第306話 瀧山 泉希
――過去――
瀧山泉希は先天的な先祖返りだった。
彼の祖先は神獣、水神の眷属で人里に恵みを与える存在だった。
今では口伝や僅かに残った文献にしか記されていない眷属神である彼の祖先は人と交わり、その血は代を重ねるごとに薄くなっていった。
だが、運命の悪戯か、泉希は何十代も前の祖先の血を強く受け継いでこの世に生を受けた。
とは言え、先祖返りと言っても最初から神獣だった訳ではなく、並の人間より魔力が数十倍強く、霊的存在などを素で認識できるというものだった。
気にしなければ日常生活には支障はなく、泉希は他の同世代の人間と同様に普通に生きていける筈だった。
父親がまともな人間だったなら……
泉希の父親は重度のDV男だった。
彼が物心付いた時には既に家庭は崩壊寸前で、母親は全身傷だらけの体で彼自身も体のあちこちに火傷の痕などがあった。
夫の暴力についに耐え切れなくなった母親は彼を連れて家を飛び出し、女で1つで息子を育てていった。
だが数年後、彼が10歳の時に悲劇は起きた。
ようやく生活が安定し、母子2人でこれから幸せに暮らしていけると思われた最中、彼の父親が姿を現したのだった。
不況で仕事を失ってギャンブルに手を染めていた彼の父親は再び妻子に暴力をふるい、彼の養育費として貯めていた金の殆どを奪っていった。
その後も1ヶ月ごとに現れては金を奪っていき、同時にストレス発散の為に暴力も振るっていった。
精神的に追い詰められた彼の母親は自宅で自殺、それを知った父親は警察を恐れて姿をくらました。
頼れる親戚が居らず、1人残された泉希は必然的に施設に預けられた。
だが、そこでの生活は1ヶ月と続かなかった。
母親の自殺という、子供にはショックの大きすぎる出来事が切欠となり彼が先天的に秘めていた“力”がバランスを崩して半ば暴走を始めたのだ。
局地的な異常気象、原因不明の器物破損、“力”の制御の仕方はおろか自覚すらない彼は周囲と同様に困惑していたが、当時の彼は恐怖よりも強い感情で溢れていた。
――――アイツを絶対に殺す!!
母親を死に追いやった男への復讐、母親の死という絶望の中で彼の精神を冴えていたのは実父に対する憤怒と憎悪だった。
そして運命は彼の復讐を助けるかのように流れて行き、彼をその男と廻りあわせたのだった。
「――――今日は珍しいモノによく出会う日だな」
その日、泉希は『蛹屋』と出会い姿を消した。
『蛹屋』は元・『創世の蛇』の構成員だった。
構成員と言っても本人は気まぐれで関わっただけで、《盟主》に対しても微塵も忠実的ではなかった。
最後は気まぐれで組織を抜け、特に当てもなく色んな世界を旅している。
彼の代表すべき能力は「進化」、「覚醒」、「成長」の3種類の行為を意図的に行う《変転へ誘う小さき夢》だった。
望む者に力を与え、時には別の生を当てるのが彼の能力だった。
彼の二つ名もこの能力に由来し、この能力を受けた者は一時的に魔力の繭に包まれたような状態になることと、この能力で気紛れに商売をしていたことから『蛹屋』という名が付いた。
そして泉希もまた、彼の能力により秘めていた“力”を完全に覚醒させた。
それから7年、泉希は『蛹屋』と共に世界を巡りながらその機会を待っていた。
7年が経ち、その時が来た。
十分どころが無駄過ぎるほどの力を蓄えた泉希は父親への復讐を開始した。
父親の居場所を見つけるのは左程難儀せず、後妻と後妻の連れ子と暮らすマンションの一室は呆気なく見つけられた。
そして先客が来ていた事にも気付かず、泉希の復讐は開始された。
「何だガキ!?人様の家に勝手に入ってきて何の用だ!?」
「………」
父親の男は泉希の顔を見ても自分の息子だとは気付かなかった。
父親はかなり泥酔しており、辺りには酒瓶の破片が散乱し、横には頭から血を流した女性がふら付きながら立っていた。
それを見た泉希は、父親が全く変わっていないと結論付けた。
「……あんた、全然変わった無いんだな?」
「ああ?何だその目付きは!?ガキが大人に向かってな……グハッ!?」
「ウルセエよ」
最初の一撃で男の左の肋骨が粉砕された。
そして一方的な攻撃が続いた。
溜まりに溜まった憎しみを一気に吐き出すように泉希は父親を殴り続け、骨という骨を粉砕し、男の意識が無くなった後も数分間殴り続けた。
7年間望み続けた復讐、7年間決して消えなかった憎しみを魔力と共に拳にのせて殴り続けた。
延々と苦痛を与え続け、人の形も留めなくなるまで殴り殺すつもりだった。
「ハァハァハァ………」
「ぅ……ぁ……………」
だが、泉希は父親に止めを刺す事は出来なかった。
あと一撃で死ぬという処で拳が止まってしまったのだ。
「クソ……どうして………!?」
殺意はある。
憎悪ある。
なのに、泉希の拳は最後の一斉を前にして止まっていた。
それは今の泉希が7年前とは違っていた故の必然だった。
7年前の泉希だったら迷わず父親に止めを刺していたのかもしれない。
だが、今の泉希は7年前の泉希ではなかった。
「クッソォォォォォォォ!!」
その事を理解した瞬間、先程まで泉希の中にあった“モノ”が一気に崩壊していった。
泉希の両目からは涙が流れだし、床に何度も拳をぶつけながら嗚咽した。
「うああああああああああああああ…………!!!!」
放っておけば何時間でも嗚咽を続けていたのかもしれない。
だが、泉希の叫びは第三者によって遮られた。
――――モロイ………憤怒…ダ…………
――――止めはちゃんと刺さないとね♪
それは幻聴のように聞こえてきた。
「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!」
「――――ッ!!」
「ガァア………!!」
それは一瞬の出来事だった。
その“少年”は《転移》で泉希の前に現れ、泉希の思考が追い越す勢いで持っていた黒い刃物を男の心臓に突き刺した。
そして普通の人間では有り得ない速度で何度も刃物を男に突き刺し続けた。
何度も、何度も……
「死ネ!!死ネ!!死ネ!!死ネ!!死ネ!!死ネ!!死ネ!!死ネ!!死ネ!!死ネ!!死ネ!!死ネ!!死ネ!!死ネ!!死ネ!!死ネ!!死ネ!!死ネ!!死ネ!!死ネ!!死ネ!!死ネ!!死ネ!!死ネ!!死ネ!!死ネ!!」
「お前……!?」
「死ネ!!死ネ!!死ネ!!死ネ!!死ネ!!死ネ!!死ネ!!死ネ!!死ネ!!死ネ!!死ネ!!死ネ!!死ネ!!死ネ!!死ネ!!死ネ!!死ネ!!死ネ!!死ネ!!死ネ!!死ネ!!死ネ!!死ネ!!死ネ!!死ネ!!死ネ!!」
その少年はドス黒い感情を吐き出しながら狂ったように男に刃を刺し続けた。
泉希は考えるまでも無く普通じゃないと判断し制圧に動いた。
だがそれよりも早く、泉希の背後から別の力が飛んできた。
「散れ―――――」
「死―――――」
黄色い光が少年を飲み込み、少年が持っていた黒い刃物は一瞬で消滅した。
泉希が振り返ると、そこには険しい表情をした『蛹屋』が立っていた。
「親父……!」
「……この家は一種の“特異点”のようだな。同日同時刻に……それよりも、そいつを拾ってこの場を出るぞ。泉希」
「親父、一体何が……」
「……どうやら、《憤怒》と《傲慢》の予定と被ってしまったようだな。その子供は奴らの創った魔剣に飲み込まれ、お前と同じ目的を果たしに来たようだ」
「どういう事だ!?同じ目的って……」
「分からないか?その死体の男は、お前以外にも恨まれていたという事だ。それよりも、予定外の死人も出たようだな?」
「え……?」
泉希は一瞬、『蛹屋』の言葉の意味が理解できなかったが、すぐにハッとなって既に死んでいる父親の近くで倒れている後妻の女性に視線を向ける。
来た時には生きていたその女性は、目を虚ろにしたまま死んでいた。
女性は泉希が来るより前に男に酒瓶で殴られ、それが原因で脳内の血管が破裂し亡くなっていた。
「………」
「無駄な後悔はやめておけ。それよりも……」
『蛹屋』はリビングの横にある別室の扉を一瞥してから床に転がっている2人分の死体に視線を向ける。
そして右手の指を向けながら1つの魔法を発動させる。
するとリビングは一瞬にして結晶に飲まれていった。
「――――行くぞ」
「親父、今のは……」
「死者へのせめてもの情けだ。それとも、あのままの方が良かったか?」
「……!いや…ありがとう…」
「…行くぞ」
『蛹屋』の意図に半分気付いた泉希は礼を言うと、すぐに言われた通りに気を失っている少年を担いで『蛹屋』と共に外へと出ていった。
この日は週末の金曜日、来客が滅多にないこの家で死体が見つかるのは休み明けの月曜日以降、それが彼らの予定だった。
だが2日後、予定よりも早く夫婦の死体は発見される事になる。
とある“軍神”が原因で―――
泉希の復讐が予定外の形で終わって約2ヶ月、彼は東京の公立高校に通っていた。
復讐が終わって最初の1週間が過ぎた辺りで『蛹屋』は泉希達に学校に通う様に勧め、少々の裏工作をしてから転入させた。
最初は学校に通う事を渋っていた泉希だが、半月も過ぎると普通に馴染んでいった。
剣道部にも入り、持ち前の能力ですぐにレギュラー入りをして団体戦のメンバーにも抜擢された。
だが、『蛹屋』は彼らが学校に通い始めたのと同時に姿を消した。
彼らは必死に『蛹屋』を捜すが見つからず、気付けば大会が始まっていた。
そしてその大会で、彼らの運命はまた動き始める。
(アイツ、《ステータス》を……!)
団体戦の試合中、泉希達は対戦相手の選手の1人が自分達のステータスを覗いていたのを見て驚愕した。
そしてその直後に発生した《大罪獣》による事件の直後、捜しても見つからなかった『蛹屋』は彼らの前に姿を現し、別れを告げて去っていった。
納得のできない泉希は最後まで追いかけて問い詰めたが止めることは出来なかった。
「―――――義父として、お前には真っ当な道で幸せになってほしいからだ」
その言葉を最後に『蛹屋』は泉希の前から姿を消した。
「……クソ親父!!」
そして、それから2ヶ月以上が経った。
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――現在――
泉希達5人はアメリカに来ていた。
目的は1つ、自分達の前から勝手に去っていった『蛹屋』を見つけて捕まえる為だ。
(待ってろよ……クソ親父!!)
サンフランシスコ郊外で、泉希は胸に拳を当てながら心の声を上げる。
その様子を、遥か上空から見ている者達がいるとは知らずに……。
そして数分後、彼らは先に来ていた者達と出会う事になる。
覚えているでしょうか?
彼の初登場は第43話、次は大罪獣編Ⅱです。




