第398話 凶兆
今年最後の投稿です。
――ルーマニア 某所――
純白の粉雪が東欧の街に降り注ぐ。
日が沈み始め、凍える風が街を駆け抜け氷点下の世界へと変えていく。
だが、クリスマスを間近に控えていた街には冬の寒さをものともしない活気が溢れ、家々に飾られたイルミネーションが夕暮れの街を眩く照らし始めていた。
「―――怪異に愛されしこの地が相応しい」
その人物は古い教会の屋根の上から街を見下ろしていた。
全身を白装束で覆い、陽気なムードに包まれた街と人々を冷めた両目で見付めるその人物は右手に持った杖――金属状の柄と蒼い水晶の装飾が施されている――を空に向け掲げると、風で消えるほど小さな声で呪文を唱え始めた。
「――――目覚めよ。古き闇夜の支配者。紅き血潮の愛し子。至高の神の庇護を受け、永き死の眠りより目覚めよ」
不吉さを帯びた呪文が唱えられる旅に白装束の持つ杖から禍々しい波動が放たれていく。
そして、東欧の街を深い闇が覆い始めた。
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――エジプト 某所――
数多くのピラミッドが建ち並ぶ、嘗ての古代文明の名残を残す砂の大地に白装束の少女は立っていた。
琥珀色の儀式杖を携え、既にほぼ無人となった地の上で己に課せられた役割を果たしていく。
足元に転がる、現地調達した供物が時折呻いているが、彼女の耳には届かなかった。
「――――原初の水より生まれし者の影よ。何時の対の束縛より放たれよ。真の神の番となりて古き世に終焉をもたらせ」
一瞬にして砂の大地が闇に染まる。
供物は闇の中へと沈んでゆき、絶望に染まった悲鳴は誰の耳にも届く事は無かった。
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――ロシア 某所――
白雪と共に凍てつく風が大地の上を走る。
都市部から離れた小さな村は瞬く間に白一色に染まり、只でさえ家屋の少ない村の中を出歩く人の姿は皆無だった。
この土地の冬の恐ろしさを知る者にとって、吹雪の中を出歩くことは何よりも自殺行為であるからだ。
だからこそ、住人達は村への侵入者の存在に気付く事は無かった。
「……」
古木の杖と藍色の水晶玉を手に吹雪の中を飛ぶのは白装束の大男。
ブツブツと呪文を唱えながら村の外縁を飛び回り、全ての呪文を唱え終えると村の中心部で止まった。
「…………甦れ」
直後、村の大地は脈打った。
白く閉ざされた陸の孤島に悪夢が訪れようとしていた。
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――ミクロネシア とある無人島――
南太平洋に浮かぶ小さな島々に、数十年前までは小さな漁村があった、今は誰も暮らさない島が存在する。
周囲を珊瑚礁に囲まれ島内の数ヶ所には大昔の遺跡が点在していたが、学者などからは不思議と見向きもされずに放置され続け、今では一部の野生動物の住みかとなっていた。
今では近隣の島々に住む漁師や、物好きな観光客が立ち寄る程度でその数も年々減ってきている。
「故に、私は恙無く役割を果たす事が出来る訳だが」
そう独り言を呟きながら白装束の青年は島内にある遺跡の1つに降りる。
彼が遺跡に足を付けると同時に周囲に生い茂っていた木々や蔦、あらゆる植物が逃げる様に動き、遺跡の周囲には雑草1本も残らなかった。
その光景は、まるで全ての植物が青年に隷従しているようにも見えた。
「では、早速私も始めるとしましょう。時は限られていますから、ね」
爽快な声で独り言をつぶやき続けながら青年は遺跡の中心で足を止め、左手に短杖を握り締めて儀式を開始する。
「血肉を貪りし古の悪神よ。不動と灼熱の呪縛より汝を解放しよう――――」
直後、この島を中心とした海域が胎動する。
それはまるで、最初から生きていたかのように……
聖夜を目前に控えたこの日、
同日同時刻に世界各所で――――“それら”は目覚めた。
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――日本 東京――
その日の早朝、空を見上げながら勇吾は絶句していた。
「…………っ!?」
日本の神々による強制的な酒宴の翌日――――クリスマス・イブ当日である12月24日の翌朝、この日は『創世の蛇』に拉致された慎哉と瑛介の救出作戦を決行する日だった。
あの乱痴気騒ぎの中、どうにか天照大神らと作戦会議を進め、今日の午前9時に敵地への“道”を数秒間だけ開き決行するといった内容をまとめた。
基本的に現実世界と敵地への“道”を開く事が出来るのは極少数の神のみであり、一度閉じた後は次に指定した時間までは帰還はまず不可能であるため、その間に2人を発見し即救出しなければならないので念入りに策を練っていった。
だが、いざ決行の日になってみれば、間の悪い出来事が朝一番で発生していた。
「赤い………空……!?」
この日、現地時間に関係なく、地球上全ての地域で空一面が赤一色に染まる現象が発生した。
それは鮮血のような赤にも見えれば、紅蓮の炎が燃えているようにも見え、世界中の人々の心を恐怖や混乱に陥れていくには十分な力があった。
既にインターネット上では世界の終末だと一時の恐怖や好奇で騒ぎだす者も現れており、各国の観測所や軍関係の施設は蜂の巣をつついた騒ぎになっていた。
「凶兆だな」
「黒!」
何時からそこに居たのか、勇吾の隣で黒王が険しい表情で空を見上げていた。
「勇吾は初めて見るのだろうが、この空の異変そのものに害は無く、ほぼ自然現象に近い。故に気付くのに遅れてしまった」
「……!それは――――」
黒王の言葉に息を飲む。
「体調の悪い時に顔色が変わるのと同じだ。病気自体が人為的であったとしても、顔色が悪くなる事そのものは人体にとっては自然な反応、他者の力で変えられている訳ではない。が、それが人間一個人とは規模がまるで違う」
「……今まで様々な異変はあってもこんな事は無かった。つまり、過去とは比較にならない程の異変がこの世界……地球で発生している?」
「しかも、その異変そのものを俺達は今だ感知できていない。間違いなく今回の元凶は別格。そしてこのタイミングで動いた事を考えれば――――」
勇吾達の動きを先読みしたような間の悪いタイミング、“凶兆”が出るほどの異変を起こしながら誰にも感知されない手際の良さ、何より世界そのものを積極的に危機に陥れようとする者達、これらの全てを満たす存在は1つしかなかった。
「《真なる眷属》……!」
ギリッと刃が軋む。
敵側に先手を打たれ、状況は一気に悪くなってしまった。
「仲間と世界を天秤に掛けろってことか!」
「仲間」の救出を優先すれば「この世界」が、逆に「この世界」を優先させれば「仲間」の命が危ない。
それは勇吾達に仲間の救出をさせまいとする悪意と敵意があるとしか考えられない、地球世界そのものを盾にした妨害だった。
ただし、この妨害は勇吾達が仲間を助けるのにどんな犠牲も厭わない場合や、地球世界という“大”の為なら仲間という“小”を切り捨てる割り切れる、残酷な選択が容易にできる思考の持ち主だった場合は意味の無い行為である。
だが、それはまずあり得ない事だった。
勇吾個人にとってもこの世界は父方の祖父の故郷であり思い入れもある。
慎哉も瑛介の2人も見捨てる事の出来ない大事な仲間である。
それは勇吾以外にとっても同じ事が言える。
勇吾は勿論のこと、彼らが両方のどちらかを切り捨てることは有り得ないのだ。
現状、勇吾達は悪辣な二者択一を迫られていた。
「……これはまだ仮定だが、今回の件は十中八九、俺達と接触の多い『幻魔師』が描いた図なのだろう。他者の精神的な急所を遠慮なく突く策は奴の十八番だ」
「クソッ!当然、今後の俺達の動きも想定済みか!昨日の内に動けたら……」
「悔やむのは後にしろ。今は急ぎ新しい策を練る事が先決だ」
「……そうだな。バカも含めて全員集めないと」
焦る気持ちを落ち着かせ、勇吾は急いで家に中に戻っていった。
1人残った黒王は暫く赤い空を見上げた後、意識だけを横へ向けながら口を開いた。
「――――そこに居るのだろう。国之常立神」
何時の間にか、そこには1柱の男神が立っていた。
来年には完結を目指します。
それでは良いお年を。




