第25話 琥太郎と晴翔
鼓膜を一瞬で破るかのような咆哮が晴翔を貫いた。
「―――――――――――ッ!!??」
晴翔はハッとなり、自分が闇の中に消えそうになっている事にようやく気付く。辺りは見渡すと自分以外は何も見えなくなっている事にも気づく。
「俺は・・・・・・・・・。」
しばらく呆然としていたが、すぐに自分がさっきまで絶叫を上げていた事を思い出す。喉からは痛みが走り、声も枯れ始めていた。
そこに、突如突風が巻き起こった。
『―――――危ない所だったが間に合ったようだな。』
「――――ドラ・・・ゴン!?」
枯れた声でどうにか言葉を吐き出す。
目の前にはここに来る前、晴翔達を悪魔から護っていた黒い龍の姿があった。一面漆黒の闇に覆われているのにもかかわらず、目の前に現れた黒い龍の姿はハッキリと見えた。
『――――――どうやら肉体と精神が妙な具合に混じりあっているようだな。その姿が今のお前自身の心の姿と言う訳か。」
「・・・ハ?・・・・・・エッ!?」
黒い龍―――――黒王の言っている事が分からずもう一度自分の体を見て晴翔は驚愕した。
「ち、縮ん――――――で――――――!?」
晴翔の体は縮んでいた。否、服も変わっていたので正確には縮んでいると言う訳ではない。晴翔の姿は昔の、小学生の姿になっていた。
さっきまで見えなくなっていた自身の姿がなぜか今はハッキリと見えていた。晴翔は今の自分の服装から、自分が小学校高学年位にまで若返っている事に気付く。
「な―――――――ん―――――!?」
『―――――お前の時間はそこで止まっていると言う事だ。忌々しいが、この闇の中は飲み込まれた人間の心が正直に反映されているようだな。』
「――――ん―――――だと!?」
黒王の言葉に反論しようとするが、喉は枯れ、無理に喋ろうとすると喉に痛みが走る。どうにも口では反論できない晴翔は黒王を睨んだ。
「―――――――――ッ!?」
その瞳を見た瞬間、晴翔の思考は言葉を失った。
黒王はただ見ていた。見下ろしていたのではなく、ただ真っ直ぐに晴翔を見ていた。その視線に、晴翔はどう反応すればいいのか分からなかった。
今まで自分を見ていた全く違う眼。自分を見限った両親の眼。敗者と蔑んだ塾の生徒達の眼。自分になど無関心なその他大勢の眼。黒王の眼はそのどの眼とも違ったものだった。失望も侮蔑も嫌悪もなく、ただ真っ直ぐと晴翔を見ているという事に、晴翔は困惑した。
こんな眼で見られた事など一度もない。その眼差しの中にあるものが何なのか、黒王が何故自分をそのような眼で見続けているのか今の晴翔には理解できなかった。
「神宮――――――――くん?」
「―――――――た・・・・な・・・・!!」
呼びかけられた事に気づき視線を下すと、そこには困惑した顔の琥太郎がいた。
琥太郎は小学生の姿になった晴翔に困惑しており、次に何を言ったらいいのか分からないようだった。それでも近づこうと歩み出した瞬間、晴翔の中で再び負の感情が湧きだし始めた。
「来る―――――な――――――――――!」
「え―――――――!?」
湧き上がってきたのはさっきまでのような怒りではなく、琥太郎に対する恐怖と罪悪感、そして自己嫌悪だった。自分が今まで琥太郎に対して行ってきたイジメの数々、身勝手な暴言の数々、その全てが晴翔の頭の中で映像のように流れていった。自分が悍ましく見え、近づいてくる琥太郎に復讐されるのではと云う恐怖が一気に湧き上がって全身を支配していった。
「ぐるな・・・!ぐるな・・・!ぐるなぁ――――――――――――――!!!」
枯れた声で必死に琥太郎を拒絶する。その姿は琥太郎を虐めていた時の面影は最早なく、ただひたすら泣きながら怖いものを遠ざけようとする幼い子供のものだった。
喉と同様に痛みの走る血だらけの体を必死に動かし、地を這うような姿で琥太郎から逃げようとする。だが、どんなに動かしても前に進む事はなかった。泣きながら後ろを振り向くと、そこには琥太郎が立っていた。
「―――――――――ァァッ!!」
やられる。晴翔の思考は恐怖と絶望に染め上った。晴翔は両手で頭を庇いながら目を閉じた。
スゥ――――――――――――
だが、何秒経っても何も起きない。
晴翔は恐る恐る目を開けると、そこには晴翔に向かって手を差し伸べる琥太郎の姿があった。差し伸べられた手の意味が分からない晴翔に、琥太郎はたった一言を伝えた。
「―――――行こう!」
それは数時間前に琥太郎自身が言われた言葉だった。その一言に深い意味はなかったもしれない。琥太郎は無意識に『自分に言ってくれた言葉』を選び、同じように手を差し伸べながら晴翔に向かって言った。
「・・・・・・・?」
一方の晴翔は琥太郎が何を言ったのか分からなかった。彼に対して悪質なイジメを集団で行ってきた張本人に手を差し伸べる琥太郎が理解できず混乱し始めていた。次第に、罠じゃないのかという恐怖が生まれてくる。
しかし、恐怖が再び晴翔から生まれる事はなかった。
『―――――神宮晴翔、何故恐れる必要がある?』
黒王の言葉が晴翔に響く。
『己の罪を悔い、助けようとした相手を恐れる必要がどこにある?』
「―――――――――ッ!!」
黒王の言葉に晴翔は驚愕する。まるで何もかも見通しているかのような、まるで賢者のように語る穏やかで重い黒王の言葉に衝撃を受けた。
(な・・・・・何で、何でそれを――――――――――!?)
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時は少し遡る。
黒王が晴翔達の居場所を見つけ、速度を上げて飛んでいた短い時間での出来事――――――。
「――――――神宮君のこと?」
『そうだ。神宮晴翔、それはお前を虐めていた首謀者の1人だったな。お前はあの小僧をどう思う?』
「どうって、元々話した事だって殆どなかったし、後は一方的に虐められていただけで―――――――。」
『そうか、なら知らないだろうな―――――――。』
「?」
黒王は不意に琥太郎に晴翔と事を聞きだした。
琥太郎は質問の意味が分からず、ただ素直に答えた。
『―――神宮晴翔はネット上で中傷を受けていた。そしてそれは昨夜もだ――――――。』
「―――――え、嘘!?」
『正確に言えば、お前と間違えられて何度も中傷を受けていた、だが。』
「―――――――――あっ!」
思い当たる節があった。
昨晩のスレ、琥太郎は一度も書き込んでいないのにもかかわらず誰かの書
き込みが勘違いされていた事を思い出した。思い返せば確かに何度かそんな書き込みがあった事に琥太郎は気づいた。
『―――――これはあくまで俺の想像でしかないが、神宮晴翔はお前に嫉妬、言い換えるなら憧れていたのだろうな。それも、できる事なら人生をお前と替わりたいと思うほどにな。だからこそ最初は虐めてはいたが次第に後悔し、ネットを介してイジメを止めようとしたのだろう。』
「ウソ・・・・・・。」
『あくまで想像と言ったはずだ。だが、先程直接見た時の奴の顔からしておそらく・・・・・・・。』
琥太郎は黒王の言葉にショックを受けていたが、他にも思い当たる節があった事に気付く。イジメがエスカレートする中、晴翔から暴力を受けた記憶がほとんどなかった。あったとしても、記憶にある限りでは最初の頃に足払いを何度か浮けた程度だった。罵詈雑言に関しても、他の同級生と比べればそんなに酷くなかった気もする。
何で気づかなかったのだろうと思った。黒王の想像通りなら、イジメで苦しんでいたのは自分だけではなく虐めていた晴翔自身もと言う事になる。かと言って、彼がこれまで琥太郎にしてきた事の全てが許される訳ではないが、琥太郎は黒王が数時間で気付いた事に何で気づけなかったのかと思うようになった。
『――――――次に奴会った時、どう向き合うかはお前次第だ。』
「・・・・・・・うん。」
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何故目の前にいる黒王が知っているのか晴翔にはわからなかった。ただ分かるのは、琥太郎も驕りも憐れみもなく手を差し伸べていると言う事だった。晴翔の目に映る琥太郎の姿、それは虐められる前の嫉妬を感じるほど憧れた彼の姿だった。
「――――――行こう。一緒に行こう。」
「あ・・・・・・・。」
晴翔はその手を握りたくなったが、それを拒絶しようとする思いが体を縛って動けなかった。散々虐めておいて助けもらおうなど虫のいい話だという声が呪いのように聞こえてくる気がした。
だが、自分の中にある呪いのような声は意外と呆気なく消える。
『―――――神宮晴翔、もう己を偽り、苦しめるな。お前は――――――――――だ。』
「あぁ―――――――――――。」
その時何と言われたのか、晴翔はよく覚えていなかった。よく頑張った。十分苦しんだ。勇敢だ。もう許されていい。そのどれかだったかもしれないし、違ったのかもしれない。ただ言えるのは、自分を苦しめていた呪いが霧のように霧散していったと言う事だ。
「――――――行き、たい!」
気付いた時、晴翔は小さくなった手で琥太郎の手を握り、痛い喉を動かして本心を口に出していた。その時の声は高校生の口調ではなく、見た目と同じ幼さが残る子供の声だった。
「うん!」
琥太郎も晴翔の手をしっかり握り、彼の体を支えながら起こした。
それを見ていた黒王は何も言わず、ただ僅かに瞼を動かしながら2人の姿を見守っていた。そして傷だらけの晴翔を背中に背負いながら自分の所へ戻ってくると大きく翼を動かした。
『――――では、ここから脱出するぞ!』
琥太郎と晴翔が黒王の背中に乗ると、何時の間に回収したのか、他の同級生達が全員気を失って乗っていた。
黒王は両翼を広げ、口を大きく広げながら頭を真上に向けた。その直後、黒王の全身から凄まじい魔力が流れ、それは頭部へと向かって行った。
そして、黒王は龍族でも一部の者にしか扱えない《神龍術》をアンドラスの一部でもある闇に向かって放った。
『――――《邪を祓う神龍の息吹》』
闇が貫かれた―――――――――――――――――――――――――――。
《神龍術》
・龍族の中でも龍神に選ばれた一部の龍にのみ扱う事ができる高位能力。その力は天使や悪魔、神にすら届くため使用には制限があるものが多い。
・黒王が今回使った《セイクリッドブレス》は魔に属する存在にとって致命的な一撃であり、不死身であろうとこれで破壊された部位は魔王クラスでもない限り再生は不可能になる。
・黒王は強大すぎるこの力が世界に悪影響を起こす事を避けるため、自らも制約を課して使用を控えている。




