第五話:愛さんのお仕事その弐
今回も短いです。
長く楽しみたい方はしばしお待ちを~><
愛の仕事は今のところ順調といってもいいだろう。
ローランド法王国からクルメア法王国の国境を越えるには、まず小さな山を越える必要がある。
小さな山といっても急な斜面は多く、足場も狭い危険な道のりだ。徒歩で登るのであればともかく、これを馬車を使って越えようものならその危険度は跳ねあがる。
加えて今のローランド法王国の技術では、坂道を登ることは出来ても下ることは出来ない。
故に途中から歩かねばならなかったのだが、ここまでの道中が思いのほか順調で予定よりも早く辿り着くことが出来た為、少し余裕をもって山を越えることができるだろう。
厳密にいえばクルメア法王国へ向かう道はもう一つあり、それを使えば馬車だけで向かうことが出来る。
しかし今回に関してはそれが出来ない為、山道を使うしかなかったのだ。
そして山を登る上で特に一番懸念していたのは天気だったのだがーー見渡す限りの晴天がどこまでも続いていた。
万が一雨が降っていれば坂道は滑りやすくなり、最悪がけ崩れも想定していたのだがこの様子ならばその心配もないだろう。
予定以上の成果を上げてくれた馭者には感謝しないと、と愛は既に姿の見せない迷宮を彷徨う牛悪魔に感謝の念を送る。
「おかげで安全に山越えが出来るしね」
時間に追われることがない旅路はストレスが少なくて済む。
愛は背中に大きな鞄を背負いながら「よっこらしょ」と最初の一歩を踏み出した。
今の彼女の格好は普段装備している甲冑姿ではなく、動きやすい身軽な格好をしていた。
彼女の持つ私服である。まだ気温は暖かいが、それでも肌を隠すような丈長の服は山を越える為のものなのだろう。
初めての山越えにあたってしっかりと勉強していた証拠である。
斜面を一歩一歩と登っていき、愛は顔を上げた。
「うーむ。まだまだ先は遠そうだね」
蛇行するように上へと続いていく坂道を見ながら愛は顔を顰めた。しかし時間に余裕はある。
あまり先を見過ぎない方が気が楽だろうと再び視線を落として歩を進めることにした。
心は無心に登ることだけ。
その甲斐あってか、日が暮れる頃には頂上へと辿り着いていた。
(休憩するのも忘れてた)
意識すると身体に溜まっていた疲労感をドッと感じ取る。足もそろそろ休ませてくれと願っているようだった。
動いて温まっているはずの体温が、冷たい風に叩かれてブルッと震える。
「こんなに寒いもんなんだ。愛さん驚愕」
両手を使って摩擦熱を生みながら自身を温める。当然その程度で身体が温まるわけもないので今日はここで野営することに決めた。
背負っていた鞄の中から野営用の簡易テントを手慣れた様子でテキパキと組み立て始める。
そして数分とかからずに小さなテントが組み上がった。
「よし、完成!」
汗は掻いていないのだが、「フー」と額を腕で拭うと満足そうに頷く。
そして「お次はーー」と再び鞄に手を突っ込んだ。次に取り出したものは小さな筒が二つくっついている奇妙な形のものだった。
愛はそれを両目に宛がうと、麓の方へと顔を向ける。
「ありゃりゃ。やっぱり向こうさんも警戒してるな~」
愛は困った困ったと呟く。
彼女の双眸に映っているのはクルメア法王国の兵士の姿であった。
彼らの立っている場所はここからはかなり距離があるというのに、どうやって愛の視界にその姿を捉えることが出来ているのか。当然それは愛が手にしている道具のおかげなのだろう。
これも第四騎士団隊長が愛に手渡した秘密道具の一つで、双眼鏡と呼ばれる道具だ。
愛自身厳密にどのような原理が働いているのか理解出来ていないところはあるが、使い方は簡単で誰でも使える道具であった。
先ほどのように筒を両目で覗くだけ。そうすることでその筒を通して見る物体は、まるで近くに存在するかのように拡大するのだ。初めて愛がこれを使った時にはひどく驚いたものだが、今では見事に使いこなしている。
だが今愛にとって重要なのはその道具の効果ではない。
自分が目にしたクルメア法王国の兵士の目をどう掻い潜ってクルメア法王国に潜入するかである。
実のところ愛の役目はクルメア法王ーーアイリス・朧・クルメアと密談することにある。
何故公の場、公の方法を使って会合しないのか。それは至極単純で、国境にてローランド法王国の伝令兵を門前払いにしているからなのだ。
彼ら曰く、法王の命により白城家当主以外を通すことは許可出来ず、それを押し切ろうとした場合は問答無用で開戦する。そう脅しに掛かっているのだ。
当然ローランド法王国側としては、それは想定する最悪の出来事につき何とか回避したい想いである。
その為白城家当主がクルメア法王国へ出立する旨は正式に伝えあとはその経緯を見守るだけなのだが、それだけでは不安が残るというもの。
だから第四騎士団の愛に命令が下ったのだ。
愛はいわば保険業務。
クラウンが着く前にクルメア法王個人と接触し、彼らの間にある問題が事実であるかどうかの判断。
万が一嘘であった場合はこの会合自体罠の可能性が高い。すぐにクラウンにその旨を伝え一時撤退し、第三騎士団を率いてクルメア法王国の侵攻を阻止する手筈だ。
ローランド法王国としても虚言で三大騎士家の一角を失うわけにはいかない。
のこのことクラウンが出向いた結果、無実の罪で罰せられてしまうのは損失が大きすぎる。彼はセスバイア法王国と戦う上でも重要な戦力なのだから。
そのうえで出来ることならばクルメア法王を暗殺することも愛の役目となっている。
成功すれば国中が混乱し、戦争どころではなくなるはずだ。
それにそれが虚言とするならばローランド法王国を騙そうとしたとして大義名分も立つ。
ただし万が一それが事実であった場合は、ローランド法王国側としても責任を負わなければならない。
ただそうなった場合は最悪クラウン一人に責任を行くよう誘導し、ローランド法王国と再度融和するよう依頼するのが愛の役目である。
そうすれば両国に挟まれたままの戦争はしなくて済むのだ。
「ほんと責任重大だ。愛さん頑張んないとね」
自身の仕事の重圧に押しつぶされないよう乾いた笑みを浮かべると、ひとまずは身体を休めようとテントに潜り込む。
少し冷えるが寝袋にくるまればなんとかなるだろう。
鞄から寝袋を取り出して広げると、その小さな身体を袋の中へと押し込んだ。
しかし思った以上に素材は薄く、背から伝わるゴツゴツとした地形が愛の睡眠を妨害する。
「寒いし、痛いし……野営はやっぱあんまり好きじゃないわ」
かといってクルメア法王国に発見される恐れもあるので火をつけるわけにもいかない。
お風呂やふかふかの布団を想い描きながらも、愛は我慢して両目を瞑った。
ぐ~。
「…………ご飯だけとっとこ」
腹の虫に起こされて、愛は晩飯を先に済ませるのであった。