13章 ライトとみやび
チュンチュン……。
「ん……朝かぁ。」
ライトは起きようとして、隣を見て……諦める。
「ハァ……流されてるなぁ。」
「ん、んーん……。」
隣のみやびがライトにしがみついてくる。
はだけた布団の隙間から、みやびの肌が見え隠れする……みやびは何も身に纏ってはいない……つまりは、そう言うことだ。
ライトは昨夜のみやびの様子を思い出す。
かなりヘビーな話をしたため、みやびの情緒は不安定どころじゃなかった。
アルコールが入っていた所為もあったかも知れない。
みやびはひとしきり泣きじゃくった後は、幼児化したように甘え、ライトから離れようとしなかった。
「そろそろ帰るわ。」
ライトはそう言って店を出ようとするが、みやびが離れない。
「あのぉ、みやびさん?」
「送ってけ……。」
「えっと……。」
「送ってけ!」
「だからね……。」
「いいから送ってくのっ!どうせ帰るところなんてないんでしょ!」
みやびがキレる。
酔った女の子に道理が通用しないのは経験則で分かっている。
こういう場合は、素直に従うのが正しい在り方なんだそうだ。
「ってことなんで、送ってくわ。」
「ハーイ、気をつけてね。でも無理矢理はダメよ。」
「何の話だよ……ったく。まどかちゃんとミドリちゃんによろしくな。」
「はーい。」
「ミドリはお前なんかに渡さん!」
清文が親父と化していた。
「ばーか。ロリはコイツで間に合ってるよ。」
「ぁんだとぉ……ぁれがロリよぉ……。」
背負ったみやびが暴れ出す。
「わわっ、あぶな……。オイ大人しくしてないと捨ててくぞ?」
ライトがそう言うと、途端に大人しくなるみやび。
その代わり、ギュッとしがみつく腕に力を入れてきた。
ライトはそのまま店を出て、みやびを送り届けるために歩き出す。
みやびの住むマンション?までは歩いて10分程度だ。酔いを醒ますには丁度いいかも知れないとライトは思う。
「ねぇ……。」
背中越しにみやびの声が聞こえる。
「ん、寝たんじゃなかったのか?」
「そんな勿体ないことしないよ。それより……れーじんは独りで寂しくなかった?」
私は寂しかったよ、と小さく呟くみやびの声がきこえる。
「寂しくなかった、と言ったら嘘になるな。だけど、高校に入れば新しい関係が生まれる……社会に出ればまた関係が変わる……お前だって同じだろ?」
「そうだけど……そうだけど、れーじんは全て忘れるために出て行ったんだよね?それって寂しくない?私達ってそんなに簡単に忘れてしまえるものだった?」
ライトは答えなかった……答えることが出来なかった。
暫くの間、無言で歩き続けるライト。
「ねぇ……。」
「なぁ……。」
二人の声が重なる。
そしてまた無言の時間が続く……。
「……ねぇ、さっき言い掛けた事……何?」
「ん、あぁ、答えを考えていたんだ……。」
「答え?」
「あぁ、簡単に忘れられたかってヤツ…………忘れたよ、8年かかったけどな。」
その言葉を聞いて、みやびは自分の顔をライトの背中に埋める。
「忘れたと思った……、忘れられたと思った……。けど、今俺はここにいる……それが答えなんだろ。」
ライトは自嘲するように呟く。
みやびは何も言わず、ただ背後から抱きしめるかのように、ライトに回した腕に力を込めるだけだった。
「着いたぞ。」
ライトは部屋の前でみやびを降ろすと、みやびはポケットから鍵を取り出して、ガチャリと開ける。
それを確認したライトは「じゃぁな。」と言って帰ろうと踵を返すが、みやびが服の裾を掴んで離さない。
「なぁ、離してくれないと、帰れないんだが?」
「抱っこ。」
「ハァ?」
「抱っこしてベッドまで運んで。」
「お前ふざけんなよ!」
「いいから連れてけ!」
ライトは、いい加減にしろ!と言いかけたが、今にも泣き出しそうなみやびの顔を見て諦める。
みやびをお姫様抱っこして、奥の部屋まで移動する。
そしてベッドにみやびを降ろすが、みやびは首に回した腕を解かない。
それどころか、力を込めてライトを引き寄せる。
ライトはバランスを崩して前のめりになり、みやびはそのままライトを引き寄せ、その唇を塞ぐ。
どれぐらいそうしていただろうか?
暫くして、ようやくみやびが腕の力を抜いて、ライトを解放する。
ライトは気まずそうにみやびを見た後、部屋を出て行こうとする。
「待って………帰っちゃイヤ。」
ライトの足が止まり、振り返ってみやびを見る。
「帰らないで…………朝まで……一緒に………いて……欲しい。」
「お前なぁ……。」
ライトは困ったように頭をかく。
「酔ってるだろ?………言ってる意味判ってるか?」
「酔ってないし、判ってるよ。」
みやびはじっとライトを見つめながら言う。
「れーじんなら……いいよ……ううん、れーじんがいいの。」
窓から指す月明かりがみやびを照らす。
潤んだ目で見上げてくるみやびの顔は、これ以上ないくらい可愛いかった。
「別にね、つき合ってとか、恋人になって、とか言ってるわけじゃないよ。ただ今夜は独りになりたくないの。れーじんと一緒にいたいの。……ダメ……かなぁ? 」
ズルいと思った。
みやびみたいな可愛い女の子に、あんな顔で、あんな声で、お願いされたら、頷く以外の答えが出来るはずなかった。
しかも、相手はあのみやびだ。
あの頃は幼すぎて判らなかったけど、もしかしたら「恋」に育ったかも知れない、淡い気持ちを抱いていた女の子の一人……。
出来れば忘れたかった、でも忘れることの出来なかった過去のことを話した所為で、情緒不安定になっていたかも知れない。人恋しく思ったのかも知れない。
それに何より、あの頃抱いていた気持ちが膨れ上がっていただけかも知れない。
今、ライトがみやびに抱いているのは、恋愛感情ではなく、ただの傷の舐め合いに近いのかも知れない。
だけど、少なくとも、アルコールの所為だけにはしたくなかった。
酔った勢いで……なんてのは格好悪すぎる。
「なぁ、本当にいいのか?後で後悔しても知らないぞ。」
みやびはすべてを受け入れるかのように、両腕を伸ばしてライトの首に回す。
「これ以上、女の子の口から言わせるの?」
もう、二人の間で言葉はいらなかった………。
◇
「みやびとこんな関係になるなんてな……。」
数日前には思いも寄らなかったことだ。
隣で幸せそうに眠るみやびを見つめる。
後悔はしていない……するはずがない。
好きか嫌いか、と問われれば、好きと答えるに決まっている。
ただ、愛してるか?と言われれば、答えに困る。
ライトの人間不信はそれだけ根深いものだった。
みやびが寝返りを打つ……みやびの身体を覆っていた布団が捲れ、普段は衣服に隠されて判りづらい立派な双丘がライトの目に飛び込んでくる。
朝と言うこともあり、ライトは自身が元気なのを自覚する。
ライトは、その魅惑的な丘にそっと手を伸ばす。
「うぅん……。」
ライトの手がその柔らかいものに触れると、みやびは再び寝返りをし、ライトを抱きしめるように引き寄せる。
ライトはもみやびを抱く腕に力を込める。
何だかんだ言っても、ライトもごく普通の健康的な男子だった………。
◇
「で、その一般的に健康な男子であるあやちゃんは、平日の真っ昼間から何してるの?」
「何の話だ?」
「またまたぁ、とぼけちゃってぇ。ネタはあがってんのよ。この送り狼君?」
喫茶ヴァリティのカウンター越しに、真理がからかってくる。
別にからかわれるために来た訳じゃない。
「それで、夕べはどこに行ってたの?別のオンナの所?」
「どこだっていいだろ。」
実は車の中で寝てたとは言いたくなかった。
土曜・日曜となし崩し的にみやびの処に泊まっていたわけだが、月曜の朝、みやびが出勤する姿をみて、ろくに仕事をしていない自分がこのままズルズルとみやびの処にいていいのだろうか?……これじゃぁ、まるでヒモじゃないか、とライトは思ったのだ。
「よくないよ。あやちゃんが帰ってこないって、みやびから電話があって、夕べは大変だったんだから。」
何でも、一晩中みやびの愚痴と惚気の電話につき合わされたという。
「どうせあやちゃんの事だから、意味もなくみやびの世話になるなんて格好悪いとか考えてるんでしょ?」
「……何故判る?」
「…………そう言うところは変わってないんだね。少し安心した。」
ライトは答えずに、コーヒーを口にする。
「別にいいじゃない。みやびの処に泊まっていれば。どうせ行くアテもないんでしょ?」
長くいれば情が移る……それはいざ離れようとした時に枷になる………とは言えなかった。
だからライトは黙ってコーヒーを飲む。
だからライトは話題を変える……。
「そんな事より、今日は保護者に許可を貰いたくてね。」
ライトは、昨日わざわざ隣町のネットカフェまで行って、印刷して来たプリントを真理に見せる。
「フォトコンテスト……?」
「そう、まどかちゃんをモデルにする許可をもらえるかな?」
真理に見せたのは、ある大手雑誌社が定期的に行っているフォトコンテストだ。
このコンテストで入賞したカメラマンが、その雑誌の専属になったり、モデルがそのままデビューしたり等、話題も実績もある有名なコンテストだ。
「もうすぐ夏休みだろ?天気のいい1日を選んで、まどかちゃんをモデルにして撮影をしたいんだ。」
元々、まどかやミドリに持ちかけたアルバイトはこのコンテストに応募するためのものだった。
あれから状況が変わったといえ、まどかちゃんを撮ってみたいという、ライトの気持ちは変わっていなかった。
もうすぐまどかの命日だ。
その後夏休みに入って直ぐまどかちゃんを撮影し、そしてこの街をでる。
その後のことは考えていないが、ライトのちょっと早い夏休みはそれで終わりだ。
それでいいんだと、ライトは自分自身に言い聞かせるように何度も繰り返し呟く。
「あやちゃんは本当にそれでいいの?」
ライトの呟きが聞こえていたのか、真理がそう聞いてくる。
「こういうお店やってるとね、色んな人を見るの。でね、「あの時こうしてれば」って言う人を多く見てきたのよ。そう言う人に限って、言うだけで何の行動も起こしてないんだけどね。行動を起こした人はこう言うのよ「別の選択もあったんだけどな」って………。行動せずに後悔する人と、行動した結果後悔する人では目の輝きが違うの。………私は行動を起こした人の目が好きだなぁ。」
ライトは何も答えずに、席を立つ。
「また夜来るよ。さっきの件、まどかちゃんと話して考えておいてくれよ。」
そう言って店を出ていくライトを真理は見つめ……姿が見えなくなってから呟く。
「あやちゃんのバカ………。」
◇
「じゃぁ、いいんだな?」
「ハイ。ライトさんのお役にたてるなら、是非協力させてください。……あ、でも、一人だと恥ずかしいのでミドリとネコちゃんも一緒にお願いします。」
まどかちゃんがはきはきと答える。
「あとねぇ、保護者からの条件もあるわよ~。」
横から真理が口を挟んでくる。
「まずねぇ、ヌードは勿論の事、水着姿も禁止ね。それから撮影には保護者も立ち会うからね。後……。」
「まだあるのかよ……。」
更に条件を加えようとする真理にうんざりとした表情を向けるライト。
「当たり前でしょ!まずねぇ、あやちゃんの撮った写真を、ここに飾る事でしょ、それからねぇ……。」
カランカラーン
真理のどうでもいい条件が続く中、不意にドアベルの音が鳴り響く。
反射的に、入り口に顔を向けると、そこにはみやびがいた。
「こんばんわぁ……あれっ、れーじんがいるぅ……真理と浮気してたなぁ。」
みやびが、フラフラ―ッとしながらやってきて、ライトの横に腰かける。
「えへっ、れーじんだぁ、れーじんがいるぅ……。」
ふにゃふにゃ―とライトに寄り掛かるみやび。
そんなみやびの身体を支えながら聞いてみる。
「お前、もう酔ってるのか?」
「酔ってないよぉ……ちょっと飲んだだけだからねぇ。」
「だから、酔っぱらいはみんなそう言うんだって。」
「えへへ……。」
ダメだ、聞いちゃいない。
「みんながねぇ、言うのよぉ。『みやびちゃん、色っぽくなったねぇ』って。誰の所為かなぁ?」
みやびがライトの胸を突っつきながら言う。
「誰の所為なんですか?」
傍にいたまどかちゃんが首をかしげて聞いてきた。
「さぁ、誰の所為かしらね?」
真理がニヤニヤ笑いながらそう言ってくる。
「だぁれぇのぉ、せいだぁ……。」
「あぁ、もう黙れ。……真理、まどかちゃん、今日はこれで帰るわ。撮影に関してはまた今度な。」
ライトはそう言うと、「帰るぞ」とみやびに肩を貸して抱き起す。
「えぇー、帰るのぉ……だったらおんぶぅ……。」
「アホか。」
そう言いながらみやびを背負うライト。
「こんなみやびちゃん、初めてみました……ライトさん大丈夫ですか?」
まどかがライトを気遣う。
「みやびちゃんじゃなぁーい、お姉ちゃん!」
「えっ、でも、前は「みやびちゃん」って呼べって……。」
「そうそう、みやびちゃんだよぉ……。」
まどかは訳が分からず混乱している。
「悪いな、気にしないでくれ……まぁ、まどかちゃんは、大人になっても酒を飲んでこんな風にならない様に気を付けるんだな。」
「あ、あはは……。」
力なく笑うまどかちゃんの頭を一撫でしてから、ライトは背を向けて店を出ていく。
「みやびお姉ちゃん、何かあったのかなぁ?」
「まどかが気にする事じゃないよ。アレは甘えてるだけ。」
いつの間にか横に来ていた真理がそう言う。
「そうなんだ……ウン、みやびお姉ちゃん、なんか可愛かった。」
そう言って真理を見るまどかの瞳には涙が浮かんでいた。
「アレっ、何だろうね?おかしいなぁ。」
まどかが涙をぬぐう。
そしてライト達が去ったドアを見つめながら呟く。
「なんかね、ライトさんとみやびお姉ちゃん見てたら、心の中がポカポカして、それでね、奥の方がチクリと痛むの……これなんだろうね?」
真理はドアを見つめるまどかをそっと抱きしめる。
「まどかちゃん、今は分からなくていいから、その気持ち大事に取っておきなさい。いつか分かる時が来るから……その時は、きっとその気持ちは大事な宝物になるからね。」
「うん……。」
まどかは再び溢れてくる涙でぼやけた扉をじっと見つめていた。
◇
「ねぇ、れーじん……。」
背中越しにみやびの声が聞こえる。
「ん?」
「れーじんは、またこの街を出ていくの?」
「……。」
みやびの問いにライトは答えなかった。
「私、止めないよ……その代わり、出ていくその時まで……私の傍にいて……ダメ、かなぁ?」
「お前、ズルいぞ……そんな言われ方して、ダメって言えないだろ?」
「えへへ……そうだよ、私はズルいの。」
まどかがギュっとしがみ付いてくる。
「行っちゃヤダ……一人は淋しいよ……。」
みやびの押し殺した小さな声を、ライトは聞こえない振りをした。
◇
「れーじん……付き合ってる彼女いた?」
ベッドの中、みやびがライトに寄り添いながら聞いてくる。
「いないよ。」
「じゃぁ、好きになった子は?」
「………いないよ。」
「今の間は何かなぁ?」
揶揄う様に言うと「うるさい、黙れ!」と唇を塞がれる。
みやびはライトの背中に腕を回し、ギュっと抱きしめる。
ライトが、本当はまどかが好きだったことは知っている。
自分の知らない8年間で、ライトの心の中に入り込んだ子もいたんだろうと思う。
ひょっとしたら、今でもライトはみやびの知らない「誰か」を想い続けてるのかも知れない。
だけどみやびはそれでもいいと思う。
自分の恋は成就しないのかもしれない。
ただ、今だけは……こうして抱きしめられてキスをしている今だけは、ライトの心は自分に向いているのだから……。




