第179話 濃霧の結界
――太平洋 北海道沖――
空が茜色に染まり、空を映す海面も同様に茜色に染まった日没間近の時刻、四方八方見渡す限り船1隻の姿も見えない海面の下をレアンデルは1人で泳いでいた。
勿論遊んでいる訳ではなく、一昨日の深夜にたくさんの船舶を襲ったと思われる怪物の調査を行っている。仲間の中では(問題児の翠龍を除いて)唯一と言っていいほど水中戦に向いている彼だからこそ任せられる役割なのだ。
(―――――――――ったく、他よりマシとは言え、この辺りも魔毒に汚染されているな。)
レアンデルは不愉快さに耐えながら海底に向かって潜っていく。普通の人間には綺麗に見えるこの海の中も、レアンデルにとっては今すぐにでも立ち去りたいほどの不快な場所だった。
海水には“巨大な怪物”が撒き散らしたとされる“魔毒”が溶け込んでおり、普通の人間には普通の海水でしかないが、それ以外の野生動物やレアンデルのように魔力や自然エネルギーに敏感な生物には汚染された海、例えるなら排気ガスが充満している大気やヘドロの溜まっている水のようなものだった。
もっとも、それでもここはかなり汚染度の低い場所であり、酷い場所だと海面に魚や鯨、さらには上空を飛んでいた鳥の死骸が浮かび上がっていた。
(あとで良則に海の浄化を頼まないといけないな。しかし、汚染の酷い場所を中心に調べているのにまるで手がかりが見当たらないな?ここまで綺麗に残ってないとすれば、もはや人の手で消されたとしか思えないな。)
レアンデルの頭に、容疑者候補筆頭の組織の名前が思い浮かんだ。
(『創世の蛇』か・・・。一連の事件が人為的に引き起こされたとするなら、犯人は奴等しかいないよな。)
さらに深く潜りながらレアンデルは犯人の目的を考える。慎哉の過去に関する調査の先で起きた事件、同一犯によるものだとすれば『創世の蛇』の中でもある男の名前が思い浮かぶ。
組織の《盟主》の封印を解くついでに、趣味と称して世界中からさらった少年少女達で非道な人体実験を行ったマッドサイエンティスト、ギリシャ神話に登場する神器で勇吾を翻弄したフェランだ。
(多分、また趣味の実験だろうな。)
ほぼ間違いないと考えつつさらに深く潜る。
茜色の光が届かぬ深海、人間が生身で来ることは基本的には不可能な場所まで来たレアンデルは不意に動きを止めた。
(ここは・・・・・・!)
そこは、一言で言うなら「深海の墓場」だった。
深海の中に堂々と立つ岩山、その頂上の端には円陣を作るように何本もの石柱が並んでいる。そして頂上の至る所に砕けた大型生物の骨が転がり、そのどれもから歴戦の勇士にも似た気が漂っていた。
(おいおい、龍族の遺骨まであるじゃないか!)
転がっている骨の中にはレアンデルと同じ龍族のものもあり、他の水圧で砕けた骨とは違い、こっちは原型を残していた。
(何かと戦って力尽きたのか?)
レアンデルは岩山の頂上を見回していく。
すると、中心部から少しずれた場所に目が留まった。
(・・・何かが封印されていたのか?)
そこにあったのは、ここには場違いと思える無色透明な砕けた石と、まっぷたつに割れた台座だった。
割れた台座には古い文字・・・と言うよりは何かの模様が刻み込まれ、それを見たレアンデルはそれが何かを封印するための道具だったと見抜き、同時に封印された“何か”はごく最近解放されている事も見抜いた。
(これは早くあいつらに伝えないといけないな・・・。)
レアンデルはかつての勇士達に黙祷を捧げると、台座や透明な石の欠片を拾って海上へと向かったのだった。
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――○○市海岸部――
その日の夜、夕方にレアンデルから連絡を受けた勇吾達は彼と合流するために海岸に来ていた。
だがその夜の○○市周辺は、気象予報士の信用をストップ安にするほどの異常な濃霧に包まれ、街では日没以降何件もの交通事故が発生していた。
「これ、おもいっきり自然の霧じゃなくね?」
慎哉が呟き、すぐ隣に立っていた勇吾は頷きながら答えた。
「ああ、これは魔獣が出す類の水属性防御系の魔法による霧だ。おそらく、この霧の中で起きる出来事の一部が一般人や電子機器に感知されない類のものだな。」
「へえ、前にもそういう魔獣と戦ったことがあるのか?」
「何度かな。それより、お前は家に帰った方がいいんじゃないのか?」
「平気平気♪親には友達の家に泊まるって言ってあるから問題なしだぜ!」
「・・・近々、お前の家にも挨拶に行かないとな。」
慎哉はVサイン見せながら答え、勇吾は少しだけ今後のことを考えたがすぐに意識を濃霧の先に集中させた。
「黒、どう思う?」
「この先、沖合いの海にいるな。どうやら俺達を誘っているようだな。わずかに霧の薄い場所が道になっているところを見ても間違いないだろう。」
「俺達の推測が当たっていたということだな。」
勇吾は複雑な思いを抱きながら霧の向こうを見つめる。
おそらくはこちらの動きを知った上で誘っているのだろうと理解し、これが何らかの罠であると知りながらも進むしか選択肢の無い状況に勇吾は若干の苛立ちを感じていた。
「それにしても、レアンが来るの遅いわね?」
レアンデルの契約者であるミレーナは相方が中々来ないことに不安を抱き始めていた。
既に〇〇市を含め周辺の海域は敵地も同然、こっちに向かう途中で敵襲を受けた可能性もあった。
「・・・二手に分かれて動くぞ。ミレーナ、トレンツ、アルバス、慎哉は引き続き海岸でレアンデルを待ちながら街に異常が起きないかを監視、それ以外は俺と一緒に沖合へ向かう。」
「俺もかよ?」
晴翔は不思議そうに勇吾の方を見た。戦力的に考えれば、晴翔は慎哉と同様に陸の方で待機しているのが賢明であり、危険の可能性が高い場所へと向かわせるのは無理があった。
「そうしたいのは山々だが、お前の相棒が勝手に陸地を離れそうだからな。それなら最初から同行させた方がマシということだ。」
「へえ、分かってるじゃないか?」
「翠龍、テメエ・・・。」
晴翔は隣でニヤニヤとしている翠龍をギロリと睨んだ。
基本的に好戦的な翠龍の性格上、戦闘が起きるかどうか分からない陸地よりも確実に戦闘が起きるだろう沖合に来たがるのは勇吾には容易に想像ができるのだ。
「確かに、単独行動とかしそうだよな?」
「だな!」
「晴翔~、死ぬなよ~♪」
「縁起でもないことを言うな!」
「とにかく、すぐにでも出発するぞ!あと、勝手な行動を取ったら・・・分かってるな、翠龍?」
「お、おう!!」
勇吾の意味深な視線と呟きに、翠龍は僅かに顔を青くしながら肯いて答えた。
そして、黒王や翠龍、ゼフィーラが元の姿に戻ってその上に勇吾達が乗り移り、2,3確認を済ませてから沖合を目指して出発した。
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――太平洋 〇〇市沖――
速度は余りださず精々時速40~50kmほどの速さで移動を続けること約1時間、海岸とは違ってここまで来ると霧の濃度の差でできた道が人間の肉眼でもハッキリと認識できるようになっていた。
道は一直線に延びているように見えるが、実際にはどのように進んでいるのか勇吾達も正確に把握する事は出来ずにいた。
『――――――――そろそろだな。』
「何も見えないし感じられらいね。』
「良則、お前でもか?」
「うん、詳しくは分からないけど、感知系の能力を妨害する力が働いているみたいだよ。それも海岸よりも数十倍強力だから、この辺りにその大元がいるはずなんだけど・・・・・・。」
「怪物の影もないぞ?」
周囲を見渡しても白い濃霧以外は何も見当たらない。魔法で探索を行おうとしても不発に終わるか、成功しても何も反応はなかった。良則の言うとおり、この辺り一帯には何らかの力によって感知や探索ができないようになっているようだった。
「――――――――この霧の効果か?」
『いや、おそらくとしか言えないが霧とは別の力だろう。俺の感覚にもかなり影響が出ている。常人なら五感を完全に狂わされて錯乱しているだろうな。』
「試しに攻撃してみたらどうだ?」
『よし、俺の出番だな!』
「待て!敵側に人質がいる可能性がある以上、下手な攻撃は民間人の犠牲者を出す恐れがある!」
『ならどうするんだ?』
翠龍が不満気に言うと、勇吾は少しばかり黙考を始める。
今追っている怪物は一晩で数十隻の船舶を襲っている。それが野生の魔獣による捕食行為なら生存の可能性は絶望的だが、〇〇市で起きた事件との関連がある以上は背後にいる犯人によって怪物が操作されている可能性がある。その場合、被害に遭った船舶の乗組員達は生きたまま人質にされている可能性も決して低くはなく、狙いも定めずに攻撃すれば犠牲者を出し兼ねないのだ。
(―――――――殺傷力が低い攻撃魔法を撃つか、それとも・・・・・ん?)
幾つかの策を練っていたその時だった。
今の今までほぼ無風状態だった濃霧の中に、突然強風が吹き荒れ始めた。
「うわっ!」
「ちょっと、これって・・・!?」
『人為的な風です!近くに敵がいます!』
「「「―――――――――!」」」
突如発生した強風は、勇吾達の周りにある霧だけを掃うかのように吹き荒れ、数秒後には霧の無いドーム状の空間が出来上がっていた。
『――――――――――――結界だな。外界とは完全に隔絶されたようだ。』
先程から全く驚く様子の無い黒王は冷静に周囲を見渡し、前方にある霧の壁の奥を凝視した。
―――――――――オオオオオオオオオオオン・・・・・・・・・!
「うおっ!?」
「凄い鳴き声!」
突然響き渡った鳴き声に、晴翔は思わず黒王の背中から落ちそうになり、リサも反射的に耳を塞いでしまった。重低音な鳴き声は全員の聴覚を狂わせるかのように響き続け、それと同時に巨大な影が前方からゆっくりと見え始めていた。
『フン!やっと現れたか!』
ニヤリと笑みを浮かべる翠龍は我先にと前へと乗り出していった。
「待て翠龍!無闇に近づくな!」
『大丈・・・・・・・・なっ!?』
勇吾が止めるよりも先に、翠龍は目の前に現れた巨影を目にして絶句する。それは文字通り山のように巨大な怪物の影だった。シルエットそのものはマッコウクジラに近似していたが、その大きさはマッコウクジラの数百倍はあった。
「・・・・・・こいつは!」
『間違いないな。これは、千年以上も前に北の海を支配していた主、レブンエカシだ。』
「よくご存知で。」
感心する声が影の中から聞こえてきた、




