第462話 神話の真実の一端
――日本?――
それは一言で表すなら「異界」だった。
ユーラシア大陸と日本列島に挟まれた海の一部だった筈のその場所はその名残を一切失った、空も海も大地も存在せず、代わりに赤や青と幾つもの光の帯が川の様に上下左右関係なく走っている。
そして幾つもの光の川の源流と言える異界の中心には、端と端が見えないほど巨大な石柱と、石柱に絡みつく巨大な蛇――――《盟主》の1柱、『天界神』天之常立神の姿があった。
「これは……」
その光景を前に思わず声が漏れたのは無理もなかった。
それはあらゆる神話に共通する一面――――何も存在しない“無”または“混沌”から“世界”や“生命”が誕生する場面を思い起こさせるものだったからだ。
正確には彷彿させるだけでそのものではなく、所々に残骸のようなものが浮遊してはいるもの、その浮遊物も時間の経過と共に音もなく消滅して数を減らしていく。
異質過ぎる領域は今もなお広がり続け、このまま日本はおろかこの世界そのものを飲み込もうと勢いを加速させていた。
(“世界”を“混沌”へ分解……いや、還元している!?)
勇吾の脳裏に敵の大命――――『再創世』という言葉が過ぎる。
それは現存する世界を滅ぼし、新たな“世界”を創造するものだと誰もが考えていたが、この光景を目にした直後、その考えが外れてはいないが正解でもないと悟ってしまった。
(全体の質量を確保?効率化?いや、復活した奴らに今更節制する理由は無い。なら、何の為にこんな回りくどいやり方を選んだんだ……?)
次々と湧き上る疑問に勇吾の足が止まりそうになる。
滅ぼそうとする世界を態々再利用とする行動は、文字通り無尽蔵のエネルギー源である『無限神』がいる《盟主》側からすれば無意味な行動だ。
つまり、何か意味がある行動ということだ。
(ミスリードの可能性もあるが……この期に及んで奴ら、というよりは天之常立神が個人(?)的にしているとみるべきか)
思考しながら接近していく。
周囲には障害物が皆無だったので隠れる事は出来ないが、相手が《盟主》である以上は此処まで接近して勇吾の存在に気付かない筈が無いので逆に気配も隠さず堂々と接近していく。
勿論、此処は敵陣のど真ん中なので警戒は決して怠らない。一瞬の隙が即敗北、そして死を招くのだ。
防御を常に最高に、そして全方位を警戒しながら天之常立神へと近づいていく。
接近するにつれて当然のごとく大きくなっていく天之常立神、そして天之常立神よりも巨大な“柱”が勇吾の視界を埋め尽くす。
(……ここまで接近しても反応が無い。他に敵の姿もない。どういうつもりだ?)
大分接近したにもかかわらず迎撃は無く、それどころか天之常立神の周りを守る者達の姿も気配も皆無だった。
それだけでなく、どれだけ接近しても結界や障壁といったこちらの接近を妨げるもの、攻撃から守るものといった術の類も一切存在しなかった。
無防備と言ってよかった。
(守る必要が無いと言う事か?隔離される前は攻撃されたというのに、今の状態だと迎撃する必要も邪魔をする必要もない。それが意味する事は――――)
勇吾はそこで足を止める。
そして視線を天之常立神ではなく、天之常立神が巻き付いた巨大な柱の方へと向ける。
「柱……御柱、日本神話で御柱と言えば『天の御柱』。国産みの一説、けどあれは……いや、御柱が象徴するのは中心、起点、憑代、清浄――――まさか!?」
無意識に思考が声に出ていたが、ある考えに至った瞬間に両目がこれ以上ないくらい開く。
想定外の仮説に至ったからだ。
「そんな事が可能なの――――」
『勇吾』
勇吾が一人唖然としている所に漆黒の巨影が降り立った。
敵地にいるに関わらず、唖然とし過ぎてその事に気付くのが僅かに遅れた勇吾が振り返ると、そこには黒龍――――相棒の黒王が立っていた。
「黒……」
『(引き離されている間に)何があった?』
黒王の言葉は簡潔だった。
それに対し、勇吾は僅かな動揺を抑え込み己を落ち着かせていく。
気を落ち着かせると、複数の気配が直ぐ傍まで接近していることに気付き、それが良則達のものであると同時に気付く。
彼らはまだ勇吾が気付いた事実に微塵も気付いてはいないだろう。
勇吾は自分の仮説が事実である事を前提にして思考を巡らせ、そしてやはりこのままではまずいという結論に至って直ぐにその考えを伝えた。
「この天之常立神は抜け殻だ。中身はこの『御柱』を通じて世界と一つに融合するつもりだ!!」
『なっ……!?』
「世界が神々の血肉から生み出される神話は多々ある。日本神話で天之常立神は天地開闢の直後に姿を消しているが、消えたんじゃなくて世界の一部になってたとしたら?狭間からの封印から解放されてもまだ不完全だったら?この状況も“世界”を還元しているだけじゃなく、天地開闢で失った本体を取り戻した上で全てと一つに過程である可能性がある!」
『……!』
勇吾が怒涛の勢いで語る推測に黒王は息を飲む。
眼前に佇む天之常立神は未だに動く気配もなく、また彼らへ向けた意思も感じられない。勇吾の言う通り抜け殻のようだ。
『……別天津神は降臨後直ぐに表舞台から消え、その後に国之常立神を始めとする神世七代が生まれた。そもそも国産みを伊邪那岐神と伊邪那美神に命じたのも別天津神だった』
日本神話では別天津神は天地開闢の直後に5柱全員が姿を消しているとされる。
だが、実際には子を成していたり、後に現れた天津神達に指示を出したりといった矛盾した記述が存在し、それすらも詳細が不明のままだった。
「そもそも、その辺りの記録は曖昧過ぎて天津神達でさえ殆ど知らなかった。別天津神は最初に造化三神が高天原に現れ、その後に残り2柱が混沌の海から生まれて消えたとされている。けど、高天原を創ったのは最後に生まれた筈の天之常立神だ」
天之常立神の神格の1つに天―――高天原や宇宙の土台と悠久性がある。
別天津神で1番最初に現れたのは天之御中主神であり、最初に現れた場所こそが天之常立神が司る高天原であった。
そして時折、天之御中主神と天之常立神は同一視される事がある。
『順番自体が誤りだった。本当は天之常立神が1番目だった。その事実を別天津神は未だに隠し、人間どころか天津神を含めた他の神々は誰も知らなかった?』
これまで幾柱の神々と交流のある黒王もその様な話は聞いたこともなかった。
聞く機会が無かったのではなく、そもそも神々ですら知らなかったら?
「いや、1柱だけ知っていた筈だ。別天津神を除いた天津神の中で最も古い根源神――――」
謎の答えを知りながらも神々にすら隠してきたであろう1柱の神の名を出そうとする。
だが、それを遮るように勇吾達の前に白い巨影が降り立った。
『――――話は聞かせてもらった』
「勇吾!黒王!」
「良則、アルビオン!」
白の龍皇から勇吾の前に飛び降りた良則は、彼には珍しいと言えるほど切迫した表情をしていたのだ。
アルビオンの言う通り、先ほどの勇吾の推測を移動中に全て聞いていたのだろう。
勇吾はアルビオンに目を向けながら尋ねた。
「……アルビオン、前の当事者のお前も知らなかったのか?」
『領域が異なる。神代は今以上に境界が隔てられていた』
その言葉には嘘偽りは無かった。
アルビオンは言葉でこそ動揺を見せないが、内心では微かに驚愕しており、同時にある得心していたのだが、それに勇吾達が気付くことは無かった。
『その推測の正否は今は置いておけ。我らが今すべきは、《盟主》を討伐すること。此処に存在するのが抜け殻ならば、中身である本体を追わなければならない』
「そうだ!目に見えてないだけで、既にかなりの浸蝕が進んでいる。空間系の魔法や能力が使えないのも……いや、それよりもこの“御柱”内部に侵入しないと!」
勇吾は視線を再び御柱の方へ向ける。
天之常立神が巻き付いたまま鎮座する御柱は勇吾達に何の反応を見せない。
「でも、どうやって?」
「……」
良則の言葉に沈黙する。
問題はそこだった。
天之常立神の中身は目の前の御柱を介して“世界”と融合、つまりは勇吾達が今居る世界とは同じだが違う場所に存在する訳だが、勇吾達がそこへ行く手立ては無い。
正確にはあっても現在は空間系、特に移動や通信に関する魔法や能力は使用が困難な状況にある。
同じ世界の中での移動さえ封じられているのに、異なる空間への移動は事実上不可能に近かった。
「黒とアルビオンには何か手は無いのか?」
『言うまでもなくだ。元より、『黒』は闇に突出した氏族。『白』の方がまだ可能だ』
『絶対不可能とまでは言わないが、もし、この柱の先が想像通りの場所に通じているのなら――――通行手形は「最高位の神格」となる。加えて、無理矢理侵入する以上は相当量の魔力が必要になる。具体的には1人につき2000万』
「「に、2000万!?」」
アルビオンの口から出た現実的ではない数字に勇吾と良則は揃って声を上げる。
勇吾達の魔力は一番多くても2000万には届かない。
更に言えば神格の面でもこの中で最年長であるアルビオンでさえ神龍の域を超えておらず、『龍神』と較べても低位のものでしかない。黒王は言うに及ばずである。
状況は行き詰ってしまった。
「……ライ達を召喚しても無理か?」
『彼奴の神格はそれほど高くない。必要な神格は主神級――ゼウスやオーディン、天照大神――以上でなければならない。そして御柱の特性上、この地域所縁の神である事が理想だろう』
「けど、天照大神どころか、天津神達は……!」
天津神が集まる高天原は現在戦場と化している。
元よりそれは開戦前から想定された事だが、今になって《盟主》に気を取られ高天原側へ戦力を向けなかった事が悔やまれた。
いや、そもそも『蛇』が高天原を襲撃して真の目的は天之常立神の邪魔をさせない為の足止めだったのかもしれない。
高天原の主である天照大神を始めとする高位の天津神達を高天原に釘付けにすれば“御柱”への侵入を助ける事が出来なくなるから。
そう考えれば現状抜け殻であるとはいえ、天之常立神を守る人員が皆無な状況も頷ける。
『蛇』からすれば《盟主》本体の邪魔さえさせなければ、態々勇吾達と戦う必要は無いのだろう。
だが、それが分かったところで勇吾達には意味がない。
「くそ!此処まで来て……!!」
『……神を葬り、権能を獲得したとしてもそれで神格を得られる訳では無い。我々だけでこの先へ進む事は事実上不可能に等しい』
『力技での突破も、リスクを考えれば避けるべきか』
『この“御柱”自体が今創られたものではなく、神代に存在した『天之御柱』そのものならば尚更避けるべきだろう。これもまた、世界を支える一種の神と言えるからな』
悔しさのあまり御柱を殴りそうになるのを堪えながら、それでも何か方法を無いものかと勇吾は知恵を働かせていく。
黒王とアルビオンも同様であったが、どちらも芳しくは無かった。
「……都合よく、この御柱を開けられる神様が来てくれたらいいんだけど」
そんな有りえなさそうな展開を呟く良則。
彼もまた打開策を必死に考えていたのだが、その時、まるでこの状況を待っていたかのようにそれは現れた。
『―――――ならばその役、私が引き受けよう』
真実の設定などはあくまで素人作者の思いつきによる解釈です。




