謳っていた悪魔の甲冑は、その効果を一切発揮することなく無数の太刀を浴びせられていく。
「ぬおおおぉぉおぉおッ!?」
これには流石のシグマも驚きを隠し得ない。
たまったもんじゃないと大きく後方へと跳躍する。
「ハァ、ハァ……。オイオイ。何だこの有様は。この俺様の作品の数々がまるで効果を成しやしない」
「どうした悪魔。その程度か? その程度でこの俺を前にして虚勢を張っていたのか?」
「……ああ。その通りだ。全くもってその通りだ。反論のしようもない。見縊り、油断し、足元をすくわれる。つい先刻犯した過ちを再び犯すとは、俺様の馬鹿さ加減もここに極まれりってやつだな」
アイリスの挑発に乗るどころか、それに乗っかって自身を戒める言葉を淡々と述べ挙げていく。
「ならばどうする? 例えここで白旗をあげようが、この俺の肉親に手をかけた者の末路はとうに決まっているぞ?」
「フハハハハ! そいつぁおっかねえ! 無論御免被る。お前さんを倒してその運命から逃れるしかあるまいよ」
「ほう。ここまで見下していた相手にコケにされながらまだそんな口を叩けるのか」
「フフ。さあ、デカい口を叩いていられるのは果たしてどちらだろうな」
そしてシグマは三叉槍を地面に突き刺す。そしてすぐにソレはひとりでに地面へと潜っていく。
「さて、やろうか。盛大な喧嘩だ。派手にいくぞ」
さっきまでと何が違うのか。
武器を手放し弱体化したかのようにも見えるシグマだがそれは見当違いである。
単純にアイリス相手なら武器を握っていないほうが戦いやすいと踏んだまで。そしてたかが人間風情と嘲笑していたシグマはもういない。
司に見せたように、大吾に見せたように、玄武に見せたように、目の前に立つアイリスを強者と認めて全力を解き放つ。
ブワリとシグマが放つ殺気にも似た重圧はさっきよりも重みを増していた。
肌ですぐそれを感じ取ったアイリスも、一瞬たりとも気を抜くまいと目を細めた。
そして双眸に捉えていたはずの悪魔の姿が刹那の間に眼前へと迫る。
「……チッ!」
大木のようなアイリスの胴回りの何倍もあろう拳が空気を叩いた。放たれた風圧は奥にある岩壁に止められるが、よく見るとパラパラと石の破片が零れている。まともにくらえば一たまりもない威力だ。
ギリギリのところでしか反応することが出来なかったアイリスが忌々しそうに舌打ちする。
「ほう。よく躱したものだ。だがそうでなくては困る。そら。次いくぞ」
一瞬でアイリスの背後へと回り込み、再び拳を繰り出す。単純ではあるが一撃喰らえば気絶ではすまないだろう。
さっきと立場が逆転し、アイリスは防戦一方となる。
剣でその巨大な拳を受け流し、反撃を試みるが次々と繰り出してくる手数がその暇を与えない。
だがそれでもアイリスにはまだ余裕が残されている。何せ彼の精霊術はあの白城家当主相手にも傷を負わせた能力なのだから。
「あまり調子に乗るなよ、悪魔風情が。『貴様が動くことを拒絶する』」
アイリスが放つ光の波動にシグマの動きが静止する。
ーー今。
僅かに稼いだ隙を余るとこなく使用する。全力をもってシグマへと斬りかかった。
だがそう来る事もシグマは予測済みだ。
仮面の奥で笑いながら仕込んでいた地雷を発動させる。
「そら。避けて見ろ」
不敵に笑う仮面の悪魔。
ただの戯言だと一蹴すればそこまで。しかしアイリスは全身の気を張り巡らし、奴の言葉通りの異変を察知する。
アイリスが覗いたのは真下の地面だった。
そこが小さく隆起したかと思うと、ギラリと光る三つの銀色が彼の身体を貫こうと伸び上がる。
奴の武器だ。
そう思考が判断する前にアイリスは身体を捩じって無理やり回避する。だがそこに待ち構えていたのはシグマの拳だった。
どうにか剣を盾に直接強打されるのを防ぐが、衝撃は優々と剣を貫き肉体へと響く。剣が圧し折れなかったのは精霊術で武器を強化していたからだろう。
しかしシグマにとってもはやそんなことはどうでも良かった。岩壁に勢いよく叩きつけられて苦痛に顔を歪めようが、彼を殺すまで攻撃の手を止めるつもりは毛頭ない。
地面を支えに立ち続ける邪眼の三叉槍ーーその瞳から、禍々しい魔力の塊がアイリス目掛けて放たれる。
アールやグラムたちが使っているのと同様の魔力弾だ。しかしその威力は自動人形以上。
止まない爆音と共に崩れ落ちていく岩壁がその証拠だろう。もはやこの場を囲う檻は崩れ去る。
「さあ、逃げろ逃げろ。再び俺様も行くぞ」
攻撃を止めた三叉槍は再び地面へと姿を消し、シグマは砂煙の中へと突進する。
「チッ。化け物風情が」
爆炎から抜き出したアイリスがシグマの影を目で追う。火傷の痣はあるがどうやら直撃は全て免れたようだ。
視界の悪いその場から離れるようにして距離をとる。
だがすぐに砂煙の中から忌々しい巨体の影が浮かび上がる。
「その通り。俺様は見ての通りの化け物だ。悪魔風情から格上げか? そいつは重畳。ようやく俺様を認めてくれたというわけだ」
ケラケラと笑っているが、殺気は垂れ流し状態。
楽しそうに追撃をはじめる。
「ならば尚更俺は貴様を屠らねばなるまい。それが俺の業。俺の宿命。俺の運命」
「フハハハハハ! 良い、良いぞ。それでこそ俺様の敵に値する傲慢さよ! ならば全力で受け止めてやるのも俺様の仕事なのだろう。さあ来い。ドンと来い。遠慮はいらんぞ! さあさあさあさあッ! 踊ろうじゃないか、楽しもうじゃないか! 舞台も温まってきたところだ。惜しむ場合じゃないぞ人間よ!」
人間と化け物が踊り狂う。
その動きはもはや人間の枠組みを逸脱するほどにまで至っていた。
片方は正真正銘人外の存在であるから当然といえば当然。しかしもう片方はーー。
玄武はゴクリと唾を飲み、両者の戦いを静観する。
仮にも法王の大地最強と謳われた三大騎士家の当主。その屈強な男が同じく人間であるはずの男を前に、震えずにはいられなかった。
(あれが……人間の動き、だと……? 馬鹿な。何故これほどの男が名を知られていないのだ)
自身の全力ですら敵わなかった化け物相手に、青年は互角に渡り合う。一体どれほどの苦難、どれほどの鍛錬、どれほどの経験、どれほどの限界を乗り越えればこんな領域に至れるというのか。人間ながらに人間を越えている。
仮面の悪魔は彼を前にして視線を逸らすなどという愚を起こさない。達者だった口もいつのまにか閉じており、アイリスを倒すことだけに全力を注いでいるようにさえ見えてくる。
つまりはあのシグマですら認めたのだ。己と対等に戦える相手だと。
もはや二人の死闘に割り込む隙間などありはしない。
剛腕の一振りで木端微塵に砕ける大地。
瓦解した岩盤を足場として、縦横無尽に刃を振るう青年。
両者一歩も引かず、両者一歩も譲らず。
しかし徐々に地力の差が見えてくる。
どれだけ限界を越えようと種族の性能には差があるのだから。
生まれもった性能を遊ばせているだけの天才風情とは違う。シグマもまた優れた性能を何一つ損なう事なく発揮できるよう己を昇華させた化け物だ。
ここにきてアイリスが少しずつ防戦に入ってくる。
「そらそらそらそらア! どうしたどうした、化け物を打ち砕かんとする勇者殿! 巨悪を倒す運命に馳せ参じると願うなら、こんなところで倒れるわけにもいかんだろう!」
シグマの一撃がアイリスの身体を吹き飛ばす。
といっても刀身で受け止めた為直接的な損傷はないが、それでも全身にはしる衝撃までは免れない。
痺れる己の両手に舌打ちしながら、それでもおかまいなしと再び悪魔へと迫る。
「フハハハハ! 流石だ。その雄々しさ、逞しさ。まさにこの時代の傑物よ!」
自らが従う主君の存在すら忘れ、己の悦楽に浸り笑う。
「もっとだ。もっと俺様の心を響かせてくれ!」
「ならばお望み通り見せてやろう。さすれば散れ。それが俺の本気を引き出した貴様に対する報酬だ」
シグマの攻撃を弾きアイリスは一度距離をとる。
なぜ追撃の機械をみすみす手放すのか。一瞬疑問に感じるシグマだったが、すぐにその理由を理解する。そして悪魔はそれを見てまた目の前の人間に感動した。
アイリスの剣が光輝く。白く、神秘的に、神々しく。
天に掲げた剣はまさに聖剣。刀身は天をも貫く巨大な光柱へと成り果てて、雲を散開させる。
「おお……ぉおオ、なんというーー!」
歓喜に言葉を失いながら、悪魔は戦うことすら忘れて天を仰ぐ。
「散れ。仮面の悪魔よ。ーー【極光剣】」
そして光の鉄槌は下される。
雲も、空気も、大地もーー軌道にあるものは有象無象の区別無く、光の彼方へと呑み込まれていく。
「フハハハハハハハ! これが人間。これこそが人間! それでこそーーッ!」
そして仮面の悪魔もまた光の柱に影一つ残さず呑み込まれていく。
シンと静まり返るこの場所で、光りは何事も無かったかのように消失する。
そこに残っていたのは真っ二つに割れた大地だけであった。
アイリスは無言のまま剣を鞘へと納める。
その姿はまさに怪物が口にしたおとぎ話にある勇者の姿だった。




