第331話 VSリリス③
――???――
流される。
土も石も岩も草も木も獣も人も何もかもが流れていく。
『――――シェムハザよ。天の禁を破り人間に知恵を与えただけでなく、地上の娘と交わり忌子をこの世に生み出し、地上を破滅へと追い込んだ罪により汝らを拘束、主の裁きにかける。異論は認めない。抵抗も認めない』
地上を呆然と見下ろす私の前でミカエルは無感情な言葉を告げていく。
だが、その言葉は私の中を空しく通り過ぎていく。
罪。
そう、私は罪を犯してしまった。
主である神より与えられた役目がありながら、地上の人間の娘に誘惑され、天の知識を教え、さらには交わって子供を生んだ。
息子達が生まれた時の感動は今も忘れない。
あの時、私は親になる喜びを初めて知った。
だが、幸せは長くは続かなかった。
『グアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!』
地上の全てを洗い流す激流の中に1人の巨人の姿があった。
『ヒワ!!』
私は息子の名前を叫び、すぐ助けに向かおうとした。
だが、それをミカエルが遮る。
『これは天命。残念だが、お前の息子達はこの世に害成す存在として終わりを迎える』
『納得できるか!そこを退け!ミカエル!!』
『断る。シェムハザ、お前の息子は地上を壊し過ぎた。大地の恵みを喰らい、獣を喰らい、更には人間すらも喰らった。そして我等4人が来た時には共食いをしていた』
『クッ………』
『――――禁を犯したお前は天にとって悪だが、お前のその心までを悪とは私は思わない。だが、あのまま放置すればどうなるか、お前はよく理解している筈だ。そうであろう?』
『………うぅ……。ヒワ……ヒヤ………!!』
息子の声が小さくなってゆき、最後には何も聞こえなくなった。
主の力により生み出された洪水は、巨人の命すら容易く奪っていく。
(どうした、こうなった………?)
生まれた時は母親と同じ人間だった。
だが、ある日を境に息子達は人間を遥かに超える大きさに成長し、次第に凶暴な存在へと変貌した。
兎に角食欲が強く、里にあった全ての食糧を食べ尽くした息子達は家畜を全て食い、それでも満たされない腹を満たす為に森や山を荒し、獣だけでなく木々も食べていった。
その光景を、私は妻と一緒に呆然と眺めているしかできなかった。
そしてそれは、私の息子にだけ起きた事ではなかった。
主より地上の監視を命じられた『見張る者』の天使200人が地上の人間との間に生んだ子供全てに同様の変化が起きた。
食欲のままに地上を破壊していく息子達、終いには共食いを始め、地上は滅びの一途を辿っていった。
――――フフフフ………
――――フフフフ………
あの時、全てを嘲笑う2人の声が確かに聞こえた。
その声の主が全ての黒幕だと気付くのはまだ先の事だった。
『――――主の意志を受け入れよ』
『これが、これが神の意志だと言うのか……!!なら、こんな現実を、理不尽さえも、創造主たる神の意志だと言うのか!?』
『口を慎め。シェムハザ』
『何故だ……!!何故、神は人間に与えたものを我等には与えて下さらないのだ……!!何故……何故………あああああああああ』
『………』
息子達の死をただ見ているだけしかできなかった私は、延々と泣き叫び続けた。
神と天使は人間を救う。
ならば、我々を救うのは誰なのか?
この世界に、本当の救いとはあるのか?
私はその答えを延々と探し求め続けた。
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――現在――
リリスの胸の間をシェムハザの手刀が貫いた。
泉希達に寄生しているリリスにとって、シェムハザ達に見せている姿はあくまで己の意思のみを外に顕現させた分身―――幻だった。
本体は泉希の中にあり、攻撃された所でリリス自身には何のダメージも無い筈だった。
にも拘らず、今のリリスは生死を彷徨う様な苦痛に襲われていた。
だが、その苦痛以上にリリスはシェムハザの取った行動が理解できなかった。
『何故―――!?この子達を捨てる……の!?』
『その前提から間違っている。今の俺が、過去を繰り返さない為の力を持っている訳がない。という前提がだ』
『!!』
『俺が、昔のままだと思ったのが誤りだ。過去の分も含め、貴様が犯した罪の全てを精算してもらう』
『イッ、アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!』
リリスの絶叫が響きわたる。
シェムハザが行ったのはただ1つ、リリスを泉希達から強制排除である。
相手の魂に奥深くまで根を張っているリリスを外から引き剥がすのは至難の技。
だが、『見張る者』の中で最も魔法に長けている今のシェムハザには片手間で完璧にこなせる程度のものだった。
シェムハザは顕現しているリリスの意識を通してリリス本体に干渉、抵抗などさせる暇も与えずたった数秒でリリスを泉希達から引き剥がした。
『アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!』
『――――目障りだ。消えろ』
『アアアアアアアアアアアアアアアアア!!ム、無駄よ!!私が消えたところで、この子達は止まらないわ!!止められるのは私だ―――』
『セリフの全てが小物以下だ』
『ヒィィィィィィ……!!サ、サマエルさ――――』
『《永劫抹消聖魔波動》』
シェムハザは、永い流浪の末に編み出した術の1つをリリスに使い、リリスの魂を跡形も無く消滅させた。
破壊ではなく完全消滅。
魔力だけでなく、魂の欠片や残留思念を微塵も残さず消し去り、奇跡の復活も許さない無慈悲な力である。
元は天使の中でも上位の力を持ち、並の神なら余裕で圧倒するシェムハザだからこそ使える力だった。
(――――ァァァァァァ!!我が夫よ!!私を――――)
意識が消滅する刹那、リリスはしぶとく抗おうとしていた。
最後の力の全てを近い、世界の狭間にいる己の夫―――『創世の蛇』の《盟主》、サマエルへ助けを求めた。
だが、返ってきたのはリリスをより一層絶望へと叩き落とすものだった。
――――お前の“死”で最後の鎖は解かれる。
それはリリスの絶望に対する喜びで満たされた声だった。
リリスは理解する。
最初から、今回の計画は成功という結果しか残されていなかったのだと。
リリスが最後の仕上げをしなくとも、リリス自身が消える事で何らかの力が作用し、サマエルの現世降臨が達成されるのだと。
リリスは思い出す。
古来より、己の夫は他者の絶望に対して至上の悦びを感じているのだと。
その他者に、自分が含まれているのだと――――
(ああ……そんな……サマエル………私……だけの……私の、『造物主』……愛しき……『偽の神』…………)
最後の思いと共に、リリスは今度こそこの世から消滅した。
リリスが消えた跡には何も残らず、最初からリリスなど存在しなかったと錯覚させる空気が流れた。
『………』
シェムハザもまた、リリスの事などもう忘れたかのように視線を上空へと向ける。
視線の先には、地上に出た泉希達が支配者を失い無差別攻撃と言う名の暴走を始めていた。
(ヒワ、ヒヤ……。違う。泉希、潤、北星、武蔵、怜人―――)
『――――助力は必要か?』
『……水を差すのが趣味か?』
『否。只の確認だ』
『ならば、黙って見ていろ』
『元より、ここへは傍観で訪れている』
『そうか』
何時の間にか背後に立っているファラフに顔も向けず話をするシェムハザは、羽を大きく羽ばたかせて泉希達の下へと飛んでいった。
残されたファラフは、未だ真下で観戦に徹しているウリエルに対し《念話》を送る。
〈全て筋書き通りか。確信犯?〉
〈え?なんか、知らない間に悪人扱いされてねえか?〉
〈お前の後悔も、これで消えるのか?嘗ての、主の意志に従うままに動いたが故に生んでしまった後悔は〉
〈……お互い様だろ?〉
〈…………〉
《念話》はそこまでだった。
旧約聖書『創世記』で語られるあの悲劇は多くの者の心に深い傷跡を残した。
それはシェムハザを始めとする『見張る者』のみに限らず、ウリエルやファラフ(当時はケルビエルとゼルエル)にも悲しみの後悔を与えた。
主に従順な天使である彼らにも感情はあり、他者を思いやる心がある。
子供の死を悲しんでいたのは堕天使だけではなかったのだ。
そして今、嘗て見殺しにしてしまった子供の生まれ変わりを、前世の父が救おうとしている。
手を出すのは蛇足、自分達はただ見届けるのが役目。
(願わくば――――)
ファラフ達は、嘗ての同胞へ祈りを捧げた。
そして、戦いはようやく終焉を迎える。




