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下級悪魔の労働条件  作者: 桜兎
第一章:初めての父親
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プロローグ

 地下室。

 窓のないその部屋は三隅にあるランタンの光によって仄暗くその姿を映し出されていた。

 床に乱雑に積まれた埃まみれの本や、いたるところに張られた蜘蛛の巣を見る限り、しばらく使われていなかっただろうことが分かる。灯り火によって映し出された影は吹きうるはずもない風を感じさせながらおぼろげに揺れうごめいて、まるで陽炎かげろうのようだ。


 そんな灯りを頼りに見えてくる清潔さを感じさせないその石畳の中央には何一つ物が置かれていない。代わりに床には発光塗料だろうか、青白く光る正方形の中に列なった文字がその面積を埋め尽くし、そのすぐ側には小さな人影があった。

 

 小柄な人影。背中越しからでもまだ成人にみたない子どもであろうことが判断できる。

 その足元では埃で汚れてしまった白色のスニーカーが白く露わにした細足の先で履かれており、ランタンの光が無ければ闇に溶け込んでいたであろう真っ黒のショートパンツがピチっと臀部でんぶのラインをなぞるようにその主張を高めている。

 その上では暗い色から一転、白のパーカーがその頭ごとすっぽりとフードで覆い被っていて、こうべを垂れているからか、目元は影に隠れて小さな唇だけが光を受けていた。


 静寂がその場所を支配する中、ポツポツと紡がれる言葉だけが小さく響く。

 小柄なその人物は床で光る正方形に視線を落とし、既に一時間以上もその口は動休まず何かを発していた。

そして小さく聞き取り辛かった永い呟きを終えると、自分の左手を正方形の中心へと置き、空いている手をポケットの中へ潜らせた。

小さい手に握られて姿を見せたのは刀身をき出しにした果物用ナイフ。それをゆっくりと上昇させると、肩の駆動域に達したところで一気に降下させた。

 

 その着地点は床に置かれた自分の左手。

 


「ーッッ!」



 狂気を生業なりわいとする狂人の所業しょぎょうだ。

 その痛々しい光景に目を背けたくなる。

 手の甲からは体内から解放された血飛沫ちしぶきが音を上げながら噴き出す。

 その痛み耐えるように声を漏らし唇を噛み締める。

 しかしそれでも必要に刃を動かし、自らの手を何度も何度も念入りにほじくり回す。傍目から見ればそれは異様でしかない。だがそれを止めるものなど周囲には存在しない。


 次第にその手から惜しむことなく流れ出る血液は窪みに流れる水のごとく、淡く光る文字、そして正方形へと広がり溶け込んでいった。


 すると床に書かれた文字がペリ、ペリ、とーーいや実際には音も立てずに一文字ずつ剥がされ、フード頭の眼前まで浮かび上がった。空中に文字が浮かぶという何とも奇奇怪怪ききかいかいな光景である。

 そして全ての文字が浮遊すると、文字を覆うまばゆくも淡い光が急激に光度を増し、一気に真っ白な光となって地下室全ての視界を奪った。



「さて。僕を呼んだのは君かい?」



 突如として部屋の中で反響する声。

 先程まで視界を支配していた光はなく、地下室は元の薄暗い姿が戻っている。しかしその中央の床に羅列する文字は消失しており、正方形もその光を失っている。

 代わりにさっきまで無かった人影が一つ増えていた。


その影の主は、全身が闇に溶け込んだ漆黒しっこく外套がいとうで覆われており、ランタンの光があってこそその陰に混ざる黒を判別することができた。

 腰ほどまでに伸びた紅い長髪はその長身に見あっており、黒い眼鏡の奥に覗かせる翡翠色の双眸が男の存在をより強めていた。


 男は小さくうずくまる身体を見下ろしながら言葉を続ける。



「この僕を呼び出すなんて中々肝が据わっているけど、僕はそれほど暇じゃー」



とまで言ったところで、尊大な言葉を続ける男の気持ちは他所に、身体は「ぐひゃッ!?」と短い悲鳴を漏らしながら埃まみれの本の上に勢い良く叩きつけられてしまう。

 砂埃が舞い、地下室内を無遠慮に彷徨い始める。


 男が吹き飛んだ原因は当然もう一方の小さい影の主だ。

 いつの間にか立ち上がった白フードが男を蹴りとばしたのである。

 ゆっくりと上体を起こしながら果物用ナイフを無造作に床に捨てると、痛みに悩まされる片手を抑えながら、先とは逆転した立ち位置で男を見下した。



「黙りなさい。下級悪魔風情が。ただお前は私の支払った対価と引き換えに私の願いに黙って応えればいい」



 凛として透き通った声が言葉の暴力の限りを尽くす。

 白フードーーおそらく少女であろうまだ幼い声質は、その声に見合わない言葉を併せ持って無様に転がった悪魔に放たれた。



「ちょ、ちょっとまって! 今『支払った』って言ってたけど、僕まだ対価とか受け取ってないんですけど!」



蹴られた頬をさすりながら男は上半身を起こす。



「うるさい。下級悪魔ごときが。早速主人に口ごたえするつもり?」



冷やかな山吹色の瞳で男を捉えながら、白フードは続ける。



「お仕置きね。《ペイン Lv.2》」


「いだだだだだッッ!!」



 白フードがそう発した途端、長髪の男は悲鳴と共に床を転がり回る。

 床に広がる蜘蛛の巣や埃をからみとり、再び砂埃が舞う。

 登場して間もなく、悪魔の外聞は塵芥ちりあくたとして捨てられてしまった。



「嘘!? 何で!? まだ僕契約していないはずなのに!?」


「分かったかしら? 下級悪魔風情が私の言葉を遮るなんて許さないわよ?」


「さっきから下級下級って、それは人間が勝手に評価しただけであって僕はぁああイダダダダダッッ! すいません! すいません! 下等なごみ虫にでも分かるようにご契約内容について教えてくださいぃぃッ!」



 一時は高級感を醸し出していた綺麗な黒い外套も、今では床に広がるゴミを巻き込む雑巾へと成り果てていた。

 転がり回るその『下級悪魔』と呼ばれた男からは、数分前の尊大な口調はすでに掻き消えてしまっている。

 満足そうに頷く白フードが指を鳴らすと、男の痛みは彼方へと消え去った。

 

 悪魔は固い床に正座すると、痛みを与えられないようにと拝聴する姿勢をとる。

 それを眺めながら白フードはパーカーのポケットから小さな巻物を広げて、誰かに呼びかけるようにハッキリとその中身を読み上げていった。



 【下級悪魔:クラウンと白城(しらぎ) (あづさ)の契約内容】


 一、下級悪魔:クラウンは白城 梓の召喚に応じたその瞬間から以下の契約に応じたものとする。


 一、下級悪魔:クラウンは白城 梓の保護者となり、その成長を見守るものとする。


 一、白城 梓は下級悪魔:クラウンに対し、奴隷魔術をLv.5まで任意で行使することができ、下級悪魔:クラウンが白城 梓に対して危害を加えた場合、その程度によって自動的に《ペイン》が発動されるものとする。


 一、下級悪魔:クラウンがこの契約そのものを反故にしようと画策した場合、その企みは白城 梓へ思念として伝わるものとする。


 一、下級悪魔:クラウンは白城 梓の保護者として、あるいはその成長を促進させる方法として、良しと思った行動により直接的•間接的に白城 梓に危害をと加えてしまった場合に対しては、奴隷魔術で罰せられないものとする。


 一、下級悪魔:クラウンが得ることのできる対価は、その都度白城 梓が任意で決めるものとする。


 一、この契約期間は白城 梓が死亡した場合か、白城 梓がこの契約の破棄を申し出た時とする。




 ふぅ、と白フード、白城 梓が一息ついたところで、



「……とまぁ、以上になるわ。どう? 質問はあるかしら?」


「あるに決まってんでしょーっ!」



 間髪入れずに長髪の悪魔、クラウンは抗議を開始した。



「あら、何かしら?」



 少女は優雅に言葉を返す。


「まず『召喚に応じた瞬間から契約に応じたものとする』って詐欺じゃん!」


「一応召喚門を繋げたときに、門には契約内容を明記しておいたじゃない。(見えないように小さくだけど)それをよく確認もせずに通ったのは貴方でしょう?」



 それよりも詐欺なんて言葉知ってるのね。魔界にも詐欺があるのかしら? と疑問を投げ返すが男の耳には入ってこなかった。


 本来悪魔と人間との間でする取引とは、召喚したその場で双方の合意のもと契約を交わすのだ。人間と違い老衰で亡くなることのない悪魔だが、そんな抜け道が利用されたことは過去数千年に渡っても前例が無く、そんな姑息な手段を用いられ強制的に契約させられたと言ってもいい初の生贄が自分だったことに絶句してしまったのだ。


 また契約に応じたといっても、悪魔側が得る対価は先に読み上げられた契約内容には明記されておらず、一方的なものとなっているのだ。最悪、無給の重労働である。

 とてもじゃないが冗談じゃない。

 クラウンは断固として異議を申し立てた。



「普通召喚門に契約内容なんて刻まないでしょ!」


「それは悪魔側の常識じゃない。そもそも人間世界には形式なんてものは人種の数以上にあるのだから、求人広告を微細なところまで目を通さなかったアンタの落ち度よ」



 そんな雇い主の言葉に悪魔はグッと喉元で反論を堪える。

 納得したわけではないが、これ以上の言及でパワハラを受けてしまうのは避けたかったのだ。

 と、危惧したところで悪魔はふと疑問符を頭に浮かべる。



「ん? そういえば『従者』じゃなくて『保護者』?」



 まるで自分にメリットの感じない労働条件を前に失念していたのか、契約内容を反芻し独り言のようにつぶやく。


 悪魔にとって人間との契約は珍しいものではない。人にはない能力を得るために何千もの命を贄にしたり、召喚した悪魔を生涯の従者とする代わりに召喚者が亡くなったそのとき魂を悪魔に捧げたりと、要は力を得るために対価を支払うものがオーソドックスだ。


 悪魔にとって人間世界など娯楽場でしかないので、召喚者が好き勝手にその世界を壊そうとどうでもよく、むしろ暇つぶしとなり、更にはその娯楽に触れながら最終的にはご褒美たましいがもらえるので、悪魔にとっての人間との契約は宝くじに当選したようなものだ。


 ただし借金をつかまされたのは今回のケースが初めてだろう。

 だからこその不満はあるが、数あるケースの中で悪魔を従者・戦闘下僕・願いを叶える者として以外の扱いをする今回の契約に少しずつ興味を示す。



「そう、『保護者』よ。詳しいことはこんな薄暗いところでする必要もないわ。上でするから上がってきて」



 とだけ言い捨てると、コツ、コツ、ともはや正座する悪魔に一瞥することもなく階段を上っていった。



「ほんと……何なの? もう……」 

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