第七話:座学の時間その壱
昼時を知らせる鐘も既に鳴り終わり、一同は再び教室へと戻っていた。
今朝がたの意気揚々とした表情は意気消沈とした顔色へと変貌し、ぐた~っと体を机に預けている。
午前の心地よい朝の匂いは一切なく、男共が放った汗の臭いで蔓延していた。訓練を終え昼休憩を挟むもこの有様。騎士生たちにとって、この先一年の地獄を考えるに易い初日となったことだろう。
そんな生徒たちの様子を前に、特に叱りつけるわけでもなく教官の口からは淡々(たんたん)と講義が紡がれる。
「それでは諸君、早速授業を始める。とはいってもいきなり算術や文字理解ではなく、座学の復習からしていくことにしよう」
そんな彼らの心境を汲み取った司の言葉が、そこに並ぶ甲冑各々から安堵の息を漏れさせた。その中には午前最後の扱きに耐えた三人の姿も当然ある。
梓は姿勢こそ正しているものの口から魂が抜けださんばかりに視線はどこか彷徨っており、それを横で心配そうに眺める愛にも他と同様疲労の色を見せている。体力的にどうしても劣ってしまう男たちの中で、それ以上に疲弊しきっていないところを見ると、その体力値はとても高いといえるだろう。
無論彼女も一般の女性と比べると遥かに上回る体力を持つのだが、この騎士生の中で比較されるとどうしても見劣りする部分は否めなかった。
三人目となる大吾はというと、昼食を経て完全復活だ。もはや肉体的な疲労はどこかへ旅立ち、代わりに睡魔が引っ越してきたようだ。司の言葉が丁度良い音色として耳に響かせながらウトウトとしている。
「それではまず、諸君らも気になっているだろう今現在における国の世情からだ」
そこで全員、司が午前中に放った言葉をフラッシュバックさせる。
『近々戦争が起こる』
それは自分たちにとって未知の出来事。未だかつて体験したことのない言葉を前に、その反応は様々だった。
「まず確認しておこう。新庄愛。このローランド法王国について自身が知る限りの特徴を述べよ」
いきなりの指名に驚くこともなく、愛は直ぐに起立しそれに応えた。
「はっ! まずはここ、ローランド法王国。法王の大地およそ四割を占有する一番の大国であり、【救済の女神・ハイル】の教えを尊び、家族や臣民を守護する騎士の育成に力を注いでいる国です」
「よろしい。それでは残る三カ国を簡単に特徴を添えて答えろ」
「はっ! 次にローランド法王国の南に位置する隣国、【セスバイア法王国】。死と生を司る【生命の女神・レーベン】を信仰する国です。次いで【クルメア法王国】。ローランド法王国の西に位置し、【星の女神・シュテルン】を崇める国で、豊艶の大地とこの法王の大地をつなぐ船守が居座る唯一の港国です。最後に【時の女神・ツァイト】を信仰する北西の小国、【ペッドヴァイト法王国】。これらはいずれもローランド法王国とは同盟関係にあります」
法王の大地における国の数は、愛が説明したように合計四カ国。それらすべては十年以上前から友好的な関係が続いている。それ故の疑問が『何処と何故』だ。
梓が尊敬する祖母が英雄の名をほしいままにした戦争の時代はとうの昔の話。
今では小さな紛争が起きる程度しかない。そんな安寧の時代が一体何故消え去ろうとしているのか、戦争を知らない一同は不安に駆り立てられていた。
戦争となれば訓練と違い死が付きまとう。
勿論騎士という立場として、弱者を守るための盾となる精神は持ち合わせているものの、それは平穏な世の中でのこと。いざ多大な犠牲を伴う戦争の中で自分の命一つ数えるのは幾戦幾万の内の一つでしかない。
そう考えると自身の命が軽く見え、とても惜しくなってしまう。
だからこそ理由を知りたかった。いや、自分の命を懸けるだけの理由が無ければ戦うこともままならないと感じていたのだ。
そんな皆が待ち望んだ疑問に対する答えが、司の口から語られた。
「よろしい。それでは諸君らも気にしている事について答えよう。その中で我が国に不穏な動きを見せているのはセスバイア法王国だ」
その国の名を耳にした瞬間、生徒らは恐怖に身を縮ませた。
セスバイア法王国といえば、ローランド法王国に次ぐ国土を有し、人口はそれを超える。
またその軍事力は法王の大地随一で、強力な兵器や武器を扱うことで有名だ。一番対峙したくない国である。
恐怖を覚える生徒たちを無視して話は続けられる。
「この国だけは同盟という立場にはあるものの、元々過去数十年に渡って我が国と戦争を繰り返し、互いに数えきれない犠牲を伴ってきた国だ。こちら側からしてもそうだが、その犠牲の傍に立っていた親族・友人らの痛みは根深いものだろう。知っている者もいるだろうが、最近我が国との国交断絶に加え、自国の軍備増強。またつい先日の話ではあるが、過去名を馳せた元騎士たちの暗殺もセスバイア法王国が関与していると確かな情報を得たのだ」
その発言にまた驚きを隠せない。
「えぇっ!?」と何重にも声が連なる。
それも当然だ。『知っている者もいるだろうが』という前置きはあったものの、紡がれていく情報は、彼らにとって全て初耳であったのだから。またこの後に司から語られた暗殺事件の被害者、住良木卿、神原卿の名を知り、耳を疑うしかなくなった。
その二名はローランド法王国においては三大騎士家に次いで有名な人物。ローランド法王国に住を置くものならば知らぬ者などいない。
住良木卿は松蔭家の紋章を掲げ、神原卿は獏党家の紋章を掲げ戦線を駆け回り活躍した名家だ。
梓らが騎士を目指す頃にはとうに現役を離れていたが、その後も政治・経済を発展させ、国を潤せた立役者である。
今こうして平和に暮らすことが出来るのも、一重にその二名の功績が大きい。無論それには臣民の無用な混乱を避けるために一時情報規制がとられた為、事件の概要すら彼らは知る由もなかった。
しかし迫りくるかもしれない大事の前ということで、彼らのみならずその情報は同時刻に別の場所で一般市民へも伝聞されていく。
「故にゼスバイア法王国の真意を探るべく、既に使者を派遣している。その答え次第ではあるがーー」
「ーー戦争が起こる可能性を考慮しておかなければならない」
「そういうわけだ」
愛は癖っ気のある自分の短髪頭に手を置きながら、司の説明に推論で続けた。
司の肯定で、あまりに自分たちに縁が無かった話が少しずつ確かに真実味を帯びていく。
あ~、本当に戦争が起きるかもしれないんだとようやく実感し始めていった。
騎士を目指す者とはいえ、まだ成人しない子ども。不安に表情を曇らせるのは当然だろう。
「ただし現状ではあくまで可能性の話だ。いくら要人が二人暗殺されたからといって、全臣民を危険に曝してしまうような戦争をこちらから吹っ掛けることはない。だが最悪を想定しての準備を怠るべきではない。これ以上は私も不確かなことを発言することは出来ないので、一先ずは実践を想定した座学と訓練をこれまで以上に加えていくからそのつもりで」
その言葉で彼ら重荷もいくらかはとれる。
自分たちがここで頭を悩ませても結果は変わらない。ならば今自分たちに出来る最善を尽くすべきだと司の言葉を素直に受け入れた。
何より、何も知らない不安からは解消されたと梓らの表情は多少なりとも改善されたようだった。
「「「はっ!」」」
ようやく全員が朝にみせた元気が戻ってくる。
体力的な意味でも回復しつつあるのか、皆の声にも覇気が感じられる。司はその表情に満足そうに頷いていた。
不安に張りつめていた空気が弛緩すると、次の講義が再開された。