第十話:二回戦第一試合
やれるだけのことはやった。身を叩くような空気の中で、梓は先日のイメージトレーニングを思い出して自身を奮起させる。
慣れとは怖い。予選の時にはあれほど緊張していた観衆の目がある中での戦いも、今ではあまり気にならない。少しばかり身体が震えるのは武者震いというやつだろう。
この精霊の舞闘会で幾度となく騎士を相手に戦ってきたが、一対一で法王守護騎士を相手取るのは今回が初めてだ。自分自身の腕でどこまでこの国の騎士の憧れともいえる者を相手に戦えるのか、それが楽しみで仕方が無かった。
こんなにも戦いが楽しみであると感じたのは初めてのことだ。少しばかり自分が恋する男性の事を思い出し、彼もこんな気持ちだったのだろうかーーと同じような感覚を共有できた事で悦に浸る。
(こんな私の気持ちを知ったら愛はどう言うのかしら?)
観客席で梓を応援する愛を見てそんなことを思う。
きっと『あの体力馬鹿と同じこと考えるなんて愛さん悲しい!』と批難するのか、はたまた『あの脳筋に何か唆されたの!? 愛さんがぶっ飛ばしてくるから!』とやっぱり大吾にだけ怒鳴り散らすのだろうかと、もしもの話を想像して静かに微笑んだ。
こんなにも自分に余裕ができるようになったのはやはりこの精霊の舞闘会のおかげだろう。おそらく梓だけでなく、多くの人間がそれを実感しているはずだ。
そんな事を思いながら、ようやく対戦相手である男の入場に視線を前に向けた。
蒼く輝き艶のある甲冑。一回戦の試合を思わせないほど綺麗に磨かれており、見る者全てを引きつけるようなまるで新品同様の輝きを取り戻していた。
歩くたびに音をたてるこの甲冑こそ、騎士の憧れであり、この国の頂点に立つクリストファー・バード・ディ・ローランドを守護する選ばれし者の証明。当然それは飾りなどではない。
甲冑の内側からにじみ出る重圧が、梓にそう感じさせる。
間違いなく強い。
一瞬にしてそれが理解出来た。ーーが、勝てない程ではない。同時にそれも理解出来た。
決して慢心ではない。波打つ鼓動、うっすらと滲む手汗、意図せずして上がる口角。そのどれもが梓にそう知らしめる。
そしてそれは法王守護騎士ーー響良も理解していた。
目の前のまだ騎士にもなっていない少女から感じる気配はおよそ聖騎士学校の生徒として収まるものではない。感覚、気配、重圧。強さを測る上ではそのどれもが曖昧なものばかりではあるが、実力のある者らはそのどれも全てが信頼できる要素であると経験から断言する。
少女は間違いなく自分と同等の実力を持っていると。
ただでさえ『白城』の名によって上げていた少女の評価は、目の前で直接見ることによって響の中で更に数段階引き上げられた。
無言のまま向かい合った二人を見て、クラウンは開始の合図を送る。
互いに開戦前の言葉はない。
油断も隙も慢心もなく、互いの脳内で繰り広げられるのは模擬戦闘。開始までの僅かな間もそれに費やされーーそれは惜しみなく一気に解放された。
「二回戦第一試合ーー始め!」
開始と同時に二人は弧を描くように間合いを取る。
梓が右に回れば響は左へ。
響が右に回れば梓は左へ。
二人で見えない円を描くように回り続けている。まだ剣は交わらない。
(明らかに様子見ってわけね)
全く同じように動く二人だが、先にそれを崩そうとしたのは梓だった。
右に半歩移動したところで、一気に逆回りで響に詰め寄る。
同じ動きを全く同時にしているように見えるが、遅れて動きを見せているのは響の方である。つまり響は梓に動きを合わせているのである。だがそれもある程度の速度だから出来うる話だ。
梓の逆へ切り返した時の速さは素の状態の全力の速さ。これに対応するには見て行動するでは遅すぎる。
ようやく互いの距離が詰められ剣が届くに至ったーーかと思えた。しかし距離を詰めようと考えていたのは梓だけではない。
響もまた梓に合わせて全力で距離を詰めたのだ。
少しあったはずの空間は互いの全力によって一気に消失する。
(しまった!)
危険に察知したのは梓である。
突撃してくる相手は動きも速度も梓とは大差ない。しかし彼の方が圧倒的に優るものが二つある。それは経験と体つきだ。
ただでさえ小柄な梓は、体力も腕力も一般の騎士にすら劣っている。それでも他の騎士よりも優位に立てるのはひとえに精霊術と、最近ではレヴィらによる稽古の賜物だ。
だがその差を埋めるように彼の経験が生かされる。梓のこの動きを予測したのだ。
虚を突いたつもりが、突かれてしまったということ。
このまま剣をぶつけあえば間違いなく力負けしてしまう。力で劣る梓の戦いは、いかに真正面からではなく虚をつき、技術で優るかだ。実力が拮抗する者にそれを防がれてしまったのでは話にならない。
梓の迷いが振り上げる剣の勢いを殺す。
だが響はその鈍った動きに遠慮することなく剣を振るった。
ーー【戦技・一刀両断】
(もうここで来た!?)
僅かに灯る剣の輝きに梓は瞬時に判断する。
法王守護騎士の代名詞ともいえる戦技だ。今は亡き法王守護騎士隊長である陣内喇叭が完成した個に対して最強の戦技。
その名の如く、万物全てを一刀の名のもとに両断する力技である。
梓が最も警戒していた戦技であった。
当然ではあるが戦技を使う者によって、若干であはるが差はある。
下級精霊とも契約していた喇叭の剣は、他の法王守護騎士と比べると明らかな差異が存在し、魔力効率もその切れ味も最下級精霊の力でしか放てぬ響とでは比べるまでもない。
だがそれでもその戦技は真正面から防げるものではない。
ローランド法王国最高戦力である玄武や静香ですら、正面から防ぐことは不可能であると断言しているほどなのだから。
その馬鹿げた切れ味の前では、梓にも防ぐ術がない。
剣で防ごうものならばその刀身は圧し折られ、梓の上半身と下半身が生き別れることになるだろう。無論、この精霊の舞闘会で殺しはご法度。最悪には至らないだろうが、剣が両断される瞬間は想像に容易い。
そして剣を失えば梓の勝算も砕け散るに等しい。
よってこの戦技は回避するしかないのだ。
梓はお得意の逃げ技ーー≪二重の歩く者≫で影と自分の位置を瞬時に入れ替える。
ギリギリのところで響の剣は梓の影を両断し、回避に成功した。だが同時に相手の虚を突く手段が一つ消失したことになる。
もしもこれ以前の予選等でで≪二重の歩く者≫を行使していようものならば、間違いなく響は躱されたとて追撃を続けていただろう。そうなれば梓に回避する手段はない。勝敗は決したも同然だ。
だからこのタイミングで逃げの一手をとったのは間違いではない。しかし法王守護騎士相手では、一度見た技は必ず対抗策を視野に入れられてしまう。そうなればもう不意をつく技の一つが欠けたも同じ。
実力の拮抗する相手に決めてを一つ欠けさせられたのは痛い。梓は内心で舌打ちする。
しかし梓の知りえぬことではあるが、響も同様に内心で舌打ちをしていた。
一見無敵に見える戦技であるが、これには弱点もある。それは魔力効率が非常に悪いことだ。
仮に常に切れ味を最大限まで高めたとしても、その効果が期待できるのは数秒にも満たない。それほどまでに大きな魔力を消費するのだ。喇叭のように下級精霊以上とでも契約を成すことができれば、それよりは効率良く剣を振るえるだろうが、それはたらればの話。
だからこそ決めるつもりで放った一撃が避けられたのは響にとっても痛かった。
他の戦技を使わなければ【一刀両断】を撃てるのも二・三発程度。だが梓の使う≪二重の歩く者≫をやられてしまえば意味がない。無論何回も使用できないだろうが、たった一度しか使えないと思うには危険が高すぎる。
それにあの技を使っての奇襲も考えられる。そうなるともっと慎重に戦わざるを得ない。
梓の予測通り、瞬時にそれを理解した響も戦法を変えるのを余技なくされてしまう。
互いが互いに牽制する戦い。
次に二人がとった行動は完全な様子見であった。
互いに剣を振るう。
全力ーーとまではいかないが、いつ何をされても対応できる程度の力を残して剣を振るい続ける。
唐竹。
朔風。
刺突。
袈裟切り。
左切り上げ。
右薙ぎ。
右切り上げ。
逆袈裟。
左薙ぎ。
全力ではないーーが、本気で打ち合う剣技は見る者全てを引き込むほどに魅力があった。
「フフ。流石は白城家」
自分よりもずっと年下である少女が見せる技術に、響は笑みと一緒に初めて言葉を顕わにした。
「法王守護騎士からお褒めの言葉を預かることが出来るとは光栄ね」
梓は本心からそう返す。
それだけ梓が白城家の名に相応しいだけの力を身につけてきたという証明だ。白城家復興を目指す少女にとって、これ以上ないほどの褒め言葉である。
「私がここに行き着くまで一体どれだけの年月、研鑽を積んできたか。やはり名家というのは違うな。いや、白城家だからと一括りにしては貴女に失礼かな?」
「いいえ。私は白城家の一員であることを誉れとしていますから」
「やれやれ。嫉妬してしまいそうになるよ。だが如何に白城家のご息女といえども、私も法王守護騎士としての自負がある。まだまだ貴女には負けんよ」
「あら、それはどうかしーーッ!?」
急に響の剣速が上がる。
徐々に力を出し始めたということだろう。梓も開いた口を閉じてすぐに応戦する。しかしその剣速は僅かながらに響の方が上だ。おそらくは腕力の差。加えて体力の差だろう。剣の打ち合いで疲労した梓の筋肉は徐々に削がれてしまっていた。
このままでは不味い。
すぐに梓はそう判断し、距離を離そうとする。だが響はそれを見逃すつもりはない。更に剣速を上げて梓をその場に留まらせる。
「そろそろ終わりにしましょうーー【荒波】!」
「なーーッ!?」
下からの打ち上げの構え。響の言葉。
間違いない。その戦技の正体を梓は瞬時に理解する。何せこの戦技を梓自身多用するのだから。
しかしまさか自分以外の相手が使ってくるとは思いもしなかった梓に一瞬の隙が生まれる。防御を崩し、無抵抗になった胸元目掛けて打ち下ろす。梓の祖母が得意とした剣技である。
少女の身で放つその連撃ですら驚異的というのに、体格で優る響が放つそれは間違いなく梓のものよりも上回るだろう。
その効果を理解している以上、受けて立つのは愚策中の愚策。
かといって響の剣速を今から避けようにも身体がついていかない。ならば方法は一つ。
完全に梓を捉えるかと思った響の剣は空をーー否、梓の影を切断する。
「そう来ると思ってたよ!」
≪二重の歩く者≫を一度見てその効果を理解した響はすぐさま、梓の影が出来ていた場所へと剣を振り下ろす。
そこには影と入れ替わった梓の姿。
最初に≪二重の歩く者≫を行使したときから梓が恐れていたことが現実となる。もはや避けることの出来ない響の怒涛の連撃。
しかも振り下ろす剣はただの力任せの一撃ではなく、最強の戦技ーー【一刀両断】
≪二重の歩く者≫は連続では使えない。
しかし剣で防ごうものならば確実に刀身の両断は免れない。
ーー勝った。響は確信をもってそう思った。そしてそれは見ていた観客の大半がそう感じ取っていた。
ーーだが梓の考えは違う。
「ええ。私もそう来ると思ってたわ」
剣が正に梓に迫る瞬間、響の目に映ったのはそう言って微笑む少女の姿であった。
今更何も出来る筈がない。長年の経験がそれを教えてくれる。しかし響の中でそれを明らかに否定しようとする自身の姿があった。
(なんだ? この笑みは!?ーーいや、惑わされるな。今更何か出来る筈もない!)
構わず剣を振りきる。
狙うは当然梓の持つ剣。これさえ叩き切れば彼女の戦う術はなくなるのだ。響の全力がそこに注がれる。
そしてその剣は望みどおりに切断された。
「よし!」
響に改心の笑みが生まれる。
だがーーそれでも梓の笑みが絶えることはなかった。
闇の精霊術ーー≪偽造品≫
剣をぶった切ることに固執するあまりに、容易く切れすぎた剣に何の違和感を持つことが出来なかった響が招いた油断が勝敗を決した。
梓は≪黒袋≫より自らの剣を再び抜き放つ。振るうは戦技【荒波】。
勝利を確信しきっていた響にとって、一体今何が起きているのかは一瞬で理解することができなかった。抵抗しようにも判断が追い付かず、一瞬にして剣を弾き飛ばされる。
もしかしたら戦技を使うまでもなかったかもしれない。それほどまでに剣を握る力が抜けきっていたということだろう。
剣が両手から離れてようやく、響は敗北を知った。
「…………まいった」
「勝者ーー白城梓!」
勝利宣言と歓声を耳にして、梓はようやく大きく息をついた。
「ふぅ」
正直危なかった。
体力も限界だし、試合前の解きほぐされた身体が嘘みたいに緊張で震えている。勝負がついたというのにだ。
その理由は単純明快。これが試合でなく戦場であれば梓は間違いなく死んでいたからだ。今になって戦いの恐怖が体中に伝染する。
何故ならば梓が見せた最後の精霊術はその名の通り、偽造品をつくる精霊術。実態はなく、触れることすら出来ない紛い物。ただし梓の想像した通りの物が出来るので、切断されてしまった剣も梓の意思によるものである。
もしもこれが戦場で、梓と響が敵同士であれば間違いなく彼は梓を剣ごと叩き切っていたことだろう。
そうされれば梓に抵抗する余地は一欠けらもない。身体ごと真っ二つにされていたはずだ。だがこれはきちんと規則のある試合。だからこそ梓は不殺という【一刀両断】の効果がある意味制限されてしまうところに勝機を見出したのだ。
響が戦技を振るうならばそれは間違いなく剣にしか及ばない。ならば梓はその剣さえ護ることができれば良かったのだ。
ちなみに元々持っていた剣は≪二重の歩く者≫を行使すると同時に≪黒袋≫の中へと保管。
梓自身考えもしなかったこの精霊術同士の組み合わせ技だが、これもクラウンやレヴィ達の稽古の成果である。
そしてもう一つ。
クラウンにされたアドバイス。『ピンチの時こそ笑え』ーーその言葉を思い出しながら、父親に微笑みかける。
(ちゃんと出来ていたかしら?)
そんな娘の微笑みに、クラウンも「完璧だったよ」と言わんばかりにウインクして返した。