第二話「ウィズ・ユア・カインドネス アズ・ユア・マッドネス」 1~5節
狂気と悪徳、そして産声の小話。
「と言うわけで、スコップコーザンに向かうべきなのだが」
オルスミスが神妙な表情で切り出した。その言葉に一切の返事はない。
「と言う訳で、スコップコーザンに、向かうべきだと、思う、のだが」
オルスミスが神妙な表情で念を押す。だが一切の返事が無い。
「だから、スコップコーザンにだな?」
オルスミスが神妙な表情で繰り返す。やはり一切の返事がない。
この間、西の果てを共に目指す者として契約を交わした筈のリーゼロッソ・ブッダベルは一切の反応を見せず、ただただオルスミス・ドンガーラッシャを半眼で睨み続けていた。
原因は昨夜の騒動を終えた後の、オルスミスの行動にあった。ラッキーエロスのチャンスを阻害されたオルスミスは、憤慨したのかはたまた身体的我慢の一線を偶然突き抜けたのか、その場でニクセインに値段を聞くなり即お買い上げしたのだ。年齢の割には世慣れしているリーゼロッソと言えど、流石に自分のパートナーが自分の親友をお買い上げすると言う状況までは飲み干せなかった。深夜にかけずり回った分を休もうと思ったら、パートナーと親友のウフンアハンを聞きながら寝る羽目になるのだ。
仕方なくリーゼロッソは、睡眠不足の体を引きずって農園警備の報酬交渉と受け取りを済ませると寝るに眠れず戻るに戻れずで割と文字通りにフラフラと街をうろついていた。そして日没前に戻ってきた時、オルスミスは出すものも出して寝るに寝た上で彼女を出迎えた。流石に気まずそうな表情を浮かべていたのだが、それを見たリーゼロッソは不満をぶちまけ損ね、押し込んだ苛つきが彼女の胸中にて野菜の原型を無くしたポトフの様に煮えたぎっている。
「えーと……だな。俺が、無神経だったのは認めるし謝罪する。だからせめて仕事の話だけは応じてくれないか」
「……わかってる。異論は無いから、続けて」
お互いにお互いの非は認めているようだ。リーゼロッソの平坦な口調に、オルスミスは安堵とも緊張ともつかない顔で改めて自分の展望を語り始める。
「マギニクスとしては、ここで鉄鋼やら鉱石を調達して銃を作ろうと思うと大いに不満が残る。かといって本気で良質な素材を集めようにも、流石にマイニンカザンまで行こうと思うとコストもリスクも今の俺たちには捌ききれん。よって、段階を踏むためにはスコップコーザンが適切な進路だと俺は考える」
スコップコーザンとはウェストモンゼンから西南西方向に向かった所にある露天採掘エリアだ。「ギャンブル穴掘り場」、「命がけの砂場」、「イカレ鉱脈」等々の異名を誇り、西部=鉱石資源のイメージを作り上げた場所でもある。
その特徴は、東部の地質学とは余りにかけ離れて無秩序かつ多様な採掘資源が掘り出されることだ。僅か2m程掘り進めただけでアラマリア(*:現代のアンダーフィストランドでもっとも高価な宝石)の大原石が見つかり、掘り当てた者が翌日に見るも無惨な撲殺死体になっていたなんて噂もある。東部ではあり得ない雑多で不可解な鉱脈は一発大富豪の夢を開拓者達にもたらすが、その一方で近隣地域に比べて地質が脆弱で崩れやすく更には小さな地震も頻発する地域でもある。さらには掘り当てるのは鉱石だけでなく、得体の知れない有害ガスなどもかなりの頻度で湧き出ている。
東部の人間が西部に抱くイメージは、主にこのスコップコーザンが発祥と言っても良い。ウェストモンゼンに比べて魔物の凶暴さ・襲撃頻度も高くなっていて、人の命は相当に値下がりしている。しかしそれでもスコップコーザンに人は絶えない。一発逆転がそれなりにあり得るからだ。とは言え、あくまでも採掘場の中に踏み込んだ場合の話だ。隣接して作られた市街部から外に出ない、あるいはそれなりの実力か銃器を携えるガンスリンガーならば、道中さえ乗り越えられればまだまだ西部全体では安全な方である。リーゼロッソの手にある、復調したRTJ型銃器が有れば道中の不安は殆ど無い。スコップコーザンに向かって当面の銃器を作るに十分な鉄鋼を調達するだけならそう危険ではない筈だ。
「スコップコーザンに向かって、当面の世話になるガンジェクトを作って、そのガンジェクトで自衛しつつマイニンカザンを目指す。その後は資金や情報を集めつつサンセットセンタンへ。この大筋が妥当な所だと俺は思う」
オルスミスの提案に、リーゼロッソは黙って頷いた。ウェストモンゼンからあまり離れた事のないリーゼロッソにとって、オルスミスの提案した指針以上に信用すべき基準も無い。
「……じゃあ、明日は朝から斡旋所に行って、スコップコーザン行きの便と仕事を探してくれば良いのかしら」
話を聞いて整理している内に、少しずつリーゼロッソの胸中も整理がついてきた。自分がある種理不尽に怒っていた自覚も有り、必要なのはクールダウンの為のきっかけだけだ。
「いや……あぁ、いや、探すのは明日からでも良いが、出発は2・3日先にした方が良い」
オルスミスの曖昧な指示に、リーゼロッソが表情で疑問を問いかける。問われた銃技師に、ようやくいつもの飄々とした表情が戻ってきた。
「なに、まだお前さんにマギニクスらしい所を見せてないから、ちょっと本業の片鱗だけでも見せたくなってな」
結局のところ、リーゼロッソが取ってきた馬車警護は4日後の便になった。オルスミスの指示よりも更に間の開いた仕事になるが、延びた分の滞在費を差し引いてもかなり利の出る報酬を定時されれば彼女に断る理由が無い。スコップコーザン行きの仕事を尋ねたリーゼロッソへ”斡旋所”は真っ先にその仕事を紹介した。その報酬はスコップコーザン行きの馬車警護として見ると相場よりかなり上乗せされている。
しかしリーゼロッソは金銭に貪欲であっても蒙昧ではない。物心ついた頃から娼館――それも格付けを上から数えたほうが早い――で育てられてきた彼女は、金銭が”理由”なしには決して動かないものだと身に染みて理解している。ましてや西部でガンスリンガー相手に動く金、とくればそれは”リスク”か”安心”のどちらか、あるいは両方だ。
リーゼロッソに不安はない。スコップコーザンまでは一度だけとは言え往復の経験があり、彼女の銃器もつい先日までとは比べ物にならないレベルまで改善された。より辺境を目指すならばまだしも、スコップコーザンまでを踏破するのに不足は感じていない。
(……オリジンの足跡を、その先を目指すならまだ腰が引けてるくらいだわ。伝説を追い越すなんて、簡単に出来る訳が無いもの)
4日後に待つ仕事は、リーゼロッソがようやく踏んだ二歩目だ。その先の三歩四歩を踏み越えて伝説に至るために、勢いが有るに越したことはない。彼女は宿場に戻る道すがら、脳内で自分の打算に穴がないかを何度も確認していく。そのいずれもあの夜に再生した彼女の銃器が見せた姿の前に脅威では無い、との結論に至り、自分が少し浮かれているのだと自覚を促す。
リーゼロッソの感覚は、今の再生した銃器こそが「彼女の」銃器の様に感じている。一種の愛着だ。それでもオルスミスいわく「ひどい」銃器なのだから、この先で彼がその技巧をもって1から作り上げる銃器は如何程になるのだろうか。
(……出発までに気を引き締めなおさないと)
久々に感じる高揚感で唇の端が緩んでしまう。それをごまかすように、リーゼロッソは酒場のウェスタンドアを強く押し開いてもはや我が家当然の宿場へと入っていく。その彼女の目の前で、彼女の銃器がバラバラになっていた。
「……はい?」
リーゼロッソの手が思わず腰に伸びた。だが右手の中には銃器のグリップの感触が確かにある。つまりいま眼前に有るのは果樹園で故障した方のRTJ型銃器だ。良く見ると、もはや銃器はバラバラと言う表現すら生温い状態になっている。グリップ、引き金、響石と打鍵、銃身とおおよそ構造的に可能な範囲は全て分解されていて、銃器本体とその部品、それらを繋ぎ止めるネジ類が広がる向こう、銃技師と調整師を兼ねる男は一心不乱に響石を収める銃体を弄っていた。
リーゼロッソには今のオルスミスが銃技師として腕を振るっているのか、調整師として仕事をしているのかも区別か付かない。酒場に人が来ても見向きもしないその集中を妨げて良いものかリーゼロッソは逡巡したが、壊れたとはいえ扱われているのは彼女の銃器だ。取り敢えず、の体でオルスミスの正面に腰掛けると一番の疑問を投げかける。
「……そのガンジェクト、直せるの?」
「ああ、壊れたのが響石や銃身じゃなくて引き金と打鍵周りの構造だったからな。それほど難しい仕事じゃない。大体同じ形の部品を作ってやって、かみ合わせだけ齟齬が無いか確認してやれば、コイツはまだ働ける。旅路の邪魔にならない範疇なら、ガンジェクトが多くて困る事は少ないだろ?」
オルスミスの返答はスムーズだった。あるいは彼は来客を気にしなかったのではなく、それがリーゼロッソだと踏んでいたのかもしれない。彼は銃体をつつくペースを落とす事無淀みなく答えると、更には質問のレシーブまで寄越してきた。
「そっちはどうだったよ。”やっぱり今日・明日に出発です”とか言われるとガンジェクトのオーバーホールが終わらないぞ?」「大丈夫。相場より報酬が高くて4日後の仕事を貰ってきたわ」「そりゃなにより。で、何でこのタイミングで金払いが良い仕事が?」「”斡旋所”は何も言わなかったわ。”何も聞くな”の視線はくれたけど」「そりゃまた胸の躍る門出だな。ガンジェクトの整備が捗るぜ。 ……ああそうそう。こっちのが終わったらそっちのもやるから、特に何をどうと言う事も無いが覚えておいてくれ」
確かに先日の果樹園での調整はここまで念入りでは無かった。それが許される状況では無かったのも確かだが、リーゼロッソの知識に銃器の整備でこれだけ念入りに行われる行為は無い。自己流とは言え整備を怠った事のない彼女のやり方に、あるいは何らかの不備が有ったのだろうか?
「それなんだけど……さっきから何をしてるの?私には貴男が、ガンジェクトのボディをつついてるだけにしか見えないのだけど」
「は? ……あ、いや、すまん。お前さんは誰かなり何かなりからきちんと学べる機会が無かったんだっけか。これはいま魔晶取りをしている所だ」
「ましょう?」
リーゼロッソの疑問符に、オルスミスはきつつきの如く動かしていた手を止めると其処に持っていた銃体を彼女に見せた。見れば、響石を収める石室の部分に透明な結晶質の細やかな欠片が溜まっている。だがリーゼロッソにはその結晶質が何処から出てきたモノか皆目検討が付かない。
「長い事ガンジェクトが使われていると、響石を中心にガンジェクトの内部でこの魔晶がじわじわと溜まっていく。この魔晶自体は異常なまでに透明度が高いから、内部まで分解確認しても存在を知らないと付着している事にはまず気づけない。困った事にコイツはかなり摩擦が強く、しかも基本的にはガンジェクトの”鳴り”にかなり悪影響を及ぼす。先日応急手当をしたそっちのガンジェクトの引き金が軽くなったのも、必要最低限の魔晶を削ぎ落としてやったからだ。一番質が悪いのは、コイツは溜まれば溜まるほどに内側、先に付着してた部分が何故だか硬度を増していく。だからお前さんのガンジェクトを全力で整備しようと思うとこうなる訳だ」
こうなる、の言葉に合わせてオルスミスはテーブルの上を示した。今の解説に従えば、魔晶はリーゼロッソの使っていた銃器の内部構造のほぼ全般にわたっており、それら全てで魔晶取りを行った方が良い、と言う事になる。
「そんなに厄介で、しかも重大なモノの割に、知名度が低くないかしら?私だって無為無策で整備してた訳じゃないのよ?」
「そりゃ当然だ。魔晶の存在はチューナー達の間で大事に大事に伏せてるからな。俺だっておまえさんと専属の約束を交わしてなければ話さないし、この宿場が寂れてなければ部屋に籠もってやってるところだ。時間こそかかるが確実に魔晶はガンジェクトの性能を蝕む。そして魔晶は――」
オルスミスが石室に溜まった魔晶を摘むと、その指をリーゼロッソに向けてからこすり始める。すると二人の視線で溶けたかの様に魔晶は一瞬でどことも知れず消えてしまった。驚いたリーゼロッソは咄嗟にオルスミスの指紋の隙間に目を懲らすが、やはり細かい粉末が入り込んだ様子もない。
「この通り、ガンジェクトから削ぎ落とすと見る間に消えちまうのさ。だから知ってる人間が口裏を合わせれば滅多に存在がバレない。めでたくガンスリンガー達は定期的にチューナーに仕事を頼まないとならない訳だ」
締めくくりにオルスミスが意地の悪い笑顔を見せる。しかしリーゼロッソは吸収したばかりの知識と世の仕組みに感嘆の息を漏らすのがやっとだ。
「はぁ……何て言うか、当たり前だけど、色々有ったり考えるものね」
「そりゃそうだ。誰だって自分の取り分は大くて安定してるに超した事は無いからな。お前さんだって、この手の話は色々抱えてるんじゃないか?」
「まあ……ね。知ってるだけなら幾つか知ってるわ。西部だと、あまり役立つ気がしないけれど」
「なぁに。知ってるだけで上等さ。”それ”が有る事を知ってれば、それを腹に抱えて生きる奴も居ることが分かる。西部の的は魔物だけじゃない。身を守る手段は幾らあっても足りることは無いだろ」
「ところでだな」「?」「魔晶取りってのは結構単調かつ手間のかかる仕事なんだが……」
その日、ガレッズの宿場は日没まできつつきの様な音が鳴り続いていた。比較的強面な二人が無言で物をつつき続ける様子は、なかなかに近づき難い光景だったらしい。
早朝のウェストモンゼン郊外、魔物の危険も無くはないが単に何も無いため誰も寄り付かない一角に、今日は珍しく人がいる。いつものウェスティア様式からジャケットと帽子を脱ぎ取り、両手にRTJ型銃器を握ったリーゼロッソだ。
柔軟体操にも似た動きでゆっくりと身を回しながら、時々近くに転がる大きめの岩に向かって魔弾を撃ちこんでいる。DABAN!DABAN!と銃器に快音を響かせながら、その表情は半ば寝ているかの様にも見える。だがクルクルと身を回し、不定期に逆回転へ移るその動きは寝起きの体にやらせる動きではない。
何かを巻き取るようにも、振り払うようにも回っていたリーゼロッソが動きを止めた。その正面方向には人が腰掛けるにはやや大きい岩があり、模索の微睡みの抜けた視線がその岩をまっすぐに見据えている。そして両手に握った銃器もその砲口を岩へと向けて――
DABABABABABABABABABABABABABABABABA――!
銃器を力の限り乱射し始めた。だが乱射を続ける内に彼女の表情は次第に苦虫の苦味を噛み締めるかのように険しくなっていく。
DABDABDABDABDABDABDABDAB――
不意に魔弾の連射速度が一段遅くなった。しかし連射速度が下がるに連れて、大岩一杯に広がっていた魔弾の着弾範囲は人の頭程度にまで収束していく。そのまま3秒ほど魔弾を打ち続けると、リーゼロッソは連射を止めた。ふう、と詰めていた呼吸を楽にすると彼女はぽそりと独り言を漏らした。
「……なるほど。確かに”合ってない”ようね」
昨日の夜のことだ。二丁のオーバーホールを終えて組み上げ直したオルスミスが、耳元で銃器を2・3度鳴らすと唐突に呟いたのだ。「コイツらは、お前さんよりもっとガタイの良い野郎向けかもしれんな……」と。
「試し撃ちもせずに良く分かるものね」と嫌みではなく感心したが、流石に夜の街で銃器の試し撃ちなどしたらいらぬ嫌疑を二桁単位でかけられてしまう。そのため今朝を待って試射しているわけなのだ。結果は見ての通り、オルスミスの選定眼ならぬ選定耳の通りである。
今までのリーゼロッソの戦い方は、弾数と精度を頼りに非力を補うものだった。だが、彼女がいま手にしている銃器では出来るかぎりの連射を稼ぐと射撃の反動が強く精度が出ない。どうにか以前と同等の精度と連射が両立出来ないかと努力してみたが、大岩に空いた穴と肘に感じる淡い痛みが結論だ。
「……まぁ、モノは良くなっているし、現状に慣れれば良い話よ」
そもそもリーゼロッソが弾数と精度で立ち回っていたのは、オーバーホール前の銃器があまりに非力だったからだ。魔弾一発辺りの威力が大いに向上している今ならば、無闇に連射する必要もない。付け加えれば、一発外した時のフォローが出来ないほど連射が困難なわけでもない。リーゼロッソは砲身の冷却を兼ねて銃器を指先でくるくる回しながら黙考する。自分の身体能力、過去に経験した戦闘の中でどう動いたか、いま試した銃器の反動、この後の朝食。どうしたものか。
まとめるともまとめずに、取り敢えず銃器をしまって近くに置いていたジャケットと帽子を拾う。出発までにはまだ時間が有る。もう少し練習を重ねて感触を体に馴染ませてから考えた方が建設的だと判断したのだ。取り敢えず、今日は奮発してチーズサンドを食す事にしよう。ジャケットと帽子を着こみ、いつものリーゼロッソが歩き出した。
朝食後から翌日まで、生まれ変わったRTJ型銃器の習熟に費やして分かってきた事が有る。一番大きい収穫は、魔弾を撃つ反動が大きい事も決してデメリットだけでは無いと気付いた所だ。威力が飛躍的に向上したぶん、連射する必要はない。それで有れば今まで通りの精度で狙いをつけられる。そして撃った時の反動をそのまま流せば、体捌きを加速出来る。魔物は何処からどう攻めてくるか予測が付かない。それに対処するには動きを止めず、無駄なく狙い、素早く射貫く必要があり、銃器の反動は上手く乗ればその動きを加速出来る。それを実践する為に考えたのが、今やっている回転する動きの修練だ。どの角度まで、どの姿勢まで撃てるのか、どこまでなら「狙える」のか。
人体を「回す」と言うそれ自体も、決して簡単な動作ではない。単純に筋力的な面でも、それを制御すると言う点でも、真に淀みなく回ろうと思うならば要求される領域は高い。現に、リーゼロッソの回転は一見美しいようで、見る者が見れば所々で乱れが出ている。それでもリーゼロッソは回る。回りながら引き金を引く。引き金を引きながら己を探る。探り当てた己を正し、整える。整えた己でまた回る。そしてまた乱れている。
顎を伝う汗に不快を感じ、それを拭ったところで今更過ぎる事にようやく気付いた。既に汗は全身から噴き出していて、シャツが己に張り付いている感触が後追いでやってくる。体のラインが露わになっているからとそれを恥じる性格でもなく、じっとりとした不快感ばかりが気に障る。
「……この辺にしておかないと」
額の汗も拭って、ジャケットと帽子を拾う。明日の午前にはスコップコーザン行きの馬車護衛が始まる。日はまだ沈むにも早いが、根を詰めすぎて明日に引きずっては本末転倒だ。
旅立ちの前夜は、物理的に静かで心情的に穏やかだった。いつもだったらまだ客を取っている筈のニクセインの部屋からも、今夜に限って嬌声が聞こえて来ない。もしかしたら、気を遣わせてしまったのだろうか。申し訳ないとも思うが、それでいて嬉しいと思う自分は我が儘ね、と己を客観している間に、リーゼロッソの意識は眠りの海に沈んでいく。夜が更けて、静かに流れる時をくぐり日が昇る。夜明けを越えて、ついに旅立ちの朝が訪れた。
目が覚める。ぼんやりと眺めた窓の向こう、空の明るさは夜明けには遅く朝には早いぐらいか。いつもより早い目覚めだが、昨夜は横になるのも早かったので差し引きでは少し長く寝たほうだ。少なくとも、体は好調を感じている。
「ん……」
ゆっくりと身を起こす。目覚めが良いのは好ましいが、いかんせん時間が早すぎる。この時間だとマスターも起きているか怪しいし、街の商店もまだ戸を開けていないだろう。ましてや依頼の待ち合わせは昼に近い。手持ち無沙汰にも程がありすぎる。
「体でも拭こうかしら……」
呟くなりリーゼロッソは寝台から立ち上がる。眠りが深く充足していた名残か、その動きは幾分ゆっくりのんびりとしている。凛々しい美貌に恵まれた代わりに近寄りがたい印象を与えるその顔も、寝ぼけて緩んでいると幾らか愛嬌を感じさせた。
部屋のドアを開けて、酒場を突っ切って宿場の外へ。そのまま壁沿いに裏へ回れば、すぐそこに井戸が有る。共用の名目で古びた手桶が引っ掛けてあるが、マスターもオルスミスもまだ寝ているだろうしニクセインは専用で一個持っているのでつまり今はリーゼロッソ専用だ。桶にしっかりと水を組み、井戸を離れて宿場のドアを通る。先ほどまで無人だった酒場に人影が立っていた。今更見間違えるような間柄ではない。ニクセインだ。
「おはようリジィ。今日は随分と早起きさんなのね」
「え、あ、おはようニッキー。えーと、ニッキーの方こそ……」
酒場で客待ちをしてる事もあって、ニクセインの活動時間帯は基本的に昼下がりから夜間にかけてだ。自然、この時間は普段なら寝入ったくらいの生活サイクルになっている。その彼女が起きているのだから、珍しいと言う印象は拭えない。
「だって、今日はリジィの出立の日ですもの。寝てる間にハイお別れ、なんて悲しいわ」
ニクセインは「いつも男に抱かれていたいから」と言う理由で娼婦になった女性だ。その彼女が、男に抱かれていることよりも、自分との別れを惜しんで無理を押してくれている。予想外の事実に顔が熱を持ち、リーゼロッソは前に立つ無二の友人を直視できなくなって俯いてしまう。
「…………ぁ……とう」
「ふふ、どういたしまして。 体、拭くんでしょ? 背中拭いてあげるから私の部屋に行きましょ?」
俯いて半ば声が出ていないリーゼロッソの背中を、有無を言わせずニクセインが自分の部屋に押しやっていく。ニクセインの部屋へ拉致される間の僅かな時間、リーゼロッソはウェストモンゼンから本格的に旅立つ事を惜しいと感じていた。あの華美な館から飛び出して西部を目指した時の自分は、こんな友人と出会えるなど想像していなかったのだ。
だが、それで踏みとどまれるようならば、ガンスリンガーの道を選んでいない。リーゼロッソにとってそれは、たとえ親友を前にしても譲り難い”芯”なのだ。無論、そんな事はわざわざ口にするまでもなく、ニクセインも分かっているだろう。
そんな事を考えている間に己の服が次々と脱がされている事に、リーゼロッソは自身のショーツがずり落ちる感触でようやく気づいた。
「ひやあぁぁぁぁぁぁぁ!?」
唐突に意識する肌の心許なさに、思わず手と足が閉じる。ニクセインに肌を見せた事が無いわけではない。彼女の背を流した事も、逆に流して貰った事もあるしそういう場合はそのまま全身を綺麗にしてしまうから、見たことも見られた事も有る。だが、わざわざ脱がされた事は無い。
「ちょ、ちょちょっと、ニッキー!?何!?何なの!」
上ずった声で抗議するもニクセインが返事をしない。かといって、自分のショーツを下ろしたと言う事はすぐ真後ろに居るのだから、下手に振り向けば何処とは言わないが体がぶつかってしまう。にわかにニクセインの部屋が静寂で満たされた。
静寂は長く続かない。ニクセインの恨めしげなうなり声と、リーゼロッソの臀部が鷲づかみにされる感触が盛大に静けさを破る。
「ひにゃー!?」
「何これ、きれい。ガンスリンガーのお尻って皆こうなの?」
リーゼロッソが爆発した。
「……ごめんなさい。リジィとお話しするのがこれで最後だと思ったら、変な好奇心が溢れちゃって」
「確かに、今日出発したら最後とまでは言わなくとも長く会えなくなるのは事実よ。それを惜しまれるのは私も嬉しい。けれど、それがどうして鷲づかみになるのかまでは分からないわね……」
救世主の像の御前にて懺悔する罪人の様に、あるいは女王に奉仕する召使いの様に。ニクセインがリーゼロッソの足を拭いていた。二人とも裸だが、ニクセインの臀部には紅い手形が浮かんでいる。リーゼロッソの爆発の名残だ。
「だって綺麗だったんですもの……お肌とか曲線とか、イロイロ」
「…………」
拗ねた様に告白するニクセインの台詞に、リーゼロッソが返す言葉を失って呆れかえるしか出来ない。そうこうしている内にリーゼロッソの足の吹き上げが終わり、ニクセインがタオルを水に漬けながら次を促した。
「はい、次は背中よ。今度は変な事しないから、安心して見せて?」
「……次に変な事したら、ガンジェクトを持ってきて引っぱたくからね」
威嚇しながら背中を向けるリーゼロッソだが、今度は悲鳴を上げる必要もなかった。ニクセインの手は優しく、それでいて念入りに彼女の背を拭いていく。それはリーゼロッソの中に無い体の拭き方で、まさしく肌を磨くようなやり方だ。
それはあるいは、リーゼロッソもいつか身に付けていた筈の技だ。今更ながらに、ニクセインと自分の間に結ばれた親しさの理由ときっかけを、おぼろげな輪郭で自覚しながらリーゼロッソはその優しい手つきと心地よさに無言で浸る。
そうしている内に、リーゼロッソの背中が綺麗になる。彼女の背中を拭き終えたニクセインは、しかしリーゼロッソの背中から手を離さない。
「ねぇ、リジィ。少しだけ、おまじないをかけていい?」
「おまじない?」
「ええ、変な事じゃなくて、真面目なおまじない」
「それなら殴らないわ。何かしら?」
「ええ、ちょっとそのままじっとしてて?」
言われるがままにリーゼロッソが背を伸ばしたままでいると、不意に左肩胛骨の内側へと触れるものがあった。暖かく柔らかい、僅かな湿度を感じさせるニクセインの唇だ。唇は4秒ほどリーゼロッソの心臓の真裏に留まり、そして離れる。そして彼女はそっとリーゼロッソの背中によりかかり祈りを捧げた。
「リーゼロッソ・ブッダベルの名前が、いつか西部の全てに銃弾の如く響き渡る事を信じて、毎日神様にお祈りしてる。リーゼロッソは神様をキライかもしれないけど、私にはそれしか出来ないから……」
「……私が撃ち抜きたいのは、神様じゃなくて神様の名前の元に威張り散らす愚か者達だけよ。気にしないで」
僅かに声と体を震わせているニクセインの手を、肩越しに触れる。ウェストモンゼンにリーゼロッソが流れ着き、ニクセインと出会ってからの日々と、今は逆の構図だった。
「……ありがとう、ニッキー。もしも、でしかないけれど、私の拾われた娼館で貴方が姉さんだったら、私は娼婦をしていたかもしれない」
リーゼロッソの言葉に、ニクセインは湿った、しかし確かな笑い声を返す。
「ふふっ……無理言わないで。リジィと私じゃ器量が違い過ぎて同じ娼館に勤めてられる気がしないわ」
「でもそれを言ったら私も、あのままあそこに居たところで、ニッキーみたいに男ウケする女になってたとは思えないけれど?」
少女と女が笑い会う。結局リーゼロッソは「行って来ます」も「さよなら」も無しに、ニクセインの部屋を後にした。そんな彼女を、ニクセインもいつもの様に送り出す。
彼女達は別れる訳でも離れるのでもない。ただ暫く ―― 良くある不運を考えなければ ―― 会えなくなるだけなのだ。そこに、あるいは姉妹にも例えられる様な二人の繋がりが途切れる様な理由はない。
自分の部屋に戻り、改めていつものウェスティア様式の衣服を羽織り整える。ホルスターを腰に巻き、二丁の銃器をセットする。ベッドに乗せていた手持ちバッグを肩にかけて、最後に黒のテンガロンハットを被った。後に振り返るとき、リーゼロッソ・ブッダベルはこの日が本当の意味で”少女”を終えた日だったのだと気付くだろう。そこに居た少女は既にガンスリンガーの顔になっていた。
ようやく今日、「西へ」向かって彼女の旅が始まろうとしている。
荷物を手にガレッズの宿場を出ると、以外にもオルスミスの方が先に待っていた。まだ日は頂点よりも少し低く、食事を済ませても馬車との待ち合わせには少し早い。
「準備が早いのね。食事も?」
「いや、流石にそっちはまだだ」
「じゃあ、中央通りで適当に、かしら……」
呟きながら歩を進めるリーゼロッソに、やや大振りなスーツケースを担ぎ直してオルスミスが並行する。砂を踏む音を二重にならし、二人はウェストモンゼンの中央通りで標準的な酒場に入った。その後の食事風景に語るべき所はない。目を見張るような事件も無ければ二人の間にも会話は少なかった。むしろ、会話よりも食事を手早く済ませる事を優先している節すら感じられる。そして完食。
「さて」「行きましょう」
「スコップコーザンまでは経験が有るんですっけ?」
「あぁ、と言っても二往復しただけだからお前さんとはさほど変わらんだろうな。まぁ、道中で目に見えてヤバイ奴を見かけた覚えも無いし、その時に同行したガンスリンガーもさして緊張していたとは見えなかった」
「……なら、今回の好待遇の裏は何かしら」
「道中に明確な危険が無いなら、思いつくのは二つ。万が一すら許されない旅か、何も知らずぼったくられてるかだな」
「後者で有って欲しいわね。このガンジェクト、だいぶ……いや、とても状態が良くなってるとは言え、使いこなせてるとは言い難いもの」
「まぁ、”投げた賽の目、語る間に落ちる”だ。余程の不運でもなけりゃあ、そのRTJ型でも丁寧に当てれば充分やれると俺は踏んでるがね」
「ええ、その不運をブチ当ててくるのが西部でしょう?」
「その通りだ。それをねじ伏せなきゃ西の果てなんて世界の裏側より遠い」
「だからこその、私と貴男でしょう。言っておくけど、向こうに着いて作ったガンジェクトが期待外れだったら護衛料にガンジェクトを貰って置いていくわよ」
「あぁ、じゃあ置き去りにするためにも手厚くスコップコーザンまで運んで頂きたいものですねぇ」
笑顔で互いを罵りあった両者は、拳の甲をぶつけあい中央通りからウェストモンゼンの南西方面に進んでいく。さほど時間をかけず、リーゼロッソの護衛する馬車が見えて来た。その馬車を一目見て、オルスミスとリーゼロッソが同時に足を止める。二人の視線の先で、妙に仕立ての良い馬車が待ち構えていた。それも鉄バネの付いているらしい客室式と、輸送用と思われる標準的な馬車との二台が、だ。輸送用の馬車には二人が見ている間にも、一つまた一つと頑健そうな荷物箱が載せられていく。
その様子を、一歩引いて満足そうに眺めている若い男がいた。この砂塵吹きすさぶ西部にはおよそ相応しくない仕立ての良い服に身を包み、労働を知らないであろう線の細い指が、東部でさえも貴重な眼鏡の位置を直す。その仕草で何かスイッチでも入ったのか、男は立ち尽くしていた二人に気がついた。
「リーゼロッソ・ブッダベルさんでしょうか?」
良く言えば丁寧に、悪く言えば感情を感じさせない口調で男が問いかける。それを無視する訳にも行かずリーゼロッソは「ええ」と曖昧に返事をして男へと歩み寄る。彼女の眼前で、やたら尊大に男は腕を広げて喜びを表現した。
「お早い到着を歓迎すると共にお詫びします。まだスコップコーザンへ向かう荷物が全部積み終わってないものでして。しばし、旅馬車の中でお待ち頂いてもよろしいでしょうか? 快適性はこの私が自信を持って保証いたします。ここウェストモンゼンまでの道のりも実に優雅なものでしたよ」
リーゼロッソにとってもオルスミスにとっても、恐らくはかなり相性が悪いタイプの人間だ。むしろ、西部と言う地において彼と心地良くやり合える人間の方が希少だろう。この時点でリーゼロッソ達の道中に少なからず波乱が約束されていると見ても良い。
困惑を表情の下で抑え、返事に悩んでいたリーゼロッソの無言を別の意味に捉えたか、馬車の自慢に入ろうとしていた男は―― 何処までも故意的に ――慌てて彼女へ振り向きなおして言葉を続ける。
「おっと、紹介が遅れましたね。私の名前はランバート・ガメツミゼル。実は、バルバレルミスト商会から西部の商機を預かりやって来た者です」
自己紹介と共に、ランバートは己の服の袖を軽くまくる。そこには東部随一の商会に属し、尚且つ最高幹部で無ければ着用を許されない豪奢なブレスレットが隠れていた。
リーゼロッソの脳内で警鐘がけたたましく鳴り響く。だが既に契約は結ばれていて事は動いているのだ。
かくして、リーゼロッソの「万が一すら許されない立場でぼったくられる男」を護衛する仕事が始まる。