第318話 対話
――地下保管庫前――
時は少しだけ戻る。
勇吾達が天使と堕天使達と戦闘を開始し、地上から聖と魔の波動が豪雨のように降り注いで来る中、ファラフと『蛹屋』の険悪な空気はまだ続いていた。
『どけ』
『断る』
『力ずくで退かされたいか?』
『できるなら既にしている筈。そうしないのは、できない理由があるからではないか?』
『………』
『―――沈黙、肯定と受け取る』
ファラフはチラッと視線をシェムハザの背後、泉希達に向ける。
そして十中八九、シェムハザは彼らを庇っているのだろうと推測した。
そしてそれは正解だった。
シェムハザはその気になれば力ずくでファラフを排除する事が出来るほどの強大な力を持っており、その力は七大天使や七大魔王と肩を並べるほど。
彼が本気でファラフと戦った場合、互いに本気で衝突しその桁違いの余波にすぐ傍にいる泉希達は確実に巻き込まれる。
泉希達の師であるシェムハザは、彼らにはまだその余波を自力で防ぐほどの力が無いのは誰よりも知っている。
彼らにまだ未練の残っている故、シェムハザは強硬手段をとれずにいたのだ。
『―――私とて、ここで“真の姿”を見せたくはない。貴方とも可能ならば戦いたくはない。だが、天界の秘宝である“本”をお前が本気で奪うというならーーー私は全力で阻止する』
『………』
シェムハザは沈黙を続ける。
だがその目には諦めはなく、どうやって目の前の障害を排除するかを考えている目だった。
シェムハザは一歩も退く気はなかった。
「―――クソ親父」
そこに泉希が一歩前に出て口を開いた。
その顔にはこの10分の間に起きた出来事による動揺がハッキリと滲み出ていた。
そしてそれは後ろの4人も同様で、彼らは自分達の師匠の正体の事も含め、まだ若干混乱しかけていた。
彼らもそれなりに修羅場を乗り越えてきてはいるがまだ若い。
彼らはまだ自覚してないが、神獣や聖獣は精神の成熟速度が人間と比べるとやや遅い傾向にある場合が多い。
人間よりも遥かに長い寿命を持つのだから、心身の成長速度が緩やかなのだ。
戦闘能力は高くても、想定外の状況にすぐに適応できるほどの精神はまだ持っていないのだ。
『………』
「あんた、一体何を考えてるんだ!いきなり俺達を置いて消えたと思ったら、カバラの原典を集めてるって聞くし、しかも正体は堕天使のトップ!?あんたは一体何をしようとしているんだ!!答えろ!!』
『………』
「答えろ!!」
『………』
「何で何も――――」
『シェムハザ、その少年達はお前の“何”だ?』
ファラフは泉希の言葉に割り込み、シェムハザに別の質問を始めた。
シェムハザの方は相変わらず無言のままファラフを威嚇していたが、ファラフの質問を聞いた瞬間、僅かに眉を動かしていた。
それは見逃さなかったファラフは、シェムハザの過去を思い返しながら、それが彼の古傷に触れる事を理解した上で質問を続けた。
『その少年達は、“ヒヴァ”達の代わりか?』
「「「え?」」」
『――――ケルビエル!!』
「「「!!」」」
ほんの刹那―――シェムハザの殺気が6人の周りにだけ充満した。
そのあまりも重く、そして悲しい殺気に泉希達は言葉を失った。
『――――あの子達の事は、今は亡き“主”も嘆いておられた。イシュタルの件も含め、私個人も貴方には多少なりに同情している。だが……』
『黙れ、ケルビエル!』
『ファラフだ。その様子では、どうやら嘗ての“悲劇”が今回の根幹にあるとみて間違いないようだ』
『………!』
『そして貴方が集めている原典は天地…世界創造の秘法が記されている。貴方の目的は、もしや――――』
『………』
シェムハザは反論する事が出来なかった。
いや、反論しなかった。
反論してはならなかった。
ここで反論してしまったら、これまでの長い年月を、己自身の意志を否定してしまうのだから。
だから、シェムハザは決して反論せず、沈黙のみで返答したのだった。
『そうか』
そしてその石はファラフにも伝わり、ファラフは同情や憐みの無い目でシェムハザを見つめた。
シェムハザのやろうとしている事は決して認めはしないが、その強い意志に対しては敬意をはらったのである。
「親父……」
「師匠…」
その2人の姿を見たせいか、泉希の激情は何時の間にか静まっていた。
彼らにはシェムハザとファラフが何を考えているのかは分からない。
だが、自分達よりも遥か高みにいる2人が対峙する姿を見て、怒りや困惑に染まっていたその眼は何時しか羨望の色に染まっていた。
それはまるで、幼い子供が父親に向けるのと同じ眼差しだった。
「スゲェ……」
5人の誰かが呟いた。
その短い一言の中には彼らの沢山の感情が篭められており、それは確かにシェムハザの耳に届いていた。
『………』
『成程、目的はどうあれ、貴方の歩んできた道は決して私達が否定していいものではないようだ。だが貴方は、彼らを見てもまだこの先へ行くつもりか?』
『……そうだ』
『しかし、私はここを退くつもりはない』
『………』
平行線な会話が続いた。
その時、上空から爆風が襲いかかってきた。
「う〇い棒が粉々に~!!」
「たこ焼き味~!」
「コ~ンポタ~ジュが~!!」
すぐ近くから悲鳴が聞こえたが、誰も相手にしなかった。
『―――ラジエルとは?』
『関係ない。ただの邪魔だ』
『そうですか』
その後もすぐ近くから間抜けな悲鳴やコントが聞こえてきたが、彼らは普通にスルーしながら会話を続けていった。
ファラフは背後にある保管庫を自身が創りだした結界の中に隔離しながら時間稼ぎをしていた。
(さて、上が片付くまで私はこのまま時間稼ぎに徹するとしよう。あとは今回の茶番を裏で操っている何者かが動き出すのを待とう)
ファラフは地上の方にも意識を向けながら思考する。
地上では良則達がハニエル達と戦っている。
新しく『白の龍皇』の気配が加わり、天使と堕天使達を圧倒し、もはや勝敗は明らかだった。
特に注目すべき点は、『龍皇』と良則以外の者達の活躍だった。
アベルと出会った時点と比較すれば驚異的な成長だとファラフは思った。
彼らなら、余程油断しない限りはハニエルやサリエル達に負けることはないだろうととも思っていた。
懸念があるとすれば、今回の一件の裏に隠れている“黒幕”の事だけだった。
(―――天使も堕天使も、狙いは等しく『ラジエルの書』、だが、タイミングがあまりにも出来過ぎている。何者かが裏で糸を引いていると考えるのが筋というもの。いや、そもそもラジエルさえも……)
最初は善くも悪くも悪名高い大魔王の不在を狙ってラジエルが単独で現世に降りたことにより始まったのだとファラフも考えていたが、今は何者かが裏で糸を引いているのだと確信していた。
本来ならあってはならない現状、これを意図的に仕組んだ者がいるのなら、天使として、六星守護臣としてその者を排除しなければならなかった。
ファラフの今の優先事項の1つは現世の安定の維持であり、乱すものが居れば排除することだった。
それは前世で天界に居た時の役目であり、今の主である『黎明の王』が望むことでもあり、ファラフ自身の意志でもあるからだ。
そして、その何者かは動きを見せた。
『『!!』』
それはこの場所から数㎞離れた場所で起きていた。
堕天使の1人の身に突如として異変が起き、暴走状態に陥った。
『……アザエル、激情した隙を突かれたか』
『この茶番劇を書いた者が動きだしたようだ』
『気付いていたか』
『無論。ラジエルを切欠に始まった今回の一件、天界と冥界の2つの“門”が同時に開いたのは明らかに出来すぎている。何者かが人間を操り、同じタイミングで“門”が開くように仕向けたのだろう。そこの“銀”―――』
ファラフは泉希達の背後でう○い棒を何本も銜えているバカに確認を取った。
「ん~と~、そういえば~JDもPTAも~、なんだか“魅了”や“混乱”みたいな状態だった気がする~?」
「あれえ?俺。初耳なんだけど?」
「言ってないも~ん!」
『『………』』
ファラフとシェムハザは馬鹿をすぐに無視して互いに視線を交わす。
2人は今の馬鹿の回答により、1つの真実に至った。
現在の状況―――人間、天使、堕天使、これらを同時に誑かして現世を混沌に至らしめる。
その中心にあるのは『ラジエルの書』を始めとする天界の原典、これらから導き出される“何者か”の正体、それは―――
『…シェムハザ、貴方はどちらだと思う?』
『両方、だろう』
『やはりそう思うか。貴方達にとっては、どちらも忌まわしい名でしょうが』
『余計な気遣いだ。それに、あの時、“あの女”と直接関わっているのはアザゼルの方だ。俺とは直接関わりのない女だ』
シェムハザは僅かに機嫌を損ねながらも、暴走する嘗ての同胞の方へと視線を向けた。
上手く隠しているつもりだろうが、微かに香る独特の魔力をシェムハザは敏感に感じ取っていた。
一方は嘗て神代の時代、神より生み出された者でありながら悪魔と交わり、その後も種を問わず多くの男を惑わして交わった堕天使、または魔王。
もう一方は同じく多くの悪魔を生み出し、この世のあらゆる者を堕落させる邪悪な女。
この2人の名を、ファラフとシェムハザはよく知っていた。
多くの天使を堕落させ、今は世界を滅びへ導こうとする7柱のうち1柱の妻である2人の女の名を。
その名は―――




