第187話 『白狼』ホロケウカムイ
――???――
時間はほんの僅かばかり遡る。
自力で意識を浮上させようとした直後にカースの呪いのせいで死んでしまった佐須冬弥の魂は床も天井も壁もない不思議な空間を彷徨っていた。
「・・・・・・ん?」
そこで意識を取り戻した冬弥(魂)は自分が見覚えのない場所にいることに気付いた。
「何所だここ?って、何で全裸!?」
冬弥は自分が一糸纏わぬ姿でいることにも気づき、慌てて大事な場所を両手で隠した。
そして少しでも落ち着くために状況を確認する事にした。
「え~と、確か俺は死にかけていて、根性で復活しようとしたら変な声が聞こえてそのまま・・・・・・」
冬弥は自分が死んでしまった事を自覚した。
「・・・・・・ハハ、結局死んじまったのか。」
両目から涙を零れる。それは後悔の数だけ零れてゆき、もっと生きたかったと思う以上にたくさんやり残してしまったという思いの方が冬弥の心を刺していた。
祖父母や両親、弟、友人、そして昨日出会った、正確に言えば15年ぶりに再会した自分の双子の片割れに何も言い残せず死んでしまったことを後悔しながら冬弥は顔を真っ赤に染めて泣き続けた。
すると、冬弥の耳に聞き覚えのある不思議な声が聞こえてきた。
『―――――――――すまなかった。』
「―――――――――!」
冬弥は泣くのを止め、びしょ濡れになった顔を上げた。
顔を見上げた先には越えの主であるインド象よりも大きな白い狼が立っていた。
それは神々しいとしか言えないようなオーラに包まれ、その姿からは厳格さや勇猛さ、そして温かい優しさを同時に感じさせた。
「・・・・・・神?」
白い狼の姿を見た冬弥は、直感的にその正体を見抜いき、冬弥の呟きを聞いた白い狼は僅かに眉を動かすと穏やかな笑みを浮かべながらその口を開いた。
『いかにも。我はこの地の先住の民に祀られし神、名は“ホロケウカムイ”、先住の民の祖の1柱であり、『白狼』の二つ名で呼ばれている。』
「ホロケウ・・・・・確か俺達の御先祖様だったな?」
冬弥は学校の特別授業や祖父母から聞いていた自分のルーツ、つまりアイヌ民族の歴史や伝承の知識を思い出しながら呟いた。
『その認識で良い。もっとも、今では祖である我が血は随分と薄れ、多くの末裔には砂粒程度しか流れてはいないがな。例外である一部を除いて・・・。』
「例外?」
『・・・・・・・・。』
冬弥は首を傾げながら訊くが、ホロケウカムイはその疑問に答えようとはせずしばらく沈黙を続けた。
それは意味深な沈黙だったが、この時の冬弥はこの沈黙の意味に気付く事はなかった。ホロケウカムイの言う“例外”、その1人が自分自身であることを暗示させていたということに・・・。
「・・・で神様は俺を天国に案内しにきたのか?」
相手の沈黙に飽きてきた冬弥はタメ口で尋ねた。
冬弥は気付いてはいないが、今彼のいるこの場所には普通の人間なら全身が弛緩して精神が押し潰されてしまうほどの高濃度の魔力に満ちている。神威とも言うべきその重圧の前では大抵の人間は心を折られて神の前に平伏してしまう。にも拘らず、冬弥は何も感じていないのか、友人の相手をするような調子で喋っていた。
『――――――否。それは我が役目ではない。我はお前に謝罪と・・・・・選択肢を与えに来た。』
「謝罪と選択肢・・・?」
『その話をする前に、その恰好をなんとかしよう。』
ホロケウカムイがそう呟いた直後、冬弥はカメラのフラッシュのような光に包まれ、光が収まると全裸だった冬弥は白を基調とした衣服を着ていた。半ズボンに半纏のような衣服だったが、そこには芸術品のようにも見える文様の刺繍が施されていた。
俗にいうアイヌの民族衣装に似ていたが、現代人である冬弥からしてみれば、民族衣装を着ているというよりはコスプレをしている気分だったが。
『フム、中々似合っているな?』
「・・・・・・やめてくれ。」
満足気なホロケウカムイに対し、冬弥は羞恥心で顔が沸騰しそうな気分になっていた。
「いいから話を進めろよ!」
『そうだったな。まずお前達には謝罪しなければならない。』
「・・・その、謝罪って意味がまずわかんないんだよな。俺ってあんたに会った覚えは・・・・・・・あ!夢の中に出てきた声!!」
『気付いてくれたか。』
冬弥はホロケウカムイの声が何度も夢の中で聞いた声と同じである事にここでようやく気付いた。
『1つ目の謝罪はお前の夢に幾度も干渉してきたことにだ。そのせいで多少とはいえお前の日常に支障をきたしてしまった。』
「・・・何でそんな事をしたんだ?」
『警告、そして歪められた運命を修復する為だった。結果は成功したとも失敗したとも言えるが・・・。欲を言えば失敗だったのだろうな。お前を死なせてしまった。』
悲嘆に満ちた瞳が冬弥を優しく見つめている。
それは子孫を見る眼差しとは違う、それよりももっと強い何かのある眼差しだった。
『我はずっとこの地を見守っていた。それ故に、15年前にあの者達が起こした悪行に誰よりも早く気付いてもいた。可能ならば阻止をしようとも思い至ったが、この世界において神格を持つ者が人の世に干渉する事は過去の誓約により厳しく制限されている。それ故、我は汝に夢を通して警告をする事しかできなかったのだ。』
「警告って、あの怪物達のことか?」
『そうだ。あの者達は嘗てこの大地に災厄を起こし、多くの血が流れた末に封じられた獣達を目覚めさせてしまった。しかもそれだけでは飽き足らず、古の禁術にも手を出して獣達に知性や力を与えていった。あの者達は人の枠を超え、人ならざるもの全てをその手で意のままにしようと企んでいる。このまま放置すれば、この地だけではなく我の手が届かる遥か遠く後にまで災厄を起こしてしまうだろう。我はそれを阻止したかったのだ。そして何より、お前達の運命を本来あるべき形に戻したかった。』
「本来あるべき形・・・・・。」
ホロケウカムイから只ならぬ気迫が伝わってくるのを冬弥は感じていた。
それを直に感じた冬弥は、目の前の神の言っている事に嘘偽りがないと思うのだった。
その一方で、冬弥は“あの者達”という言葉に引っ掛かっていた。
「その、“あの者達”って誰のことなんだ?俺と慎哉を生まれてすぐ引き離した連中ってのはなんとなくわかるんだけど?」
『―――――――危険な者達だ。奴らの多くは人間だが、それを束ねている頭目は我以上の神格を持つ7柱の神々、その中にはこの国の古き神も混じっている。その目的、その一端は今ある世界を全て滅ぼすことであることは間違いない。』
「世界を滅ぼす!?そんなのに何で人間が加担してるんだよ!?」
『・・・あくまで我の推測でしかないが、おそらくは世界を一度終わらせた上で新たに創ることだろう。あの神々に与する者達、その者達全員の願望を叶える理想郷を。言うならば“破滅”と“創世”、それが彼奴らの目的なのだろう・・・・・・。神とはいえ、人間全ての真意を見抜けるわけではない以上、確証はないが。』
「・・・・・・。」
ホロケウカムイの言葉に今度は冬弥が沈黙した。
今ある世界を“破滅”させ、自分達の願望の適う理想郷を“創世”する。単純に考えれば身勝手な野望と言えるが、冬弥にはそれを実行する者達の考えをこの場ですぐに否定する事は出来なかった。
この世には理不尽が星の数ほど存在する。世界的に見ても平和で豊かな国に分類される日本で育った冬弥にもその事実は幾分かは理解できている。
テレビやネットなどで日々報道される悲劇や惨劇、世界には冬弥の想像を遥かに超える絶望が存在する。その絶望を直に味わった者達にとっては、この世界は希望の存在しない間違ったものなのかもしれない。ならば間違った世界を消し、新たに正しい世界を創ろうと思う者がいるのは仕方がないのではと冬弥は未熟な頭で考えていた。
それを察したホロケウカムイは、窘めるように冬弥の思考を妨げる。
『それはお前が考える事ではない。少なくとも、まだ何も知らぬお前が彼奴らに情を動かすのは傲慢でしかない。本気で向き合う気があるのなら、それ相応の覚悟を決めてからにする事だ。』
「・・・・・・。」
『話が逸れてしまったな。どこまで話したか・・・・そう、我はお前達にあの者達の脅威を伝える為に夢を通じて警告したが、まだ力に目覚めていなかっただけでなく、あの者達がかけた術の影響で断片的にしか伝えることができなかった。」
「そういえば、ハッキリと聞こえた事がなかったな。けど、警告なら俺じゃなく慎哉にした方がよかったんじゃないのか?よく分かんないけど、慎哉は力に目覚めていたんだろ?」
当然の疑問を冬弥は言ってみた。
それに対し、ホロケウカムイは首を横に振って否定した。
『――――――神道や仏教の神仏とは違い、我はこの北の地でのみ祀られた神。この地の外にいる者に干渉する事は禁じられている。それ故に汝の兄には警告する事はできなかった。』
「そうか・・・・・・・・・・んん!?」
それでは仕方がないと思った直後、冬弥は聞いた言葉の中に入っていた“兄”という言葉に一瞬混乱しそうになった。
「――――――――兄!?俺が弟なのかよ!?」
『・・・・・・(コクリ)。』
ホロケウカムイは言葉ではなく首を縦に振って答えた。
その後、冬弥は神の口から明かされた真実にしばらく硬直したのだった。これが人間の口からだったら即否定していた冬弥だったが、神の口から出た言葉だったので否定できず、認めるしかなかったのだ。
「ハハハ・・・・俺に、兄貴か・・・・・・。」
『・・・・・・。』
苦笑する冬弥だったが、ホロケウカムイの目は彼が残念がるどころか心から喜んでいるのを見抜いていた。
冬弥には弟はいるが兄はいない。だからこそ、彼は自分より上の兄弟を無意識のうちに望んでいたのだ。
『・・・話を続けよう。我はお前達の運命を修復しようとしたが失敗した。それどころか、今になってその大きな原因が我の軽率な行為が原因であったのだと知った。』
「軽率な行為って、神は干渉とかはできないんじゃ・・・?」
『その通りだ。直接契約をする以外で神が人の世に干渉できる機会は限られている。それは年に数度の神事か、または“加護”を与える時の何れか。今回の場合、後者の“加護”を与えた事が仇となってしまった。』
そしてホロケウカムイは冬弥に事件の概要を話していった。最初は気まぐれな親の愛情を確かめるという実験だったこと、それが生まれた子供が両方とも加護持ちだったことで更に悪質な内容になってしまったという事を。
その内容に最初は怒りを覚えた冬弥だったが、すぐに安堵したような笑みを浮かべた。
「そっか、じゃあ少なくとも慎哉が殺される心配はないんだな。敵の目的が俺か慎哉のどちらかを死なせることだったんだから、俺が死んだらアイツも死ぬ心配はないんだよな?」
『お前はそれでいいのか?』
ホロケウカムイが問いかけると、冬弥は僅かに葛藤した表情を浮かばせながら答えていった。
「・・・もし俺が助かったら今度は慎哉が死ぬかもしれないんだろ?本当はもっと生きたいし、家族にも会いたいけど・・・・。って、もう死んだんだから“もし”なんてないんだけどな!」
――――――兄さんはお父さんとお母さんの子供じゃなかったらこの家を出て行くの?
冬弥の脳裏に、数時間前に自宅の会話の記憶が蘇ってくる。
(・・・・・健太ゴメン、結局俺はお前の前からいなくなってしまった。また泣かせてしまうな・・・・・・。)
家において来た弟の事を思い、冬弥の目から再び涙が零れ始めた。
――――――会ってすぐに死ぬんじゃねえ!そんなの兄さんが許さねえぞ、冬弥!!
ついさっき聞こえた“兄”の言葉もまた聞こえて来るような気がした。今思えば、あれが最初で最後の兄らしい言葉だったのかもしれない。
(慎哉・・・・・・兄さん・・・・。)
涙が止まらない。
ホロケウカムイにはああ言ったが、自分が死んでよかったというのは嘘、本当は死にたくないし生きたかった。みんなと一緒に生きたかったと、冬弥は自分の本心を隠しきれず涙を流し続けた。
「うぅ・・・クソ、何で止まらないんだよ!?」
『生きたいという願い、それがお前の本心だからだ。この場所では魂を偽ることはできない。ここはそういう場所なのだからな。』
「うぅ・・・何だよそれ!?卑怯だろ・・・・・!?」
『だが、お蔭でお前の本心を確かめることができた。故に、我はお前に1つの選択をさせることができる。』
「・・・選択?」
冬弥が訊いた後、しばらく間を開けたてからホロケウカムイはある選択肢を与えた。
『――――――――冬弥、人間をやめてまで生きることを望むか?』




