第五話:愛さんのお仕事その陸
愛が連れてこられた場所は法王の塔の最上階。
謁見の間と呼ばれる場所である。
(なんかこうも堂々と入れちゃうなんて……下調べした意味がなかったな~)
自身が描いた潜入計画は良い意味で頓挫したものの、その苦労は徒労でしかない。
少しばかり残念ではあるが結果オーライだと諦めるしなないだろう。何故彼がそれを許してくれたのかは理解できぬままではあるが。
愛は自分を労いながら周囲を見渡した。
広く、そして高い。
呼吸の音でさえ反響しそうな静謐たる場所。愛にとっては肩が凝るような環境である。
第四騎士団に任命された時も同じような場所で、丁度今と同じ様だった気持ちを思い出す。
あの時と大きく違うのは入口正面の壁にある女神像ぐらいだ。
勿論、部屋全体の基調となる色や柱の些細な紋様など違いはあるものの、差異すべき点として挙げるのはまずそれだろう。
何せ法王の大地における四か国はそれぞれ信仰する神が異なる。
例えば愛が所属するローランド法王国では【救済の女神・ハイル】を。セスバイア法王国ならば【生命の女神・レーベン】、ペッドヴァイト法王国は【時の女神・ツァイト】。そしてここクルメア法王国ならば【星の女神・シュテルン】といった具合に。
とはいえそれらは国の在り方を示す導きのようなもので、実際に狂信的なほど崇拝している者は多くはない。
実際、愛自身あまり気にはしていない。知っているのはそれぞれがどのような女神なのかというお話程度。
これは彼女が特別そういう考えというわけではなく、ローランド法王国の教育の在り方がそうさせているのだ。だからローランド法王国で別の女神を崇めようと罰せられることはない。ちなみにクルメア法王国も同じである。
逆にそうでないパターンはセスバイア法王国。
セスバイア法王国の巫女姫であるプラムエル・ムーデ・セスバイアを筆頭に、全国民が狂信的なまでにレーベンを崇めている。
これはローランド法王国やクルメア法王国と違い、国をあげての洗脳にも似た教育がそうさせているのだ。
それが結果として数か月前のような戦争を引き起こす結果になる。そのような相手に話し合いが通じるわけもない。いや、正確には何とか同盟を成す程度には通じていたはずなのだが、前法王が亡くなりプラムエルが即位してからは完全に通じなくなったと言っていいだろう。
彼女と比べるなら、クルメア法王は圧倒的に話が通じそうだ。
ここまで無事に辿り着いた愛は密かにそんな安心感を抱いていた。
そのクルメア法王だが、今は玉座に鎮座し愛を見下ろしている。
今この場所には愛と彼の二人しかいない。だが互いの立ち位置が身分の差を明らかにしていた。
愛はクルメア法王の前に跪き、ローランド法王国の遣いとして礼を尽くした。
「多忙を極める御身の貴重なお時間を割いていただき感謝の言葉もございません。私はローランド法王国第四ーー」
「ーーよい」
名乗りをあげる愛の言葉をクルメア法王は途中で制する。
愛は思わず「へ?」と声を上げて許可なく頭を上げてしまう。
だがその失敗をクルメア法王が咎めることはない。
「そのような挨拶は不要だと言っている。この場は我ら二人しかいない、いわば非公式の会合。作法や言葉遣いを気にする輩は誰もいない。無論この俺もな」
意外ーーという言葉が彼女の頭に浮かぶ。
その高圧的な物言いや姿勢からは想像もつかない配慮であった。だがその言葉を口にするのは流石に無礼だろう。
愛は何とかその言葉を飲み込んだまま彼の配慮に沿うことに決める。
「え~っと……後から不敬罪だーとか言って愛さんやローランド法王国に問答無用で攻撃したりしない?」
「言ったはずだ。非公式の場だと。それとも不法侵入を咎めて早々に罰してやったほうが安心するか?」
「とんでもない! 法王様の配慮に感謝いたします! じゃあ遠慮なく普段の口調に戻させてもらうね」
「なるほど。それがいつもの口調か? 少し想像していたのと違うが……まあいい」
「まあ愛さんはいつもこんな感じ。でも一応自己紹介だけはさせてもらうね。ローランド法王国第四騎士団所属、新庄愛。形式的だけどまずはお礼をさせてください。愛さんを敵国の人間と知りながらこのような機会を設けていただきありがとうございます」
不要とは言われたが、言っておかねば気が済まなかったのだろう。
愛は再び頭を下げた。
「……フン。ではとっとと用件を済まそうか。俺が送りつけた書状の真偽の確認だったか?」
「はい。率直に言っちゃうとローランド法王国としてはまずその事実確認を急いでるってわけ。まずは内容の確認をしてもらっても?」
「いいだろう」
肯定し、ゆっくりと目を開く。
「白城家当主の飼いならしている悪魔が我が義弟、そして我が義父を殺害した。故に奴に復讐することを決めたまでだ」
端的に紡がれる事の経緯を耳にしながら愛は眉を顰める。
色々と納得いかないことばかりだが、彼が話した内容はおおよそクラウンから聞いた通りである。
しかしクラウンという人物を知っているつもりの彼女にとっては納得がいかないことばかり。ひとまず気になる点を順に挙げていく。
「……まずその悪魔という存在、それ本気で言ってるつもり?」
法王の大地において、悪魔などという存在はおとぎ話の中でしか聞かない存在。
大人であればほとんどの者が信じてなどいないだろう。
だが愛は実際に迷宮を彷徨う牛悪魔という悪魔の存在を目の当たりにしている。というよりここに来るまでもその存在と道中を共にしてきたぐらいだ。
だから悪魔の存在をもはや疑ってなどいないが、彼の言う悪魔が本当に悪魔かどうかーー悪魔のような存在と比喩しているだけではないのかと、その事実確認から済ませることにした。
故に少しばかり馬鹿するーーではないが呆れが含まれる口調でクルメア法王に聞き返す。
しかし彼はそんな挑発に激怒するでもなく、ただ事実だけを述べた。
「当然だ。悪魔は存在している」
その瞳に一切の揺らぎなし。
心の底から自分の言葉を信じ切っているのが分かる。
「……じゃあそれが何で悪魔という存在だと分かったの? 外見? それとも誰かからの情報?」
「俺が直接確認したからだ」
「直接……確認?」
「そうだ。しかし動揺していないところを見るとやはりお前も悪魔という存在を認知していたようだな」
「……まあ、ね。実際戦ったこともあるし」
「ほう。それは興味深い。色々と聞きたいこともあるが……まあいい。話を戻すか」
クルメア法王はそう言うと、少し確認するように愛に問う。
「お前は悪魔という存在を認知しているようだから確認するが、奴らが人間の姿を取ることが出来るのを知っているか?」
その質問に愛は黙って頷く。
実際に愛と道中を共にした迷宮を彷徨う牛悪魔は馭者の男に化けていた。その姿を思い出しながら。
「では人間に化けた悪魔と人間を見分けることは出来るか?」
続いての質問に頷くことは出来なかった。
正直なところ全く分からない。そもそも判別できるかどうかなんて考えたこともなかった。
人間に化けた迷宮を彷徨う牛悪魔に聖騎士学校を何度も送迎してもらったことはあったが、気になるという感情すら沸き起こった覚えがない。
仮に数人を目の前に並べられて悪魔がこの中にいるという事実を告げられていたとしても、間違いなく言い当てる自信など皆無だ。
そんな愛の沈黙を答えとして受け止めたクルメア法王は新たな事実を告げる。
「出来ぬか。だがそれは凡夫であれば当然のこと。だが才ある人間は違う。この俺のようにな」
「つまり貴方は人間に化けた悪魔と人間の区別がつける……と?」
「当然だ」
出てくる言葉の欠片全てが彼の全てを信じ込ませるほどに力強い。
こんなことを言ってのける人物が仮に大吾であれば「どうせ嘘でしょ。馬鹿じゃないの?」と一蹴しただろうが、その言葉に呑まれた愛は彼を疑うことが出来なかった。
根拠などない。しかし彼がそう言うのならばそうなのだろう。
愛の意思に関係なく思考回路が彼の言葉を全肯定していく。
だがそうあってはならない。彼女の役目はそうなっては務まらないのだ。
必死に思考回路の操縦席を握り直す。
「ちなみにそれってどうやったら分かるの? 出来れば今後の参考にしたいし、愛さんにも教えてもらえる?」
「凡人に教えたところで意味を成さんだろうが、まあいいだろう。一言でいえば感覚だ」
「感覚? 結構抽象的な言葉ね」
「実際その通りだから否定はせん。この国には俺以外にも悪魔を見分ける才のある人間が二人いる」
「二人……それってさっきの?」
ここに来るまでに彼が指示を出していたフードの二人組を思い出す。
そしてその推測は正しかったようだ。ポツリと浮かんだその言葉を彼は肯定する。
「その通り。俺を含めた三人は漠然とではあるが、悪魔が醸し出す雰囲気のようなものを感じ取ることができる。お前の国の三大騎士家とやらもこれぐらいなら出来るのではないのか?」
突如振られた言葉に愛は少し俯く。
そのような事が出来るのか聞いたことはないが、三大騎士家はローランド法王国最強の騎士の家系。
クルメア法王国の人間に出来て彼らに出来ないということは考えにくいし、考えたくない。おそらく出来るはずだ。
愛はそう信じ込み、帰ったらクラウンにその質問をすることに決めた。
「かもね。でもその雰囲気だけじゃ確実とは言えなくない? 貴方たちだけが感じ得る感覚だけが証拠だなんて信憑性が薄すぎるし」
「確かにな。それに悪魔の中には時たまその独特の雰囲気を隠すことのできる存在もいると伝え聞く。であれば違和感程度しか感じることの出来ないだろう。実際、俺の義弟や義父を殺した悪魔はその雰囲気を隠していたようだからな」
「ならそれが悪魔ではない可能性だってあるんじゃない?」
「残念ながらそれはない。この俺には二人と違いもう一つ別の才がある」
「……『別の才』?」
「その通り。俺にはこの瞳がある。特別な眼がな」
クルメア法王はそう不敵に笑いながら話を続けた。
「俺は目に映る存在全ての魔力の色が見える」
「魔力の……色?」
「その通り。人間・悪魔・精霊とハッキリ色の違いが存在しているのだよ。まあ個々によって多少の色の違いはあるが基調となる色はその存在によって固定されている。だから少しでも魔力が使われれば分かるんだよ。そいつが一体何者なのか、俺の身内を手にかけたものがーー悪魔だということが」
「……あんま信じたくないけど、嘘を並べてるわけじゃーーなさそうだね」
「当然だ。下らん嘘を聞かすために時間をつくっているわけではないのだからな。もしも疑るならこの場で証明しても構わんがーー」
「証明?」
「ーーそうだな。お前を見た時からずっと気にはなっていたのだが、お前にも少し悪魔の魔力が纏わりついている。ほとんど消えかけてはいるが」
「……え? それってつまり愛さんが悪魔だって言いたいの?」
だとするなら大嘘吐きだ。
などと一瞬愚考するが、クルメア法王はすぐにキッパリと否定する。
そして愛はそれが言葉通り愚かな考えであったことを理解した。
「阿呆が。早合点するな。あくまでも悪魔の魔力が貴様に纏わりついているだけだ。それもここ数日の間に、だ。ここに来るまでに悪魔と戦闘でもしたのか、あるいは悪魔に何かされでもしたのか。いずれにせよ貴様の近くに悪魔がいたという事実は確かだろう」
彼はその双眸に映る魔力の色からそう端的に推測する。
そしてその考えは正しく、とても無視できるものではなかった。
確かに愛はここに来るまでの暫くの間は迷宮を彷徨う牛悪魔と行動を共にしていた。
しかしーー、
(ミノの旦那に何かされた覚えはーー)
数日前の記憶を呼び覚まし、愛はそれにすぐ気づいた。
(あ……………………)
脳内の呆けた声が彼女の表情とリンクする。
思い当たる節があったようだ。
(そういえば来る途中、ミノの旦那に殺気向けられてブルってしたような……。あれって魔力が込められてたってこと?)
そう考えると今度こそ合点がいく。
どうやらクルメア法王が見たという存在が悪魔であったという事に関しては、愛の中で信憑性が高まった。
「どうやら何か思い当たることがあるようだな」
フッと口元を僅かに上げて、考え込んでいた少女を笑う。
「……まあ、ね。貴方が特別な眼を持っていて、それで悪魔を確認したということについてはひとまず信用することにする。じゃあその悪魔を何で白城家が飼っているなんて言ったの?」
彼の瞳の能力が本当だとしても、その悪魔が白城家と結びついているという証拠は現状証明されていない。
次に愛はそこから状況を整理していく。
だがその問に関しての彼の答えは実に単純であった。
「簡単だ。俺が見たのは白城家で執事をしているビヒーという名の悪魔の姿だからだ」