第八話:法王守護騎士との決闘
静謐さの中に荘厳さを感じさせる構造は、見るもの全ての心を鷲掴みにすることだろう。
そこは法王との謁見の間となる法王の塔の最上階。
入口をくぐりまず目に映るのは最奥に佇む救済の女神を模った像だ。
黒曜石の輝きを放つ女神は透明の天井から降り注がれる日の光を反射し、彼女の肢体の曲線造りをより美しく体現していた。
そんな女神を彩り飾るように壁や床は白い光沢を見せ、中央に長く敷かれた真紅の絨毯には王宮を想像させる。
これを挟むように、まるで打ち合わせをしたかの様に寸分違わず一直線に並んでいるのは法王側近の近衛兵、法王守護騎士である。
向かって左に並ぶ甲冑の胸部には松蔭の紋章が、右に整列する者たちの胸には獏党の紋章がそれぞれ掲げられており、彼らの身を包むライトブルーの硬質な甲冑と、腰に据える金細工が施された剣が法王に認められた者の証であることを知らしめていた。
そんな者たちが合計二十人。いずれも頭を兜で覆っているため表情を窺うことは出来ないが、力強さを感じる見事な体幹と十二分に鍛え上げられたのであろう隆起した筋肉が、人目に強者である雰囲気を醸し出していた。
そんな彼らの奥に悠然かつ憮然と立っている影が二つ。
一つは松蔭司の父であり、松蔭家現当主である松蔭玄武。司とはまるで正反対でその場にいる全員が見上げるばかりの巨躯が、その存在の強大さを物語ることだろう。
慢性的に放つ重圧感はその巨体から発せられたものなのか、鋭い眼光で全てを憮然と見下す黄土色の瞳からなのか、歴戦の猛者ですらも戦慄を覚えんばかりだ。
威風堂々と胸を張る様は、まさにローランド法王国が誇る三大騎士家の一角を担う者といったところだろう。
もう一つは獏党静香。梓の祖母以来の女性当主となった人物である。
全くの無造作に垂れ乱れた黒い長髪と目の下に出来た隈がどこか彼女を淫靡に感じさせ、甲冑越しでも想像の容易い豊満な胸を持つ彼女の妖艶な口元から零れ落ちる微笑みは、騎士というよりも娼婦を頭に横切らせてしまう。
しかし身に着けた甲冑はやはりローランド法王国のソレであり、両名とも胸には三大騎士家の当主たる証明、ローランド法王国の紋章がその身分を顕わにしていた。
そんなローランド法王国が誇る彼らが一堂に集まっているのは至極当然の理由が存在していた。その場に救済の女神・ハイルの代理人たるローランド法王が姿を見せていたからである。
この両者の中央、女神の直下には部屋の中央を俯瞰して居座るローランド法王。
本名クリストファー・バード・ディ・ローランド。見た目はどこにでもいそうな青年だ。
床と一体化した白く大きな玉座ともいえる場に腰を落ち着かせているが、先ほどまで中央を見据えていた焦点はそこらへと遊泳し迷子になっていた。
微細な所まで金糸で刺繍が施された朱色のマントは職人の魂さえ感じ取れる。しかしローランド法王はその立派な外套に着られているように見え、正直王たる威厳を汲み取ることは難しかった。
唯一身分が高く見える様は、その煌びやか金髪くらいだろう。頬に流れる汗と瞳に浮かぶ不安の色が台無しにしてしまっているが、正真正銘この国を統べる王である。
(い、胃が痛い……)
誰も一言も発しない空間で、青年はただただ苦痛と感じていた。
生まれ持っての性格もあるが、自分の想像の範疇を超えた出来事を目の当たりにしどう対応すべきか、考えても考えても答えを見出すことができなかった。
周囲も依然、押し黙ったままだった。その原因であり、中央で全視線を独り占めする存在を目視して。
その存在は真紅の絨毯上で悠然と直立したまま、ただただ過行く怠惰な時間を欠伸の繰り返しで瞼に乗る睡魔との格闘を繰り広げていた。
腰にまで伸びた紅いストレートな長髪は静香の髪よりも長いが、その長身と顔づくりが男であることを証明している。
黒の肌着のみで上半身を包む姿はとても法王の前に立つ人間の姿とは思えず、黒い眼鏡の奥で気怠そうに開かれている翡翠色の瞳からは無礼を働いている様にしか見えなかった。
遂にその様子に我慢できなくなったのか、とうとう玄武がその空気を打破するかのように声を荒げた。
「貴様! 法王様の前で不敬であるぞ!」
室内に強く反響する声は、手の届かない天井までビリッと震わせたかのようだ。玄武の背に居座るローランド法王も、その声には鼓動を早め体をビクッと驚かせた。
法王守護騎士の面々でさえ身を強張らせた大声なのだから仕方がないだろう。
しかし諸悪の根源である男、クラウンにとっては相も変わらず遣る瀬無さそうに玄武の姿を見据えるだけだった。
「いやまあ不敬かもしれないことは認めるけど、人を待たせすぎるのもどうかと思うよ」
クラウンが王の謁見に許可されたのは暫し前のこと。
『白城の当主が戻ってきた』ということで、その真実を探るべく三大騎士家の当主がこの場に集った。
本来であれば門前払いとなるところだが、三大騎士家の正当な跡継ぎたる身分を証明する金貨を預けたことで衛兵も無視をすることが出来ずにいた為今に至ったのだ。
ちなみにローランド法王国の紋章が刻まれた金貨は梓が所有していたのだが、ここに来るための身分証明として預かっていたのだ。
「ちゃんと金貨は持っていたんだし、その為の身分証明でしょ?」
男の言葉には道理があり、皆理解はしていた。
しかし白城家には一人娘だけが残っており、母と祖母は既に他界し、父親は誰一人としてその姿を知るものがいないという。
この十年以上、聞いただけで一度も姿を見たことのない存在がポッと現れた存在をどう納得することができるだろうか。
そんな彼らの言い分も正論である。
「だからこうして白城の娘が通う聖騎士学校に確認を急いでいるのだ!」
「だから梓ちゃんから直接貰ってるんだってば。そんなすぐばれる嘘吐くわけないでしょ」
両者共に一歩も譲らない押し問答がこうして何度も続いていた。
それを見守る周囲も流石に辟易した頃だ。
ガチャガチャと響く足音と共に、ようやく皆にとっての吉報が届いた。
「玄武様。確認がとれました! たしかに白城梓が父に渡したという証言しております。また親子関係につきましても白城梓の母が残した方法で確認したと話しておりました!」
一向が目を広げる。
一番最初に口を開けたのは法王だった。
「……ということは?」
「正真正銘、ボクが白城家当主ということだね」
悠久の静寂が解き放たれ、法王を加えて各々から感嘆の声が漏れだす。
戦争を視野にいれなければいけない現状、ローランド法王国にとって戦力増大は嬉々として受け入れたいものなのだ。それが三大騎士家の一人であるならば尚更だ。
いくら落ち目となったとはいえ、白城の名は大きい。騎士達の士気高揚にもなるだろう。
今回の件はローランド法王国を挙げて喜ぶべき時かもしれない。
しかしながらその言葉だけで納得できるはずもない人物も当然いた。
ズダンッ! と床を踏み鳴らして法王守護騎士の一人がクラウンの前に出る。
「お待ちを! 誰も見たことのない男を誰が信じられましょうか」
法王に訴えるかのように、言葉は静かに反響する。
しかし法王は「ど、どうすればいいの?」と辺りをキョロキョロするばかりだ。
「よさぬか! 喇叭よ!」
玄武が相変わらずも喧しい声で静止を試みる。
喇叭と呼ばれた男、法王守護騎士を指揮する隊長は憤怒の表情、いや、兜をかぶっているので正確には分からないが、玄武の静止も空しく憤りながらクラウンへと近づいていく。
「しかしですぞ、法王守護騎士の隊長として私は、没落しつつある白城の娘が自身の家の復興を目的にこの男と画策している可能性を私案します!」
はい。正解。
クラウンはその見事な慧眼に心の中で称賛の言葉を送ると、どこか飄々(ひょうひょう)とした笑みを浮かべながら、近づいてくる喇叭の方へ向き直る。
法王守護騎士の隊長といえども、その外見は他十九名と変わらない。
しかしその声質は熟しており、年季を感じさせていた。一歩踏み出すごとに、兜から漏れる殺気はクラウンにぶつけられ今にも噛みつきそうな勢いだ。
三大騎士の当主たる玄武の抑制も効かぬところを見ると、それに劣らぬだけの実力と経験を兼ね備えたのであろうことが分かる。
その意見には裏付けする証拠もなく、不鮮明で言いがかりに近いものがあるが、 懸念すべき点でもあるので無視することはできない。
玄武は小さくため息をつくと、事の成り行きを見守ることにした。
「でもそれには証拠が足りないよね。ボクの身分は金貨がその証明になるけど、キミの意見はただの推論でしかないよ」
「確かに。それは意を唱えた私自身が知るところである」
クラウンとの距離が十分に詰まると、その歩みを止めクラウンの言葉に頷く。
「しかし法王守護騎士の隊長として、法王、延いてはこの国を脅かす可能性の在るもの全てを疑る義務がある!」
そう高らかに言い放つと、腰に据えていた剣を抜き放つ。
ギラッと日の光に反射した刀身がクラウンを捉える。周囲は一様にざわつきを見せるが、それを抑止する者はいなかった。
「もし貴殿がこのローランド法王国を率いる三大騎士家の盟主であるならば、我が剣を打ち払いその力を示すとよい!」
「あ~。つまり決闘に勝てばお前を認めてやる的なパターンね」
最後に「面倒くさ」とボソっと呟くが、幸いにも誰の耳にも届かなかった。
喇叭が法王守護騎士の一人に首で合図すると、無装備のクラウンに喇叭と同じ剣が貸し与えられた。
それを片手で受け取るとその柄でトントンと肩を叩き、流れに身を委ねることに決めた。
「おっけーおっけー。キミが勝てばボクはお払い箱。ボクが勝てば白城家当主として認められるわけね」
「そういうことだ」
「………それでは私がこの場を代表として決闘の立会人となろう」
立会人に買って出たのは玄武だ。ゆっくりと右手を上げ、開始の合図を準備する。
「勝敗はどちらかが戦闘不能になるか、敗北を認めた時とする」
緊迫した空気に包まれながら、ごくりと生唾が喉を通る音だけが耳に届く。
刻々と過ぎていく場面に思考を走らせながら、決着よりも三大騎士家の当主と自称する男と法王守護騎士との戦いぶりを妄想しながら、切迫する脈を更に鼓舞させた。
法王に至っては「け、怪我しないでね」と二人の安否を気遣うだけで精一杯の様子だ。
そんな法王の心配も他所に、玄武の右手は振り下ろされた。
「始めッッ!」
「でぇりゃぁぁぁぁっっ!!!」
雄叫びを上げながら一気に距離を詰めたのは喇叭だった。
「【一刀両断】ッッ!!」
勢いよく振り下ろされた剣は全ての物質を切り裂く一太刀。
喇叭の持つ最大にして最強の戦技である。その名の通り一刀の下、全てを真っ二つに断つ単純な戦技ではあるのだが、喇叭の振るうそれは三大騎士家の当主らをもってしても防ぐことのできない、正に最強の剣なのである。
クラウンはそんな戦技と知る由もなく、スッと剣を横に寝かせて受け止めようとするだけだった。
しかし当然受け止めることなどできない。
スパッと豆腐のように剣は断ち切られ、その一振りは勢いを弱めることもなく容赦なくクラウンに襲い掛かかった。
「お?」
と小さく驚くクラウンを前に、誰もがクラウンの死を予感した。
喇叭の戦技は防御不可能の一撃。現存する全ての物質を両断する究極の剣だ。
肩から切り裂かれた肉体は屠られた剣同様、一つに維持することができずズレ落ちる。
鮮血が噴き出したのは切り込まれた一瞬。
今では床に倒れた断面から止め処なく血が溢れ、真紅の絨毯が朱に染まっていく。
勝負は一瞬。
倒れた死体はピクリとも動かない。即死である。
これこそが法王守護騎士を統べる隊長の最強の御業とも呼べる一撃だった。
本来そうなるはずだった。
しかし周囲の予想を大きく裏切る事となる。
「ば、馬鹿な!?」
一番驚いているのは戦技を放った喇叭自身であった。それに続いて他の法王守護騎士の面々も自分達の目を疑う。
クラウンの剣が綺麗に切断されたと思ったら、その切っ先はクラウンに届くことなく左手、正確には親指と人差し指だけで掴み止められていたからである。
特に力を入れられているわけでもなく優しく摘ままれたような、そんな感覚。
しかし、それ以上に剣先がクラウンに近づけることは叶わない。どれだけ力を込めても自身の剣は言うことを聞かず、押しても引いてもピクリともしなかった。
(あの瞬間から間に合わせただけでも恐るべき反射速度と技術だというのに、加えてこの力……っ)
「いやいや。すっごくおっかないんだけど…。本当に切り伏せる戦技でしょ、あれ」
誰もが死を連想させる一刀を前に、クラウンのヘラヘラとした態度は健在だった。
「……当然だ。この技こそが個に対する我が最強の一振り。互いに譲ることのできない決闘の舞台に相応しき一撃なのだから」
パッと剣を両手から手放し、憎々しい顔面に尚も一撃を入れようと更に肉薄する。
「≪焼却≫!!」
ピタッとクラウンに密着された喇叭の両手が急激に熱気を帯び、炎となって解き放たれる。
「ひっ!」と後方で悲鳴を上げる法王を無視して、勢いよく燃え盛る炎はクラウンを一気に包み込み、一瞬にしてその影をも焼失させる。
元々密着状態でなくとも十二分に効果を有する精霊術だが、回避をさせないために喇叭は零距離から精霊術を行使した。
(完全に捉えた!)
確信を持って炎を見据える。しかし攻撃の手を止めようとはしない。
クラウンの手から零れ落ちた剣を取り戻し、さらに戦技を放つ。
【戦技・牙突】
「ッつあぁッッッ!!」
渾身の一撃。今度は外さない。
燃え盛る炎の高熱に臆することなく、自らの剣と共に炎の中へと突っ込む。
喇叭の誇る【一刀両断】の刺突バージョンといったところだろう。
どんなものも貫く最強の矛。これを炎の中心目掛けて解き放つ。
瞬間的に、ブワッとその剣圧でクラウンを包む大炎が大きく広がる。
するとチリチリと音を立てながら火の粉を振りまいたかと思うと、急激に霧散した。
その中心には火傷の痕すら見られないクラウンの姿があった。変わらない瞳が喇叭の姿を捉えており、喇叭の放った【牙突】も、彼の腹部の寸前で白く光る風に遮られてしまっていた。
「ふ、ふふふ……っ」
もはや笑うしかなかった。自身が惜しむことなく研鑽を積み練り上げてきた技が、全く通用しなかった現実に。
(遠い。あまりにも遠過ぎる)
「……まいった。私の負けです」
頬に冷や汗を流しながら喇叭は剣を引いた。
「あれ? もういいのかい?」
「十分です。貴殿を侮辱したことを正式に謝罪させてほしい」
「いやいや。それがキミの仕事だからね。謝ることはないよ」
年功序列でいうなら、喇叭はこの場にいる誰よりも年長となるのだが、自分の知る頂より遥かに高みに立つ男を前に敬意を払わずにはいられなかった。
本来であればクラウンこそが言葉遣いを指摘されるべきなのだが、先の決闘を目の当たりにした彼らはそんなことを頭の片隅にも置くことが出来なかった。
ガシッと二人の間で握手が組み交わされる。
「勝者! 白城クラウン!」
玄武の判定の声と同時に、謁見の間は拍手喝采に包まれた。