第358話 ミレーナVSルビー⑤
――『密林ステージ(だった場所)』――
空間を、境界を超えてそれは降りてくる。
それは火の化身、火の全てを司る至高の存在、天地の全てを焼き尽くす炎熱の王。
その姿は赤銅色の体に炎の衣を纏った二面二臂の男とされ、正確な出自は明らかではないが、子の1人には大地を神速で駆ける軍神スカンダ(韋駄天)がいるとされている、護世神『世界を守るもの』の1柱である。
その神の名は――――火神アグニ
仏教や密教では火天と呼ばれる古より火の信仰を集める偉大なる神の1柱である。
『――――《神威召喚》!』
高位精霊と化したルビーがそれを国から発した刹那、遥か彼方から膨大なエネルギーがその強い意志と共に彼女へと降ってきた。
それはマグマよりも赤い炎の塊、生身の人間など刹那の内に消滅させられるであろう圧倒的な力が彼女に触れた瞬間、彼女を中心とした半径5000㎞の空間は数千℃の高温の死の世界へと変わり、大気中の水分は一瞬で蒸発、それ以外も融点を遥かに超える高熱の暴力の前に抗う事も出来ずに融解し蒸発していく。
そしてルビーに触れた炎の塊の彼女自身の内へと宿ってゆき、巨大なフェニックスの姿から全身が緋色の炎で構成された炎の翼を持つ女神の姿へと変わっていった。
『――――《緋き火神の猛き炎》』
世界を焼き尽くそうとする神の炎が爆ぜた。
全てが緋色の炎に包まれ、彼女以外の全ての存在を灰燼も残さず焼き尽くすかのように炎は世界を飲み込んでいく。
これがルビーの奥の手、神そのものを召喚しているのではなく、加護を授けている火神の力と意志をその身に宿し、現世だけでなく神々の世界さえも焦土に変える事の出来る炎を行使する、自身を一時だけ“神の代行者”へと転じさせる《神威召喚》である。
その圧倒的な力は神そのもの、彼女は自分と同じ色に染まった世界を見つめ敵達を倒したかどうかを確認する。
『《紺碧神龍投槍》』
『あっ―――――!?』
ルビーを1本の槍が障壁ごと貫いた。
それは海の結晶のごとく美しい槍は炎熱の塊である筈の彼女の体を貫通して、人間なら確実に致命傷となる大きな孔を穿った。
そして穿たれた孔から彼女に宿っていた膨大な力が暴れるように噴出した。
『ああああああああああああああああああああああああああああ!!』
ルビーは絶叫しながら紅炎のように自身から噴き出す火神の力をどうにか抑えようとするが、最高位クラスの火神であるアグニの炎は彼女の体内で嵐のように暴れ狂いながら一切の制御を受け付けずに暴走を続ける。
そんな中、彼女の眼には1体の龍の姿が映っていた。
(紺碧の……神龍……!!)
それは全身を紺碧の鱗で覆われた海龍、それも只の龍ではなく、その魔力の質、量、そして纏っている空気が並の龍族よりも圧倒的に上回っていた。
それは正しく神に匹敵するが如き力を宿した龍――――『神龍』だった。
(まさか!あの海龍は確かに魔力は大きかった……けど、それでも神龍に達するほどのものでもないし、何より若過ぎる!)
信じられないものを見るような目でルビーは目の前の神龍―――レアンデルを凝視した。
通常、龍族が『神龍』に至るまでには多くの厳しい条件を満たさなければならない。
1つ目は「龍王クラス以上の力を有する」であり、2つ目は「龍神に認められること」、そして3つ目が「最低限の“神格”を有する」ことである。
この3つの条件を全て満たす事が難しい事は人間であるルビーも知っており、特に3つ目の条件である“神格”を得る為には月日をかけて多くの信仰を集めつつ、自身の魂をより高位の次元へと進化させなければならく、それは決して数十年程度では満たす事が出来る事ではなく、現に龍の王族である黒王も神龍に至るまでには百数十年の月日を要している。
レアンデルは100年どころか実年齢は20歳前後の若輩者、それが神龍に至っているなど、ルビーにはとてもではないが信じられなかった。
『信じられないって顔だな?けど、こっちは優しく教えてやるほど甘くはないぜ!《神龍爪衝》!』
竜の爪が振るわれ、斬撃がルビーを襲う。
そして気付けば彼女はレアンデルとその分身達に完全に包囲され、逃げ場を失っていた。
『――――《紺碧の咆哮》』
無数のブレスがルビーに降り注ぐ。
紺碧の爆発がルビーの力をより一層削っていき、火神の力の放出もあって彼女は見る見るうちに弱っていった。
(このまま負ける訳には―――――いかないわよ!)
だが、ルビーにも女の意地があった。
負けたとはいえ善戦した後輩達に恥じない為、最後まで勝利にしがみ付こうと動いた。
『はああああああああああああああああああああ!!』
『!!』
攻撃を受けながら体外へと逃げ出す火神の力を《火焔錬成》と《緋之理》で強引に御しようと試みる。
更には《古代精霊術》で自身と融合している火精霊達の力も借りて力が漏れ出している孔を塞いでいく。
その過程でルビーはある事実に気付く。
自分の胸に開いた孔に残るレアンデルの魔力の残滓が、通常の水属性のものではなく、自分が使う《緋之理》と同系統の能力の効果が付与された水属性よりも上の水属性であると。
しかし、今はそれを考えている時ではないと思考を切り替え、力の制御と孔の回復に集中する。
そして、彼女は一か八かの賭けに出た。
(あの一撃で仕留められなかったのは痛かったな……)
一方、レアンデルは予想以上にしぶといルビーに目を細めながら次の一手を考えていた。
最初は彼女の胸を穿った一撃で決着をつけるつもりだったが、存外に彼女も必死に足掻いて来るのでその予定は崩れてしまっていた。
〈レアン、体の方はまだ大丈夫なの?〉
(ああ、あと1時間は余裕だ。それより、そっちの方はどうだ?アグニの力も解析できたのか?)
〈今96%ってところよ。神本体を召喚した訳じゃないから、意外と解析も進んでいるわね。あと20秒で完了よ。私達の持てる全てを捧げた特大の魔法をぶつけるわ!〉
(ああ!)
レアンデルは口元に笑みを浮かべる。
今の彼の状態、普通なら彼の年齢ではまず有り得ない『神龍』の姿は一時的な者に過ぎない。
魔力量こそ龍王クラスだが、それ以外の神龍に至るに必要な条件を彼は全て満たしている訳ではないのだ。
なのに何故、彼が神龍に成れたのかには理由がある。
それは彼がミレーナ達と共に異世界『武侠に紡がれし虚空』で修業していた時のこと、彼もあの世界やあの世界に繋がっている『魔界』の猛者達との死闘を繰り返す事で以前とは段違いの強さを得るまでに成長した。
そしてあの日、あの世界に侵攻する『魔王』と戦う為に更に力を得るべく、あの世界で祀られていたとある“龍神”の1柱の下で修業、数々の試練を乗り越えた末に龍神から神龍に至るのに必要な“種”をその身に授けてもらったのだ。
龍王クラスの力と龍神に認められた証を手に入れた彼はミレーナ達と共に『魔王』に挑み、その際に覚醒させた固有能力、そして契約者であるミレーナからの助力により一時的に神龍へとその身を昇華させる術を手に入れたのである。
これはあくまで仮初のものでしかないが、地球世界に帰る際に見送りに来てくれた龍神は「その力を磨いていけば、いずれ真の神龍に至れるだろう」と告げており、彼はこの言葉を信じて帰って来てからも日々修業に精進をし、こうして問題無く使えるまでに力を磨いて来ていた。
〈――――解析終了!いくわよ!〉
(おう!)
レアンデルはミレーナの合図に合わせ、体内で練っていた高密度の魔力を技へと変換して放った。
『《紺碧神龍終焉光波》!!』
今のレアンデルにとって最高の破壊力を持つ技が放たれる。
その遥か後方、敵にも気付かれないほど離れた場所では隠形しているミレーナが黒色の洋弓《夜凪の清弓》を構えていた。
(――――《火神祓いの海矢》!!)
そして碧い矢を放つ。
レアンデルが戦ってくれる間に解析したルビーの力を無効化させ、彼女に宿っている火神アグニの力もあるべき場所へと送り返す対ルビー専用の必殺の一矢、万が一にも外さないように標的に必中するように幾つもの術式を編み込んだ矢が静かに飛んでいった。
これとレアンデルの攻撃が両方直撃すれば決着がつく。
ミレーナもレアンデルもそう確信していた。
だが、最後の最期で予想外の事態が発生する。
『――――《神威召喚》――――《火神猛攻地神怒涛》!!』
次の瞬間、異空間にいる全てを巻き込む大爆発が発生する。
2色の力の暴嵐が空間そのものを破壊して行き、ルビーとレアンデルは勿論のこと、遠く離れた場所にいたミレーナさえも一瞬で飲み込まれていった。
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――観客席(選手用)――
その光景に勇吾達は反射的に立ち上がって身を乗り出していた。
「ミレーナ!!」
声を上げたのはリサだった。
闘技場の中央に映し出される戦闘舞台の衝撃的な光景に声を上げずにはいられなかった。
彼女は試合開始前にミレーナのステータスを目にし、ルビーに対して勝算があると告げる彼女を止められなかったことを後悔していた。
ミレーナがリサに教えた勝算とは彼女の持つ3つの固有能力、1つは解析と魔法創作の《魔道編纂秘式》、2つ目は自身の存在を隠すと同時に相手の意識を別の対象へと誘導させる《隠者之幻影燈》、そして最後の1つは――――
「――――見ろ!」
誰かが叫んだ。
勇吾達の誰かか、それとも観客の誰かか、その声に誰もが意識を動かされ、映し出された異空間内の光景に意味を飲んだ。
そして、爆発が収まった異空間のステージに3つの影の姿が見え始めた。
「これは―――――」
「決着が、ついたな」
落ち着かないリサの横で、勇吾と黒王は試合が終了したのを観ていた。




