第404話 孤高の放浪者
――『畜生の世界』 鋼蟲の森――
青く染まる森の中に無数の虫達が蠢いていた。
先端が槍の様に鋭い木々には森の捕食者達の成れの果てが飾られ、森の紅葉は捕食者達の体液によって青々と染め上げられている。
弱肉強食の世界の中でも凶暴性の強い昆虫系生物が日々殺戮という名の生存競争に明け暮れている「鋼蟲の森」における一方的な蹂躙は森の王者さえも呼び寄せ、森の捕食者達を屠り続ける存在へとその凶悪な牙をむくだった。
―――――――――スッ
森の主は断末魔を挙げる事無く絶命した。
金剛鋼で出来た体はチーズの様に斬られ、蜘蛛の様な頭部もカマキリのソレよりも凶悪な2対4本の大鎌もそれ以外の凶悪な部位も綺麗に解体され、其処にあるのは「鋼蟲の森」の主ではなく、圧倒的強者によって採取された“素材”だった。
「……」
その者は食物連鎖の頂点に立っていた物を冷めた目で見ていた。
腰に差した鞘に汚れも刃毀れもしていない太刀を収め、眼前に散らばる希少金属の塊を一瞬で収納空間に仕舞うと、その者は更に森の奥へと進んでいく。
その後、森の最奥に至るまでの間、その者を襲う存在は一切現れる事は無かった。
「……ここか」
その者は荒れ果てた古代遺跡の前で足を止めた。
岩石ではなく金属で建てられているその遺跡は所々に土くれや木々の根、蔦といった物が覆ってはいるが遺跡そのものは高度な劣化防止が施されているのか、過ぎた年月に釣り合わないほど原形を保った状態を維持していた。
「1万年といったところか。「堕ちた文明の名残」、早まった選択の末に自滅した賢人達の夢の跡。表層部は虫達の巣窟になっているようだが、果たして下の方は――――」
その者は遺跡の壁面を触りながら中の状態を確認していく。
指先から微弱な魔力が波動となって遺跡内部に浸透してゆき、超音波探知機のように遺跡全体の構造を男に伝えていく。
遺跡は地上に出ている表層部こそ荒らされているが、地下にある大部分は建造された時代と殆ど変らない状態を維持していた。
「期待以上だ。ここなら――――」
駄目で元々と、淡い期待を抱きながら男――――シド=アカツキは遺跡の中を足を踏み入れようとした。
しかし、中に一歩踏み入れたところで足を止める。
「……」
それは根拠の無い只の直感でしかなかった。
だが、シド程の者のなるとその直感は確信と言っても過言ではなく、足を止めた彼は遺跡に背を向ける様に振り返る。
「……」
当然、其処にあるのは捕食者の居なくなった森があるだけだった。
「……」
だが、シドは暫くの間視線を動かさずその場に止まり続け、気付けば3時間以上もの時間が過ぎていた。
「……気のせいではない。外側で大きく動いたか」
シドの顔に一筋の汗が流れた。
この世界の外側の遥か遠くで何かが起きている。
そしてそれは直接は関係ないが、間接的に自分にも関係する大きな動きであると確信する。
「探索はお預けか」
そして日没が訪れ、その日は遺跡の前で野営をする事となった。
既に森の先住者達は例外無くシドの存在に怯えて遥か遠くへと逃げ去ったので夜襲の恐れは一切無くなったのだが、それでも彼は一晩中焚火の前に座りながら時折短い睡眠を器用に取りながら一夜を過ごしていった。
そして森全域を濃霧が包み込む早朝、焚火の火が自然に消えたのと同時にシドは立ち上がり、霧が視界を遮るのを気にも留めず周囲を見渡していった。
「……嫌な感じだ」
まるでこの世の終わりが近づいているようだと、シドは不可視の敵に備える様に辺りを警戒していく。
長年数々の修羅場を潜ってきた彼の第六感は鋭く、実際に過去にも今と似たような感覚を持った時は当時滞在していた世界が滅亡の危機に陥った事があり、それ以来彼は自身の危機察知能力を鍛えていく事で数多くの危機から自分達の身を護ってきた。
ただし、その優れた能力も絶対では無いという事も彼自身はよく知っているのだが、今回に限って言えば間違っていないと確信を持てていた。
「……」
シドは今日も周囲を警戒する。
昨日の直感に続き、今日は自分自身に何かが起こるのではと予感していたのだ。
それに対して彼の採るべき行動は2つに1つ、人なら来る前に避け、人でなければ斬るの何れかだが、何故か今回は即座に選択することが出来なかった。
「な――――――」
何が、と言葉を紡ぐ瞬間だった
シドの死角から二本の刃が何の前触れも無く迫ってきたのは。
(――――若い)
シドの時間が瞬時に加速する。
世界が停止しているようにめる程加速した思考の世界の中、その太刀筋を見てシドは、直ぐに自分よりもずっと若い人間のものであると看破、特に慌てる様子も無く腰に差した太刀を抜刀する。
洗練されたその太刀筋はいとも簡単に2つの刃を振り払い、そのまま彼の足元の地面を、より正確に言えば彼自身の影を横一文字に斬り、そこには確かな手応えがあった。
だが、それでもシドの手は止まらない。
(太刀筋そのものは若々しいが、修羅場を幾つも渡ってきた……「神殺し」を成した者の剣だ。得物は間違いなく『神器』。地球世界の日本の古流剣術のように見えるが―――――)
直ぐにでも時空転移でこの世界から離脱できる準備を整えながら、シドは自分に斬りかかってくる相手の正体を分析していく。
最初の太刀筋だけで相手が自分と同じ日本の古流剣術を修得しているのを見抜き、更には手応えから少なくとも「神殺し」を達成する程の修羅場を掻い潜った実力者である事も、武器が『神器』である事も看破していく。
だが、相手の次の攻撃を目にしたシドは戦慄する。
(――――――なっ!?)
相手の姿を目視した訳ではない。
ただ、相手の二刀流剣術の中に見え隠れする日本とは全く異なる流派の剣の正体を看破した瞬間、同時にそれから連想される相手の正体に、今までの冷静な顔を崩壊させるほど驚愕したのだ。
(まさか、何故!?)
全身の汗腺が崩壊するかのようだった。
どうして此処に居るのだと、何故此処に来たのだと大声で叫びたくなる激情に駆られながら、シドは相手の正体を確認するべく全力の太刀を振るった。
それは普段のシドからすれば有り得ない程の動揺、普段の彼が今の彼自身を見れば「死にたいのか?」と、(この世の9割以上の剣士は為す術無く斬り捨てられても)真の達人ならば確実に突ける隙を見せる剣に憤慨した事だろう。
少なくともその一太刀は「全力の」力で振るわれてはいるが、彼の全盛期に見せた一部の隙も無い「最高の」太刀筋ではなかった。
そしてそれは相手にとって想定中の想定外の好機だった。
――――最果ての黒鎖
その刹那、シドは石像のように硬直する。
物理的にではなく、動揺で生まれた僅かな隙を鮮やかに突かれ、精神を超高密度の魔力で生み出された鎖で拘束された事により肉体が太刀を振るった体勢のまま硬直してしまったのだ。
同時に、この場から一瞬で離脱する為の時空転移の術も強制的に解除されてしまう。
「――――っ!!」
皮肉にもそのお蔭でシドの精神は正常に戻り、全く間も開ける事無く研ぎ澄まされていき、彼の精神を拘束していた鎖は枯れ枝の様に砕け散り、彼はそのまま相手の正確な位置を補足して一刀両断にするべく太刀を振るう。
しかし、それは幸運にも僅かに遅かった。
――――双刃・十字斬り
シドが太刀を振るいきるよりも速く、彼の横を人間サイズの黒龍が通過し、一瞬遅れて彼の胴体が×字に斬られた。
「――――っ!?」
刹那の間の出来事にシドは違和感を抱く。
自分で作ってしまった一瞬の隙を突かれたとはいえ、彼は斬られる瞬間にほぼ条件反射で胴体部分の防御を上げて相手の刃を弾き返そうとしていた。
にもかかわらず、薄皮一枚程度とはいえ防御を無視して斬られてしまったが、彼の触覚は肉を斬られた痛みを一切感じていなかった。
(物理的なダメージを与える攻撃ではない。なら、精神――――)
体に負傷した形跡が無いことから精神や魂への攻撃かと思えばそれも違った。
一体今の攻撃は何だったのかと考える一方で、彼の別の思考は攻撃主の位置を正確に捕捉し、さらに別の思考が体を動かして太刀を振るい、それを相手は自分の得物で受け流そうとする。
(――――甘い)
それはフェイントだった。
僅かにずれた場所から別の斬撃が現れ、相手はそれにも対処しようとした処で――――斬られた。
『なっ――――』
相手から驚愕の声が漏れる。
何が起きたのか直ぐに理解できない様子だった。
加速した時間は此処で終わる。
時間は元の流れに戻りシドは静かに大地に足を付け、斬られた相手は大地すれすれの処で勢いを殺して着地する。
相手は黒龍の全身鎧を身に纏っているので素顔は見えなかったが、相手の正体を確信しているシドには関係無かった。
『く……!』
「《神龍武装化》、その若さで其処まで至れるとは見事だ天雲勇吾、そして黒王。だが、此処までだ」
相手を――――黒王を纏った勇吾の奮闘に敬意を表しながらも背中を見せ、これ以上彼らに関わる訳にもいかないと時空転移を再開しようとする。
シドの身には過去に受けた『楽園の蛇』サマエルの「神毒」により人間とは、特に親しい者や関わり深い者とは決して接触する事は出来ない。
それは相手の死を意味するからだ。
本来ならこの会話をする事さえ「神毒」の効果を発動させかねない行為であったが、シドには勇吾に大きな恩義がある為、せめて必要以上に縁を強くしない程度の言葉だけを残そうとしていた。
それに対し、勇吾はシドの背中を停めようとはせず、ただジッと何かを待っていた。
―――――――――ドクンッ!!
「――――ッ!?」
『来た!!』
時空転移をしようとした直後にそれは起きた。
シドの体内で何かが脈動し、まるでもがき苦しむように暴れ始めたかのように激しい動悸が彼の身に襲いかかってきたのだ。
思わず地に膝をつく。
「グッ……!何が……いや、まさか!?」
『よし!効いたみたいだ!』
シドが困惑する一方で勇吾は刀を地面に刺しながら立つと、歓喜に近い声を上げてシドの方を見続ける。
一瞬、先程受けた攻撃に何か仕込まれていたのか、具体的には自分を逃さない為の毒物に似た効果が上手く隠しながら受けていたのではという考えがシドの脳裏に浮かんだが、それは彼にとって最も嬉しい形で否定されることになる。
『「神毒」の解呪法を直接撃ち込んだ!もう終わりだ!』
「!!!???」
シドの心がかつてないほどの大混乱に陥った。
勇吾は一体何を言っているのだ?
この身に受けた「神毒」は若造が用意に解呪出来るほど生易しいものではなく、間違いなく全ての時空の中でも最高位の呪いなのだ。
彼の『楽園の蛇』サマエルの怨嗟が込められた不破の呪詛なのだ。
あんな掠り傷程度の一撃だけで解けるなど、そんな都合の良い事などと、シドは勇吾の言葉を直ぐにでも切り捨てそうになった。
自分の両目が潤み始めている事に気付きもせずに。
そして次の瞬間、勇吾の言葉はシドの目の前で一切の反論を許さない形で証明された。
――――アアアア゛ア゛アアアアア゛アアアアアアア゛ア゛アア゛!!!!!!
底知れぬ怨嗟の籠った怨嗟の咆哮と共に。




