第七話:座学の時間その弐
「それでは精霊術についてたが……」
と言ったところで司は一同の顔に視線を流す。
おそらく誰かに解答を期待しての仕草だったのであろう。それを察してか愛はスッと立ち上がり応える。
「はっ! 精霊術は精霊と契約、つまり精霊に人間が保有する魔力を供給することでそれに応じた現象を精霊に行使してもらう技術です」
精霊術はローランド法王国では子どもですら認知している当たり前の技。
ここにいる全員がこの聖騎士学校でも何度も学んできた為、彼らは特に興味を抱くわけでもなくその単元については耳に預けっぱなしにする。
「また精霊にも階級が存在し、一般に武器などの全てに宿る最下級精霊。彼らは精霊の中では力が弱いので、宿り木である物を所持していなければ精霊術を使用することができず、威力も決して高いとはいえません」
「その通り。しかし媒介となる物を所持していなくとも精霊術の行使を可能とするのが下級精霊との契約だ」
ローランド法王国が確認している下級精霊の数は九種。
光の精霊・闇の精霊・風の精霊・水の精霊・火の精霊・土の精霊・雷の精霊・氷の精霊・森の精霊。
これらの下級精霊は最下級精霊とは違って一つの物に宿ることはないので、どこに存在しているかは不明である。
それぞれが自由意志をもって行動しており、その数も九体と少ないため生涯でその希少な姿をお目にかかることの出来る人間はほとんどいない。
例え下級精霊と対話できたとしても、彼らが満足しうるだけの魔力を所持していなければ契約することは叶わない。
その為、武器等を所持していなければ精霊術を行使できない人間がほとんどだ。
しかし一度契約を交わすことが出来れば、仲介となる物がなくともその場にいない精霊にも直接魔力を供給できることが可能となるので、戦闘においてその利便性は測り知れない。
更に最下級精霊と違い、その規模・威力は完全に上位に立つ。
ただしその契約した精霊の属性と異なる精霊術の行使は当然不可能で、そういった意味では全属性の精霊術が行使可能な最下級精霊の方が汎用性に富む。
「この下級精霊と契約を交わしている人間はこの国の中で五名。まずはお前の横に座っている白城梓」
司の言葉に皆の視線が梓に集中する。
知ってはいたがその稀少な精霊術を行使できる三大騎士家を改めて羨んだ。
「次に私の父、松蔭玄武。獏党家当主の獏党静香。法王守護騎士隊長である陣内喇叭。最後にこのローランド法王国を統べる法王様だ」
司の紹介に「えっ?」と誰かが声を漏らした。
松蔭や獏党等の三大騎士家の人間が精霊術を行使できるであろうことは想像していたが、まさか法王までもが精霊術を行使できるとは思ってもいなかったようだ。
知らざる事実に騎士生らは少しずつ興味を回復させる。
それとはまた別に何か喉の奥で引っかるものを感じていた愛は、暫し記憶を辿る。
それをすぐに思い出すと、傾げた首を戻してその疑問を司にぶつけた。
「下級精霊と契約を交わした人物が五名とおっしゃいましたが、先ほどの梓との戦いで松蔭先生も精霊術を行使していたかと思うのですが?」
そういえば、と遅れて記憶の糸を辿る一同。愛がその事実に辿り着くまで彼女以外はどうやら気づかなかったようだ。
《精霊術・二重の歩く者》は紛れもなく闇の精霊の技。
闇の精霊と契約を交わしている梓が行使できるのは当然だが、あの精霊術は最下級精霊が使用できる力量を超えている。
司が使えるはずがないのだ。
しかし司の解答はとても単純なものだった。
「それは私が中級精霊と契約を交わしているからだ」
そう言い放つ司をその場にいた全員が目を見開き、驚愕の声を漏らしてしまった。その場にいる誰もが羨む下級精霊と契約を交わした梓ですら声を上げてしまう。
それも仕方がないだろう。
中級精霊はその名の通り下級精霊の上位の存在。
その数も能力も不鮮明で、その存在はもはや伝説として語られるほどだ。
そんな精霊と契約を交わしたと言ってのける小柄な青年を前に、全員に動揺が伝播し、まさかまさかと耳を疑ってしまう。
分かりやすく慌てふためる自分の生徒達を前に、司は騎士とは何ぞやと心得を説こうとする。
しかしその表情は仲間内で盛り上がる興奮した子どものものであり、それを見ると毒が抜かれたようにその気も失せた。
おそらく成人している騎士団ですら同様のシチュエーションであらば驚きを隠し得なかっただろう。
加えて時折混ざる尊敬の視線に男の矜持でも感じたのだろうか、少し気恥ずかしそうに頭を掻いた。
「先生が契約を交わしているその……中級精霊とは一体どんな精霊何ですかい?」
少し控えめに大吾が伺う。
「私が契約を交わしたのは模倣の精霊。一度見た精霊術であれば完全に模倣し、行使することができる」
つまり全属性の精霊術の行使が可能となり、中級精霊の名に相応しくその効果を高めて行使可能となる破格の能力だ。
ローランド法王国の中で中級精霊と契約を交わした人間は司一人。精霊術のみならば司は他の追随を許さず、自分の親である玄武ですらその横に並び立つことはできないのだ。
「おいおい…。反則じみた能力だな」
思ったことを大吾はそのまま小さくぼやいた。
それに賛同するかのように皆が一様に頷く。
「確かに精霊術としては群を抜く力だろう。しかし個の力量を決めるのは精霊のみにあらず、心技体全てが問われる。現に私は父玄武に一度たりとも勝ったことがないのでね」
そう言い放つのは聖騎士学校の上位三名を簡単にあしらった教官。
そんな人物が一度も勝利したことのないというローランド法王国最強と称される松蔭玄武。
大吾をはじめとする全員が、改めて頂に立つ存在に畏敬の念を抱いた。
(そういえば父上は下級とはいえ悪魔だから、松蔭家当主と戦ったらどっちが強いんだろう?)
約一名は別のことを考えていたようだが。
「また精霊術が戦闘の場において効果を発揮するのは下級精霊以上と契約した場合のみだ。そこで諸君らのほとんどがその対象外となる今、優先して磨くべきは戦技となる」
そこで一度周囲を見ると、
「ちなみに……この場で戦技を使えるものは挙手せよ」
バッと全員の手が上がったことに満足そうに頷き、梓らの方へ顔を向ける。
「よろしい。それでは最低でも彼女らが先ほど披露した戦技程度は放てるよう今後訓練していくので覚悟するように」
その力強い言葉に、男衆は「おおっ!」と歓喜の声を発散した。
あの松蔭家の血筋が、自分らの同期生にして実力上位の二人を指して、そのレベルの戦技を身につけさせてくれると豪語したのだ。
男として、騎士として自身のスキルアップが期待できるのを想像すると、胸の高鳴りは収まらない。
そんな男どもを余所に女生徒二人は、自分たちを軽く見積もられたことにやや表情を濁すが、自分以上の実力を誇る指導員を前に嘆息するしかなった。
もっと強くならないとな、と二人視線を合わすと男衆に混じり素直に高みを目指すことを決意した。
そんな騎士生らの高揚するやる気に室内が包まれていく中、その空気が急に排出される。
あからさまではあったがこの挑発、司なりの鼓吹は訓練を前とする騎士生らに効果をもたらした。
しかしその目論見を破綻させた不躾に開かれた扉に、司は少し怒りを覚えながらも目をやった。
その眼光が衝突した場所にはやや萎縮してしまった男の姿。
急いで来たのだろう、肩で小刻みに息を吐いていた。
全身甲冑ではない、軽装なその姿はローランド法王国の伝令兵。
息を整えるより早く司に向き直る。
「こ、講義中失礼いたします! 玄武様の命により急遽、白城梓に詰問しなければならない案件があります!」
本来ならば三大騎士家当主の命令は有無を言わさず厳命された通り行動に移ることができるのだが、その嫡子たる青年を前に許可を求めるかのように立ち止まって敬礼する。
それを察した司は、それを許可するよう片手をあげる。
司の許可を確認すると、伝令兵は窓際に座る梓に一歩、一歩と距離を縮める。
その影を追うように皆の視線も移動する。
事の中心に立つ梓は唐突に自分の名が呼ばれたことに戸惑いを隠せないでいた。
自分が一体何かしたのだろうか…と瞬間的に脳内を検索して出てきた答えは悪魔召喚。
(まさかーーもうばれた!?)
覚束ない目線。頬を流れる冷や汗。
そんな梓のすぐ傍らに座る愛は、心配そうに見守るしかできなかった。
「白城梓。質問に答えてもらおう」
既に梓の目前に立っていた伝令兵が梓を見据える。
(どうするどうする!?)
もし悪魔召喚したことがばれてしまえば、白城家の復興は完全に頓挫する。
それだけでなく折角出来た友達を失うことにもなるかもしれない。恋慕する相手に失望されるかもしれない。
浮かべるだけの最悪を想像しながら不安を必死に殺そうとする。
だがそんな梓の不安は良い意味で完全に裏切られることとなった。
「ーーお前の父が戻ってきたという事実は真か?」
「え?」
「「「へ?」」」
素っ頓狂なまでに折り重なる声。
それはその場にいた司以外の全員が奏でた疑問符だった。声に漏らすことはなかったが、その言葉に司も驚きを見せていた。
白城家に婿入りした男の名も姿も全てが謎。唯一知るのはその妻のみ。
そんな白城家衰退の原因を作った張本人でもある存在を仄めかすような発言。それを紡いだ伝令兵の表情は真剣そのもの。
その姿を見て、少なくとも白城を名乗る人物が現れたことだけは全員が理解した。
「いや、質問を変えよう。お前の父の名は?」
そこでようやく悪魔に命じたことを思い出す。
(そっか。私が父上に法王様に仕事をもらうよう話したんだ)
真面目に父親として動いてくれた悪魔を想像し、ようやく混乱から立ち返った。
「白城クラウンです」
自分で尋ねた事ではあったが、まさか本当に正答が返ってくるとは思わず伝令兵は面食らってしまう。
しかし名の一致だけでは真実味が薄い。
伝令兵がさらに質問をぶつけようとするが、それより早く梓が答えた。
「あの、実は父上は本日帰国されました。私だけに知らされた母の遺言に従って父かどうかの判別もしましたが、間違いなく私の父です。紋章入りの金貨も父上に返上したので確認していただければと……」
「む、むぅ……」
三大騎士家当主の証たる金貨。そんな大事なものを赤の他人に渡すはずもない。そしてその金貨を伝令兵は認知済みだ。
梓の言葉に嘘偽りないと思うと小さく唸るしかなかった。
「失礼! 協力感謝します!」
梓、も含めてだがその場にいる全員に敬礼をし終えるとすぐさま踵を返して去っていった。
嵐が去り、皆が皆、時が止まったかのように沈黙する。
始めに第一声を発して空気を壊したのは、梓の横に座っていた愛だった。
「梓ってばお父様が帰ってきたの!? すごーい! 良かったじゃん!」
「っかっかっかっ! 喜ばしいじゃねえか。誰も目にしたことのない存在。早くお目にかかりたいもんだぜ」
続くは大吾の声。
それを機にと他の騎士生らも梓を中心に取り囲みながら次から次へと疑問が投げられていく。
一気にがやがやと喧騒が広がる室内を見渡しながら、司は静かに声を漏らした。
「……騎士道精神か」
騎士道精神の中には、常に冷静に周囲を見渡せる視野の広い騎士たれという内容のものがある。
講義中にも関わらず自身の好奇心を優先してそれを放棄する彼らの所業は、まさにこれに反するものだろう。
しかし司は彼らを叱咤するわけでもなく、ただ静かに耳を傾けるだけだった。
「私もまだまだ未熟者だな…」
まるで自分に言い訳をするかのように、生徒同様好奇心を満たすために梓らの問答に集中する指導員の姿がそこにはあった。
ここまでのご愛読ありがとうございます。
更新頻度は仕事もあるので、頻繁とまではいきませんが全力で頑張ります。
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