第407話 世界が知る
――日本――
世界が比較的危険な状況にある中、そんな事など露知らずな一般人の多くはクリスマスムード一色に染まっていた。
ある家族は世界的に有名なテーマパークで豪遊したり、またある家族は半ばヤケクソなノリで財布の紐を全開にして贅沢をしたり、またある家庭ではこの日だけでも親の威厳を回復させようと父親が必死になったり、またある家庭では成人した娘が告白されたのが切っ掛けで修羅場に発展したりなど、十人十色のクリスマスイブを過ごしていた。
この時はまだ、日常の外側で何が起きているなど、“日常”の中で生きる彼らは誰も想像だにしていなかった。
その映像を観るまでは――――
『――――を訴えており、環境保護団体「マリンガーディアン」は海洋調査船の妨害を継続しています。今日はクリスマス・イブという事を強調しているのでしょうか?船舶に「メリークリスマス」と描かれた垂れ幕を飾り、クラッカーに見立てた放水用ホースを此方に向けています。ああ!今、此方に向かって放水が始まりました!』
それは民放のニュース番組の中で起こった。
生中継で映されたのは日本の海洋調査船を民間の環境保護団体が抗議を名目に悪質な妨害行為をしている様子を光景だった。
調査船側は必死に妨害を辞める様に警告しているのに対し、相手側は自分達は海洋生物を護っているのだと、日本は自然破壊の常習犯だと、クリスマスに海を荒す悪には天罰が下るなど、半ば支離滅裂な罵詈雑言を繰り返して聞く耳を持たなかった。
当事者や関係者にとっては頭が痛すぎる光景だが、テレビの前の視聴者の大半は「またか」「わあ大変」と、他人事のように聞き流す程度のニュースだった。
だが次の瞬間、現場から報道していたテレビリポーターが“それ”を見つけた事で視聴者達の目はテレビに釘付けとなる。
『あれは何でしょうか?マリンガーディアンの船舶に向かって何かか接近しているのが見えます!此方からはハッキリと見えませんが、アレはクジラでしょうか?』
画面の奥で海面近くを泳ぐ黒い影が映っていた。
それは一見すればクジラの影のようにも見えたが、甲板に出ていたこの海域に詳しい調査船のスタッフは直ぐにおかしい事に気付いた。
海中を移動する生物の動きは明らかにクジラとは大きく異なっていた。
そして操舵室でもパニックが起きていた。
大型の海洋生物が視認できる範囲にまで接近しているにも拘らず、船のレーダーには何の反応が無かったからだ。
『危ない!クジラが向こう側の船舶に接触しそうです!』
一方、妨害活動に夢中になっていた環境保護団体側はすぐ後ろにまで来ている“それ”に気付いていなかった。
そして、悲劇が起きる。
―――――ボォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!
船に接触すると同時に海面から姿を現したその“怪物”の姿にリポーターだけでなく調査船に乗っている全ての人間が言葉を失った。
『ボオオオオオオオオオオオオオオオ!』
「「「うわああああああああああああああああああああ!?」」」
石像のように固まるテレビクルーを余所に、彼らが持つ危機は“怪物”と衝突し転覆、そのまま残骸へと成り果てていく小型船の姿と、為す術も無く海に放り出される環境保護団体の面々の悲鳴を日本全国に届けていた。
そして海から現れた“怪物”の全身も。
『ボオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!』
その全長は地球史上最大の生物とされるシロナガスクジラを優に上回り、最低でも50メートルを上回る巨大生物だった。
外観こそクジラに似ていたが、胸鰭の部分はクジラのそれとは異なり魚の鰭に類似したものが複数あり、胴体にはイカの足の様な触手が10本以上生えていた。
そして頭部には2対4本の白磁色の角が伸び、角と同じ2対の目は海に落ちた獲物を捕らえるとその大きな口を全開にし、凶悪なな肉食獣の牙を全ての人間に見せた。
「びゃ…化け物!?」
「ぎゃああああああああああああああああああああああああああああ!?」
「か、神よ助け―――――ッ!!」
海に落ちた者達は“怪物”から必死にに逃げようとするが、海の捕食者の前で人間が泳いで逃げる事など出来る筈も無く、数秒と掛からずに“怪物”の餌食と成り果てるのだった。
「「「――――――――――――――ッッ!!??」」」
言葉にもならないその断末魔をカメラマイクはしっかりと拾い、高性能であった事が仇となって生々しさと凄惨さを無編集で日本全国の視聴者に届けたのだった。
信じられない光景に誰もが言葉を失ってしまう。
特に現場で直に見ていた者達が受けた衝撃は計り知れなかった。
長年海と格闘してきた玄人達も、テレビスタッフも関係無く、これまでの半生で積み重ねてきたあらゆる常識を木端微塵に砕かれてしまう。
それと同時に、否応無く眼前に在る絶望の次の矛先が何所に向くのか想像させられてしまう。
「ぁ………」
テレビリポーターは腰を抜かして甲板の上に座り込む。
“怪物”の視線はハッキリと次の獲物を見据えていた。
映画の様な作り物ではない、本物の絶望がそこに在った。
【海獣】
ギリシャ神話に登場する大怪物。
エチオピアの王妃が神々の怒りを買い、海神により――伝承によってはゼウス、エキドナ、テュポーンとも――エチオピアを滅ぼす為に生み出され、生贄として差し出されたアンドロメダ姫を襲おうとしたところを英雄により討伐された伝説の海獣。
神話によればメドゥーサの首で意志に変えられ、後世では戦争の際に破壊されたと伝わるが、彼らが知る由も無かった。
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――カナダ某所――
――――「×××湖にUMAが現れた!」
SNS上に書き込まれたこの投稿が悪夢の始まりだった。
投稿者である第一発見者はこの短い投降を最後にネット上に姿を現す事は無かった。
その湖は数十年前からUMAの目撃例が後を絶たず、地元の住民達もUMAを観光資源の1つにして利用していた。
無論、多くの大衆は何かのみ間違いだろうとUMAの存在に対して否定的か半信半疑だったが、それでもこの湖にはUMAを見たがる一部の者達が絶えず訪れており、この日もまたクリスマスをUMAと一緒に過ごそうと、または聖夜の奇跡に賭けて決定的瞬間を目撃しようと考える旅行客が湖のある地元のホテルなどに宿泊していた。
そしてSNSに投稿されたこの一文をきっかけに何組もの旅行客が湖岸に集まっていた。
「あ!あそこに何かいる!?」
「おい!湖面がめっちゃ泡立ってるぞ!?」
「キター!俺は今、歴史の男になる!」
湖の中心でブクブクと泡立つのが見えた。
それは明らかに不自然で、目撃した者達の多くは湖中に大型生物がいるのではないのかと、まるで怪獣映画のワンシーンのようだと胸を躍らせていた。
だが、この時彼らはその場から直ぐに避難すべきだった。
「まるで怪獣映画のようだ」――――それはすなわち、現実では有り得ない異常事態が自分達の目の前で起きている事を意味しているに他ならなかったからだ。
「何かが出てくる!?」
「UMA!?ねえ、あれってUMA!?」
警戒心よりも好奇心が優っている彼らはカメラや携帯端末を持ちながら更に湖岸へと足を進め、その顔は興奮一色に染め上げる。
その先には未知との遭遇が待っているのだと、聖夜を前にしたビッグイベントだと、此処に来て良かったと前向きな思考に埋め尽くされた彼らは想像することが出来なかった。
自分達が未確認生物呼ぶ存在の正体。
この地域の古い伝承にも登場する“それ”が地元に今でも暮らす原住民族からどのように呼ばれているのかという事を。
無知ゆえに集まった無防備な生贄達。
彼らが残酷な現実に突き落とされるのは、この直後だった。
『オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!』
全ての人間を夢から醒ます咆哮が湖畔中に響き渡る。
泡立つ湖面から獰猛な咆哮と共に現れたのは全長50メートル弱の大蛇だった。
全身を斑模様の鱗に覆われ、馬に似た頭部からは鮮血に塗れた牙を覗かせながら夜の冬空に向け咆哮を繰り返す。
その姿はUMAという湖の人気者とは程遠い、湖の食物連鎖の頂点に立つ獰猛な捕食者、人間さえも平然と喰い殺せる存在だった。
「あ……ぇ……?」
「うそ~ん……」
「……ゴ〇ラ?」
「…………こっち見てない?」
湖岸に集まった一同の思考は衝撃的な光景の前に停止していた。
それは、例えるなら交差点を横断しているところに暴走車が迫ってきた際、咄嗟に回避行動をとれない状況に似ているのかもしれない。
不意打ちの様に発生した命の危険に対し、訓練を受けていない一般人が即座に対応できず硬直してしまう。
だからこそ、彼らはこの場から退避する最後のチャンスを逃してしまったのだ。
『オオオオオオオオオオオオオオオオオ!』
前菜を食べ終えた大蛇の怪物は次の獲物を見つけると、獲物に向かって一直線に移動を開始した。
その速度は明らかに並の人間の足より速い。
「あ…あああ……!?」
「ヤバいヤバいヤバい!?」
「に、逃げ……!?逃げろぉぉぉぉぉ!!」
湖畔は大パニックに陥った。
悲鳴を上げながら我先にと逃げ出す烏合の衆となった者達は、ある者は近くに停めてあった車やバイクに急いで乗ろうとし、それ以外の者は兎に角遠くへ走るかどさくさに紛れて他人が乗って来た車に乗り込もうとしそれが切っ掛けで余計な衝突を生んでいた。
「てめえ降りろ!」
「これは俺の車だ!」
「ちょっと!早く行って!?」
「うるせえ!!いいから出せ!!」
揉めている時ではないというのに罵詈雑言を吐き散らす。
命の危機を前にし、全員が理知的な行動がとれなくなっていた。
もっとも、最初から捕食者から逃げ切る事など不可能に等しかったが。
『オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッ!!』
「「「あああああああああああああああああああ!?」」」
湖畔を絶望が飲み込む。
飢えた捕食者は現代で肥え育った獲物を1つ残らず食べ尽くし、それでも上を満たせない捕食者はより多くの獲物を求めて移動を始める。
――――ポタ…ポタ……
真冬の夜空を一際大きい雨雲が覆い始めた。
【湖の悪魔】
「ナハイトク」とも呼ばれる、カナダのブリティッシュコロンビア州に伝わる先住民族の伝承の中に登場する大蛇に似た姿の怪物。
元は人間だったが殺人を犯し大精霊の怒りを買ってしまい怪物の姿になったとされている。
現代では「オゴボゴ」という水棲のUMAの一種として知られている。
天候を操り嵐を起こすとされる。
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――デンマーク――
北欧の海に浮かぶデンマークの首都にして最大都市コペンハーゲンは深夜にも拘らず騒然としていた。
家屋からは次々と灯りが点き、外には着の身着のまま飛び出してきた住人達が上を見上げたまま固まっていた。
街中からは犬を始めとした動物達が敵を威嚇するが如く吠え続け、鴉を含めた鳥達は逃げる様に街から飛び去り続けている。
「きょ、巨人……!?」
「嘘……!」
北欧の都市を醜悪な巨人が侵攻していた。
文明の光に照らされて見えるその姿は正常な人間なら誰もが嫌悪を抱くほど醜く、同時に人々に恐怖を歓喜させる姿をしていた。
『ウウゥ………オオオォォ……』
それは言葉なのか単なる呻き声なのか。
巨人は不明瞭な声を漏らしながらコペンハーゲンの街を進み、足元にある車などを気にする事無く踏み潰しながら進行を続ける。
並の超高層ビルよりも遥かに高い巨人の周りにはマスコミや陸軍などのヘリコプターが飛び交っており、マスコミも軍も対応に難儀しているのか、巨人の動向を静観する様に飛んでいた。
だからこそ、巨人の突然の行動に対し対応が遅れてしまった。
―――――ガシッ!
唐突に巨人はヘリコプターの一機をその手で鷲掴みにする。
誰もが目を丸くした。
『オオォォ……ヴオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!』
巨人の両目が妖しく光った。
狂気の咆哮を上げながら、巨人は掴んだヘリを砲丸投げの様に投擲し、ヘリは1㎞以上先に立っているビルに衝突、爆発した。
深夜の街を爆炎が真っ赤に照らす。
「うわあああああああああああああああああああああああああああ!?」
「嫌ああああああああああああああああああああ!?」
住人達の恐怖が決壊した。
恐怖を感じさせる巨人が自分達の天敵であると理解すると同時に首都中が阿鼻叫喚の渦に飲み込まれ、住人達は巨人から逃げようと避難を開始する。
『ヴオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!』
対して巨人は逃げる人間を狩ろうと雄叫びを上げながら走り始める。
仮の邪魔をするヘリは巨腕の暴力によって次々と掃われ各所で爆炎が上がり、その度に住人達の悲鳴は増幅し、運悪く逃げ遅れた者は巨人に捕まり、生きたまま喰われていく。
その光景は運良く生き残ったマスコミの撮影ヘリのカメラを通して国中に、更には衛星電波を通して世界中に広がってゆく。
だがこの時、世界各所で同様の事態が発生した為、北欧の一都市で起きている異変にのみ注目が集まる事は無かった。
この約10分後、対応に贈れた陸軍による1体目の巨人への攻撃は開始される。
【グレンデル】
叙事詩『ベオウルフ』に登場する人食い巨人。
古代デンマークの沼地の奥にある洞窟に住んでいたが、フロースガール王が沼地の近くに城を建てて連日連夜祝宴を開いた事で王を恨み、12年もの間毎晩人を喰い殺しに現れたが、古代スウェーデンの英雄ベオウルフによって討伐された。
ベオウルフの体は鋼の如く頑丈で、魔力を持たない通常の武器では傷一つ付けることは出来ないとされている。
グレンデルの伝承にはキリスト教等の異教の影響もあってか、アダムとイヴの息子カインの末裔であるという説も存在し、また竜であったと、数多くの諸説が存在している。




