第九話:プラムエルの思惑その弐
勝利の風はローランド法王国側へと吹き込んでいる。
セスバイア法王国が所有する臼砲や銃といった隣国技術を遥かに凌駕する武器も、今のローランド法王国軍からすればさほど脅威ではない。
もしも精霊の舞闘会が開催されていなければこうはならなかっただろう。
そういう意味ではクラウンの閃きはローランド法王国の命運を変えたということになる。提案した本人は気づいていないだろうが。
法王の大地の四国の中で最も強国と謳われた事実は確固たるものとなり、盤石の地位を固めるに至っていた。
それぞれ右翼、左翼に展開していた軍が再度中央を目指して集う。
そのタイミングは狙ったかのように同時であった。
「……お。大将!」
その片方の先頭に立つ男が、再会を喜ぶ声を上げた。
「無事だったか」
玄武は大吾と司、そしてその後方を並ぶ騎士らを見る。
よくもこれほど残ったものだ。
前の戦いを知る玄武は素直に感心した。
以前は臼砲や銃といった武器を前に、歴戦の猛者も等しく命を奪われていった。だからこそ今回も最悪同等の被害が出るのではと懸念していたのだが、どうやら考えすぎだったようだ。
よもや精霊術が使える人員が増えるだけでこうも結果が覆るとは。厳しかった見積もりを修正する。
「っかっかっか! 当然ですよ!」
「それだけではありません。あのシグマという悪魔も我々で討ち取ってまいりました」
「何だと!?」
驚愕の声が玄武から発せられる。
なんという僥倖か。これほど嬉しい知らせはない。玄武は元々左右に展開した両翼の軍で中央を挟撃する算段であった為、予定していた激戦が消失したということ。
セスバイア法王国軍を降す為の巨大な障害が一つ減ったのだ。これ以上ない誤算だ。
しかも彼らだけであの巨悪を討ち取ったというのに被害も最小限以下。
認めざるを得まい。
「良くやってくれた。二人とも」
厳格な男が笑う。
司には一度たりとも見せたことのない表情だった。
生まれ落ち、成人し、ようやく認められた。司はその事実に心中歓喜の声が響く。だが今この場でそれを表には出さない。まだ戦争は終わっていないのだから。こんなところで気を緩めてしまうと、折角急上昇した株が下落しかねない。
ギリギリのところで緩みそうになる表情を引き締める。
そんな子の成長を前に、声に出さないが玄武は素直に評価した。
(白城が子の成長云々の話をしていたが……確かに嬉しいものだな)
そうあれかしと生み、そうあれかしと育て上げてきた。
厳格な父からすれば司の成長過程は必然であり絶対だ。出来て当然。それが三大騎士家として生まれた人間の責務だと。玄武自身がそう育てられてきたのだからこそ、その思考が彼の軸となっていた。
だが自身の予想を超えた成長を目の当たりにするとそうもいかない。
こう考えるのも白城という変な男の影響なのかもしれない。
そんなことを思いながら、現に再び目を向ける。
ちなみに横にいる大吾はへらへらと褒められたことを素直に喜んでいた。
平常運転である。
「ならばもはや脅威となるのはセスバイア法王国の巫女姫のみ! 勝利は目前。各員、私に続け!」
玄武は分かれた両翼をまとめあげる。
勝利に近づき高まった士気を更に鼓舞すると、セスバイア法王国門前に展開する兵士らに突撃を開始した。
戦力数だけでいえば両軍の差はそれほどない。
だがそれは現時点での話。元々人数で上回っていたはずのセスバイア法王国軍の数と拮抗してきたのだ。両翼に展開していたセスバイア法王国軍は既に瓦解し、残るは指揮官のいない数だけの中央軍。
長い戦いで疲弊しているとはいえ、個々の実力だけでも圧倒するローランド法王国軍からすればこれ以上楽な戦いはない。
次々と敵の戦力を削っていく。
「よし! このまま門を突破する!」
切り開いた突破口。
門への直線道を有無を言わさぬ力押しでまかり通る。もはや彼らを止める戦力は残っていない。一矢報いるだけでも一苦労なのだから。
だがーー。
否。
否。
否。
断じて否。
彼女はそんな彼らの勢いを否定するかのようにして現れる。
門の手前、宙に歪んで開く断層から一人の少女。
ぶつかり合う怒声。奏で合う金属音。鮮血が飛び砂塵が舞う泥臭い戦場で、少女はお花畑でも歩んでいるかのように楽しそうな笑みを浮かべていた。
セスバイア法王国の巫女姫。
戦争の幕を開いた狂った少女。
一国を治める法王。
プラムエル・ムーデ・セスバイア。
待ちわびた時だと言わんばかりに、彼らの往く手を阻む。
「全軍停止!」
増々勢いを増す後勢を制止させる。
折角ノリに乗った勢いが水の泡だ。このまま数と勢いで圧し潰してしまえばよいものの。そう考えるのは前の戦いを知らぬ馬鹿しかいない。
この程度で彼女は死なない。この程度で彼女は抑えられない。
それを知る玄武だからこそ、全軍を停止させたのは正しい判断だといえる。勢いに身を任せて溺れる馬鹿に指揮官など務まるはずもないのだから。
「久しいな。セスバイア法王国の巫女姫よ」
「だね。松蔭玄武さん。といっても法王会議以来だしそれほど時間は経ってないけど」
「こうして戦場であいまみえることがだ」
「そういえばそっか。にしても随分アタシの兵達の命を奪ってくれたよね。実は遠くから見てたんだけど前とは全然違う結果に驚いちゃったよ」
散々に押されているはずなのに大将である少女は笑うばかり。
現状を理解出来ていない無知なのか、それともこの状況をいつでも覆せるという自信の表れなのか。捉えどころのない不気味な雰囲気に、彼女を初めてみる面々は困惑してしまう。
「特にそこの二人」
プラムエルが指さすのは大吾と司。
「全力じゃないとはいえ、あのシグマを倒すなんて表彰ものだよ! 見ててワクワクしちゃった!」
心が圧し折れそうになる事実があっけなく語られる。
一体目の前の彼女は何を言ったのだ。聞き返したくなるほどの事実に二人は身を震わせる。
「……っかっかっか。冗談にしちゃ笑えねえぜ。お嬢ちゃん」
「冗談なんかじゃないよ。シグマはまるっきり全力じゃなかった。前回も今回も。ほんのお遊び程度だよ、きっと」
プラムエルはきっぱりと言ってのける。
あれが全力ではない? 冗談じゃない。そんな訳がない。
確かに奴の油断をついて倒したのは認めるが、それでもギリギリの戦いだった。
仮にアレが全力というのを見せたとすると自分たちじゃ相手にならないということか?
根拠のなく浮遊する少女の言葉に大吾は困惑する。
「……耳を貸すな」
しかし司は真っ向から否定した。
「仮にそれが事実だとしても、奴を倒したという事実も変わりない」
「そりゃそうだ。全力を出す前にやられるなんざ三流以下。いつも言われてたことだったわ」
プラムエルの言葉にまんまと踊らされそうになっていた大吾は、自身を恥じながら心の靄を振り払う。
倒したという事実。
この手に残る奴を斬った感触。
それだけを信じていれば良いのだと。
「さて。それでどうする? 貴殿がここに現れたというのは降伏の知らせか。それともまだ戦い続けるおつもりか?」
玄武は睨みを利かしながら少女に問う。
無論これで彼女が怯むなどと微塵も考えてなどいないが。それでも僅かにある可能性を投げかける。
だが、
「アハハハハハ! まっさか~」
プラムエルはゲラゲラと笑って一蹴する。
当然だ。
彼女はレーベンを狂信的にまで崇拝、そして信仰する信者の一人。その代表格の巫女姫なのだから。
彼女が立ち続ける限り国中が信徒となるセスバイア法王国に降伏はない。十年以上も前の戦いの恨みを晴らしたいと願う人間はまだまだ山ほどいる。
セスバイア法王国を君臨する法王として彼らの願いを。レーベンを崇拝する巫女姫として多くの死を。
彼女を行動させる基因が不滅である限り、彼女は役目を果たし続ける。
分かり切っていた解答。
玄武は落胆しながらも覚悟を決める。
「投降の意思はないか。ならばここで今度こそ終わりにしてやろう」
「出来るの? 貴方が? 貴方たちが? アタシ一人を相手に手も足も出なかったのに?」
「あまり人間を嘗めるなよ」
「アハハハ! そう怒らないでよ。甞めているつもりはないし、馬鹿にしているつもりもないんだから。私は等しくレーベン様に捧げる為の多くの死が欲しいだけ。そこに強者も弱者も男も女も赤子も老人も敵も味方も関係ない。むしろアタシは等しく命あるものに敬意を抱き、そして一切の不純なく平等に命をもらう。ただそれだけ」
「狂信者プラムエル・ムーデ・セスバイア。やはり生かしておくには危険だな。我が国の為にもここで滅んでいけ!」
大地を蹴る。
舞った砂石の高さが玄武の怒りを体現しているかのようだ。二人の距離は瞬く間に消失する。
プラムエルは自身が宣言するように選ばれた人間だ。
幾数もの上級精霊と契約を交わした間違いなく唯一無二の宝。だが少女自身は成人にも満たぬただの少女。
ローランド法王国の最高戦力と謳われる男の動きが捉えられるはずもない。
間違いなくその細い首は圧しきられるかのように思えた。
だが彼女を主と崇める化け物がそれを許さない。
二人の間に割って入る巨大な影。銀色の剣閃は火花を生み出し遮られる。
「嘘だろ!?」
叫んだのは大吾だった。
無理もない。何せそこには倒したはずの化け物の姿があったのだから。
「言ったはずだぜ松蔭家当主殿。いきなり大将とるなんざ無粋だってよぉ」
仮面越しから粋に語る独特の口調。
忘れる筈もない。揺るぎようがない。奴だ。
目を見開き驚愕する大吾と、静かに固唾の飲みながら目の前の現実を受け入れる司。驚く様子はそれぞれだが、両者とも思いは一様だった。
「フッフッフ。そんな顔するなよ、お二人さん。お前たちは確かに化け物を討ち取った。見な。この甲冑を。お前たちの勇猛果敢な正義の剣はたしかにこの俺様を貫いてみせたじゃないか」
シグマの甲冑を見る。
背を穿った穴。切り裂かれた爪痕。紛うことなく闘りあった同一人物である。
しかし割れた部分から覗き見る悪魔の身体に傷一つ残されてなどいない。
「……だったら何でそんなピンピンしてやがんだよ?」
「……不死の精霊の能力か?」
思い当たる節といえばそれしかない。
プラムエルが契約する上級精霊の能力。魔力と引き換えに死に至る傷さえも瞬く間に復元する反則染みた力。
前の戦争ではプラムエルが自身の回復に使っていたものだが、もしもこれが他者にも与えられるものだとしたらーー。
考えたくもない脅威が玄武を襲う。
だが玄武の憶測はスッパリ否定される。
「いいや。残念だがそうじゃない。ご主人様の能力で他者を救うことは確かに可能だが、精霊術など悪魔にとっては無意味ーーいや、害悪でしかないからな。これは俺様持ち前の再生能力さ」
ま、悪魔ならおおよそどいつもこいつも兼ね備えている能力だがな、と付け加えて。
「そもそも悪魔を滅ぼしたいのならば首を刈り取るか、核をつくか、肉片の一欠けらも残さず消滅させるしかない。よおく覚えておくといい」
大木のような腕が玄武を叩く。
ブンと空に残される音は鈍く、低い。こうも簡単に巨体であるはずの身体がもっていかれるのは単純に質量差が明確に表れている証明だ。
小さな呻き声を落として地面を滑りゆく。大剣を滑り止めとして、大吾らのところまで後退したところでようやく停止した。
「……お前たち。魔力に余力はあるか?」
「恥ずかしい話、俺はすっからかんに近いですわ」
「私もほとんど残されてはいませんね」
「……そうか」
追い込んだはずがいつの間にか追い込まれていたようだ。
現状に静かに絶望する。
一応玄武にはまだ魔力が残されてはいるが、シグマとプラムエル二人を同時に相手どると考えると心もとない。他の騎士らも銃や臼砲を防いだり、遠距離からの攻撃で精霊術を多用していた為あまり期待は出来ないだろう。
さてどうするか。
玄武の頭に浮かぶのは徹底抗戦か撤退の合計六文字。
前の戦いではシグマの甲冑を破れなかったのが敗因の一つ。しかし今目の前にいる悪魔の甲冑は大吾らの戦闘によって多くの傷がつけられている。そこを突けば勝機を見出すことが出来るだろう。
だが問題は奴の再生能力とプラムエルの精霊術。これらを吟味すると勝機は千に一つか、万に一つか、億か、兆か、それとも京か。
もはや天秤は傾きつつある。
そしてあと一押しをプラムエルが手助けする。
「さ~て。アタシたちの兵によってこの地は綺麗に染まったし、今度はアナタ達の死で戦場を美しく飾ろっか。おいで。アールたち!」
少女の言葉と同時に、彼女の後方にあった巨大な門がひとりでに開き始める。
開門。
それこそがローランド法王国の目的の一つにして勝利への礎。だが事象は同じくしてまるで意味合いが違う。そこから出てきたのは絶望でしかなかった為に。
ひょこひょこと顔を見せる小さな身体。子どもだ。戦場に似つかわしくないという意味ではプラムエルもそうなのだが、こうまでぞろぞろと顔を見せる子どもたちを見ると戦争というイメージがまるで変わってくる。
数えれば総勢二十名の同じ顔姿の子どもたち。
だというのに彼らを見たローランド法王国の表情は戦慄した。
大吾も、司も、あの玄武ですら、平等に目を見開く。
何せ彼らの双眸に映ったのは、白城家執事の一人。ビヒーという名の少女の姿だったのだから。
「ビ、ビヒーさん!?」
やはり最初に声を上げてみせたのは大吾だった。
ここにいる他二名の心の声を代弁する。
「アハハ! 似てるでしょ? シグマに造ってもらったんだ」
「『造って』……? ビヒーさんじゃないのか?」
「言ったじゃん。見た目通り頭もそんな回らないんだね、キミ。この子たちの名はアールだよ」
「……じゃあビヒーさんじゃないってことだよな?」
「その通りだ。鳳大吾。コイツらは俺様が創った自動人形。そういやお前さんは以前、グラムの奴も壊したんだったな」
「グラム……?」
引っかかっていた名前が紡がれ、大吾は再び記憶を漁る。
関連語句は自動人形。それでようやく思い出す。
セスバイア法王国に梓と愛の二人を救出しに行った際に立ちはだかった青年の顔を。迷宮を彷徨う牛悪魔と二人がかりでようやく倒すことに成功した苦い思い出だ。
「……あの時の。つまりそこらのーーアールっていうビヒーさんに似のそいつらも、あのグラムっつーやつと同じ存在ってことか?」
「その通りだ。あの悪魔ほどじゃあないが、そこにいる松蔭家ご子息殿と同等程度の強さを持っている俺様の新作よ」
「…………え? ちょっと待て。今何っつった?」
「フハハハハハ! 戦力差にビビりでもしたのか? あのグラムと同等程度のーー」
「ちげえ! ビヒーさんが……悪魔?」
「おぉ。そうか。お前さんは知らなんだな。その顔を見る限り英雄のご子息殿も。……どうやらお前さんは知っているようだが」
シグマは玄武の表情を覗き見てそう判断する。
不変の表情。そこにビヒーが悪魔であるという事実に驚いた様子はない。シグマの言うように把握していたことが分かる。
何か言いたそうな顔をする味方面々に、玄武はキッパリと言い放つ。
「ああ。前の戦争の時から知っていた。それを知るのは法王様をはじめとするごく一部の人間だけ。……もう隠すことも出来んな」
あっさりと暴露される事実に、大吾は言葉を失ってしまう。
悪魔という存在。それは別にこの際構わない。迷宮を彷徨う牛悪魔だって今では彼が慕う仲間の一人なのだから。
だが問題なのはビヒーが悪魔ということは、白城家当主であるクラウンが悪魔召喚を行った可能性があるということだ。
悪魔召喚は禁忌とされる立派な犯罪行為。その手法こそ公に記されてなどいないのでほとんどの人間が知らぬことではあるが、ハッキリと厳罰の対象となっている。
クラウンは大吾にとっても尊敬する人物であり、自分の恋人の父親なのだ。
彼が裁かれることや恋人が泣く姿など見たくない。嘘であってほしいと強く願う。
しかしすぐにそんな彼の思考はどうやら不安が先行しすぎていただけだと、話を続けた玄武の言葉によって理解する。
「おとぎ話の中でしか聞かぬような悪魔などという浮ついた存在。にわかには信じられんだろうがそれは確かに存在する。それが奴の言うように白城の執事たちであり、目の前の化け物のような存在だ。
では悪魔とは必ずしも憎むべき存在なのか。否だ。人間の中にも善悪が区分されるように、悪魔の中にも稀有な存在がいる。それがビヒー殿やレヴィ殿といった悪魔だ。
彼らがいたからこそ精霊の舞闘会は開催され、私達はここまで強くなった。その恩をただ種族という壁に阻まれてないがしろにするような輩は我らの中にはおらん。そうだろう?」
玄武の言葉で全てが払拭される。
そうだ。その通りだと。
「確かに法によって悪魔召喚を行えば裁きの対象となるが、彼らは白城を気に入ってついて来ただけだと言っていたしな」
そう付け加える。
「……おいおい。それじゃつまらんだろうよ。国とは法の管理下に置かねば成り立たん。俺様が言うのもなんだが法を犯しているなら厳罰に処分するべきだろう。それとも悪魔召喚をしていないなどという証拠でもあるのか?」
「いいや。だが逆に悪魔召喚をしたという証拠もない。ならば私たちの国にもたらした恩を汲み取るべきだと判断したまでだ」
「やれやれ。ーーだとさ。我が麗しの陰謀姫よ」
「ちぇ。白城クラウンを悪魔召喚の疑いにかけて処分してもらおうと思った作戦が台無しじゃん」
はあ、と分かりやすく残念がるプラムエル。
どうやら以前の屈辱を果たすためにそんなことを考えていたようだ。
「でもいいや。セスバイア法王国が代わりにやってくれるだろうし」
「あ? どういう意味だよ?」
「アハ! もしかして気づいてないの? 松蔭家の人は気づいてるみたいだけど」
チラリと玄武を見る。
玄武は「成程。そういうことか」と小さく呟いていた。
分からん。
全く話についていけない大吾が質問しようとしたところで、玄武が号令を下す。
「全軍転回! 今すぐローランド法王国に帰還する!」
何でだよ!
事態についていけない大吾がそう叫ぼうとするが、司がそれを抑えて命令に従う。
勿論司も大吾同様、件の奥地を理解しているわけではない。
だがそれでも現状把握だけはできていた。大吾と比べて経験が長いだけはある。
司が理解したのは現状の戦力差。数ではなく問題となる質に着眼点を置く。
復活した仮面の悪魔に、最大の脅威プラムエル。それと合わせて自分と同等程度の強さを持つと宣言していた自動人形ニ十体。
対してこちらはどうだ。
疲弊した騎士に魔力が枯渇しかけている大吾と司。そして玄武。
ーー勝てる見込みが小さすぎる。
父の迅速な判断は正しい。だからこそ自分のやるべきことも理解した。
「命令だ! いいからいくぞ!」
「ーーチッ!」
大吾も馬鹿ではあるが底なしではない。感情を優先させすぎている傾向はあるが。
自身に憤りながらも、何とか感情を押し殺して副官としての役割を果たす為に動く。
「おおっと。ソイツは少々虫が良すぎるんじゃないのか? 他人様の家に不法侵入した挙句、都合が悪いからとトンズラこくなんざ」
「ふん。それは以前のお前たちも同じだろう」
「フハハハハ! 耳が痛い! たしかにそうだ。フフフフフ……。どうするご主人様? 尻尾巻いて逃げる彼らに慈悲をかけてやるのか?」
「まっさかぁ~。だめだめ駄目駄目許さないって。レーベン様の為にも一人残らず殲滅よ」
「……という訳だ。悪いが生きることを諦めてくれや。お前さん方」
シグマがそう言うと後方に控えていたアール達が一斉に動き出そうと視線を向ける。
撤退する騎士達の背後から追撃するつもりなのだろう。
「させん!」
だが玄武が当然それを許さない。
殿としてその地に残る玄武が剣を構えた。
「司先生! 俺らもーー」
その後ろ姿を見て慌てて大吾が反転しようとする。
だが司はそれを許可しない。肩を掴んで強い口調で大吾に命令した。
「駄目だ! ハッキリ言うが今の私達では足手まといにしかならない。被害を最小限に抑える為にも、私達は父が取りこぼした場合に備えてあの人形共の迎撃と全員の指示誘導を優先させる」
「けどこれじゃーー」
「いいか。今一度言う。馬鹿な生徒よ。今私達がこの場を放棄すれば救えるかもしれない万の命を失う可能性もある。私達は第一騎士団の副官だ。上官の命令には何があろうと絶対に従え!」
唇を噛み締めながら司は大吾に言い聞かす。
(ああ、そうか。そうだよな。堪えてるのは俺だけじゃねえんだ)
普段から表情を崩さない司から零れ見える悔しさを感じ取りながら、大吾は再び己を恥じる。
思えば司は一人残ろうとする男の子どもなのだ。本当は父一人残して行きたいはずもない。
それでも自分を押し殺して周囲の状況を正しく理解できるからこそ、彼はこの第一騎士団の副官を担っているのだ。
だというのに自分はーーと、まだまだ己の責務を正しく認識できていなかったと反省する。
「了解! 玄武さん。死なねえでくだせえよ!」
大吾はそれだけ言い残して玄武に背を向けた。
もう振り返ることはない。
「……こちらは私達に任せてください。どうかご無事で」
そして司もまた。
背後からかけられた二つの声を拾い、玄武は小さく笑う。
自分は間違いなく命を落とすだろう。だというのに無茶な要求をする馬鹿どもが、と。
だがおかげで格好はついた。覚悟も決まった。
あとは彼らがやったように、己しか出来ない現状最善の責務をこなすことのみ。
「一匹たりとも通さん! ≪石の守衛≫」
地面から這い出てくる無骨な石像。
合計四体が玄武を中心に展開した。