第七話:戦争その壱
弧を描く様に形成された外壁を囲うように、ローランド法王国もまた大きく戦力を展開していた。
といっても高さの利は明らかにセスバイア法王国にあり、実際には取り囲んでいるというより見下ろされているという感覚の方が強い。外壁に隙間なく敷き詰められた臼砲の口が、ジット彼らを見据えていたのだ。
騎士ら一人ひとりが、いつ砲撃されてもおかしくない緊張感から剣を握る手が自然と強くなっていく。
それでも弱音を一切口にしないのは、彼ら全員が一人前であるという証明だ。
そしてその心意気を背後から支えているのは、やはり目の前で堂々と構える指揮官殿の背だろう。
総指揮官の玄武率いる第一騎士団は、玄武を中心に中央、右翼、左翼とそれぞれ軍を広げていた。
激戦が予想される中央は当然総戦力の半分と玄武が陣を構え、左翼は司と大吾が。右翼は元第一騎士団副官の峰岸がそれぞれ率いている。
すでに朝日は昇り、各指揮官は総指揮官である玄武の合図を待つだけ。
両軍睨み合ったまま微動だにせず、戦場は静寂が緊迫感を演出していた。
「……栗原の調査通り、私達が仕掛けるのを待っているということか」
既に第一騎士団の前衛は臼砲の射程圏内。
しかし向こう側に全く反応がないという事から玄武はそう判断する。ある意味余裕の表れにも捉えられるが、攻め入る側としては都合が良い。
玄武はひとまず全くの想定通りの展開に従い、いよいよ全軍に開戦の号令を起こす。
「ーー此度の戦いはローランド法王国の命運を分かつ聖戦である! 家族を、友を、国を護る為、自身の最高をもって剣を振るえ! 全軍! 騎士道精神・第一・第二・第三唱和!」
玄武の言葉に全員が胸に剣を構える。
「「「一つ、いついかなる時も民を護り、導く騎士であれ!」」」
「「「一つ、民を護る剣として、常に己を磨き、折れぬ剣と化せ!」」」
「「「一つ、己が身一つも国の財産であり、許可なく軽視することなかれ!」」」
万を超える第一騎士団の声が広域にまで響き渡る。
剣が、甲冑が、空気が、外壁がーー比喩ではなくーー揺れた。
最初こそ騎士達の声によるものかとも思ったがそうではない。
両軍を遮るかのように中央の大地が突如盛り上がり始めたのだ。地響きと共に形成されていく丘のようなものは、一気に空に届かんばかりに膨れ上がった土塊。
寄せ集めで形成されたソレはとても歪で、辛うじて胴長手長の人型にも見えた。
突如現れた巨大な影に、セスバイア法王国の兵士らに動揺が広がる。
無理もない。高さで優っていたはずの自分達が一瞬で見下ろされてしまったのだから。
一歩後ずさる彼らを無視して玄武は笑う。
「開戦の狼煙だ。受け取るがいい。ーー≪巨人の一撃≫」
無骨な土塊の巨人の長い腕が大きく振りかぶる。
何をしようというのか。
いや、そんな事分かり切っている。今ほどその予想が外れてほしいと思ったことはないだろう。
起こり得る最悪を瞬時に理解してしまったセスバイア法王国軍は、弾けたように行動を開始した。
「う、撃て撃てぇーッ!」
外壁にいた砲撃兵が悲鳴のような号令を叫ぶ。
その言葉は巨人の矛先が向けられた全員の想いと一致し、砲撃が始まった。
巨大な土山に降る無数の砲弾。何十にも及ぶ爆発音が戦場の音を支配する。
パラパラと巨人を模る土塊は少しずつ欠けていくがーー巨人の腕は止まらない。
その巨大な腕は左翼の騎士らの上空を過ぎ、セスバイア法王国の外壁を襲った。
少し遅れて豪と風が巻き起こる。
その強さがこれから起こる事象の凄まじさを体現しているかのようであった。
彼らが予測した最悪の結果通り、止まることのなかった巨人の腕は外壁上部を圧倒的な物理的破壊を行使する。
堅固に思えた外壁は容易く瓦解し豪快な音を奏でていく。
「ーーフッフッフ! 随分と豪勢に開戦の合図を出してくれるじゃねえか!」
腕の行く末を遮るようにヒョイと小さな影が現れる。巨人の腕の全長の何十分の一にも満たない人影だ。
圧倒的に質量が劣っているのは一目瞭然。止められるわけがない。
だがそれを見守る騎士らの予想を大きく裏切り、中央に差し掛かるところで食い止められてしまう。ーー否、その影により巨人の腕が破壊されてしまったのだ。
そしてそいつは続けざまに土塊の巨人に突っ込むと、その剛腕をもって玄武の巨人をたったの一撃で破壊した。
前の戦いでその存在を知っているものは戦慄する。
やはり奴は化け物だ。
一つ目の仮面を被る規格外の存在。遠目からでもその恐ろしい姿が記憶のものと一致する。
しかし如何に恐ろしいとはいえ、騎士達も覚悟してこなかったわけがない。
むしろ先の戦争で大勢の仲間の命を奪った化け物に、一矢報いる想いだ。憤怒を胸に、竦む手足を激励する。
「やはり奴に止められたか……。だがこれで左翼の臼砲はほぼ壊滅。先に中央と左翼で攻め入る! 右翼には予定通り待機を命じろ!」
玄武は右翼に伝令を送り軍を前に進める。
雪崩れ込むようなローランド聖騎士軍に対し、セスバイア法王国軍は残る臼砲と銃兵で応戦を開始。
セスバイア法王国の持ち味はその他国を寄せ付けない武器の性能。
前の戦いでは臼砲や銃といった武器が兵士一人ひとりの力量を補うことで、実力が上回るローランド聖騎士軍に対して善戦していた。
だが今回は違う。
戦場各地で異変が起こっていた。
「な、なんで効かねえんだ!?」
弾丸を放つ兵士が驚愕する。
自分達のもつ武器の威力は絶大だ。
甲冑をも貫通する目にも止まらぬ攻撃手段。前の戦いでもその有用性は明らかになっている。
だというのにーー迫り来るローランド法王国の騎士達の足止めが敵わないでいた。
銃だけではない。
攻城兵器とでもいうべき臼砲もそうだ。
いくら数が減らされたとはいえ、直接破壊されない限り防ぐなど到底不可能な話ーーと信じきっていた。
しかしセスバイア法王国の兵士らは、目の前で起こっている事象に混乱する。
放った銃撃は騎士たちの目の前で目に見えぬ壁に阻まれたり、盛り上がる土の壁に防がれたり、突如降った局地的な雨に火薬が湿気て不発にさせられたりーー頼りの武器が全く通用しないでいた。
目の前に迫るローランド聖騎士軍にセスバイア法王国軍も慌てて剣を構える。
しかし剣一つで己を鍛え上げて来たローランド法王国の騎士相手に、武器の性能に頼る彼らが剣で敵う通りはない。
戦況は一瞬でローランド法王国側が優勢となった。
まさかここまで一方的な戦運びになるとは敵味方含め誰も思わなかっただろう。
戦力を全く削がれることなく序盤を制した玄武ですら肩透かしをくらっていた。手ごたえが無さ過ぎて不安を覚えるほどだ。
「だが今はこの状況を喜ぶべきなんだろう。問題は奴がいつ動くか……だ」
玄武が見据えるのは≪巨人の一撃≫を容易く打ち破った仮面の魁傑の姿。
過去にそいつと戦った時の事を思い出す。
如何に戦況がローランド聖騎士軍に傾いているとはいえ、奴が動けば戦況も間違いなく変化するだろう。それも最悪の方向へ。
だが今のところは特に動こうとする様子が見られない。
「もし栗原の情報が正しいとするならーー」
玄武はそう呟くと、すぐに方針を固める。
「中央軍はこのまま敵戦力を削りながら少しずつ前進! その後中央突破を一時終了し、右翼と共に少しずつ包囲を狭めていく!」
慎重に越したことはない。
警戒すべき相手が動くつもりがないのなら、それ以外の敵から殲滅していけばいい。
玄武はそう判断すると、少しずつ軍を右翼の方へと伸ばしていく。
だがここでようやくセスバイア法王国軍が動く。
正確にはその内一人が、だ。
玄武は身に迫る脅威を感知しすぐに剣を構える。
「ヌッ!?」
馬から転落しそうになるほどの衝撃を何とか耐え抜く。
「ーー松蔭様!?」
「……心配無用だ。お前たちは構わず作戦通りに事を運べ。その指揮は一時お前に任せる」
玄武は痺れた自分の両手を見ながら、傍にいた騎士に指示を出す。玄武より直接大任を受けた騎士はすぐに返事すると、後方の軍を率いて行進を再開する。
「貴殿は確か……法王会議で巫女姫の傍にいた者だな」
玄武はいきなり自分を襲撃してきた金髪の青年に視線を戻す。
青年は玄武の言葉に恭と頭を下げながら答えた。
「その通りでございます。松蔭玄武様。しかし見事なものですね。私の一撃を剣一本で耐え抜くとは。流石は姫様と同じく上級精霊に認められし御方です」
「いらん世辞は不要。私の首を取りにきたのだろう? ならばとっとと始めよう」
そう言って巨大な剣を構える玄武だが、青年はすぐにそれを否定する。
「いいえ。私の役目は軍の指揮を執ること」
「……ではこんなところで私と剣を交えていてもよいのか?」
「ええ。しかしその任はあくまでも軍が突破されるまで。あっという間に戦況が不利になった次の私の任は己が身を護るということ」
「ならば尚更訳が分からんな。私と戦うことが自分の身を護るに繋がるとでも?」
だとするならば随分と過小評価されたものだと青年を睥睨する。
それにいくら戦況が不利になったとはいえ指揮官が持ち場を離れてしまうということは、その戦を放棄したも同然だ。
無責任ともいえる彼の行動は、味方ではないとはいえ憤ってしまう。
「ええ。とはいっても勘違いなされぬよう。私に貴方を打ち負かすほどの力はございません」
キッパリと青年は事実だけを述べながら続ける。
「ローランド法王国の最高戦力とも名高い貴方の前に立つ理由は、正面にその姿を捉えていた方が安全であると判断したからです。決して貴方を侮っているわけではなく、むしろ警戒しているからこそ不意打ちなどで不覚を取らぬようこうしたまで」
「……成程。理由は理解したーーが、おかしいな。その物言いではまるでこの私相手に、正面で迎え撃てば負けることはないと言っているようにも聞こえるが?」
「その通りです。勝つ事は難しいでしょうが、護りに徹すれば負けることもないでしょう」
「剣も銃も持たぬその状態でか?」
「ご安心を。私は全身が凶器であると自負しておりますので」
拳を見せる青年に、玄武はようやく痺れの取れてきた自分の手を見下ろす。
「……貴様もあの仮面の悪魔と同じく人外の存在か」
「肯定です。そういえば私の創造主をご存知でしたね。私の名はグラム。創造主であるシグマ様によってつくられた自動人形と呼ばれる存在です」
「成程な。貴様の到底許されぬ行動の意味も理解した」
「……随分とお優しいのですね。敵国の兵士に同情とは」
「フン。人間の心を理解せぬ者にどうこう言われたところで嬉しくもない。この下らぬ言葉のやりとりももはや時間の無駄だ。とっとと終わらせてもらおう」
握力が完全に戻った玄武は、力いっぱい大剣を振り抜く。
騎乗とはいえ一切体幹がぶれることのないその鍛え上げられた肉体は流石という他ない。
当たればまず間違いなく即死。胴体が泣き別れするに違いないと予想させる程勢いの乗った剣がグラムを襲う。
当然それを受け止めようなどとするのは愚か。
グラムは回避に専念し、その攻撃を避け続ける。
「どうした? 最初のように攻撃してこないのか?」
「まさか。初手で理解しましたが、貴方の剣は精霊術によって強化されている。私の攻撃でも剣が折れなかったのがその証拠。また我が創造主の鎧に罅を入れたという事も聞き及んでおります。少しでも我が身に起り得る危険性は姫様の命により極力排除しなければいけませんので」
だから攻撃はしない、とグラムは淡々と説明する。
しかしその行動は不可解でしかない。なぜわざわざこの場で防戦しなければいけないのか。先程から感じていた違和感を玄武は整理する。
グラムが述べた理由はあくまでも自身が戦場にいる前提での主張。もしも自身の身を護るだけならば壁の内側で待機すれば良いのだから、つまり彼がこの場で身を護るということは時間稼ぎ以外に考えられないのだ。
玄武はすぐにそう分析した。
であるならばわざわざ時間稼ぎに付き合う必要はない。
何のための時間稼ぎかは現状では予測できないが、玄武は決着を急ぐことを決める。
「ならば私はとっとと終わらせるまでだ」
玄武は精霊術で己の肉体を強化する。
「ふむ。これは手強いですね……」
徐々に自身をを捉えつつある剣に、グラムは思わず声を漏らした。
グラムは強い。
元々の肉体ーーといってよいかは分からないがーーの性能だけでいえば玄武を確実に上回っている。
仮に銃を向けられても傷はつかぬし、剣で斬りかかられてもダメージはない。かつては迷宮を彷徨う牛悪魔を相手に素手で打ち崩すこともあった。全身凶器を謳う言葉に嘘はない。
だがそれでも彼自身認めるように、玄武に勝てるだけの性能は備わっていない。
無論様々な要因が絡んだり、状況によっては勝利を収めるのも十分可能ではあるだろうが、一対一で真正面から戦うとなれば勝機は少ない。
グラムがおおよそ同じ条件で勝てる見込みのある相手を例えるならば、彼の息子である松蔭司が限界である。
逆にいえばローランド法王国のほとんどの人間が彼に勝てないということになるのだがーー現状においては関係のない話だ。
玄武はグラムに劣る身体能力を精霊術によってあっという間に覆す。
「あまり三大騎士家の力量を軽視するべきではなかったな」
「…………!?」
そしてとうとう玄武の一振りがグラムを捉えた。
グラムは両腕で剣を防ぐも、その威力に身体ごと勢いよく吹き飛ばされてしまう。およそ人間が飛ぶ距離ではない。
ずっと奥で砂塵が舞った。
(まあ、あの程度で倒れたとは思わんがひとまずはこれでいいだろう)
「いくぞ! このまま速やかに敵兵力を削ぐ! 私に続け!」
玄武は後方に待機していた騎士らに号令をかけ、先に行かせた騎士達への合流を急いだ。
◇
「フハハハハハハハハ! こいつは豪快にぶっ飛ばされちまったなぁ、グラム」
仮面の悪魔ーーシグマは、地べたに倒れている自身の作品を見下ろしながら大声で笑った。
その様子はどこか気分が良さそうにも見える。
グラムはゆっくりと上体を起こしながら、負傷した両腕を確認する。中身の機械部分が剥きだしになってしまってはいるが、動作に問題はない。
埃を払いながらグラムは口を開いた。
「ええ。少し甘くみていました。以前創造主より頂いた情報を大きく上回る動きです。情報を修正しなければ……」
「松蔭家の当主殿だけではない。一人ひとりの実力が確実に上がってやがる。極めつけはーー連中の中に精霊術を使える奴らが増えちまってるってことだな。折角お前さんが指揮を執ろうってのに、こんなにもあっさり俺様の作品の数々が止められちまうのは予想出来ていなかった。国としちゃ既に大敗だ。フハハハハハハハハ!」
「しかし姫様より何の連絡もない以上、戦いは継続されます」
「当然だ。流れは完全に向こうさんのもんだが、それだけに我らが姫様も楽しんでいるに違いないだろうよ。遅かれ早かれこうなることは元々予想していたわけだしな」
劣勢だというのに、二人は臆することも絶望するでもなく、予定通りと会話を続ける。
その会話を近くで耳にしていたセスバイア法王国の兵士らは「おお……!」と喜びの声をあげた。
明らかに押されつつある現状は作戦通りだとでも捉えたからなのだろう。随分と自分達に都合の良い捉え方である。まあシグマらにとっても兵の士気が上がるのは良い事なので否定はしないでおく。
「ところでグラムよ。松蔭家の玄武殿はお前一人で何とかなりそうか?」
「……いえ。情報修正した今、ハッキリ申し上げて不可能です。敗北はないと予測していましたが、まだまだ私の性能では彼の剣を受け止めるに至りません」
「ならばどうする? 俺様がお前さんに代わって相手をしにいこうか?」
「……いえ。やられっぱなしは悔しいので」
「フハハハハハハハハ! 随分と人間らしい発言をするようになったじゃないか! いいだろう。松蔭家の当主殿はお前さんに任せよう。しかしどうする? お前一人では勝てないのだろう?」
「お気遣いありがとうございます。ですがご安心を。先ほど姫様より彼女をコチラに向かわしたという連絡を受けました。二人がかりであれば十分勝機はあります」
「ほう。ならば任せるとしよう。一応ここの指揮官はお前になってるからな」
「……いいえ。それは違います。彼らを止められなかった時点で私の指揮官としての任は終わっていますので」
「まあ随分と無責任な指揮官殿だ。まあいい。ならば俺も好き勝手に動くとしよう」
そう言いながらシグマはある一点に顔を向けた。
「お待ちください、創造主。創造主は姫様よりここの門の死守を命じられていたはず。ここの門を離れるということは姫様の命に背くという事に他ならないと愚考いたします」
「余計な心配をするな。この門はちゃんと死守するさ。ただ向こうさんの動きを見る限り、中央に注がれると思った戦力は左右に展開しちまっている。お前さんをここまで吹き飛ばした男もなぜか向こうの右翼に合流して、こっちの外側から攻撃していやがる。おそらく外側から戦力を削る作戦なんだろう。中央から襲ってくる気配は皆無。このままじゃ暇で仕方がないんだよ」
創造主と仰ぐ男の言葉に、グラムも「確かに」と頷く。
「そしてお前さんはリターンマッチの為に敵さんの右翼を叩きにいくんだろう? ならば俺様はこんな何もない中央に突っ立ってるよか、もう片方を叩きにいったほうがよほど門を護ることに繋がるだろうが」
「……要は創造主も暴れたいということですね」
「フハハハハハハハハ! 分かっているじゃないか!」
何度目だろうか。
自分の想いを適確についてきた言葉にシグマは仮面の中で気分良さそうに笑い声を響かせる。
「実を言うと向こうさんの左翼に活きの良さそうな人間を見つけてな。少し遊んでみたくて仕方がねえのさ!」
恋い焦がれる乙女のように、シグマは視線の先にある戦場にその想いを馳せながらその巨体を動かした。